7縁「寝袋持参で前乗りしてたのよ」

「あっ、いたッスよ先輩!」


 夜道をしばらく走って、二人はなんとか馬締まじめを見つけた。えるにならって、おじさんも電柱の陰から顔だけを出す。


「……まっすぐ家に向かってくれるといいけどな」


 今回の依頼は素行調査。帰りの遅い馬締が、よからぬことをしていないか見守るのが目的だ。


 おじさんは緊張していたが、教師のえるには何か確信があるようだった。


「たぶん大丈夫だと思いますよ」

「え? どうして分かるんだ?」

「馬締くん、学校で言ってたんス。家だと勉強に集中できないって」


 何気ない雑談だったが、生徒との会話はしっかり覚えていた。おじさんは納得して頷いた。


「それでファミレスで勉強してたなら、確かに辻褄つじつま合うな」


 夜道をひとり進む馬締。二人の尾行に気づく様子はない。


「……お、家に入ったな」


 しばらくして、彼は無事に帰宅した。勉強で遅くなっただけで、見た目通りの真面目な生徒だったようだ。


「何事もなくてよかったッスね。ふう、ミッションクリアーッス」


 教え子の安全を確かめてほっとする。肩の力を抜くえるの横顔を、おじさんは感慨深そうに眺めた。


「えるの言った通りだったな。立派に先生やってるんだな」

「な、何スか急に! お世辞ッスか?」

「違うよ。さっきだって……」


 遅くまで頑張ろうとしていた小波を、おじさんに先んじて止めたことを思い出す。


「ちゃんとしかってくれただろ? 甘やかす方が楽なのに」

「なんだ、当たり前ッスよ。軽い気持ちで教師選んだわけじゃないッス。それに……」


 いつくしむように言う。


「――かわいい生徒たち見てれば、他人事ひとごとだなんて思えませんよ」


 慈愛に満ちたその瞳には、彼女の真心が表れているようだった。


(えるのやつ、こんな顔するようになったんだな……)


 無言になったおじさんを見て、えるは明るい声に戻った。柄にもないことを口にしたのが気恥ずかしくなって、慌ててごまかそうとする。


「な、なーんて! かわいいっていうのは、もちろんあれッスよ? 性的な意味ッス」


 仕方のない子を見る目で、おじさんはため息をついた。


「……そういうことにしとくか」

「何スかそのあたたかい目は! 急に先輩ぶって、先輩らしくないッスよ!」


 無事に調査を終えて、二人は帰宅することにした。おじさんはえるを家まで送ってから帰るようだ。


(……そういえば、眠気覚ましの薬、飲まなくてもよかったな)


 早々に調査が終了したため、結局睡魔に襲われることはなかった。


(ま、無事に終われば何よりか)


 そう思った時だった。


「うっ⁉」


 おじさんは体に異変を感じた。


「な、何だ……?」

「どうしたんスか先輩」

「いや、ちょっと……。急に体の具合が」

「ええっ⁉ 大丈夫ッスか⁉ きゅ、救急車」


 パニックに陥るえるを、息を切らしながら制する。


「そこまでじゃない……。たぶん、少し休めば落ち着く……」

「ほ、ほんとッスか?」


 ぼーっとする頭で思う。


(なんか、前にもこんなことあったような気が……)


 三実をソファーに押し倒した時と似ていた。おじさんは知らないことだったが、あの時も妹に一服盛られていたのだった。


「やばい、クラクラしてきた……。す、すまんえる、ちょっと肩貸してくれ」

「は、はいッス!」


 おじさんに寄りかかられて、えるはあたふたと動揺した。彼の熱をじかに感じる。


「本当に悪い……。重くてごめん」

「それはいいッスけど……。救急車はほんとにいいんスか?」

「ああ……。どこか、休めるとこでもあればいいんだけどな」

「休めるとこッスね、分かったッス! ええとええと……」


 必死に辺りをキョロキョロする。


「あっ!」


 夜の街に浮かぶ不夜城が目に入った。いかがわしいネオンが光っている。


「あれッス先輩! 『休憩』って書いてあるッス!」


 うなだれるおじさんには地面しか見えなかった。半分意識がないようだ。


「どこでもいい……。悪いが、連れてってくれないか……。俺も、ちょっとなら歩けるから」

「よーし。もうちょっとの辛抱ッスからね、先輩!」



    *



 現在。


 おじさんは眠りから覚めた。ダブルベッドから上体を起こす。


「ま、間違いない……」


 大人のムード漂う一室に、おじさんの叫びが響いた。


「ラブホテルだここ⁉」


 入るのは初めてだったが、直感的にそうだと分かってしまった。間接照明がいかにもな雰囲気をかもしている。


「どうしてこんなことに……」


 混乱する頭で状況を整理しようとする。連れの姿がないのに気づいた。


「え、えるは?」


 ベッドから降りようとした時、バスローブ姿の女性がどこからともなく現れた。部屋がうす暗いせいで、顔まではよく見えない。おじさんの方へゆっくりと近づいてくる。


「あわわ……」


 スーツは着ていたが、おじさんはお洒落なかけ布団を不安から体に引き寄せた。前を隠すようにして恐怖に震える。


(だ、誰だ……?)


 声すら出せなかった。女性は目の前まで来ている。逆光になって、やはり顔は分からない。おじさんの方へと手を伸ばした。


(い、イヤーッ!)


 ギュッと目をつむって身を縮こまらせる。そのおじさんのおでこに、女性の手が触れた。


「……大丈夫ッスか先輩。熱とかないッスか?」


 聞き馴染みのある声。閉じた目をゆっくりと開いた。


「……え、える、か?」


 距離が縮まったことで、ようやく後輩の顔だと分かった。心配そうな表情で覗き込んでいる。


「すみません、ぐっすり眠ってたみたいなんで……。ちょっとシャワー浴びちゃいました」


 男のおじさんを運ぶのは、華奢きゃしゃな彼女には骨が折れたようだ。おじさんが寝ている間に汗を流していたらしい。


「ああ、うん……。だ、大丈夫だ」


 えるの髪は濡れてしっとりしていた。おさげを解いたその姿は、まるで別人のようにつやっぽく映った。


「ほんとッスか? なんか顔赤いッスけど」


 顔色をよく確かめようと、えるはベッドに乗り上がった。四つん這いの姿勢で近づく。


「!」


 にじり寄る彼女を目の前にして、おじさんは硬直した。バスローブの隙間から、女性らしい膨らみが見え隠れしていた。


「ちょ、ちょっま……! だ、ダメ……!」

「ダメ? どこか痛むんスか?」

「い、痛むというか……」


 目の毒だった。それ以上いけない。そう思っておじさんは、転がり落ちるようにしてベッドから脱出した。


「あいてっ!」

「あっ、まだ寝てなきゃダメッスよ」

「も、もう治った! ありがとうなえる、助かったよ」


 薬の作用がいったん落ち着いたのか、事実具合はよくなっていた。それをよく確認してから、えるはベッドに腰かけた。コロッと明るい表情になる。


「いやーよかったッス。一時はどうなることかと」

「そうだな、本当に感謝してる。が……」


 改めて異空間を見渡すおじさん。どうしてこんなところへ来てしまったのか――。


「なんで、その……。ええと」

「ラブホッスか?」


 後輩が口にした単語に、耳まで真っ赤になって頷いた。おじさんには少々刺激の強い言葉だったようだ。


「そ、そのそれ! なんでだよ?」

「だって休憩できるとこ連れてけって、先輩が言ったんじゃないッスか」


 ラブホテルの料金プランは、主に宿泊と休憩。3時間利用の休憩でチェックインしていた。


「た、確かに言ったけど……」


 おじさんが想定していたのは当然、公園のベンチやバス停などだった。とんでもないことになってしまったと頭を抱えた。


 『休憩』違いで入ってしまったラブホテルで、二人はいったいどうなってしまうのか。先輩後輩、密室、3時間。何も起きないはずがなく……。

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