6縁「1コしか違わないじゃないの! まだ23よ!」

「ワトソン君、よかったらこれを使ってくれ」


 馬締まじめの素行調査を二人に託した小波は、おじさんにあるものを手渡した。


「……これは?」


 小さな瓶の中には、薬らしきものが1錠入っていた。


「君の妹――博士からもらったものだ」

「妹って……。え?」


 おじさんは目をパチクリさせた。頭の中で、ピンク髪のダボダボ白衣が浮かび上がる。


三実みみと会ったことあるのか? 学校違うよな?」


 ちなみに、学年も異なる。三実は高1、小波は高2だ。


「君の知らない場所で、ちょっとな」


 おじさんは知らないことだったが、二人は第5章のエピソードタイトルで出会っていたのだった。


「張り込みで睡魔に襲われた時のために、眠気覚ましの薬を作ってくれたんだ」

「へえ、あいつがそんなことを……」


 妹の成長を見るようで感慨深かった。小波は黒縁メガネのブリッジをクイッと上げてみせた。


「たった1錠で目がギンギンにえる。その名は――」


 たった一つの真実見抜く名探偵のようにいい声を張った。


「三実ちゃん製薬『メガギンギン』だ!」

「安直だな」

「分かりやすくていいじゃないか。もう夜だし、ワトソン君が使ってくれ」


 張り込みはいつまで続くか分からない。ありがたくもらうことにした。


「あ、あのー、江藤えとうさん」


 おじさんが水を汲みにいっている間に、えるは教え子に探りを入れる。


「ずいぶん仲がいいのね? 二郎先輩と。チャワンの件で知り合ったそうだけど……」


 憧れの忍野おしの先生に対して、小波は小さな優越感を抱いた。得意げに胸を張ってみせる。


「そうですね。彼は僕の助手ですから」


 えるはむくれた。おじさんとの関係性が気になったのは、小波も同じようだった。


「先生こそ、ワトソン君とどういう関係で……? 一緒に食事していたようですが」


 えるは大人げなくも対抗心を燃やす。


「彼は、そうね……」


 二重まぶたを意味ありげに伏した。


「――私の秘密を知る存在、とでも言っておこうかしら」


 秘密とはつまり、学校に隠れてエロ漫画を描いていることである。


「な、なんと!」


 そうとも知らずに、小波は衝撃を受ける。えるを見る目が変わった。


「じ、二郎とおっしゃっていましたね。出身校が同じとか?」

「高校のSOSだ……。じゃなくて、文芸部の先輩よ」

「文芸部。なるほど、先生は国語の先生ですもんね」


 あることないこと織りまぜてマウントを取ろうとする。


「何も知らない私にエロエロ……じゃなかった。色々教えてくれたわ。彼が教えてくれたのは、主に保健体育だったけど」

「ほ、保健体育⁉ ワトソン君に限ってそんな」

「あら、彼の何を知ってるというの? ついさっきだって、私に性教育してくれたのよ? そう、夜の性教育をね」

「夜の性教育⁉」


 たくましい想像力で、探偵は推理を組み立てていった。


「なんということだ……。品行方正な忍野先生と、人畜無害そうなワトソン君が……」


 品行方正な忍野先生がニマニマしているのにも気づかず、小波はうなだれた。


「……信じがたいことだが、二人はお付き合いしているらしい。僕の推理がそう告げている……。ハッ⁉」


 コテリン! とひらめいた。


「そ、そうか。サングラスをしていなかったのは、恋人の顔をよく見るためだったのか!」


 実際には、エロ漫画をよく見るために外していた。


「お待たせ。何の話してたんだ?」


 薬を飲んだおじさんが戻ってきた。


「わ、ワトソン君……」


 小波はおじさんに詰め寄った。制服のスカートが可憐に揺れる。


「き、君は僕の相棒なんだからな⁉ 浮気は許さないぞ!」

「う、浮気って……。えると一緒に調査を引き継ぐだけだろ? 妙な言い方するなよ」

「探偵というのはな、そう簡単にへこたれないものなんだ。これで引き下がったと思わないでくれ!」

「よく分かってるよ、ここまでお疲れさま。依頼の方は俺たちに任せて、早く家に帰った方がいい」

「むーっ。本当に分かっているのか?」


 最後にえるをキッと一瞥してから、少女はガストを出た。


「なんか怒ってたな? よっぽど自分で解決したかったんだろうな」


 テーブルに着くおじさん。えるは恋路からライバルを排除してご満悦だった。


「そうッスねー。ま、どんな障害が立ちふさがったところで、自分の手にかかればチョチョイのチョイッスよ」


 小波のことを言っていたのだが、おじさんは素行調査の話だと思ったようだ。


「おっ、頼もしいな。尾行の経験とかあるのか?」


 鈍感なおじさんを、えるは愛おしい目で見つめる。自分の胸にそっと手をあてた。


「……昔も今も追ってますよ? とんでもないものを盗んでいった泥棒さんを」

「え、何か盗られたのか? どこのどいつだ、そんなことしたのは」

「先ぱーい。鏡でも見てきたらどうッスかー?」

「鏡? 何かついてるか? 俺の顔」


 自分の顔をアホみたいにペタペタと触っていた。


「……まあいいや。どのみちトイ……お花摘みにいきたかったし」


 レディの手前婉曲な表現で言い直した。


「ちょっと行ってくる」

「一人でできまちゅか~? 自分も一緒に行きましょうか~?」

「バカにすんなっ! 馬締くん見てろ」


 上機嫌でからかうえるを後にした。


    *


「……鏡見たけど、別に何もついてなかったな」


 トイレを終えたおじさんがテーブルに戻ろうとすると、えるが血相を変えて飛んできた。


「ちょっと先輩! どんだけ花摘んでたんスか! 花屋でも始めるつもりッスか!」

「そ、そんなに摘んでねえよ……。せいぜいひと束くらい」

「馬締くん出ちゃったッスよ! 早くはやく!」


 調査対象が店を出てしまったようだ。おじさんは強引に手を引っ張られた。


「わわっ、でもまだお会計」


 内ポケットから財布を出した。それをえるが制する。


「自分が払っといたッス。ほら行くッスよ!」


 二人は慌ただしくファミレスを出た。

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