2おじ「それが、何がいいのか分からなくてな」

 小さくなっても頭脳は同じな名探偵を思わせるタイトルメロディーが、小波こなみのスマホから大音量で鳴り響いた。


 震えるおじさんをよそに、小波は自身の顔にピッと親指を立てて自己紹介した。


「僕は女子高生探偵、江藤えとう小波!」


 どこかで聞いたことのあるようなフレーズが続く。


「幼馴染で同級生のそらと遊園地に遊びに行って、黒ずくめの男の怪しげな取引現場を目撃した!」


 初めて聞いた気のしないセリフに、おじさんはなぜか胃が痛くなった。理由は分からなかったが、色々な方面に土下座したい衝動に駆られた。


「お、おいやめてくれ! もう自己紹介はいい!」

「なぜだ! これをやらないと、本編が始まらないじゃないか!」

「本編って何だよ⁉」

「まあ確かに、この導入こそ本編という意見も一理あるな」

「言ってないよそんなこと!」


 少女は黒縁メガネをクイと上げた。店の照明が、上手い具合にレンズで反射する。


「自分の胸にいてみることだな」

「な、何をだよ」

「反対するフリをして、本当は気になっているんじゃないのか? 黒ずくめが遊園地で、どんな取引をしていたのか」

「う……」


 実は図星だった。


「た、確かに……。気にならないと言えば嘘になるが」


 満足そうに、小波はフフンと胸を張った。


「そうだろうそうだろう! このイントロから逃れることなど、観客には不可能なのだよ」

「観客って、俺のことだよな? 映画館みたいな言い方してるが」


 不安を抱きつつも、おじさんはワクワク感に負けた。スクリーンに食いつく子供のように、気づけば小波に吸い寄せられてしまった。


「なんで取引場所が遊園地なんだ? 黒ずくめなんて物騒な出で立ちの男が」


 抑えがたい好奇心をぶつけていた。


「黒ずくめというか、まあただの学ランだな」

「学ラン? でも制服で遊園地って変だろ」

「どうやら修学旅行生だったようだ。3日目の自由行動とかであるだろう?」

「ああ、そういう」

「彼らはアトラクションからはずれた裏陰で、おもむろにゴソゴソし出したんだ」


 小波はかぶっている探偵帽のつばをつまんだ。


「取引を見るのに夢中になっていた僕は、背後にいた幼馴染が消え去ったのに気づかなかった!」


 幼馴染の突然の失踪――。


「まさか、誘拐されたんじゃ……」


 緊張が走る。


「いや。後で訊いたら、普通にジェットコースターに乗っていたらしい」

「ええ⁉ いやまあ、もちろん無事でよかったけど……」


 なんとなく腑に落ちなかった。


「ジェットコースターの方でも、何か事件があったらしいんだがな。僕は詳しく知らないんだ」

「そうか。なんとなくだが、とんでもない大事件な気がするな」

「とんでもないって、殺人事件とかか? まさか、ジェットコースターでそんな」

「そ、そうだよな。楽しい遊園地でそんなことが起きれば、さぞかしセンセーショナルだろうなと思ったけど」


 本筋へ戻って質問する。


「いったい何の取引だったんだ?」

「それが、物陰から見ていたからよく分からなかったんだ。だが、妙に周りの目を気にしながら、下品な笑みを浮かべていたぞ」


 顎に手をやって思い出す。


「あれはそう、書物を覗き込んでいたな」

「書物?」

「書物というか雑誌だな。週刊誌くらいの」


 機密文書か何かだろうか。


「遠目に何か見えなかったか?」

「雑誌のほとんどのページには、どうやら写真が載っていたようだ」

「写真? どんな?」

「そういえば、やけに肌色が目立つ写真が多かったな。はっきりとは見えなかったが」

「肌色……」


 おじさんはちょっと考え込んだ。


「……ええと、修学旅行生って言ったか? その学ラン男たちは」

「そうだ。見た目からして中学生だと思われる」

「学ランってことは男子だよな?」

「ああ。女子は一人もいなかったな」


 なんとなく察してしまった。口には出さずに想像する。


(たぶんだけど……。旅行気分で浮かれた男子中学生が、隠れてエロ本読んでただけじゃないか?)


「何だ? 何か気づいたのか?」

「い、いや別に!」


 女の子に伝えるのははばかられた。おじさんの態度に疑問を抱きつつも、小波は続けた。


「? そうか。そこで僕は突入したんだ」


 目の前に黒ずくめがいるかのように、ビシッと指を突きつける。


「貴様らそこで何をしている! とな。やつらときたら、こちらが驚くほどの慌てっぷりだったぞ」

「そうだろうな」

「む? 知ったような口振りだな」

「ま、まあなんとなくな」


 何か隠しているようなおじさんに、小波は小さく首を傾げた。


「……まあいい。蜘蛛の子を散らすように逃げていく彼らを、僕は追いかけようとした」


 突如始まった逃走劇に、おじさんは胸を躍らせた。


「おお。かっこいい」

「が、コケて逃げられてしまった」


 逃走劇は2秒で終わった。恥ずかしそうに探偵帽をかく小波。


「あ、あの時は少々寝不足でな……。推理小説が面白すぎて」

「そ、そうか。ケガとかなかったか?」

「それは大丈夫だ」


 気を取り直して話を続ける。


「僕が転んでいると、ちょうど幼馴染が戻ってきた」

「ああ、ジェットコースターの」

「もう遅くなる時間だったのでな。フラフラの僕を見かねて、空は僕の家まで付き添ってくれたんだ」


 幼馴染は空という名前らしい。


「彼女は世話焼きでな。よく眠れるからと、無理矢理ホットミルクを飲ませようとしてきたんだ」

「ああ、そんな効果あるって聞くな」

「あいつは空手をやっているのだが、骨折対策で牛乳をよく飲むんだ。一方の僕は苦手だった」


 幼馴染、空手……。おじさんはまたソワソワしたが、小波はお構いなしに囁く。


「僕はその女にホットミルクを飲まされ……。目が覚めたら――」

「さ、覚めたら……?」


 前のめりになるおじさんに、小波は言い放った。


「――朝になっていた!」


 おじさんはつんのめった。


「だから何だよ! 体に異変とかあるんじゃないのか⁉」

「いやー、ぐっすり眠れたなあの日は。以来すっかり牛乳好きになってしまった」


 満足したのか、スマホをいじって例のBGMを止めてしまう。


「僕の自己紹介は以上だ。どうだ? 僕がどんな人間か分かっただろう」

「確かによく分かったよ。主にその残念さ加減が」

「む、ご挨拶だな。いったいこの僕のどこが残念だというのか」


 おじさんが小波に自己紹介をうながしたのは、そもそも聞き慣れないワードが気になったからだった。


「今の話、どこに『探偵部』が出てくるんだよ?」

「あ」


 クールな外見に似合わない声が漏れた。


「な、なんと! 僕ともあろうものが、本題を忘れてしまうとは!」


 間の抜けている小波に、おじさんは呆れよりも心配が募ってくる。幼馴染が世話焼きなのも頷けた。


 小波は気を取り直して声を張った。


「説明しよう! 探偵部というのは」

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