4れい「あら、そのコーヒー二郎に?」
「これでよし、と」
三実は風呂から上がった。下ろした髪はサラサラで、爆発ヘアーの面影はない。もこもこしたルームウェアの上に、新しい白衣を重ねた。
「歯も磨いたし」
外食で付いたニンニクの臭いを気にしていたようだ。オーラルケアにより多少落ち着いた。
「パンツも返したし」
昨日くすねたおじさんのパンツは、1日遅れで脱衣カゴに入った。バレるかと思いひやひやしたが、これでひと安心だ。
「いったんこれを置いてこなきゃ」
風呂場を出た三実は自室に戻って、ベッドの下にまた何かを隠した。
「……オッケー。後は」
机の上には小さなビンが置かれている。薬が1錠入ったそれを手に取った。
「……三実の思い過ごしならよかったんだけどなあ」
おじさんが無職だという推理は、残念ながら当たってしまった。中の錠剤を取り出す。
「
生姜焼きを食べてもらえなくて消沈していたのだが、会社を辞めたせいで落ち込んでいるのだと、三実は勘違いしていた。
「この薬だって、使わなきゃそれが一番なんだけどなぁ……」
白衣のポケットに忍ばせて部屋を出た。
*
(う?)
台所に行ってみると、おじさんの背中が目に入った。仕事が押している母親に代わって、洗い物をしている。作業時とあって、頭には手ぬぐいを巻いていた。
(まさか……)
食卓を確認する。れいの分の夕食が、ラップをかけて置いてあった。
(こ、これは……)
メニューを見て目を剥いた。
(二兄のレパートリー頻出の生姜焼き! 今日の晩ごはん、お母さんじゃなくて二兄がつくったんだ!)
夕食を断ったことを激しく後悔した。
(ぐああ~っ! 二兄の手料理、食べ損ねちゃったよぅ~! 三実のバカ! オタンコナス!)
自分の頭をポカポカやっていると、洗い物を終えたおじさんが気づいた。
「どうした? やっぱり夕飯食べるか?」
声には出さずに悩んだ。
(食べたいけど……。さすがに『二郎』の後じゃ入らないなぁ)
外食はラーメン二郎だったようだ。『小ラーメン』でも、他店の特盛に相当するボリュームがあった。
「い、いらない」
お腹と相談した結果、すげなく断った。
「そうか。冷蔵庫に入ってるから、よかったら明日の朝食にでもしてくれ」
わざわざとっておいてくれたと知って、心の中で小躍りした。
(やった~! 二兄ってほんと優しい! だから大好き!)
しかし、本心とは真逆の演技をしなければならない。
「べ、別に嬉しくないけど……。もったいないからそうしてあげる」
いつ母が入ってくるか分からない。れいのいない時でも、徹底的に演じ切る必要があった。
(一応これを準備しておかなきゃね)
コーヒーメーカーをいじる。水を入れて、インスタントの粉をセットした。後で何かに使うようだ。
「……さっきの話だけどさあ」
おじさんの方へ振り向くと、意を決して本題に入った。
「自分の兄が無職とかあり得ないから。二兄が働いてないと、私が困るんだよね」
廊下での話の続きだった。冷たく言い放った言葉を、しかし心の声は否定していた。
(ううん、そんなことない! 働いてなくても、二兄はいてくれるだけでいいのっ! でも……)
チラと様子をうかがう。
「す、すまん三実……」
妹にはっきり物申されて気まずそうだった。その顔に心を痛めつつ、三実は作戦を実行した。
(もし二兄が就職できれば、元気になってくれるかもしれない。まずは、二兄を就職させよう大作戦だ!)
さっそく第1プランをぶつけた。
「だからさあ、
「……ありがとう三実。心配してくれたんだな」
しかし善意を悟られてはいけないため、慌てて修正を施す。
「ち、違うって! 家族がニートだなんて友達に知られたら、私が迷惑すんの!」
(なーんて、別にいいけどね。あの子は、それで付き合い変えるようなやつじゃないし)
彼女のことを信頼していた。仮に兄が無職だとバレても、友情に亀裂が入る恐れはないだろう。
「けど、ごめんな。
プータローからすれば願ってもない提案のはずだったが、申し訳なさそうに断った。双子の兄を頼るつもりはないらしい。
(……ま、そう言うだろうとは思ってたけど)
彼が一星を嫌悪していることを、末っ子の三実はよく知っている。その辺りの意識を上手くコントロールしようと試みた。
「頼るとか思わなくていいんだって。利用するって考えればいいじゃん」
(これでどうだっ!)
しかし、言い方を工夫してもおじさんは食いつかなかった。
「そう割り切れたらいいんだけどな。頑固でダメだよな、俺って」
力なくそう答える兄に、三実は心の中で首を横に振った。
(二兄は根が真面目なんだよ。もっと楽に考えればいいのに……。偉いけど、今は困るよぉ~)
更にやり方を工夫する必要があった。
「だったら、私からゆかちゃんに話そうか? 二兄が自分で頼みづらいならさ」
(これなら、一兄に直接頼み込む必要もない。気まずい思いも、ちょっとは軽減できるはず!)
手段を変えても、しかし彼の態度は変わらなかった。あくまで穏やかな口調で、妹の提案を断った。
「そういうことじゃないんだ三実。……もちろん、今更一星に勝ちたいとか思ってるわけじゃない。けど、何て言えばいいのかなあ……」
上手く言葉にできないようだった。
「……とにかく、あいつの世話にだけはなりたくないんだ。色々気にかけてくれたのに、本当にごめんな」
その瞳の奥に、何か隠されたものがあると直感した。
(……もしかして、ただ意地になってるわけじゃない?)
真剣な顔を見ていると、三実には思い当たることがあった。
(ひょっとして二兄……。心の底では、あの夢を諦めてない……?)
それに言及しようかと思ったが、やめた。そう言い出せない雰囲気が、今のおじさんからは感じられたのだ。
(迷ってるんだ、まだ。だったら、ここでヘタなこと言っちゃダメだ)
適当なことを言うべきでないと判断した。
「ふーん。あっそ」
あえて何でもない風を装って切り上げる。結局、作戦の第1プランは失敗に終わってしまった。
(参ったなぁ~。二兄しょぼくれたまんまじゃん。ていうか、三実のせいでより落ち込んでない?)
妹に様々なコンプレックスを刺激されて、とっくにおじさんのライフはゼロだった。立っているのがやっとのようだ。
白衣のポケットに手を入れる。忍ばせた錠剤に触れた。
(うまく励ませればそれが一番だったけど……。やっぱり、こいつを使うしかないか……)
作戦の第2プランが始まろうとしていた。
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