3三実「これをコーヒーに溶かして二兄に。あっ」

「やった~! できた~!」


 6年前。小学4年生の三実みみは台所に立っていた。といっても、料理をしていたわけではない。


 トースターを使って、何かの実験をしていたようだ。まくった白衣の袖は、油断するとすぐにダボついてしまう。髪は今と変わらずピッグテールだったが、色はピンクではなく黒だった。


二兄にーにい、手ー出して?」


 作ったものを後ろ手に隠して、笑顔で兄に駆けよった。


「ん? 何だ?」


 高校3年生のおじさ……二郎が振り返った。制服姿で、サングラスはかけていない。


「はい!」


 隠し持っていたものを見せた。


「……へえ、指輪か。かわいいな」


 花模様のあしらわれた、プラスチック製の指輪だった。プラ板に色鉛筆で絵を描いてから、熱を加えて丸めたものだ。


「えへへ~。上手にできたでしょ~?」

「え、三実が作ったのか? すごいなあ、売り物みたいだ」


 兄の絶賛にはにかむ。手を掴むと、その指輪をめようとした。


「……う~? おかしいなぁ~」


 ところが、二郎の指には小さすぎるようだった。


「ちょっと見てもいいか?」


 指輪を手に取って確かめる二郎。


「……もしかして、自分の指に合わせて作ったんじゃないか?」

「あ」


 その通りだったらしい。実験に失敗して、三実は自分の頭をポカポカと叩いた。


「うわ~ん! 三実のバカっ! これじゃあ、二兄とけっこんできない~っ!」

「け、結婚?」


 思わぬ単語に驚く。三実は若干涙目になって頷いた。


「……これ、けっこんゆびわ。これがあれば、三実は二兄とけっこんできるの」


 照れながらそう告げる妹に、兄は少し戸惑った。


「そ、そうかあ。嬉しいなあ……」


 幼い顔をパアッと輝かせる三実。


「ほんと⁉ じゃあ――」


 幸せそうな彼女を、しかし遮らざるを得なかった。


「でも、俺たちは兄妹きょうだいだからな」

「?」

「ええと……。兄妹っていうのは、結婚できないんだよ」


 なるべく優しい口調で言ったが、明るかった少女の表情は途端に曇った。


「どうして? 二兄、三実のこときらいなの?」

「もちろん好きだけど……。うーん」


 無垢な妹にどう言ったものか――。二郎は頭を悩ませた。


 そこに珍客が現れる。二郎の手からパッと指輪をとった。


「はっはっは! いらないのか二郎! だったら俺がもらっちゃうぞ!」


 長男の一星いっせいだった。二郎のものとは異なる制服――百衣ももい李花りかと同じ、桃金ももきん学院の学ランを着ている。


 兄の割り込みに、弟は露骨に顔をしかめた。


「一星、いま大事な話してんだよ。それに、お前になんてやらねえよ」


 三実もピョンピョン飛び跳ねて抗議する。


「返してよ~っ! 三実は二兄とけっこんするのっ!」

「はっはっは! 三実よ! 俺への指輪も当然あるんだろうな!」

「あるわけないでしょ~っ⁉ 一兄いちにいのバーカ!」


 二郎が嫌う一星のことを、三実も嫌っているらしかった。二郎は双子の兄を排除しようとする。


「つーか何しに来たのお前。用がねえなら指輪置いて消えろよ」

「聞いたぞ二郎! またゆかりとケンカしたって⁉」

「関係ねえだろ。てめぇちょっと表出ろ」

「はっはっは! 物好きなやつだな! お前が俺に、一度でも勝ったことがあったか⁉」


 二人はそのまま外へ出てしまう。何もかもを諦めた今と違って、この頃の二郎は勝負を投げていなかったようだ。


「ああっ、二兄……」


 一人残される末の妹。結局、指輪は一星に持ち逃げされてしまった。


「……三実、ちょっといいかしら」


 頃合いを見計らって、母親のれいが歩み寄った。


「お母さん、見てたの?」


 れいは膝に手をやって屈み、目線を合わせた。


「指輪、上手にできたね。三実は立派な科学者だわ」


 娘の成長を心から祝福したが、今の三実はそれどころではなかった。


「ねえお母さん、さっき二兄が言ってたのってほんと? 三実と二兄、けっこんできないの?」


 無邪気な疑問を投げかける三実の頭を、母はそっと撫でた。


「うーん……」


 二郎同様、れいもどう答えてあげるべきか分からなかった。デリケートな問題なだけに、回答は慎重を期すべきだと考えた。


数好かずよしさん……」


 夫の名をぽつりとつぶやく。今は仕事で会社だったが、帰ってきたら夫婦二人でうんと悩んで方針を決めようと思った。それまでは保留にしておく。一人で先走るべきではないと判断した。


「お母さん?」


 黙ってしまった母に、三実は小首を傾げて二つ結びを揺らす。つぶらな瞳で見つめられて、れいはハッと我に返った。


「ごめんね、何でもないの」


 努めて明るい声を出す。兄妹の問題はひとます先送りにして、娘が大好きな実験の話をしてあげようと思った。


「……ねえ三実。理科のお勉強がたくさんできる学校、行ってみたくない?」


 キョトンとする三実に、かねてから考えていた話を案内した。


「ちょっと遠い学校なんだけど……。お母さんの妹――叔母おばさんの家からはすぐ近くなの」


 実験設備の充実した学校を探しておいたのだった。話題を変えられた三実は当惑した。


「え……。三実、おばさんの家に行くの?」

「もしそうなればの話よ? もちろん、決めるのは三実だわ」


 娘の想っての提案だったが、強要する気はない。あくまで本人の意志を尊重するつもりだった。


「……二兄は? 三実、二兄といっしょがいい」


 再び二郎の話に戻って、れいは困った顔をした。結婚うんぬんには触れず、目先の話題にしぼって伝えることにする。


「二郎お兄ちゃんは受験もあるし、この家にいると思うわ」


 れいが何を意図しているのか、三実は子供なりに推理した。口には出さずに考える。


(お母さん、もしかして……。三実たちを引きはなそうとしてる?)


 もしそうなら、母はなぜそうするのか――。ここまでの流れを振り返ってみる。


(……三実がプロポーズしたから? 二兄の言う通り、兄妹はけっこんできないから……。好きって言っちゃいけないんだ)


 結婚のことで頭がいっぱいだっただけに、オリジナリティあふれる解釈をしていた。うつむいた三実は、ふるふると首を横に振った。


「……いやだ。三実、この家で二兄といっしょにいたい」

「そう? 自己流の実験もいいけど、ちゃんと習った方が……」


 母がこれで諦めたものかどうか、三実には判断できかねた。兄と離ればなれにされぬよう、念を押しておく必要があった。


「でも、安心してお母さん」

「え?」


 密かな想いを胸に秘めて、強く決心し顔を上げた。本心とは真逆の言動は、今日この時から始まった。


「三実はもう……。二兄のこと、好きになったりしないから」



    *



 現在。


 三実は自室のベッドで、豚のぬいぐるみに話しかけていた。


「……もし好きだってバレたら、今からでも離ればなれにされちゃう」


 ぬいぐるみがトリガーとなって、昔のことを思い出したようだ。


「家の中はもちろん、外でも演技しなきゃ。ご近所さん経由でお母さんの耳に入っちゃうかも」


 豚の鼻を指でツンツンする。


「徹底的にやらなきゃ。この家で二兄と暮らすために」


 ブラコンを隠しておじさんに冷たい態度をとる、これが秘密の真相だった。さすがに結婚はできないものと、高校生になった今では理解していたが、優しい兄のことは変わらず好きだった。


「……まあ、一人にはもうバレちゃってるんだけどね。お母さんに告げ口する気はないみたいだけど」


 たった一人、秘密を知る人物がいるらしい。それを思うと憂鬱になったが、ブンブンと頭を振って無理矢理振り払う。


「ほかの誰からも疑われないように。二兄と、ずっと一緒にいられるように」


 ぬいぐるみに小さくキスした。


「――三実、頑張るからね、二郎」


 その頭を撫でて、ベッドから起き上がる。実験で焦げた髪を押さえつけた。


「……この髪何とかしないと。恥ずかしくて出ていけないよ」


 白衣に爆発ヘアーで外食するのは平気でも、おじさんの前では気になるらしい。置時計を確認すると、彼はもう風呂から上がった頃だった。


「お風呂いこう」


 着替えの部屋着を持って出る。


「あ」


 ところが、階段を下りたところで忘れ物に気づいた。


「やばい!」


 慌てて自室に引き返す。ベッドの下をゴソゴソやったかと思うと、何かを取り出した。


「……また忘れるところだった。これを脱衣所に戻しておかなきゃ」


 引っ張り出したのは、行方不明なはずのおじさんのパンツだった。それを手にして、改めて風呂場へと向かった。

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