2三実「三実ちゃん製薬『タイトルン』!」

「う~。部活長引いて遅くなっちゃった」


 帰宅直前の三実みみ。家に着く頃には、外はすっかり暗くなっていた。制服の上に着た白衣が夜風ではためく。


「今日は特に大事な実験だったからなぁ」


 高校1年生の三実は、科学部に所属している。


「ま、薬はバッチリ作れたから、粘った甲斐はあったかな」


 心地よい達成感を小さな胸に秘め、兄と母が待つ家に向かった。


    *


 玄関を開けると、ちょうどおじさんが廊下へ出てきたところだった。


「おかえり。今日は遅かったな」


 声をかけられて、三実はチラと見上げた。


「……」


 口では何も言わなかったが、心の声は饒舌じょうぜつだった。兄への愛が爆発した。


(ただいま二兄にーにい! 今日も作務衣さむえ、とっても似合ってるよぉ~! だ、ダメっ。これ以上直視したら、ドキドキで心臓止まっちゃう!)


 プイと顔を背けてしまう。胸の高鳴りを感じながら、横目でこっそりと盗み見た。


(背も高くてかっこいい! え、三実がちっちゃいだけ? そ、そんなことないもん!)


 背が低いのがコンプレックスのようだ。無言の妹に少なからぬショックを受けつつも、おじさんはめげずに話しかける。


「また頭爆発してるぞ。大丈夫か?」


 高い位置で二つに結った髪は、そこだけアフロのようにモサモサだった。ピンク色のわたあめのようにも見える。


 前髪もよく言えばウェーブをかけたようで、悪く言えば縮れていた。三実はうつむき加減で髪を押さえた。


(う~恥ずかしいよぉ~。爆発して変な髪になっちゃった。今日は難しい実験だったんだもん。でもよく考えたら、なんだかんだで毎日爆発してるかも?)


 実験に失敗したせいでボサボサ頭になっていた。もっとも、三実本人は失敗だと認めていなかったが。


 キッ!


 これ以上見るなと睨みつける。恥ずかしさのために、その顔はやや紅潮していた。


「じろじろ見ないでくれる」


 かけた言葉は冷たかったが、心の中では盛大に謝っていた。


(もお~っ、なんで二兄にこんな言い方しなきゃいけないの~っ⁉ ごめんね二兄、全部お母さんが悪いんだから! 三実は悪い子じゃないの!)


 本心とは真逆の言動をしているのには、母親のれいが関係しているようだった。風の立たない家の中で、三実はハッと気づいた。


(や、やばい……。三実、ちょっとにおってるかも。二兄離れてっ!)


 心ない言葉で突き放した。


「近いんだけど」

「う、ごめん。……夕飯食べないか? 母さんもそろそろ来ると思うし」


 おじさんは機嫌をとろうと頑張っていたが、三実は既に済ませた食事のトッピングを後悔していた。


(『ニンニク』はやばかったか~。でもお腹すいてたし、疲れてたからつい寄っちゃった)


 夕食はいらないと家に連絡するのを忘れていた。仕方なく今になって断る。


「いらない。外で食べた」

「あ、そっか……」


 しゅんとなるおじさん。三実は別の要因でしょげているのだと読み取った。


(二兄元気ない……。てことは、やっぱりなのかな)


 肩を落とす兄を見ると胸が痛んだ。確証はなかったが、おじさんが元気でないことに、三実には思い当たる節があったのだ。


「あのさあ」


 階段に足をかけたところで振り返る。切り出すかどうかしばし迷った。


(……どうしよう。二兄のプライドを傷つけちゃうかも。でも、もしだったら、三実が何とかしないと!)


 これ以上放置してはおけなかった。


「もしかしてだけど、二兄ってさあ――」


 できることなら外れてくれと願いつつ、かねてからの予想をぶつけた。


「……辞めたの? 会社」


 しかし、その指摘はおじさんにクリーンヒットしてしまう。


「ど、どどどどうして⁉」


 その動揺っぷりを見て、三実は確信する。


「やっぱり」


 予想が当たってしまったことを心の中で嘆いた。


(うわ~ん! 三実の思い過ごしならよかったのに~! だから元気なかったんだ二兄)


 実際には、せっかくつくった生姜焼きを食べてもらえなかったことで落胆していたのだが、おじさんが夕食をつくった経緯を三実は知らなかった。


「で、でも、なんでそう思ったんだ?」

「学校がお昼で終わった日に公園寄ったら、ブランコに座ってうなだれてた」


 その時の光景を思い出して、三実は小さく首を傾げる。


(そういえばあの時、なんで二兄サングラスしてたんだろ? 正直あんまり似合ってなかったなぁ……。も、もちろん、素顔が一番って意味だよっ⁉)


 図らずも兄の方から尋ねてきた。


「けど俺、サングラスしてたのに。どうやって変装見破ったんだ?」


 その言葉を受けて、三実はついニマニマしてしまった。


(へ、変装のつもりだったの? もうっ、二兄かわいい! 変なところでおバカさんなんだから~! やばい、にやけちゃう!)


 笑いをこらえたいびつな顔で言った。おじさんの目には、その顔はまるで嘲笑うかのように映っていた。


「は? バレバレだったけど」

「え、うそ」


 兄の置かれた状況を考えて、軽く笑ってしまったことを猛省する。


(いけないいけない。二兄が落ち込んでるのに、三実ってばなんて不謹慎。もっと詳しい話を聞かなきゃ)


 会社を辞めた理由を尋ねた。


「なんで辞めたの」

「うーん、辞めたというか……」


 しかし、会社に勤めた経験のないおじさんは答えに困っていた。一方の三実は、兄は無職になる前まで会社員だったと思っている。


(え、自分から辞めたんじゃないの? てことは……。魅力あふれる二兄に限って、そんなことないと思うけど)


 三実にとっては考えにくいことだったが、難しそうな顔を見ていると、だんだんではないかと思えてきた。


「まさか、クビになったんじゃ」

「い、いや、それはない」


 解雇ではないと聞いてほっとした。


(だよねっ! 二兄をクビにする会社なんてあり得ないよ!)


 確かにあり得ない。


(もしそんな会社があったら、三実がケチョンケチョンにしてやろうと思ったけど)


 秘密がバレておじさんも戸惑っていたが、三実もどう返したものか考えあぐねていた。


(とりあえず、部屋に行ってしてこなきゃ。私が二兄を元気づけてあげる。ちょっと待っててね、二兄!)


 いったん立て直すことに決めたようだ。兄にしばしの別れを告げて、自室へと続く階段を上ろうとした時だった。


「あ、三実。俺のパンツ知らないか? 見当たらなくってさあ」


 間の抜けた質問だったが、三実は小さな体をビクンと震わせた。


(ぱ、パンツ⁉)


 ギリッと歯を鳴らすが、それはおじさんへ向けての怒りではなかった。自分自身の迂闊うかつさを呪った。


(し、しまったぁ~! 昨日使やつ、戻すの忘れてたよぉ~!)


 動揺は激しかったが、それを悟られるわけにはいかない。あえて強気な態度で責め立てた。


「は? こんな時にパンツ? 知るわけないでしょ」

(知ってます! 三実の部屋にあります! ど、どどどどうしよう)


 妹の心の内など知るよしもなく、情けない声で謝罪するおじさん。


「そ、そうだよな。すまん、悪かった」


 そんな兄に罪悪感を覚えつつ、この窮地を何とかせねばと三実は考える。


(とにかくいったん立て直さなきゃ。う~ごめん二兄。そんな顔しなくていいのに)


 いたたまれない顔をこれ以上見ているのは忍びなかった。


「謝らなくていいから、お風呂でも入ってきてくれない? その顔見たくないから」


 焦りと申し訳なさに顔をゆがめる。急いでこの場から立ち去ろうと、ドンドンと勢いよく階段を踏み鳴らしていった。


「……はあ、バカか俺は」


 おじさんの独り言が耳に届いた。悲しそうなその声に胸が締めつけられる。


(う~、二兄しょげてる。戻ってよしよしーってしてあげたい!)


 が、それを実行に移すわけにはいかなかった。そんなことをすれば後でどうなるか分からない事情が、三実にはあったのだ。


 自分の部屋に入ると、そのままベッドに倒れ込む。枕元の豚のぬいぐるみを手に取って、小さな胸にキュッと抱いた。


 手作りらしいそのぬいぐるみは、既製品には程遠い出来だった。不格好なぬいぐるみに話しかけた。


「……ねえ二郎、どうしてこうなっちゃったのかなあ」


 実はおじさんのことが大好きな三実。なぜその想いを隠すのか。


 話は6年前にさかのぼる。おじさんは高校3年生、三実は小学4年生の時のことだった――。

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