エピおじ「コラ遊ぶな! つ、次こそは必ず!」

「……ん?」


 気絶していたおじさんは目を覚ました。更衣室の外で、壁を背にして座らされていた。


「ええと、どうなったんだっけ。リカに殴られて……」


 自分の顔に触れると、鼻にはティッシュが詰められていた。血はもう止まっている。チンピラシノに取られたサングラスも、自分の額に返っていた。


「あ、起きたです。大丈夫ですか、おじさん」


 ねいは少年野球のユニフォーム姿になっていた。頭のちょんまげが中でつっかえて、ヘルメットが少し浮いている。


「うん。ただ鼻血が出ただけだし、それももう止まったよ。ありがとう」


 顔を上げると、シノと李花りかもそれぞれ元の服装に戻っていた。リカはパーカーに学ランの不良スタイルで、金髪もポニーテールに結い直している。鼻にはティッシュもなく、垂れた鼻血はきれいに拭き取られていた。


 シノは制服だ。


「さあ寧ちゃん、おじさんにも話しましょうね?」

「う……」


 シノにうながされて、寧は今度の事件の真相を洗いざらい語った。


    *


・リカはかわいい格好に憧れていたわけではない

・貴重なかわいい姉の姿を、寧がフィルムに収めたかっただけ

・着せ替えにこぎつけるために、おじさんとシノに嘘を織りまぜた

・ムラムラしてやった。今は反省している


    *


「なんとまあ……」


 ようやく真相を知り驚くおじさんに、寧は申し訳なさそうにシュンとしていた。


「まさか、おじさんがおそわれることになるとは……。ごめんなさいです」


 怒られることを覚悟して身を縮める。しかし、おじさんはほっと気を緩めた。


「よかった……」

「え?」


 朗らかな顔で言った。


「それじゃあ、リカは何も諦めてなかったんだな? 無理してツッパッてたわけじゃなかったんだ」

「そ、そうですが……」


 想像と違ったおじさんの反応に、寧の心はドキリと揺れた。


「寧のこと、怒らないんですか?」

「うーん。リカには悪いことをしたけど、おじさんは別に。きつけたのはおじさんだし、大したケガもなかったからね」


 寧は自分の胸を押さえる。小声の独り言は、おじさんには聞こえなかった。


『そ、そんなはずは……。寧は攻略対象のヒロインではなく、あくまで攻略する側のはず……』


 おじさんが見せた優しさに心動かされていた。


「? 何か言った寧ちゃん」


 そう問われて、しかしすぐ無表情に戻った。


「……何でもないです。寧はブレないです」

「そ、そう……?」


 恋愛とは無縁なオタクガチ勢としての立場を再認識する寧。そのヘルメットを、姉のリカはコツンとやった。


「お前はちょっとはブレとけ」

「あて。うう……。ヘルメットがなければ即死でした」

「野球やっても、お菓子はしばらくおあずけだからな」


 今度の一件を受けて、締結した平和条約は破棄されてしまったようだ。


「ガーン。条約など、ただの口約束に過ぎないということですか……」

「またワケ分かんねーことを……」


 『お菓子』という単語に、すかさず反応する大食いガールがいた。


「はいはーい! そのお菓子、代わりに私が食べたいでーす!」


 が、シノに無理矢理コスプレさせられたリカは、恨みのこもった声で返した。


「青木シノ……。テメーのことはもう覚えたからな」

「げっ」


 その鋭い眼光に、今更ながら噂の不良軍団――『百衣露錯乱暴ももいろさくらんぼ』のことを思い出す。慌てて保身を図った。


「わ、私は……。そう! おじさんに脅されてたんです。手伝わないとお前をはずかしめるぞって」

「おいっ! 勝手なこと言うな! ノリノリだっただろうが!」


 おじさんの指摘も意に介さず、クルリと回れ右をした。


「きゅ、急用ができたので失礼します。さようならー!」


 構成員からの報復を恐れたシノ。あっという間に逃げ去ったのを見て、寧もこの場から退場しようとする。


「寧は気づかいのできる女……。*おおっと*、もうこんな時間です。寧はグラウンドへテレポーターするです」


 殊勝にも気を遣っているようだった。


「*いしのなかにいる*かもしれませんが、探さないでくださいです。サヨナラ!」


 爆発的な速さで散っていった。リカとともに残されたおじさんは、ばつが悪い様子だった。


「えっと……。わ、悪かったな。知らなかったとはいえ、したくもない格好させて」


 寧に騙された形とはいえ、苦手な格好を強要してしまった。リカもリカで、おじさんに対して罪悪感を持っていた。


「あー……。オレも、つい殴っちまったし……。顔、ホントに大丈夫か?」


 心配そうに覗き込む彼女に、おじさんは何でもない風で答えた。


「ああ、それは全然。慣れてるんだ、ケンカで負けるの」

「へえ?」


 意外にもケンカ慣れしているようだった。もっとも、とのケンカは敗戦ばかりで、勝ったことは一度もなかったが。


 更衣室の壁を背もたれにするおじさんの隣に、リカもヤンキー座りで並んだ。


「青木シノから聞いた。おっさん、オレのためにやってくれたんだってな」


 結果はどうであれ、おじさんは純粋な善意から動いていた。


「まあ、俺のエゴだけどな。頼まれてもないのに、勝手なことして申し訳ない」

「んなこと……」


 グラウンドの方では、少年野球の練習が始まったようだ。子供たちの元気な声が聞こえてくる。


「……オレ、寧の練習見てくわ。おっさんは?」

「俺はぼちぼち帰るかな。探さないでくださいって言われたし」

「そっか」


 リカは立ち上がった。


「じゃーな、おっさん。殴ったのはマジで悪かった。色々世話んなったぜ」

「ああ、じゃあな。俺は何もしてやれなかったけどな」

「まだ言ってやがる……」


 おじさんに別れを告げて、寧のところへ向かおうとする。そのままグラウンドの方へ歩いていくかと思われたが、不意に足を止めた。


「……そーいや」


 背を向けたままで、リカは言葉を探す。自分のために働きかけてくれたおじさんに、何か恩返しがしたいと思っているようだ。


「明日から、寧にお菓子やれねーんだった。代わりに、誰か食ってくんねーかな」


 食べるという話題を受けて、おじさんには条件反射的に浮かぶ顔があった。


「それならシノに――」


 その瞬間、振り返ったリカがギロリと睨みつけてくる。


「アイツの名前出すな。蕁麻疹じんましんが出そうだ」

「そ、そうか……」


 すっかり不俱戴天ふぐたいてんの敵として認識されていた。


「……だからさ」


 リカは気恥ずかしそうに頬をかく。


「そのうち食ってくれよ、オレのお菓子。寧はうまいって言ってるしさ」

「お菓子か……。ありがたいけど俺、甘いものはあんまり――」


 鈍感おじさんが丁重にお断りしようと考えた、その時。


「!」


 学ラン姿のはずのリカが、おじさんの目には一瞬、髪を下ろした時の姿で見えた気がした。言葉はぶっきらぼうだったが、おじさんの耳に、その声は柔らかく響いた。


「………食えよ」


 ガラリと印象の変わったリカを見たあの時のように、おじさんの鼓動は早くなった。


「お、おう」


 風に揺れる彼女の金髪が、サングラスをずらした目に眩しく映る。気づけば自然と考えを改めていた。


「分かった。いつか必ず食べさせてもらうよ」

「ん……」


 再会の約束を取り付けて、リカの心臓は小さく跳ねた。おじさんを見る目は少し熱っぽいようだった。


「……ん?」


 その視線が、彼の横へと移る。そこには、壁に立てかけられた金属バットがあった。


「あ。寧のヤツ、バット忘れてやがる!」

「はは……。カメラの次はバットか」

「せっかく届けたってのに……。ったくもー」


 呆れるおじさんにつられて、不満をこぼすリカも白い歯を見せた。


「じゃ、行ってくるわ」


 気持ちのいい笑顔を向けた彼女に、おじさんも片手を挙げて答える。まるで夫婦のような挨拶が、この時の二人には、妙にしっくり来るように感じられた。


「ああ。行ってらっしゃい」


 金属バットを肩に担いで、リカは駆け出す。おじさんの目に映ったのは、極悪非道なヤンキーなどではなく、ただの妹想いな女の子の姿だった。






『第2章 お姉ちゃんは学ランヤンキー⁉』    -完ー

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