11寧「ここはルビ振れないんですね。ねいですよ」

『いきますよ……。オープン!』


 シノのかけ声とともに、更衣室の扉が開かれた。


(俺はとりあえず……)


 事前に言われた通り、おじさんはすぐに通せんぼ役を務めた。開け放たれたスペースを自分の体でふさいで、李花りかが逃げられないようにする。


「うわっ、おっさん⁉」


 それを見て、外へ逃げ出そうとしたリカが急ブレーキをかけた。危うくぶつかりそうになる。


「うおっ⁉ びっくりした」


 心臓がまろび出るかと思ったおじさん。セーラー服に身を包んだ彼女の姿を、ドキドキしながら間近で眺めた。


(これが、本来のリカなのか)


 ポニーテールはストレートロングに下ろされている。自然にサラッと流れる金髪が、綺麗に腰へ伸びていた。


 パーカーで隠れていた鎖骨が露出している。胸元のリボンは、つーちゃんの時と同様に、やや緩めにふわっと結ばれていた。


 班長の黒ズボンとは打って変わって、スカートのプリーツが女の子らしさを強調する。


 そこから伸びる脚は長く、自然なラインが美しい。ヤンキーのイメージとは真逆に、胸以外は華奢きゃしゃであることが見て取れた。


 がらりと印象の変わったその姿に、おじさんは釘づけになっていた。まるで羽化した蝶のように、リカは華麗に変身した。


「な、何ぼーっとしてんだよおっさん」

「い、いや……」


 ただ目を奪われるおじさんに、リカはどう反応したらよいか分からない様子だ。目のやり場に困ったように、一新された自分の姿に視線を落とした。


「こんなヒラヒラしたもん、無理矢理着せやがって……。これじゃ女子高生みたいじゃねーか」

「女子高生だろ」

「そ、そーだけど、そーじゃねーって言うか……。こんなの、オレじゃねーみたいだ」


 おじさんに同意をうながす。


「こーいうの、オレには似合わねーよ。おっさんもそー思うだろ?」


 リカの変貌に面食らったおじさんは、うまく言葉が出てこないようだった。


「俺は……」


 一拍挟んでから、心に感じたことをそのまま伝えた。


「俺は、似合ってると思った。ああ、リカってこういう女の子だったんだ、って……。純粋にそう思ったよ」

「な……」


 想像していた答えと違ったのか、リカは口をぱくぱくさせていた。


 その反応に、おじさんは慌てて自分の言葉を取りつくろう。どうやらリカの顔が赤くなるのを見て、怒らせてしまったと勘違いしたらしい。


「も、もちろん、ツッパリスタイルも似合ってたぞ? ただその……。ギャップってやつか? びっくりしてさ。変なこと言ってたらごめん」


 早口になったおじさんに、少女はまだ戸惑っている。長い睫毛まつげの下の瞳が、心の動きに呼応するように揺れていた。


「べ、別に……。謝らなくて、いいけど」


 ぷいと顔を逸らして、何かをごまかすように腕を組んだ。


「ちょ、調子の狂うこと言いやがって。そもそも、おっさんの意見なんて、別にどーでもいいっつーの!」

「う……。ご、ごめん」

「でも、まあ……」


 視線だけを戻して言った。


「ほ、ほんのちょっとだけ、嬉しかった、かもな。だから、その……。ありがと」


 その動揺がうつったのか、おじさんも自分の顔が熱くなるのを感じた。


「お、おう」


 その返事を聞くと、リカは再びそっぽを向いた。彼女にとって、女子高生コーデはひどく体力を消耗するようだ。


「なんかドッと疲れたぜ……。ガラにもねーこと言うもんじゃねーや」


 長い髪をなびかせて背を向けてしまう。更衣室の中の方を向いた。


「あ」


 そこには、カメラを持ったねいが待ち構えていた。


「ククク……。のがさないですよ……?」


 無表情で笑うという器用な芸当をやってのける。そのただならぬ雰囲気にリカは、姉というアドバンテージもむなしく気圧された。


「も、もう十分だろ寧……。胸までもてあそばれたんだぞ?」


 ジリッと距離を詰める寧。妹から離れようにも、後ろではおじさんが頑張っていた。


「新たな伝説のしゅんかん……」

「き、記録に残るんだぞ? カメラは。や、やめてくれ……」


 構えたカメラのシャッターに、寧は手をかけた。

 

「せつなのシャッターチャンス!」

「やめろーっ!」


 リカの叫びも甲斐なく、ご機嫌な撮影会が幕を開けた。


 カシャ! カシャ! カシャシャシャシャシャシャ……!


 終わることのないシャッター音が鳴り響く。姉のかわいらしい制服姿に、寧は鼻息を荒くした。


「むふう。た、たまらんです。リカ姉かわいいよリカ姉!」


 どういう原理か定かでなかったが、サクランボのヘアゴムで束ねられた髪の毛が、頭のてっぺんで屹立きつりつしていた。ビン! と雄々しく天を貫いている。


「うっ、うわあああああっ!」


 物的証拠を量産されて、リカは怒りと悲しみがないまぜになっていた。


「寧、お前はオレの妹だろ⁉ ちょっとは葛藤とかねーのかよ⁉」


 寧は手を休めずに言い切った。


「寧はもう迷わないです! 一度はあきらめたカメラを、おじさんがおうえんしてくれたんです!」


 急に名前を出されて、おじさんは当惑した。


「え、俺?」

「カメラを見つけた時、寧に言ってくれたです」


 土手で出会った場面が回想される。


    *


『でも、いいしゅみとも言えないですので』

『いい趣味じゃないって、カメラが?』

『はい。寧の場合は』

『諦めるなくていいんだ。おじさんと違って、君はまだ間に合う』

『……いいんですか、あきらめなくても』

『もちろん。君の趣味は立派なものだよ』


    *


「た、確かに……。応援したな、俺」


 その経緯を知ったリカは、鋭い目つきでおじさんに噛みついた。


「やっぱり、おっさんもグルだったんじゃねーか!」

「ち、ちが……。あの時はまさか、こんなことになるとは思いもよらなかったんだよ!」

「言い訳すんなっ! おっさんが寧をそそのかしたんだろーが!」

「濡れ衣だ! それに、ここまでのモンスターを育てる力は俺にはない!」


 自分が原因のいさかいの中で、寧はあくまでマイペースだった。


「リカ姉、もうちょっと自然な笑顔でお願いしますです」

「できるか、アホーっ!」


 前門の寧、後門のおじさん――。逃げ場をなくしたリカは、大人しく妹の毒牙にかかるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る