9寧「めっちゃ早口で言ってそうです」

 4人は少年野球の女子更衣室前まで移動した。中に誰もいないのをねいが確認する。


「寧たちの貸し切りです」


 少年野球の女子メンバーは彼女一人だった。この後も、誰かが入ってくるおそれはないだろう。


 妹の言い方に、李花りかは違和感を覚えた。


「寧? 着替えるのは寧だけだろ?」


 寧は一瞬ビクッとしたが、生来のポーカーフェイスで乗り切った。


「ゆ、ユニフォームのベルトの調子が悪くて……。リカ姉もいっしょに入って、見てくださいです」


 適当な理由を付けて姉を引き込む。


「そーいうことか。わりぃおっさん、バット持っててくれるか?」

「ああ」


 バットを預かるおじさんに、何も知らないリカは笑顔を向けた。


「待ってろよ。寧のかっこいいユニフォーム姿、見せてやるからな」


 表向きはそういう名目だったことを、おじさんは思い出す。


「お、おう」


 ぎこちない返事だったが、リカには感づかれなかった。男のおじさんは、女子更衣室の前で待機することになる。


「では、私も」


 着せ替え役と衣装係を兼ねたシノも、百衣ももい姉妹に続こうとする。それを見てリカは疑問を呈した。


「あれ? アンタも着替えるのか?」


 つくり笑いを浮かべるシノ。


「え、ええ。ちょっと冷や汗……。じゃなくて、汗をかいてしまったので」

「そーか。うん、そーだよな」

「?」


 心配そうな顔でシノを気遣った。


「体が冷えたらいけねーからな。妊婦はあったかくしねーと」


 土手でのやり取りをまだ信じ込んでいた。リカの勘違いを、シノは即座に否定する。


「いや私妊娠してませんからっ!」

「え? でもさっき、おっさんにはらまされたって」


 おじさんも黙ってはいられなかった。シノのお腹が一時的に膨れるのは、単に大食いの結果なのである。


「あれは、何というか……。ただの言い間違いだ!」

「ただの言い間違いで『妊婦』なんて出るワケねーだろ!」

「シノはしょっちゅう妊婦になるんだよ!」

「ちょっとおじさん! 人を痴女みたいに言わないでって、前にも言ったじゃないですか!」


 飛び交う言葉にリカは驚く。


「アンタらどーいう関係だ⁉ 痴女がどーのなんてやり取りが、前にもあったってことか⁉」

「あったにはあったが、俺は何もしてないぞ! 俺の手をシノが勝手に引っ張って、おもむろに自分の身体を触らせたんだ!」

「あれはおじさんを慰めるためでしょう⁉」


 リカの勘違いは加速していった。


「な、⁉ やっぱり……」


 シノとおじさんは同時に叫んだ。


「「違ーうっ!」」


 ヒートアップする3人を、寧はひとり生温かい目で見守っていた。達観したようにポツリと呟く。


「若さゆえの過ち……」


 おじさんは改めて、シノを妊娠させていないと念を押した。


「とにかく、俺は過ちを犯した覚えはない!」

「そして私は痴女じゃありません! ああもう、本当に汗かいてきた」

「『本当に』って何だよ……」


 リカは二人の関係に疑惑を抱きつつも、一応の納得を見せたようだ。なぜシノが更衣室に入るのかは、もう割とどうでもよくなっていた。


「お先に失礼するです」


 練習まで時間はあったが、寧は更衣室へと急いだ。カメラを首に提げたままの寧を、姉のリカがたしなめる。


「寧、更衣室にカメラはやめとこうぜ。使う用事もねーだろ?」

「この後めちゃくちゃ使うです」

「なんでだよ。いったんおっさんに預けよう。な?」

「おじさんは金ぞくアレルギーなので、カメラとか持てないんです」

「金属バット持ってるじゃねーか」

「う……」


 ここが正念場とばかりにしぶとく粘った。


「じょ、女子のメンバーは寧だけですから、だれも入ってこないです。めいわくにはならないです」

「あのねーちゃんも着替えたいって言ってるぞ?」

「あ、私は構いませんよ? パパッと済ませちゃうので」

「すまねーな、シノさんとやら……」


 結局リカが折れる形で、カメラの持ち込みを見逃してもらう。寧からしてみれば、このカメラがなければ始まらなかった。


「じゃあ、俺はここで待ってるから」


 紆余うよ曲折あったが、なんとか3人を更衣室に入れることに成功した。


「おー。すぐ終わらせてくるぜ」


 最後にリカが扉を閉めた。自分が着替えさせられるとも知らないまま。


(さて、無事に済んでくれればいいが……)


 おじさんは中に入れないため、後のことは二人に任せるしかなかった。預かったバットを手持ち無沙汰にもてあそぶ。


(女の子のオシャレを我慢していたとは……。女子高生には酷なことだ)


 リカには隠れた欲求があると信じ込んでいた。


『寧、ベルト見せてみろ』


 更衣室の中の会話は、聞き耳を立てなくても自然と外へ漏れてきた。


『……? どこもおかしくねーように見えるが』


 妹の口から出まかせを信じて、不具合を探している様子だ。その間に、シノは手早くセーラー服を脱いだ。


『寧ちゃん、とりあえず私は脱ぎ終わりました。サポートお願いしますね』

『おお……。お姉さん、スラッとしててすてきです。モデルさんみたいです』

『ふふ。寧ちゃんのちょんまげも素敵ですよ』


 ベルトとにらめっこしていたリカが寧に確認する。


『なー寧、このベルト本当に……。ん? どうかしたかシノさん』

『ごめんなさいリカさん。こうするしか方法がなかったんです』


 始まったようだ。


『うわっ! な、何するんだ⁉』

『さあ寧ちゃん、今です!』

『ありがとうございますです、シノお姉さん。うおおー』

『おい寧! なんでオレを脱がせるんだ! 着替えるのはお前だろ⁉』

『リカ姉、ちょっとだまっててくださいです。今ややこしいところなので』

『これが黙ってられるか! コラ、やめろ!』


 セーラー服に未練があるという寧のデタラメを、シノは疑わない。


『リカさん、寧ちゃんを責めないでやってください』

『なんでだよ! ていうかアンタも離してくれよ!』

『事情は聞きました。彼女はあなたのためにやっているんですよ?』

『ああ? オレのため?』

『もう強がらなくていいんです。寧ちゃんもとっくに気づいてたんですから』

『マジで意味が分からん! オレはこれから何をされるんだ⁉』

『むむむ、あくまで演技を貫きますか』

『演技って何のことだよ!』

『徹底してますね。そういうことなら、こっちも容赦しませんよっ!』


 中はずいぶん盛り上がっている様子だった。進捗を確認するべく、おじさんは外から声をかけた。


「おーい! ずいぶん賑やかだが、問題なさそうかー?」


 その呼びかけに、リカが悲痛な叫びで答える。


『おっさん! 問題だらけだ! まだ全部は脱がされてねーから、今のうちに助けにきてくれ!』


(リカは問題ありと言っている……。けど、これは寧ちゃんへ向けた演技なんだよな? ってことは……)


「順調そうだな。寧ちゃん、シノ! 何かあったら知らせてくれー!」

『おい待て! 問題あるって言ってんだろ⁉ おっさんもグルなのか⁉』


 彼女の訴えが聞き届けられることはなかった。


(リカも強情なやつだなあ。偽る必要はないというのに)


 勝手に心中を察した気でいるおじさん。その耳に、シノの驚きの声が飛び込んできた。


『な、何ですかリカさん! このわがままなバストは⁉』


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