2おじ「り、リカ⁉ ここは……。またなのか⁉」

ねいの姉です。百衣ももい李花りかというです」


 おじさんに飛び蹴りした不良娘は、なんと寧の姉だった。


「う、嘘……」


 おじさんが衝撃の事実に驚いている間に、寧は姉の誤解を解こうとする。


「リカ姉、この人はふしんしゃじゃないです」


 リカはまだおじさんを疑っていた。金髪のポニーテールを揺らしてギロリと覗き込む。


「ホントか~? スーツなのにグラサンしてるし、なんか怪しいんだが」

「見た目はともかく、寧のカメラを見つけてくれたんです」


 見た目を擁護する気はないらしい。


「さっきも、リカ姉をふしんしゃだと思ったおじさんが、寧を守ってくれたんです」

「う……。そのおっさんを、オレが蹴り飛ばしちまったワケか……」


 ちょんまげヘアーを揺らして頷く妹を見て、地面に打ちつけられたおじさんに手を差し伸べた。


「すまなかった、おっさん。てっきりロリコン野郎ヤローだとばかり……」


 男勝りな口調に似合わず、その手は繊細な少女のそれだった。サポートを受けて、おじさんはゆっくりと立ち上がる。


「いやまあ……。覆いかぶさった俺も紛らわしかったしな。寧ちゃんが無事ならそれでいいよ」

「蹴っちまったとこ、ケガしてねーか?」

「平気だよ。ちょっとびっくりしただけだ」


 怪我がないと分かって、リカはほっと胸を撫で下ろした。早とちりしてしまった自分を責めた。


「まったく情けねーぜ……。妹の恩人蹴り飛ばしちまうなんて」

「恩人なんて……。そんなたいそうなもんじゃないよ。心配してくれてありがとうな」

「礼を言うのはオレの方だ。寧が世話になったな」


 彼女の一人称が、おじさんは少々気になった。


(『オレ』、か……)


 学ランを羽織った姿をじーっと観察する。下もスカートではなく、上に合わせて制服のズボンを穿いていた。


 男子の格好をしていたが、その一方で、胸の膨らみも確かにあるようだった。


(……いや二郎よ、本当によく確認したか? もう少しよく見てみろ。これはセクハラではない、単なる確認だ。うーむ、しかし……。この自然な曲線は、どう見ても作り物とは思えない……。いや待て)


 おじさんは自分の頬にパァン! とビンタした。


(判断が早い。もっと近くで――)

「お、おいっ⁉ テメーさっきからどこ見てやがる!」


 リカは再び怒気を露わにした。怒りのためか、顔が赤くなっている。両腕で抱くようにして胸を隠した。


(ぬかった!)


 ロリコンの疑いは晴れたが、別の嫌疑がかかってしまった。おじさんは慌てて自己弁護を始めた。


「い、いやこれは、何というか……。そう! かっこいいファッションに、つい見惚れてしまってね」

「かっこいい、だと……?」


 その言葉に、彼女のまっすぐな眉がピクリと反応した。


(やばい、怒らせたか?)


 身構えるおじさん。女の子相手に使うフレーズとしては、いささか不適切だったかもしれないと後悔した。


 しかし、リカは怒ってはいないようだった。小さな声でつぶやいた。


「そ、そー思うか。…………かっこいい、かな」


 むしろちょっと照れている。もしかしたら、彼女にはこの路線の方が有効なのでは? とおじさんは考えた。


「あ、ああ。こう、強そうな感じだな! 頼れる雰囲気、みたいな」

「強そう、頼れる……」


 言葉を反芻はんすうする。わずかだが恍惚の表情が見て取れた。


「おっさん」


 何を思ったのか、リカは突然手を振り上げた。


(は、外したか? 殴られる――!)


 初めて間近で見るヤンキーに身を硬くした。インパクトを覚悟したその時――。


 バシバシ。


(え?)


 リカはおじさんの肩を叩いた。殴るのではなく、仲のいい友達にするような――それはただのスキンシップだった。


「なかなか分かってるじゃねーか! 気に入ったぜ!」


 二ッと笑ってみせる。健康的な白い歯が輝くのを見て、おじさんはその表情に目を奪われた。


(こんな顔もする子なんだな……)


 出会い頭の怒った印象が強かっただけに、意外な一面に触れた気がした。もっとリカを知りたくなる。なぜヤンチャな格好をしているのだろうか――。


「なあ、なんで学ランとか着てるんだ? 答えたくなかったらいいけど」


 デリケートな質問と取られるかと思ったが、あっさりと答えてくれた。


「このカッコか? そりゃ、さっきみてーな時のためだよ」

「さっきみたいな時?」

「おっさんが妹にちょっかい出した時。ま、オレの勘違いだったけどさ」


 ヘアゴムで束ねた寧のちょんまげを、指でピコピコと揺らした。


「ロリコン野郎ヤローが寄ってきたら、オレが追っ払ってやる。つまり威嚇だな」

「……俺、実際に蹴られたよな? 威嚇とは」

「と、時には、手ェ出すのもやむを得ねーだろーが! ……いや、マジで悪かったよ。すまんおっさん」


 律義に頭を下げて謝った。


 妹を守るため――。


 彼女の強気な見た目は、いわば一つの鎧だった。かわいい妹のために、あえて強さを演出していたのだ。


 おじさんは少女の身長を目で測った。166cmのおじさんよりも、リカの方が若干低いようだった。


 体型も、胸の膨らみはあったが、全体的にはむしろ華奢きゃしゃだった。比べるまでもなく、おじさんよりはるかに軽そうだ。


 自分の服装に目を落とす。大人が着るスーツに、うさんくさいサングラス――。そんな格好の男が妹を襲っていたら、恐怖で足がすくんでもおかしくない。


(それだけ寧ちゃんが……。妹が大事なんだろうな)


 リカと自分を重ね合わせると、我が身が情けなくなった。


「……いいお姉さんだな」

「そんなんじゃねーよ、オレが勝手にやってることだし。妹を持つ身なら、これくらい当然だろ?」

「はは……。耳が痛いよ」

「ん? おっさんにも妹がいるのか」

「ああ。といっても、俺は兄らしいことなんて、全然できてないんだけどな……」


 会社に行くフリをしているだけで、本当は無職――。その事実を、家族の誰にも言っていない。


三実みみに知られたら、何て言えばいいんだ……)


 考えるだけで憂鬱だった。


「そーかな」

「え?」


 そんな胸中とは対照的に、リカはごく自然な口振りで言った。赤みがかった瞳は、相手をまっすぐに見つめていた。


「おっさんの家のこととか、もちろん知るワケもねーけどさ。でも、さっき寧を守ってくれただろ? だからさ――」


 お世辞でもおためごかしでもない、それは本心からの言葉だった。


「――おっさんはきっと、やる時はやるヤツだよ。オレはそー思う」

「それは……。買いかぶりすぎだ」


 彼女の言葉を、おじさんは真に受けたわけではない。自分の現状が変わるわけでもない。


「……でも、ありがとうな」


 それでも、リカに勇気をもらった気がして、心が温かくなるのを感じた。礼を言われて、少女は気恥ずかしそうに視線を逸らした。


「えっと、何の話してたんだっけ……。あ、服装ナリとかか」


 そう言うと、何を思ったのか、おじさんの顔に突然手を伸ばした。

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