10おじ「皆様! 第2章からはちゃんと書かせますので!」

 街灯の下で、シノは制服のスカートをキュッとつまんだ。


「うす汚れても、いいですよ。だから、私……。聞きたいんです、おじさんのこと」


 光に包まれたシノは、まるで天からの使いのようだった。どこか現実でないような空気を、おじさんは感じ取る。神秘的に浮かぶその姿に、ただただ目を奪われた。


「……」


 自分の現状を、おじさんがはっきりと語ったことはない。もう誰にも言うつもりのなかった、本当の気持ち。もちろん、シノにも言うつもりなどなかった。


「俺は……」


 その姿勢が揺らいだのは、目の前の奇跡に触れたためだった。どうにもならない胸中を、つっかえながら吐露した。


「……俺は、自信がないんだ。昔から、何もかもに」


 震える拳を握って、弱さを言葉に変えていく。


「勉強でもスポーツでも、自分より上のやつがいた。物心ついた時から、ずっとだ」


 劣等感の塊となってしまった原因――。の姿を頭に思い浮かべた。


(別に、のせいだって言いたいわけじゃない。それでも)


「……比べずにはいられなかった。そのたびに、自分が小さく見えた。気づけば、挑戦すらしないような、腑抜ふぬけになってたんだ」


 何もかもを諦めた自身の不甲斐なさを、改めて痛感する。


(だから俺は、もう手遅れだ。でも、だったらせめて)


「せめて、未来の自分は出したくないと思った。若者が目の前で困ってたら、ウザがられてもいい。できることはしたいと思ったんだよ」


 情けない自分と同じ運命を辿ってほしくないと、エゴは承知のうえで若者を後押しするようになった。


(救えたと思ってた。けど、そうじゃなかった)


「それすらも、俺の出る幕なんてなかった。助かるやつは、勝手に助かるんだ」


 今回のシノがそうだった。少なくとも、おじさんはそうとらええていた。


(逃げずにやり切ろうって……。今度こそはって思ってたのに)


 唯一のアイデンティティすらも、ただの独りよがりに過ぎなかったのだと知ってしまった。


「……無意味だったんだよ。反面おじさんなんて、いてもいなくても同じだったんだ!」


 溜まっていたものをぶちまけた。包み隠すところのない、今のおじさんの正直な叫びだった。


(……何やってんだ、俺。滅茶苦茶じゃん)


 遅れて、シノへの申し訳なさが募ってくる。ばつが悪そうに視線を外した。


「悪い……。こんなこと聞かされても、意味分からないよな」


(でも、なんでかな……)


 再び目線を向けた。


「シノの顔見てたら、自然と出ちまった。本当にごめん……。忘れてくれると助かる」


 少女は黙って聞いていた。おじさんの思いの丈を、ひと言も聞き漏らすまいとしているようだった。


「おじさん」


 何かを決意したように、その声には迷いがなかった。決して大きな声ではなかったが、不思議と心に響いた。


「来てください」


 いったい、何を告げられるのか。


(さすがに、シノもあきれただろうな……)


 ビンタでもされるんじゃないかと、おじさんは思っていた。彼女からすれば、さんざん振り回された挙句あげく、要領を得ない自分語りを聞かされたことになる。


 シノがキレてくれたらいい。情けなさの極まったおじさんは、そう期待して歩み寄る。


(このに及んで、シノを利用する気なんだな、俺は)


 打ちひしがれ、自信をなくし、たまに再起しても、また諦める――。それがおじさんの人生だった。


 死に水をとってもらうため、シノの前へと立った。


(さあ、シノ。俺を殺してくれ)


 互いに何も発さなかった。世界から切り離されたような街灯の下で、二人はじっと見つめ合う。


「!」


 不意に、おじさんの手をシノが取った。それは柔らかい、女の子の手だった。


(な、何だ?)


 その手を、彼女は無言で導いていく。


「あ……」


 それはシノに触れた。


 いわゆる、セーラー服のまんなか。制服の上とスカートの間にできる、あの隙間だった。少女の体温を肌で感じて、おじさんは顔が熱くなった。


「し、シノ……。お前」


 間近で見ると、彼女の顔も上気していた。長い睫毛まつげの下で、黒い瞳が潤んでいる。触れたシノの温もりが、おじさんの動揺を激しくした。


「お前……。お前」


(やめろ。これ以上は、ダメだ……)


 必死に言い聞かせたが、その興奮は抑えがたかった。少女の吐息を感じる。自制心など、まるではたらきそうにない。


 おじさんはもう限界だった。こらえていたひと言を発してしまった。


「――お前、めっちゃ腹出てるな⁉」


 言ってしまった。


 おじさんにも、最低限のデリカシーはあるはずだった。だがそれ以上に、手に触れた衝撃の方が大きかったのだ。


 シノのお腹は、それほどまでに膨らんでいたのだった。


「~~っ!」


 はっきり指摘されて、シノは瞬く間に真っ赤になった。


「あ、当たり前でしょう⁉ 3キロ入ったんですから! おかわりもしましたし!」


 怒気を込めて念を押す。


「普段はもっと細いですから! これは今だけ! 食べたばっかりだからです!」

「わ、分かってるよ。悪かった……」


 彼女のスカートを穿いた時、おじさんはウエストを輪ゴムで延長した。自分より細いことは知っているのだ。


(そういえばあの輪ゴム、つけたまま返したな)


 今やおじさんよりシノの方がウエストがあった。おそらく、輪ゴムはそのまま利用されているのだろう。


「だ、だけどこれは、あまりにも……。まるで妊婦さんだぞ!」


 出ているのはお腹だけであるため、余計にそう見えた。


「まあ、重さで考えれば同じくらいでしょうか」

「すげえな。赤ん坊一人食ったんだな」

「そうはなりませんから!」


 もういいと判断したのか、シノはおじさんの手をペッと引きはがした。恥ずかしさをごまかすように腕を組んでみせる。


「わ、私が言いたかったのは!」


 かなり脱線したが、無理矢理元の路線に戻すつもりらしい。おじさんの顔をチラと覗いた。


「おじさんでも、私一人のお腹は満たしたということです」

「おじさんでもって」

「でもで十分です。おじさんは無意味だったと言いましたが、少なくとも、私は飢えから救われました」

「そう言ってくれるのはありがたいけど……。さすがにオーバーじゃないか? 飢えなんて」

「おじさんは小食だから分からないんですよ。ちょっと多めに食べる人のひもじさが」

「ちょっと多め……」


 彼女なりのやり方で、その行動に意味はあったのだと示してくれたようだ。おじさんの頭の中で、例の人物が再び浮かび上がる。


「……飢えをしのぐ、か」


 それは図らずも、双子の兄の事業にも含まれていることだった。もちろん、シノは知るよしもないことである。しかしだからこそ、おじさんの胸には運命的に響いた。


「……一星いっせいと同じことを、俺はやれたのかな」


 小声でぽつりとつぶやいた。


「? 何か言いましたか」

「いや、何でもない」


 シノが教えてくれたように、自分のしたことに意味があったのなら――。そう考えると、胸が熱くなるのを感じた。


「なあ、シノ」


 目の辺りをスーツで擦ってから、顔を上げて伝えた。


「シノのおかげで、まだやれるって自信ついたよ。ありがとう」


 それは反面おじさんの復活を意味していた。すべての自信を回復したわけではなかたったが、十分に背中を押してもらった。


(……短い店じまいだったな)


 お腹を指摘されたのがまだ恥ずかしいのか、シノは顔を赤くした。視線から逃れるようにそっぽを向く。


「と、当然です! お腹まで触られたんですから。ちゃんとしてくれなきゃ許しませんからね!」

「お前が無理矢理触らせたんだろ」

「ひ、人を痴女みたいに言わないでください!」


 シノはまた歩き出した。ごまかすように話を変える。


「……そういえば、なんでサングラスしてたのか、まだ聞いてませんよ?」


 おじさんもすぐに並んだ。


「ああ、あれか」


 なぜ正体を隠すのか――。その理由を告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る