9おじ「第1話からテコ入れって何⁉」

「うむ。やはりこのスタイルが落ち着く」


 再び公園で着替えた二人は、それぞれ元の服装に戻っていた。おじさんはスーツにサングラス。シノは制服だ。


「もう暗いですよ? サングラスは外したらどうですか?」


 男装した時のスーツ姿も様になっていたが、本来のセーラー服も当然似合っていた。歩くたびにショートカットの毛先が爽やかに揺れた。


「言っただろうシノ君。知人にバレたら面倒なことになるのだよ」


 おじさんは『反面おじさん』口調になっていた。シノはため息をつく。


「いちいち口調変えるの面倒じゃないですか? というか私が面倒です」

「そ、そう? じゃあ、もうちょっとソフトにしようかな……」


 あまりこだわりはないらしい。


「そういえば、なんでバレちゃいけないのか、いてませんでしたね」


 帰る方向が同じだったため、途中までおじさんも付き添う。二人並んで歩いた。


「ふ……。おじさんのようにうす汚れたくなかったら、訊かない方がいい」

「じゃあいいです」

「ああ、うん……」


 少しは追及されると思っていたおじさんは、一抹の寂しさにさいなまれた。気を取り直して話題を変える。


「し、しかしあの店主、よく聞き入れてくれたものだな。頑固そうだったからまた断るんじゃないかと、見ていてハラハラしたよ」


 自分以外の女の子も挑めるようにしてほしいというシノの願いは、無事聞き届けてもらうことができた。おじさんにはその対応が意外に思われたが、シノは穏やかな顔をして言った。


「優しい人ですよ。最初に断ったのも、意地悪じゃなかったんです」

「? 妙に確信めいてるな」

「チャレンジの最初と途中に、おっしゃってたじゃないですか」


 店主の発言を思い返した。


    *


『お代は完食で無料、失敗したら5000円。制限時間は30分ですからね』

『なんせ、久々のカモ……! ゴホン。挑戦者だったのでね。つい手が滑ってしまったよ』


    *


 前者はデカ盛りが現れた時。後者は勝敗を相分かつカツさいごにあいわかつの時だった。それはおじさんも覚えていたが……。


「それがどうかしたか?」

「考えてみてください。チャレンジ失敗が確定していれば、5000円もカモれるんですよ?」

「うん」

「だったら、明らかに無理そうな女の子にこそ、受けさせればいいじゃないですか」

「あ……」


 チャレンジ中にも関わらず、シノは察していた。最初に店主がデカ盛りを出さなかったのは、女の子に過剰な無理をいたくなかったからなのだと。


「お店での言葉を聞いた時、思ったんです。ああ、私のために断ってくれたんだって。大食いは危険もともないますからね」


 シノが言っても説得力は皆無だったが、一般的にはその通りである。体のできていない少女に、制限時間つきの大食いなどさせてよいものか、店主には判断がつかなかったのだ。


「あとは、私がモデルケースになるだけだと思いました。クリアーしたのが実は女子高生だったと知れば、きっと改めてくれると信じてましたから」


 事実、その通りにことは運んだ。店側の事情にまで意識を行き届かせていたシノに、おじさんは感慨深そうに頷いた。


「あの店主を信頼してのことだったんだな」

「でなきゃ、あんなことしませんよ」

「あんなことと言うと?」

「だから、況子きょうこさんに……。もう、いいでしょうそれは!」


 店の奥で況子とどんなやり取りがあったのかは、結局謎のままになるようだった。おじさんは徹底的に訊き出したい衝動に激しく駆られたが、なんとなく我が身が心配になったのでやめた。


(……結局、俺の独りよがりだったのか)


 シノへ向けた自分の言葉が、頭の中でむなしく繰り返される。


    *


『諦めるな! おじさんと違って、君はまだ間に合う!』

『そんな風に物事を諦めていたら、こんなおじさんになってしまうぞ』

『君のような若者を救うために、おじさんは反面教師のおじさん――反面おじさんをやっているんだ』


    *


 今度のことで、おじさんはシノを救ったつもりだった。悩める若者に、手を差し伸べたつもりでいたのだ。


 しかし、誰かを助けたのはシノの方だったと気づいた。


 もしも、シノと同じ境遇の女の子がいたら――。


(……まあ、そんなにいないと思うが。もしもだ)


 あの店では今日以降、望み通りチャレンジをすることができる。それを成し遂げたのは自分ではなく、紛れもなくシノであると痛感した。


(俺が今日したことに、本当に意味はあったのか?)


 自分の現状を思い出すと、消えてしまいたくなった。偉そうに誰かを指図できる立場ではあり得なかった。


(バカバカしい、何が反面教師だ。ただの押しつけがましいおじさんじゃないか)


 顔を上げると、夜空には一番星が見えた。光り輝くその星に、自身のコンプレックスを重ね合わせる。


(双子でも、俺があいつに追いつくことはない。そんなことは、生まれた時から分かってたことだろ)


 それは永遠に手の届かない一番星だった。いつしか手を伸ばすことすら忘れてしまっていた。


(だったら、また逃げちまうか? 自己満足のごっこ遊びでしかないなら、俺のやってることに、意味なんてないんだ)


 また一つ、おじさんは静かに諦めた。


(――反面おじさんは、今日で最後だ)


 長いこと黙っていた彼に、シノは顔を向けて尋ねる。


「どうしました? 急に黙り込んで」

「……すまない、何でもない」


 サングラスを外すおじさん。この時間であれば、身バレの心配はあまりしなくていい。素の自分へと逃げ込んでしまいたかった。


「風が出てきたな。早いところ帰ろう」

「……」


 並んで歩くシノは、その横顔をじっと見つめる。次第にゆっくりになるシノの足取り。やがて彼女は、街灯の下で歩みを止めてしまった。


「どうした? シノ」


 少女は明かりの下でうつむいていた。陰になってしまい、表情まではよく分からない。さっきまでサングラスをかけていたからか、おじさんの目には、シノに射す光がやたらと眩しかった。


 いくらかの逡巡の後、顔を下げたままで、シノは小さくつぶやいた。


「……いいですよ?」

「え?」


 制服のスカートをキュッとつまんで、伏した目を躊躇ためらいがちに上げた。


「――うす汚れても、いいですよ。だから、私……。聞きたいんです、おじさんのこと」

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