8シノ「まあテコ入れみたいなものですよ」

 店主の気まぐれカレーライス3キロを、シノは遂に食べ切った。


『お兄さん、見事時間内に完食しました! チャレンジ成功です!』


 実況を受けて、店内から歓声が上がった。感動の嵐が巻き起こる。


 器として使われていた巨大な桶の中は、きれいにすっからかんだった。


「敵ながらあっぱれだ」


 圧巻の食べっぷりに感動した店主の目からは、熱いものがこみ上げていた。


 おじさんも急いでレディースサイズを食べ終え、シノを祝福する。


「すごいですわ。完全勝利です」

「僕はおいしいカレーをいただいただけだよ」


 シノは気づいていた。


「本気で完食を阻止しようと思えば、カレーを激辛にしたり、唐揚げで火傷やけどさせたり……。やりようはあったはずなんだ」


 立ち上がって店主に感謝を伝える。


「おいしかったからクリアーできました。ごちそうさまでした」

「お、俺は……。ただのしがない料理人だよ」

「また挑戦してもいいですか?」

「それは勘弁してくれ!」


 おじさんも席を立った。


(失敗料金の5000円も払わずに済んだことだし)

「そろそろおいとましましょうか」

「あっ。ちょっと待ってつーちゃん」

「?」


 まだ何かあるのか、シノは店主にこんなことを言いだした。


「すみません。ちょっとだけ、娘さんをお借りしてもいいでしょうか?」

「え? 況子きょうこを?」


 実況していた女性店員――況子は既にマイクを置いていた。スケッチブックや、開始時に使ったゴングを片づけている。


「お時間はとらせません。お願いします」


 スーツに身を包んだシノが頼み込む。


「まあ、俺は別に。おーい況子、お兄さんが話があるそうだ」


 役目を終えたと思っていた況子は、イケメンからの突然の指名に驚いていた。


「え、私⁉ う、うそ。どうしよう……! こ、これって、もしかして……」


 実況での注目は平気でも、美形に迫られてはあがってしまうようだ。


「そ、そういうことだよね⁉ いわゆるひとつの。こ、ここ……。こく、は……! キャーッ!」


(元気な娘さんだ)


 おじさんの目には元気が眩しかった。


「それでは況子さん。ちょっと来てもらっていいですか?」


 シノは店の奥で話したいようだ。


「え⁉ つ、つまり。ここでは、できない話……! キャーッ!」


 両手を頬にあててブンブンと頭を振る。手招きするシノを見る目は、いつの間にかハートになっていた。


「い、今イキます!」


 二人は店の奥に消えた。


(いったい何の用事だ?)


 シノがどういうつもりなのか、おじさんにも分からなかった。


    *


 レディースサイズの会計を済ませた頃。


 2分ほどだっただろうか。店の奥から二人が現れた。


(キマシタワー!!! じゃない、来たな)


「何だ? 況子のやつ、顔が真っ赤だぞ」


 まず況子が飛び出してくる。


「お父さん! たっ、大変だよっ!」


 目は渦巻きのようにグルグルになっていた。ずいぶん慌てた様子だ。


「お兄さんのっ……! お兄さんが! おっ、お兄さんじゃ」

「落ち着け。父さんにも分かるように言ってくれ」


 火照ほてった顔を手でパタパタと扇ぐ況子。息を切らして、衝撃の事実を明かした。


「お兄さんじゃなくて、お姉さんだったの! 女の子だよっ!」

「な、何だって~!?」


 予想外の告白に、店主も仰天していた。


(伝えたのか、自分が女だって)


 だが、どうしてわざわざ伝えたのか。やはり、おじさんにはピンと来ていなかった。


 況子に遅れて、シノも奥からやってくる。どういうわけか、シノの顔も赤かった。 


 メンズスーツ姿のシノを、店主は改めて確認する。主に胸のあたりを。小声で況子に耳打ちした。


「だ、だが況子よ。見たところこの人は、平ら――」


 殺気。


「!」


 聞こえてしまったらしい。


「たっ……平らげたじゃないか、あの量を! それでも女の子だと言うのか?」


 況子は確信に満ちていた。


「間違いないよ!」

「どうしてそう言い切れるんだ?」

「だ、だって……! それは、その。ちゃ、ちゃんと、この目で……」

「この目で?」

(この目で⁉)


『この目で⁉』

『この目で何を⁉』

『みんな大好きです!』


 ほかの客も興味津々だった。


「とっ、とにかく! この子が女の子なのは、間違いないのっ!」


 詳細は語られなかったが、実の娘の言うことを店主は信じた。そのうえでシノの顔を見つめると、今度は思い当たったようだ。


「あっ! あの時俺が断った、セーラー服の学生さんか!」


 威儀を正したシノが頷く。


「騙す形になってしまい、申し訳ありません。ですが、店主さんのおいしい料理をたくさんいただけて、はすごく幸せでした」


 シノのやろうとしていることが何か、おじさんにもだんだんと分かってきた。


「お店の方針もあると思います。ですので、これは単なる、意見の一つなのですが」


 奇異の目もいとわずに正体を明かした彼女の、それは自己犠牲の真心だった。


「女の子も挑戦できるようにしていただけたら、私はとても嬉しく思います」


 女子高生には無理だという店主の考えは、シノが身をもって覆したばかりである。自分だけでなく、ほかの子にも門戸を開いてほしいという嘆願だった。


「……」


 少女の切なる願いを、店主は黙って聞いていた。どこか遠い目をして、ゆっくりと口を開く。


「……俺がちょうど、あんたくらいの頃の話だ」


 青春時代に思いを馳せた。


「付き合ってた彼女が、よく食べる子でな。俺のつくったデカ盛り弁当を、うまいうまいって、残さずきれいに食べてたよ」


 若かりし日の情熱に今、シノが再び火をけたのだ。


「誰にでも、お腹いっぱい食べてもらいたい。俺が料理の道に入ったのは、そういや、そんな単純な理由だったな」


 父の言葉に、娘の況子も感じ入る。


「その彼女って、お母さん……」


 感動に包まれていた。


「いや、母さんより前の元カノ」

(そこはお母さんでいいだろ!)


 スッキリしないものはあったが、店主はシノの想いを受け止めたようだ。


「見た目で決めつけてしまって、こっちこそ申し訳なかった。これからは初心に返って、全人類の胃袋を破裂させてみせるよ」

(そこまで意気込まなくていい!)


 ほかの女性客も挑めるようになって、シノは嬉しそうだった。


「ありがとうございます」


 シノが女の子だと分かってからも、況子はうっとりしている。


「自分以外のことも考えていたなんて……。はぁ、イケメンよりイケメンだわ」


 正体を知ってもメロメロだった。


「3キロのはもう勘弁してほしいが、もっとデカいチャレンジを開発したら、今度はひいひい言わせてやる」


 店主の言葉を受けて、シノの目にも火が点いた。


「望むところです……!」


 この店の行く末を案じながら、おじさんはシノとともに外へ出た。

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