6シノ「誰ですか6シノって。……6人いるの?」

 マイクを握った実況店員の声がとどろく。


『トンカツです! ご飯の下から、トンカツが現れました!』


(な、何ぃ~っ⁉)


 予想だにしなかったトラップの出現に、おじさんは度肝を抜かれた。


 巨大なロースかつが、ラスボスのように待ち構えていた。それも、2枚! 合わせて300g以上は、確実にある。


 クリアーしたと思われた肉の揚げ物が、唐揚げからトンカツへと進化して、再び立ちふさがったのだ。


『ボリュームも満点ですが、それ以上に問題なのは、タイミングです!』


 終盤に差しかかったこの場面では、ご飯はもちろん、カレーですら流し込むことはできない。序盤とは、体のコンディションが違いすぎるからだ。


 ダメージが蓄積された今、重いトンカツの出現は、挑戦者の戦意を容易に打ち砕く。マラソンで例えれば、ゴールを意識する35km地点で、突然50kmのレースに変更になったと告げられるようなものなのだ。


 混乱の中で、店主だけが笑みを隠し切れなかった。


「いやぁ、申し訳ない。まったく記憶にないが、無意識にトンカツを埋めていたようだ」

「無意識にトンカツを埋めるって何ですの⁉」


 女装おじさんの指摘も意に介さない。


「なんせ、久々のカモ……! ゴホン。挑戦者だったのでね。つい手が滑ってしまったよ」


 この店主は、手が滑ったでトンカツを揚げるようだ。ある意味天才料理人といえた。


『店員の私でさえ知り得なかった事実です。こんな大物が出てこようとは……。しかも、最後の最後にです! そう、これは』


 お姉さんはスケッチブックを突き出した。


勝敗を相分かつカツさいごにあいわかつです!』


勝敗を相分かつカツさいごにあいわかつ~⁉」


 今度は大人しくモブに徹するおじさんだった。有識者らしい他の客の反応をうかがう。


かつ、か』

『多めに見てもらえるとありがたいのですが』

『もちろん、ダメならすぐに消します』

『みんな大好きです!』


(何に気を遣ってるんだ?)


 ギャラリーのことは気にも留めず、スーツ姿の男装シノはトンカツをひと切れ口にした。


『決死のダイブ……! カツの海っ……!』


「すごい、おいしい。ご飯の中にあったのに、衣が立ってます。肉厚なのに、しっとり柔らかい!」


 店主は気恥ずかしそうに頭をかいた。


「下処理をちゃんとした甲斐があったぜ」

(苦しめたいのか喜ばせたいのか、いまいち分からん)


 店主がどういうモチベーションで店をやっているのか、おじさんは未だ掴めずにいた。


『予想外の展開も、お兄さんにとってはご褒美でしかないのか⁉ しかし、カツはまだまだあります』


 カツが上質なのは僥倖ぎょうこうだったが、それで量が減るわけではない。最後の猛追とばかりに、挑戦者にプレッシャーをかけてくる。


 おじさんは桶を確認した。残りは最初の5分の1程度にまで減っている。カツとライスがほぼ同じ量。カレーはそれらより少ない。しかも、シノの手は相変わらず止まっていなかった。


「いけますわよ、シノくん」


 店主にとっては、カツが最後の隠し玉だったらしい。


「お、おれのかんがえたさいきょうのデカ盛りが……」


 なすすべもなく、シノの独走を許すしかなかった。


『今、スタートから20分が経ちました。残り10分です! このままゴールまで突っ走るのか⁉』


 完食は確定――。店内の誰もがそう信じて疑わなかった。


 この時までは。


(ん……?)


 わずかな変化だったが、おじさんはシノの調子がよくないのに気づいた。徐々にではあるが、食べるペースが落ちているのだ。スプーンを持つ手の動きが、明らかに鈍い。


『さすがのお兄さんも、限界が近いようです。表情が曇り始めました』


 食を楽しんできたシノの目から、光が消えかけていた。神妙な面持ちで、桶とにらめっこしている。


 むちを打つようで気が引けたが、おじさんは鼓舞した。


「ファイトですシノくん。ほら、カレーはもうすぐ終わりますわ」


 たっぷり注がれていたカレーが、あとスプーン2杯ほどになっていた。


「そうだ! あんたならやれる。いくんだ!」


 なぜか店主までシノを応援していた。


「ここまで来たら店も客もない。俺は兄ちゃんの完食が見たいんだ!」


 最初とは口調も変わっていたが、それを茶化す者は誰もいなかった。実況の店員も涙ぐんでいる。


『あのお父さんに、ここまで言わせるなんて……。私、感動してます!』

父娘おやこだったのか)


 客も自分の食事そっちのけで見入っている。もはやこの店はまったく回っていなかった。


 その中心にいるシノの、一挙手一投足に熱い眼差しが注がれている。


 そして、今――。


『ああっ。やはり、もう限界だったのでしょうか⁉』


 ここまで止まらなかったシノのスプーンが、完全に止まった。


 机にそっと置いたかと思うと、手も引いてしまう。うつむいた顔には、悲しみが見て取れた。


 シノの唇が力なく震える。


「……無念です」


 その言葉は、チャレンジ終了を意味するものだと、全員が悟った。

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