おじさん「せめて数字だけでも前に移させてくれ」第5話

 唐揚げが半分終わったところで、実況の女性店員が反応する。


『おっと、ここで動きがあります。箸からスプーンに持ち替えました。ということは、カレーです!』


 シノはいったん唐揚げから離れるらしい。タプタプのカレーを、大きなスプーンで口へ運んだ。カレーは一口目ということもあって、味わっているようだ。


『気になるそのお味は?』


 シノは目を輝かせた。


「おいしい。煮溶けた野菜の甘さと、これは……。乳製品のコクでしょうか。スパイスも、辛すぎなくて絶妙です」


 店主は再び相好を崩した。挑戦者への愛憎模様が複雑なようだ。


「つーちゃんも食べようよ。おいしいよ」

「そ、そうですわね。いただきます」


 自分のレディースサイズを、おじさんはすっかり忘れていた。カツラの毛先がカレーに触れないよう、注意して食べる。


「おっ、確かにうま……。おいしいですわ」


 おじさんも食レポしようと思ったが、すべてシノに言われてしまった。グルメリポーターとしても優秀らしい。


「けど、結構しっかりしたカレーですわね」


 サラサラではなく、ドロドロ。見た目より重量感があった。


「これは強敵ですわ」

「何言ってるのつーちゃん。カレーは飲み物だよ」

「若いのによく知ってますわね」


 それとも、知らずに辿り着いた真理なのだろうか。


「つーちゃんの方が若いでしょ。女子高生なんだから」

「あっ! おほほ」

「全体で3キロだから、カレーが1キロ強だとすると、唐揚げとご飯は2キロ弱だね」

「ええ」

「飲み物のカレーは、食べ物とは別だから、あってないようなものだよね」

「ええ?」

「つまり、このチャレンジは、実質2キロもないんだよ!」

「いやそうはなりませんわよ⁉」


 独自の理論に異を唱えるおじさんをよそに、シノはライスにスプーンを入れた。絶賛したカレーとライスを一緒に食べていく。


「や、やられた! カレーとライスを同時に攻略されるとは!」


(普通の食べ方だろ!)


『お兄さん、カレーライスをどんどん食べて……。いや、飲んでいきます! まるでカレーの方から、お兄さんの口へとなだれ込んでいくようです』


 お姉さんは突然スケッチブックを取り出すと、物凄い勢いで何かを書いた。


『これはそう、流動性の暴力ナイアガラ・フォールズです!』


流動性の暴力ナイアガラ・フォールズ~⁉」


 スケッチブックには、日本語の部分が書かれていた。初見のおじさんにも優しい配慮だった。


 必殺技の炸裂に、ほかの客もざわめく。


『あのドロドロのカレーで流動性の暴力ナイアガラ・フォールズを⁉』

『不可能だ! 粘度が高すぎる』

『けど、実際にやっているぞ』

『信じられん』


 おじさんには、流動性の暴力ナイアガラ・フォールズが一般常識であることの方が信じられなかった。


「くっ。俺のドロドロカレーが、まるでナイアガラの滝のように流れ落ちていく」


 冷や汗を浮かべる店主は、しかし強気な姿勢を崩さなかった。


「だが、さっきの理論が正しかったとしても」


(正しくないけどな)


「唐揚げとライスだけでも、2キロ近くある。すき家の最大サイズ――裏メニューの『キング牛丼』が1キロちょっとだと言えば、その脅威も分かりやすかろう」


(よく分からないよ)


 固形の唐揚げとご飯。これをどう攻略するかが、勝負を決めるらしい。


 シノは再び箸を手に取った。


『残り半分の唐揚げを攻めるようです』


 唐揚げ流星群(唐揚げを次々に口へ運ぶ技)の使用は、最初に限られる。本来飲めないはずの唐揚げを飲み続けるためには、ベストコンディションの顎や喉が必要だからだ。


 小顔で首も細いシノにとっては、スタート時のフルパワー状態でしか使えない、いわば荒技だった。


 シノは唐揚げを持ち上げたが、今度は口へ運ばなかった。


『こ、これはっ⁉』


 唐揚げをカレーにディップさせるシノに、店内はどよめいた。揚げ物のこってり感を、香辛料で軽減させ、同時に流動性をも確保する。


「うん。おいしい」


 誰に教わるでもなく、シノはそれを本能でやってのけたのだ。


『唐揚げに、カレーという服を着せました! ただでさえうまい唐揚げに、うまいカレーを纏わせる……。まさにうまさの王! ここに爆誕したのは、そう――』


 お姉さんは再びスケッチブックにペンを走らせた。


 『彼のシャツを着た彼女カレシャツ・アザトースです!』


 蚊帳の外が続くおじさんは、知ったかぶりをかましたくなった。


「ほう、彼のシャツを着た彼女カレシャツ・アザトースですか。たいしたものですわね」


 チラッとギャラリーの反応をうかがう。


彼のシャツを着た彼女カレシャツ・アザトース?』

『初めて聞く技だ』

『あの女子高生は知っていた風だったぞ』

『背伸びしたい年頃なんだろう』


(なんでこれだけ知らないんだよ!)


 シノの快進撃に、店主は目を剥いた。


「ば、馬鹿な……! これはもう、チャレンジですらない。やつは純粋に、食事を楽しんでいるだけだ!」


 つまるところ、彼のシャツを着た彼女カレシャツ・アザトースというのは、ただの味変にほかならなかった。


 唐揚げを終えれば、残すはカレーとライスのみ。中盤においても、シノの勢いは衰えなかった。


『ここで遂に、唐揚げ完食です! ここまでのタイムは……。10分27秒!』


 好タイムに店内が沸き立つ。


『信じられません。桶全体を見ても、半分くらい終わっています。つまり、残り時間20分もあるのに、もう折り返しです!』


 メニュー名の通りになったカレーライスを、シノは着実に進める。


 今回、最も難易度が高かったのは、肉であり揚げ物でもある唐揚げだろう。それがなくなった今、後はペースを乱さずにひた走るだけだった。


 勝利を確信するおじさんだったが、一方で、気になる点もあった。


 このペースなら、完食は時間の問題と言える。もちろん、後半はペースが落ちるものだが、20分近くあれば心配ないだろう。


 それなのに、店主が何の動きも見せないのだ。


 大食いチャレンジの性質上、料理をつくってしまえば、店側は見るだけになるのは分かる。が、この店主なら、何か仕掛けてくるのではと、おじさんは危ぶんでいた。


 結果として、悪い予感は的中することになる。ライスにスプーンを入れたシノが、戸惑いの色を見せたのだ。


 コツ。


「あれ?」


 スプーンの先の感触に、かすかだが、妙な違和感があった。ご飯とは異なる感触。米粒の隙間から、茶色い何かがうっすらと覗ける。


「どうしましたの?」

「何だろう。ご飯の中に……」


 不審に思いながらシノは、上のライスをのけてみた。


「あっ」


『こ、これはっ……⁉』


 店内の全員が身を乗り出す。そこには――。


『な、何ということでしょう。トンカツです! ご飯の下から、トンカツが現れました!』


(な、何ぃ~っ⁉)

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