シノ「たいして内容ないじゃないですか」第4話

「お待たせしました。『店主の気まぐれカレーライス』、3キロです」


(なんだこの……圧倒的量はっ……!)


 洗面器よりも大きな木桶が、器として使われていた。テーブルが替わったのは、二人がけでは手狭だったからだと、ここで明らかになる。


 そもそも、料理の重さで『kg』が出てくるのが分からない。巨人の国に迷い込んだかのようだ。


 うずたかく盛られたライスは、桶の高さを越えている。ライスだけでも、おじさんのご飯三日分はあった。


 カレーはなみなみと注がれている。表面張力ギリギリで、今にも縁からこぼれそうだ。


 そして最も衝撃的だったのは、ライスの上に盛られた大量の唐揚げである。


 まず、『カレーライス』に唐揚げが備わっている時点でおかしい。福神漬けの代わりで通すにはあまりにも凶暴だった。


 上からだと、唐揚げでご飯が見えないのだ。あのエアーズロックのようなご飯が、である。


 まるでどこまで積めるかの挑戦のように、絶妙なバランスで盛られていた。いや、組み立てられていた。


(ていうかよくここまで運べたな、この店主)


 ワゴンが登場するのも納得である。もはや配膳ではなく、これは運搬だった。


(俺のレディースサイズなど、まるでスプーン1杯分に見える)


 そんな風に錯覚するのも無理はなかった。脳がバグるようなボリュームにまれるおじさん。店主は上機嫌で言った。


「お代は完食で無料、失敗したら5000円。制限時間は30分ですからね」


 ストップウォッチを取り出す。


「器抜きできっちり3キロです。……たぶん」

「い、今たぶんって言いましたわ!」


 女子高生おじさんの鋭い指摘に、店主は冷や汗を浮かべた。


「そ、空耳だよ、お嬢さん」


 本当に3キロなのかも怪しくなってきた。


 おじさんのスーツで男装したシノに、店主はスタートをうながす。


「さあ、サラリーマンのお兄さん。こっちはいつでも始められますよ。ストップウォッチの方は、何もしてませんし」

って何ですの⁉」


 無言のシノに、店主はニヤリと口をゆがめた。


「お兄さん、もしかしてビビッて……! ゴホン。どこかお体の具合でも悪いのですか?」

「ごまかされませんわよ!」


 店主は値踏みするように見ていた。細いシノに完食は無理だと高をくくっている。だ、駄目だ……まだ笑うな……とでも言いたげな愉悦の表情で、挑戦者の心が完全に折れるのを待っていた。


(……しばらくは、爪に火をともすしかないな)


 おじさんは5000円支払うつもりでいた。予想外の出費は痛手だったが、高校生のシノに出させるわけにはいかない。この場を設けた責任もある。


(もしシノが無理をするようなら、どんな形でもいい、止めに入ろう)


 大食いチャレンジ成功よりも、彼女の身の安全の方が大事なのは、おじさんには比べるまでもないことだった。リタイアを勧告する。


「シノくん、これは勇退ですわ。気にすることはありません。器の時点でおかしかったのです」


 少女は目の前のデカ盛りをじっと見つめている。その真剣な眼差しが何を意味するのか、おじさんには読み取れなかった。


 後悔だろうか。申し訳なさだろうか。シノにとって辛い思い出になってしまうのが、おじさんには一番嫌なことだった。


「つーちゃん」


 ようやく顔を上げたシノと目が合う。


「何でしょう、シノくん」

「一つだけ、いてもいいかな」

「はい」


 もう、準備はできている。どんなことを言い出されても、おじさんはシノの味方だった。


 シノは言った。


「この器がおかしいって、小さいって意味だよね?」

「…………………はい?」


 今、シノは何と言ったのだろうか。おじさんは我が耳を疑った。


 それは店主やほかの客も同じだったようだ。想定外の発言に誰もが唖然としている。店主の顔は引き攣っていた。


「はは……。お、面白いお兄さんだ。心理戦としては、まずまずかな」


 デカ盛りチャレンジに心理戦も何もないはずだったが、効いているようだった。店主の動揺を見て我に返ったおじさんは、ハッとなって彼女の意志を確かめる。


「ほ、本当にいいんですのね? このまま始まっても」


 シノは顔色一つ変えない。動揺した素振りはまったく見られなかった。


「いいも何も、もうつくってもらったわけだし。食べない理由がないよ」


 シノが店主を見上げると、彼は少しビクッとした。


「いただいていいですか? お腹ペコペコで」

「あ、ああ。では、チャレンジ開始!」


 店主はストップウォッチを押した。


 同時に、さっきレディースサイズを持ってきた女性店員が現れる。どこから引っ張り出してきたのか、ボクシングで使われるようなゴングを勢いよく叩いた。


 カーン!


「いただきます」


 綺麗な両手を合わせてから、シノは箸をとった。


『さあ始まりました、『店主の気まぐれカレーライス』3キロチャレンジ。挑むのは、会社帰りと思われるイケメンお兄さんです!』


 ゴングのお姉さんがいきなり実況を始めた。マイクまで持っている。


(どうなっとるんだ、この店は)


 呆れ返るおじさんをよそに、試合の模様を熱く語り出した。


『まず手に取ったのは、スプーンではなく箸。初手、唐揚げです!』


 器全体の巨大さで錯覚していたが、箸で持ち上げてみると、唐揚げ1個ずつの大きさも他店の3倍はありそうだった。


 シノがかぶりつくと、衣の軽快な音がした。揚げたてのいい匂いが、カレーに負けずに漂ってくる。


『お兄さん、お味の方はいかがでしょうか?』

「チャレンジ中に答えさせますの⁉」


 制限時間があるのだが、細かいことは気にしないのがこの店の方針らしかった。


「おいしいです。うま味と肉汁が閉じ込められていて、塩味も利いてます」

「律義に答えてますし!」


 シノの食レポを受けて、店主は静かにはにかんだ。自慢の唐揚げを褒められて嬉しかったようだ。


 おじさんがシノに視線を戻すと、彼女は既に2個目の唐揚げに移っていた。


(は、早い!)


 シノの箸は止まらない。ゴリゴリの巨大唐揚げを、驚くべきスピードで攻略していく。


『こ、これはすごい。唐揚げが次から次へと、お兄さんの口へと導かれていきます!』


 お姉さんの実況にも熱が入る。拳をグッと握って声を張った。


『そう。まさに、唐揚げ流星群です!』


「唐揚げ流星群⁉」


 謎の必殺技に困惑するおじさん。ほかの客もどよめいていた。


『唐揚げ流星群……。あれがあの』

『聞いたことがある』

『この目で拝める日が来るとは』


(なんで知ってるんだよ! 初耳なんだけど!)


 店主の頬にさしていた赤みが消えた。


「まさか、唐揚げ流星群を使えるとはな」

(だからなんで知ってるんだ。俺がおかしいのか?)


「だが、流星群の使い手は稀によくいる」

(どっちだよ。いないよ)


「唐揚げの脅威とは、その油! ただでさえキツい鶏のあぶらを、さらに油で揚げる。それを吸った衣も相まって、太古より人々を苦しませてきたのだ」

(太古よりって、唐揚げの歴史ってそんなにあるのか?)


 唐揚げの起源はひとまず置いて、おじさんは桶を確認した。流星群の炸裂もあり、なんと唐揚げについては半分近くも減っていた。


 しかし裏を返せば、唐揚げだけでもまだ半分は控えている。からあげクン1パックで胸やけするおじさんから見れば、絶望的な状況に変わりはなかった。

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