おじさん「内容の紹介とかだろうここは!」第3話

「通ったね、注文」


 店内。シノはトーンを低くして言った。


 メンズスーツに身を包んだ彼女は、おじさんの目論見もくろみ通り、デカ盛りチャレンジの挑戦権を得ることに成功した。女性より多く食べる男性――かつ大人を装うことで、完食の見込みアリと分からせたのだ。


「通ったな」


 セーラー服を着たおじさんも、同じテーブルに着いている。男口調のままの彼を、シノはJKネームを呼ぶことでたしなめた。


「つーちゃん」

「あっ! と、通ったわね、シノくん」(裏声)


 うんうんと頷くシノ。一方の女子高生おじさんは、穴があったら入りたいとばかりにウィッグの黒髪を押さえつけた。


「うう、恥ずかしいですわ。サングラスもしてませんし、知り合いに見られたらどうしましょう」

「大丈夫。不慣れなのはも同じだよ。一緒に乗り切ろう」(イケボ)


 おじさんに比べれば、シノには多少の余裕がありそうだった。男装は初挑戦だったが、スタイルがよいため大抵の服は難なく着こなすことができるのだ。


 店の中はそこそこ混み合っていた。二人で話す時でも、声は周りに届くものと考えた方が無難なようだ。女性客の中には、シノを指すひそひそ話をしている人たちもいた。


『ねえ。あのお兄さん、かっこよくない?』

『芸能人とか? でもスーツだから、イケメンサラリーマンか』

『一緒にいる子、彼女かな?』

『あの子も、結構かわいいかも』


 最後の発言は、おじさんは聞かなかったことにした。


「でもつーちゃん、サイズまで演技しなくてもよかったと思うよ?」


 おじさんが注文したのは、カレーライスのレディースサイズだった。じきに到着するはずだ。


「演技じゃなくて、もう入らないんだよ! ですわ。水だけというのも気が引けますし」


 そもそも、おじさんがシノの事情を見聞きしたのは、この店で食事をしていたからである。つまり、既に一食終えている状態。


 おじさんの食は細い。レディースサイズでさえ、食べ切れるかどうか怪しいものだった。


「入るよ」


 そんな懸念をよそに、シノは平然とした口振りで言った。彼女のシャープな輪郭を見て、おじさんはぽつりとつぶやく。


「……、お店の方が最初は断ったのも、正直分かりますわ」

「?」

「シノくん、そのズボンのウエスト、ブカブカでしょう?」


 テーブルの下で、シノはズボンとお腹の間に指を入れてみた。指どころか、拳まですっぽり収まりそうな隙間が空いていた。


「ベルトの一番きつい穴でも、まだ緩いね。丈はツンツルテンなんだけど」

「そこまでいてませんわ!」


 脚の長さマウントまで取られておじさんはへこんだ。もっとも、おじさんが小太りなわけではない。彼女の線の細さを見て、徐々に不安が募ってくる。


「本当に大丈夫なんですの? 疑うわけではありませんが」


 この体型で大食いなどできるのだろうか。小顔で、手と脚が長くて。


 胸も……。


(……控えめというか、慎ましいというか。平ら、まではいかないか?)


 口に出したわけではかなったが、その視線はシノに察知されてしまった。


「ちょ、ちょっと! さっきからどこを……」


 慌てて胸を抱くようにする。目には警戒の色があった。


(しまった!)


 おじさんは懸命に言い訳した。


「い、いやその……。急場だったのに、よく用意できたな。じゃない、できましたわね、と思って」

「用意? 何のこと」

「だからあの、サラシ的な? わたくしには、よく分かりませんが」

「サラシなんて持ってないけど」

「え? でも、それにしては、割とたい――」


 その瞬間。


 驚異的な速さで、シノはおじさんの口を押さえ込んだ。


「!」


 おじさんは凍ったように動きを止め、やがて静かに震えた。


「つーちゃん」


 このトーンの低さは、おそらく演技ではない。


「平らじゃない」


 おじさんは『たい』としか言っていない。


 平らと言われる前にそう言ってしまっては、平らだという自覚があることになってしまうのだが、無論おじさんは指摘しない。おじさんだって命は惜しい。


 シノは言葉を訂正した。


「大器晩成型だ」

「たい……大器晩成型……!」


 手の下でもごもごと呟く。極限のやり取りの中で思った。


(……たいして違わないんじゃないか?)

「全然違う」

(思考を読まれた⁉)

「前者は永遠の0だけど、後者には希望が存在するからね」

(希望。まあ、可能性くらいは)


 きっと色々あるのだろうと内心で理解を示すおじさん。


(そうだよな。夢くらい見てもいいよな)


 彼女の気持ちに寄り添ったが、当の本人はとんでもないことを言ってきた。


「つまり、実質あるのと同じなんだ!」


(いや、そうはならんだろ!)


 心の叫びもむなしく、シノは独自の理論を展開する。


「先か後かの違いでしかないよ。過去・現在・未来。いつでも、本質的にはあり続けるんだ」


 因果律では説明のつかないトンデモ理論のように思われたが、おじさんは力なく頷くしかなかった。それを確認したシノが、口から手を引っ込めた時だった。


 店員がやって来たので、二人は慌てて警戒した。大学生くらいの女の子店員だった。


(やばい。今のやり取りで不審がられたか?)


 女装や男装がバレてしまったのだろうか――。そう思ったが、二人の心配した事態とは、どうやら違うようだった。


「お客様。すみませんが、そちらのテーブルに移っていただいてもよろしいでしょうか?」


 現在二人が座っているのは、2人がけの狭いテーブルだった。店員が指示したのは、4人がけのテーブルである。


 どういう意図かは分からなかったが、断る理由も特になかったので、疑問に思いつつも広いテーブルに移動した。店員が去るのを確認する。


「……何だったんだろう」

「さあ。変装がバレなかったのは、ひとまず安心しましたわね」


 しばらくすると、さっきの店員が戻ってきた。


「お待たせしました。カレーライスのレディースサイズです」


 先におじさんのカレーが届いた。ザ・カレーライスな見た目。町の洋食屋のシンプルなカレーだった。量は名前の通り控えめである。


(よかった。レディースサイズも大盛りというオチはない)


 チャレンジメニューを置く店ならば、ほかのサイズも軒並み上振れするかと恐れたおじさんだったが、ほっと胸をで下ろした。


 冷静に考えれば、常識的な量で提供されることは、一食目を利用した時点で確認できていたはずだった。が、慣れない女装もあって、それに思い当たらないくらいすり減っていたのだ。


「では、お先にいただきま……」


 スプーンを入れようとした時、店の奥から妙な音が聞こえてきた。


 ゴロゴロゴロ……。


(な、何だ?)


 音の出所はワゴンだった。店主自ら、たくましい腕で二人の方へ押してくる。ワゴンの上の段には何かが載っていた。


おけ……?」


 載っていたのは、木の桶のようである。寿司職人が酢飯を仕込む際に使うような、業務用の木桶だ。


 それが厨房ではなく、なぜかホールに出てくる。その異様な雰囲気を感じ取って、店内のほかの客もざわついた。


『何だあれは』

『まさか、桶を器に⁉』

『高さもあるぞ』

『あの桶のすり切りを、はみ出しているだと……⁉』


「よい、しょ……っと!」


 通常の配膳では使われないであろうかけ声とともに、店主はテーブルにそれを置いた。


 ゴトン……!


「お待たせしました。『店主の気まぐれカレーライス』、3キロです」


 心なしか、その声は喜色に溢れていた。


(ぐがっ……! な……)


 それとは対照的に、おじさんは激しく動揺し自分の目を疑う。今まで見たことのない殺人的なボリュームに、視界がぐにゃあとゆがむような衝撃を受けた。


(なんだこの……圧倒的量はっ……!)

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