真冬の日に迷子になった猫

木谷日向子

迷子のゆず

 僕はゆず。なお姉ちゃんの家で飼われている猫だ。種類はマンチカンとペルシャのミックス。毛の色はクリームタビー。

 一年前の極寒の日に、なお姉ちゃんの散歩に付き合おうと、彼女がドアを開けた瞬間に外に飛び出してしまった。

 生まれてからずっと、家の中で育ってきた僕にとって、外の世界は新しくも怖いものだった。そのまま家のドアの前で姉ちゃんの帰りを待っていればよかったのだが、道路を渡って歩いてしまった。はじめての横断歩道。

はじめての道。肉球につたわる新しい固い感触と、新鮮な水をふくんだ冷えた空気。目の前に立ち現れる家々の風景に心奪われて、ゆらゆら楽しく歩いていたら、いつの間にか帰り道がわからなくなってしまった。

 空はよどんで白く濁り、さっきまで空気中に散らばっていた水の気配が、つめたく固まる。濡れた薄桃色の鼻がどんどん乾いてゆく。

 さむい。クリームタビーの長い毛をまとっているのにさむかった。毛の隙間から、冷気が入り込んで、皮膚を撫でて冷ましてゆく。周りには誰もいなかった。震えながら顔を上げると、薄曇りの空に、黒い点が見える。

 家の窓から見たことがある鳥だった。姉ちゃんが言っていた。


からすだ」


 怖い。

 こわい。

 僕は、咄嗟に薄暗い場所へと飛び込んだ。

 そこは、家と家の隙間だった。狭くて、くらい。ここにいれば烏には見つからないだろうが、姉ちゃんがもし僕のことを探してくれていたとしたら、ここに僕がいるとわからないだろう。

 だって僕は他の猫みたいに、鳴けないんだ。

 声が出せないんだ。

 姉ちゃんを呼びたい、姉ちゃんに話しかけたい。僕はここだよ。僕はここにいるって!

 花弁が落ちるように、はらりと光があらわれた。

 離れていたのはほんの半日だったはずなのに、僕はその懐かしいひかりの方角へ走っていった。

 屈んで両腕を広げたなお姉ちゃんの中へ、僕は飛び込む。やわらかな胸に、鼻を擦りつけると姉ちゃんは僕に頬を擦り寄せる。濡れた感触がした。

 姉ちゃん、僕をもうはなさないで。

 どこにも行かないよ。

 僕の生きる場所はここ。

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真冬の日に迷子になった猫 木谷日向子 @komobota705

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