第13話 施工~得意分野は任せなさい
家に帰り着くと、見慣れた宅配業者のトラックが停まっていた。
「お、届いたんじゃないか? 例のあれ」
柚もそう思ったらしく、ちょっと足取りが軽くなっていた。
「あ、そうだね。じゃあ、お風呂済ませて中身確認したらLINEするね?」
俺は了解の意を伝えて手を振って別れ、一旦自宅に入っていった。
「ただいまー」
声をかけてみたが、家人の返事がない。買い物にでも行っているのだろうか、鍵がかかっていないのはよくあることだが。
リビングに入ると、俺の椅子の前にメモ用紙が置いてあった。
『少し帰宅が遅くなるので、適当に冷蔵庫の中のものを出して、先に食べていてください。お父さんも同じくらいに遅くなるそうです』
書き置きとは珍しいな、そう思いながらそのメモ用紙を冷蔵庫に磁石で貼り付けておく。用件が完了するまでは、書類は保存しておくのが我が家の習わしだからだ。
そして、冷蔵庫を開けて中身を確認しておく。
中には、スーパーのお惣菜が何種類か入っている。製造日と時間を見ると直近もののようだ。つまり、さっき買ってきたばかりで、また出かけていったということだろう。炊飯器を開けてみると、ご飯も炊けている。これなら夕飯の心配はいらないな。
俺は、鞄を部屋に置いてから着替えを持って浴室へ向かう。
脱衣を済ませて浴室の扉を開けると、保温のランプが灯っていた。浴槽のフタを開けると湯気が立ち上った。シャワーで済ませようと思っていたのだけれど、どうやら母親は風呂も用意しておいてくれたようだ。
至れり尽くせりの状態に、ほんのり罪悪感のような、劣等感のような、そんな変な気持ちになりながら俺は手早く入浴を済ませた。
頭をざっと乾かしてから、台所に入り冷蔵庫を開ける。風呂上がりの飲み物を物色しようと思っていると、メモ用紙が貼り付けられた飲み物が置いてあった。
「ん……? なんだこれ?」
母親のお気に入りだから飲むな、とかその類いかな?
などと思いながらそのカップを手に取る。
有名コーヒーチェーンのロゴが入っており、中身はミルクたっぷりのラテ系飲料のようだ。貼り付けてあったメモ用紙には伝言が書かれていた。
『楓へ 柚ちゃんと一緒に飲んでください 母より』
はぁ……。
俺は、自分が少し情けなくなりながらも、母に感謝する。
よく見ると、同じものが二つ入っていた。
何もかも、お見通しってわけか────
程なく、柚からLINEが入ったため、俺は母の用意してくれたラテを二つ持って柚の家に向かった。
勝手口でいつも通り挨拶すると、珍しく柚の母親が出てきて出迎えてくれた。
「いらっしゃい、柚、部屋で待ってるわよ」
そう言って中に入れてくれた。
そこで、手に持っていた飲み物に思いが至る。
我が家の家訓では、食べ物は全員で分け合って食べなければならないのだ。
子供の立場とは言え、柚と二人だけで美味しいものを飲むという状況に、躊躇が湧いてしまった。しかし、手持ちは二つしか無い。
「あ、あの……よかったらこれ」
そう言って俺は、一つを母親に差し出そうとした。
すると、柚の母親は、
「大丈夫よ、あたしも頂いたから。ほら、これ」
そう言って指したテーブルには、なぜか俺の持っているものと同じブランドの珈琲飲料が置かれていた。
「さっき静江さんが来てね、置いていってくれたのよ」
静江というのは俺の母親の名前だ。
どうやら出かける前に立ち寄っていたようだ。
……ほんともう、何から何までそつがない。
やっぱり敵わないな、母さんには。
そう思ったが、先日の誤配騒動を思い出すと変なところで「抜けて」いる面があるのも事実。いや、むしろあれも母親の策略だったのではないか、という疑惑まで湧いてしまった。
「じゃあ、お邪魔しますね」
そう言って、俺は二階へと上がっていく。
部屋の扉の前まで来ると、中からドライヤーの音が聞こえてきた。
どうやら、髪を乾かし終わっていないようだが、連絡だけ先に送ってよこしたのかな。
俺は、ドアをノックした。
「開いてるよー、入ってー」
柚の無造作な声が聞こえる。
俺は少し躊躇しつつもゆっくりドアを開けた。
柚は、女の子座りでぺたんとおしりを床に付けながら、姿鏡の前で髪を乾かしていた。その脇には、見慣れた大手通販業者の段ボール箱。
「おじゃまするよー。てか、洗面所でやればいいじゃん」
すこし不自然に思って、柚に声をかけた。
ちょうど終わったのだろう、ドライヤーのスイッチを切ってこちらを向く。
「だって、部屋に入られたらこれ見られちゃうじゃん」
そう言って、開封済みの段ボール箱を指差す。
どうやら、ドアノブの事は家族にまだ知られていないらしい。それも時間の問題だとは思うのだが。
「まぁ、そうだけど」
俺は、箱を手にとって中身を確認した。
中には、パッケージングされたドアノブとドアラッチ、そして鍵が入っていた。
柚は、洗面道具入れの手提げバスケットにドライヤーとブラシを丸めて放り込んでから、俺に向き直る。
「じゃ、さっそくやってくれる?」
そういって嬉しそうに俺にドライバーなどの工具を手渡してきた。準備は万端のようだ。
一階に玲子さんがいるのが少し気になるけど、コソコソしたところで怪しさが増すだけだろう。見られたら正直に話す、その方針を確認してから、俺は作業に取り掛かった。
まずドライバーで、ドアノブを外していく。
そして、ドアラッチも取り外す。
説明書を確認してみたところ、ドアラッチはそのままで大丈夫みたいだが、せっかく付属しているので全て交換してしまうことにする。ドア脇から抜き取られた古いドアラッチを新しいものと交換していく。同じ形式とはいえ若干の厚みの違いなどは生じてしまうものだが、今回は幸いにしてピッタリとドアに収まってくれた。
あとは、新しいドアノブを差し込んで固定するのみ。ものの五分もかからずに交換作業は完了してしまった。
「これで、終わり?」
あまりにあっけない作業に、柚も少し不思議そうだ。どこが変わったのか既に分からないといった風情である。実際、収まってしまったドアノブはもともとこうだったかのように何事もなく馴染んでいた。
「ああ、これで鍵がかかるぞ、やってみろよ」
俺は立ち上がって、一旦部屋の外に出る。
すると柚は扉を閉じて、それから施錠したのだろう。微かに「かちり」という音がした。
「開けてみてー」
扉越しに、柚の声がする。
俺は、ドアノブに手を掛けるがドアノブは抵抗を示して回転することはなかった。
「うん、開かないぞ」
俺がそう言うと、また微かに解錠音がした。
そして、扉が開く。
「うんうん、いい感じ。今度あたしやってみる、楓交代!」
そう言って今度は俺を部屋の中に押し込んで、扉を閉めようとする。
そこで俺は、箱から鍵を取り出して柚に手渡した。
「これも、試してみろよ」
「うん」
そして再び扉が閉まる。
「楓~、鍵かけてみて」
俺は、内側のドアノブに着いている小さなサムターンをひねる。
「どうだー?」
がちゃがちゃ、と少し乱暴にドアノブを回そうとする振動が伝わってきたが、当然ドアは開かなかった。
「ばっちりー。じゃあ、鍵で開けてみるね?」
「おう」
じゃり、っという音で鍵を差し込んだのが分かる。
そして、手を触れていないサムターンがひとりでに回転していた。
「じゃーん!」
柚が、楽しそうに扉を開けて入ってきた。
そして、鍵を俺に振って見せていた。
「ありがとう、楓~。これで侵入者を撃退できるね」
防ぐだけで撃退は出来ないだろうが、そこはあえて黙っていよう。
「あぁ。くれぐれも鍵、落とすなよ?」
これは、簡易的な構造だから鍵を失くしてしまってもドアノブを分解すればそれでなんとかなるだろうが、面倒なことには違いない。
予備を含めて鍵は三本付属していた。
それを、手にしながら柚は思案していた。
「一本は普段持ち歩いて、もう一本は……。洗面所にでも隠しておこうかな」
それを聞いて、部屋にしまっておくという愚は犯さずに済みそうだな、と安心した。いざ紛失した時に、鍵の置いてある部屋に入れないという間抜けな状況が目に浮かんだからだ。
「あぁ、それがいい」
俺は同意した。
「で、最後の一本は……」
万一のことを考えると、玲子さんに預けておくべきなのだろうが、今の柚の心理を考えるとそれはないだろうなとも思う。
「楓、持ってて」
そう言って、柚は俺に一本を押し付けてきた。
「へ? なんで俺?」
さすがに、その発想は無かった。
他人に預けておくというのは、防犯上どうなんだろうという不安もある。もちろん俺は悪用などするつもりはないが、女の子の部屋の鍵など預かって大丈夫なのだろうかという心理が働いた。
「もし、俺が失くしたらマズイだろ?」
柚ほどではないが、うっかりを起こす可能性は俺にだってある。
「うん。持ち歩くのはだめだけど、部屋に置いてくれればいいから」
なるほど。それなら、何かあったときにすぐに取りにこれるだろう。
俺は、自分の部屋を思い浮かべる。
何かあったときにはすぐ分かるところに置いておいたほうが良いだろう。
「じゃあ、俺の机の脇のフックにぶら下げておくから。何かあったら、母さんに言って部屋に入れてもらえよ」
「うん、ありがと」
……………………
いつものように、部屋でお菓子を食べながらカフェラテを飲んでいると、途中玲子さんがお茶を持って部屋を訪れた。甘いお菓子と飲み物に慣れた口を、爽やかな苦味がスッキリさせてくれて嬉しかった。
柚は、付け替えたドアノブに気づかれるんじゃないかと少し緊張していたが、全くそんなことはなかった。
「さて、そろそろ帰ろうかな。柚、明日はバイトだろ?」
俺は、カレンダーに付けられた印を見ながら立ち上がる。
「うん。でも午前中で終わるから、お昼食べたらおいでよ」
嬉しい誘いではあったが、こう連日だと流石に気が引けてくる。しかし、そんな俺の躊躇を察したのか……。
「これ、あたし一人に食べさせる気?」
そう言って柚は段ボールに残っているお菓子を指差す。
あの日届いた二人分のお菓子は、まだ全て食べ終わっていないのだ。
柚なら、十分食べ切れると思うのだが、俺のいないところではあまり食べた形跡がないので不思議に思っていた。
「これくらい、食えるだろお前なら?」
「太っちゃうじゃん、こんなの全部食べたら」
……なるほど、そう言う事情もあるのか。
それは、俺も加勢せねばなるまい。
まぁ、呼ばれることに異論は無い。俺も午前中に用事を済ませたら、また来ようと思っていたのだ。
そうして、連れ立って部屋を出ようとしたところで、柚のスマホが鳴動していた。
「あれ、ユッコだ。ごめん、あたし電話するから……ここでいい?」
「あぁ、全然。そんじゃ、またな」
俺は、部屋の前で柚と別れて一階へおりていった。
「お邪魔しました、これで帰りますね」
台所に入り、声をかけるとエプロンで手を拭きながら玲子さんが寄ってきて声をかけてくれた。
「ありがと、また来てね。あなたが来てくれると柚も機嫌が良くて助かるの」
それを聞いて、ほっととするとともに少しの罪悪感が湧く。
「いえ……。それじゃ、また来ますから」
俺はそう言って、勝手口で靴を履こうと腰を下ろした。すると、なぜか玲子さんも隣に屈んできて、
「……柚の部屋、鍵付けてくれたのね?」
小さな声で、不意にそう言われて俺は、どきりとした。
「あ、あの……」
いきなりバレたこともそうだが、咎められるとは思っていなかったので少し鼓動が早くなった。だが玲子さんは、穏やかな表情で、
「ありがとね、これで落ち着いてくれればあたしも助かるわ。花梨は、言っても聞いてくれるような子じゃないし……」
どうやら、お咎めということではないようだ。感謝されるとは予想外だったが。
「……すみません。勝手なことして」
俺はそれでも謝罪して、それからポケットに入っていた柚子の部屋の合鍵を渡そうと取り出した。事情はどうあれ、これは万が一に備えて親が持っているべきものだろうから。
だが、鍵を持つ俺の手を玲子さんは両手で包んで押し留めた。
「いいの、それはあなたが持っていて。これをあたしが黙って持っていたら、柚はあたしを許さないと思うから。あなただから信用して渡したのよ、あの娘は。だから、ね?」
内緒で鍵の付け替えまでした俺を、こうして信用してくれた。
お隣さんとはいえ、信用を得るというのはそんなに簡単なことじゃない。その意味を、俺は今一度心に刻んだ。
そして、頷いて再び鍵をポケットに戻した。
「パパには、あたしから言っておくから。大丈夫よ、柚には知られないようにするから」
「はい、ありがとうございます」
そして、俺は立ち上がって扉に手をかけた。
すると、廊下から柚が顔を出した。
「あれ、まだいたんだ。……どうせ、ママに引き止められてたんでしょ?」
やれやれといった表情で、柚はそんなことを言っている。
すると、玲子さんはわざとなのか、俺の腕を取って、
「いいじゃないの~、あたしだって楓ちゃんとお話したいわ」
そう言って、腕を引いて体を寄せてきた。
「はいはい、わかったから。ほら、さっさと帰らせてあげて」
柚は、しっしっ、といった感じで俺と玲子さんを引き離して、扉を開け半ば強引に扉の外へ押し出してしまった。
「じゃ、じゃあな!」
俺は、あわてて柚に手を上げ声をかけたが、その挨拶の言葉も言い切らないうちに、扉は閉められてしまった
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