第7話 憧憬~憧れを持つって悪いことですかね?

 ………………………………


 ゆずの家から帰宅する、二時間ほど前。


 夕飯の時間になっても帰ってこない俺に、母親からLINEが入ったため、柚の部屋でおやつ食べてるから今夜はいらない、柚の親も今夜は遅いらしい、という事を返信したのだ。


 すると……。

『おにぎりでいいなら持っていくよ?』

 と、母親から返信が入ったのである。

 その旨を柚に伝えると、

「あ、おばさんのおむすび、食べたいかも」

 と、申し出たので『じゃあ柚の分もお願いします』と返信したのだ。


 返信した後、せっかくだからと台所に降りて、柚と二人でお味噌汁だけ作って夕飯の準備をすることにした。ほどなく、勝手口をノックして楓の母親がやってきた。

 手に持っていたお盆には、海苔の巻かれた少し大きめのおにぎりが4個といなり寿司が4つ。それぞれ二つずつ乗ったお皿と、漬物も添えられていた。


「ありがとうございま~す。いただきます!」

 そう言って、柚は喜んでいた。


 俺の母親は、柚と、

「玲子さん(柚の母親の名前だ)今夜は遅番なのね?」 

 とか、

「旦那さんは相変わらず? お元気?」

 などと、世間話を少々交わしていた。

 やはりというか、俺の母親と柚とはとても仲が良い。子供の頃は、お互いの親同士で子供交換しようか? などと冗談めかして話していたのを思い出した。

 そんな二人を、俺はわざとテレビを見て興味のないふりをしてやり過ごした。


 母親の退出後、そのままダイニングキッチンで席について二人で夕飯を済ませることにする。

 話の流れで、話題はお互いの親のことになっていた。


「───今日は、パパもママも遅くなるって言ってたから」

 両親からそう聞いて、柚は今晩の計画を立てていたそうである。

「そっか、そういうことなら。でもさ、大変だな。こんな遅くまで仕事かぁ……」


 自分の両親は、計ったように毎日同じ時間に帰ってくることのほうが多い。そのため、うちとは事情の違う柚の家庭の生活スタイルに、少し興味が湧いたのだ。

 柚に何気なく聞いてみたところ、親の帰りが遅い日には夕飯の支度は柚がやっているらしい。先程の味噌汁の支度の手際は、ずいぶん手慣れたものだと思ったのだが、そういう事情があってのことなのだろう。

 勝手口を開けて、柚は家庭菜園に行き、ものの一分ほどで一掴みほどのキヌサヤエンドウを収穫して戻ってきた。その後すぐ、筋を取って洗い下ごしらえをして味噌汁の鍋に投入、豆腐と油揚げも追加してあっという間に味噌汁を仕立ててしまったのだ。俺の出来た手伝いは、冷蔵庫の開閉くらいのものだった。


「───ほら、うちのママ、スーパー勤めじゃん? 帰りに、お惣菜とかお弁当とかの値引きしたやつ買ってくることもあるから、味噌汁だけ用意することにしてるの」

「なるほどな」


 柚の父親の方の仕事はよくわからないが、柚の母親はスーパーのパートでレジ打ちをやっているということは俺も把握していた。たまに店に行くと、にこやかに挨拶してくれたりすりのだ。おまけとかしてくれるわけじゃないけど。


「そっかぁ、今夜は揃って残業か────」

 俺のその何気ないつぶやきに柚は、

「あー、ちがうちがう。あはははっ♪」

 そう言って、手をパタパタと振って、なぜかおかしそうに笑った。


 ん? なにがだ?


「前にさ───お姉ちゃんが、偶然だけど見かけたことがあるんだって。パパとママが一緒に、ホテル入っていくとこ。たぶん、今夜もじゃないかな?」


 ………はぁ!?


「そ、それって……」

「うん♪」


 ……………………。


 いや、まぁ……

 夫婦なんだし、そういうことも当然……してるよな。

 でも───、


「わざわざ、外でホテル行くって……。家でいいんじゃないか?」

 俺はつい、そんな事を言ってしまった。

「えぇ~? 絶対イヤ!! ひとつ屋根の下でそんなことされてると思ったら、なんかさ──」

 柚はそう言って、露骨に嫌そうな顔をしていた。


「そうか? そっちの方が気にしすぎじゃないのかな?」

 まぁ、実の親だとそういう感情にもなるのかな。俺は別に気したことも無いが。むしろ、外でこそこそ会ってると思うと、逆に生々しくて引くかもしれん。


 俺の方が変なのかな。

 でもそう考えると、女の子の親って大変だなぁ。


 きっとご両親は、柚や花梨の事を思ってそういう性活スタイルにしたのだろうな。この辺は田舎だから、狭小住宅というほど狭くて小さいわけではない。しかし、アメリカの家のように広々としているわけでもない。気になる人は、気になるのだろう。年頃の娘がいる家なら、なおさらだ。


「ま、仲が良いってことは、良いことよ。親の仲が悪い家のとか、大変そうだよ……? ほら、同じクラスのユッコの家なんかだとね───」

 柚は、クラスメイトの家の事情を交えて、そんな話をしていた。



 ………………………………………



「じゃ、また明日。……あしたは、一緒に学校行こうな?」

「うん、に、ね♪」


 夜になり、午後九時が迫ろうとする頃。

 俺は柚にそう伝え、彼女の家を後にした。




 帰宅後、俺は風呂に入り、それから自室で充足感と達成感を味わっていた。


 はぁ……。

 よかったなぁ


 また、一緒に登校できる。そんな日常がまた戻ってきたことに、今はただひたすら安堵していた。


 もちろん、これはずっと続くことじゃない。でも、今はまだこの安寧に浸っていたいという気持ちが強かった。そして、そんな心穏やかな時間をちゃんと考える時間にしたいとも思っていたのだから。


 柚も、いずれは卒業して俺とは違う道を歩んでいくのだろう。

 一方の俺は、卒業後は今のバイト先にそのまま就職する予定でいる。


 このご時世に、高卒という学歴はどうなのか、と思うことも無くはないのだが、一方で大学に行ったからといって確実にそれに見合う仕事に就けるかというと、それもいまいち信用が持てないと云うか────


 大学に行って、いい会社に就職する。

 それが、世の云うなのだろう。


 だが一方では、有名な会社ではあっても内情がいまいち謎なのだ。中で何が行われているのかよくわからない、手応えというか実感がわかない業務が多いという話が、俺の心に引っかかっていたのだ。高い学費を払って、それを回収できるほどの仕事に就ける確率、その仕事を10年後も続けていられる確率が、世間で考えられているほど高くはないということも。

 一方で、この社会はそいういう仕事の集合体で成り立っているというのも、また現実である。それは、理解できなくはないのだが──。

 俺の性格的に、目に見えない、成果に手応えのない仕事を毎日続けるという事に、俺自身が耐えられるという自信が全く持てないのだ。


 それならば、今手応えのあるバイト先……配送業者なのだが───、そこで働きながら自身を見つめ直すというのも、案外悪くないプロセスなのではないかとも思うのだ。


 俺が、こんな変な考えに至ったのには、理由があった。

 俺のバイト先には、ちょっとした有名人がいるのだ。


 その彼は、学校は違うが歳が二つ上の先輩で、なんでも在学中に自分の学校の先生と結婚して、すでに子供もいるという強者ツワモノらしいのだ。その人は、卒業後自分で事業を起こし、その事業に必要な学びを得るため、改めて大学に入学し直すというプロセスを経ているというのだ。

 大抵の人間は、大学に入ってから自身の今後を考える者が多いだろう。いわば、考えるため、考えているよ~、というポーズのための猶予期間として大学に通っている者も少なからずいると思うのだ。

 一方の彼は、今の自分にどんな知識とどんな学びが必要か、その目的を明確にしてから必要な大学を選びとる───。

 それだって、類稀なる頭脳と意思を持っていたからこそ採り得た選択肢だとは思うけれど。


 俺は、そんな彼の破天荒な生き方にひどく惹かれてしまったのだ。

 日頃から、バイト先の社長の評価も高い人だったが、それも頷ける人柄と実績だったから。


 ────人と違う生き方というのは、それなりに辛いものではあるだろう。

 でも考えるなら、今のような気がする。

 ぬるま湯のような三年生を過ごしてはいるが、その実とても重要な局面でもあると思うのだ。


 そして、できれば───

 今のこの時を、柚と一緒に考える時間にしたいと、俺は思っていたから。 

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