第10話 施錠~お姉ちゃんの侵入を許さない
俺は、家に戻ってさっとシャワーを済ませた後、あの日届いていた柚のぱんつを部屋から持って(ちゃんと箱に入れて)柚の家に向かう。
柚子もシャワーを浴びているはずだから、きっちり30分経ってから家を訪ねた。
「こんちわー」
俺は呼び鈴を鳴らしてから、閉じたままのドアの向こう側に声を掛ける。
珍しく、勝手口ドアは施錠されていたのだ。たぶん、今日も柚子の家族は出払っているのだろう。
とたとた……と足音が聞こえてからドアの解錠音が聞こえた。
「いらっしゃい、ぴったり30分だね」
そう言って笑顔を覗かせた柚の髪は、まだ少し湿っていた。
「あ、ごめん……。ちょっと早かったか」
俺がそう言うと、柚は……。
「ううん、へいき。上がって待ってて……ドライヤーだけかけちゃうから」
そう言って、柚は俺を中へ招き入れて……勝手口の戸を施錠した。
俺は、箱を持ったままダイニングキッチンを横切り、廊下に向かう。柚が後ろから声をかけてきた。
「部屋、先に入ってて……。すぐ行くから」
俺は、頷いてそのまま二階へと上がっていく。
柚の部屋の前まで来ると、
『立入禁止!!!』
……見慣れない張り紙が扉に貼ってあった。
これは、あれかな。
姉の花梨に対する警告かな。
立入禁止の警告がデカデカとしてあるのに部屋に入るのは……少々抵抗があったのだが、柚本人が入って待っていろと言ったのだ。
「お、おじゃましまーす……」
誰とは無しに声をかけてから、おそるおそる部屋に入る。扉を閉めると、なんだか一層後ろめたい感じがしてしまったので、敢えて半開きにしておいた。
俺は、部屋の真ん中においてあるガラス天板のテーブルの前に座り、持ってきた箱も隣に下ろす。
ちらりと部屋を見回してみたが、俺の注文した例の商品は見当たらなかった。
……まさか、母親が処分しちまった、なんててことはないと思うけど。
代わりと言っては何だが、先日二人で持ち寄った大量のお菓子はまだ箱の中に残っているようだった。結局、あの日一日で食べ切れるものではなく、また一緒に食べようと言って残していたのだ。
気にするほどのことではないけれど、また会って話せる口実を残しておかないと柚と距離ができてしまうような、そんな不安があったのを俺は思い出していた。
………それから、なんだか落ち着かなくて俺はスマホを取り出し適当なサイトを眺めて過ごすことにする。確認してみたところ、Wifiの電波は……充分だ。
実は、柚の部屋からでも俺の家のWifiの電波が届く距離なのだ。俺の家で、Wifiルーターを導入する時、少し奮発してもらって性能の良いものを親に買ってもらっていたのである。その当時は、まだ柚の家ではルーターを入れていなかったため電波の届く俺の家のWifiを使わせていたのだ。
その後、花梨が自分でもルーターを購入していたが大学進学と同時に一人暮らしを始め、引っ越し先に持っていってしまったため……結局、今もこうして俺の家のルーターを共用しているという状況なのだった。
「────おまたせ~」
柚が身支度を整えて部屋に戻ってきた。
もともと、部屋には柚由来と思われるいい匂いがしていたのだが、本人が戻ってくるとそれは石鹸とシャンプーの香りが主成分であると気付かされる。彼女の身体からは、湯上がりのいい香りが漂っていた。
「ごめんね、何も用意してなかったんだけど、これでもいい?」
柚はそう言って、ペットボトル入りのスポーツドリンクを手渡してきた。
「うん、なんでもいいよ俺は」
受け取ると、それは冷蔵庫に入っていたらしく心地よく冷えていた。
すると柚は、何故か閉めたあとのドアノブを紐でぐるぐる巻きにして、隣のスチールキャビネットの柱に縛り付け始めた。
「……なんだ、それ?」
俺は思わずそう問いかけていた。
「だって、こうしておかないとノックも無しに入り込んでくるんだもん。ほんと……嫌になっちゃう、あの姉……!」
……ついに花梨は、お姉ちゃんという呼び方までされなくなってしまったようだ。
俺は、ドアに貼ってあった警告を思い出す。
「あ~……まぁ、ちょっとは気を使ってほしいよな……花梨も」
先日までのあれこれを思い出すと、少なからず不和の原因になっているともとれる行動が花梨から散見されていたので、俺も控えめに同意しておいた。
実際は、花梨も姉としてそれなりことはしてくれているんだけど、今は言ってもしょうがないだろうとも思っていた。
「また、勝手に人の部屋に入り込んで漫画持っていっちゃったし……もぅ~!」
柚は、本棚を見ながらそう不満をこぼしていた。
「鍵がないと、不便だな……そう考えると」
柚だって、一人で部屋にこもってしたいこともあるだろう。その、いろいろと……。
「……クラスのみんなは、どうしてるんだろう? やっぱ「つっかえ棒」とかしてるのかな?」
それは俺もやったことがあるが、柚の場合はあまり解決にはならないだろう。部屋にいるときならそれでもいいが、いない時の侵入は防ぎようがないからだ。
「……ドアを鍵付きに替えるしか無いかな。俺の部屋のドアノブは……自分で鍵付きに付け替えたやつだぞ」
俺は、自分の部屋を思い浮かべて、そう答えた。
それを聞いて、
「え、楓……自分で付けられるの!? いいなぁ……!」
柚はずいぶん前のめりに食いついてきた。そして、
「ねぇねぇ! あたしの部屋のも付け替えてくれない?」
そんな事を言いだした。
やっぱ、そういう流れになっちゃうか。
「ん、そりゃ……いいけど」
でもなぁ───。
「でも、大丈夫なのか?」
「何が?」
俺は、一応確認をする。
建物へ加工を施すというのは、その内容によっては問題になることもあるだろう。
「さすがに、親に怒られるんじゃないか?」
壁に画鋲を打つ、くらいはまぁ、誰でもOKを出すと思う。だが、釘を打ったり、棚を付けたりとなると、それはNGを出す親もいるだろう。カーテンレールでさえ、ダメ出しする人もいるという。さすがに、壁に穴を空けたりするのは誰でも怒るだろう。果たして、柚の両親はどこまで許容してくれるのか────。
「いいの。お姉ちゃんが部屋に勝手に入るのがいけないんだよ。怒られたらそう言うから」
「ん~……」
………まあ、そういうことなら。
それに、怒られたら戻せばいいという考えも方も有りか。今回のこれは、ドアの部品を交換するだけだ。傷さえ付けないようにすれば元通りにすることも容易だろう。
自分の部屋のドアを施工する時に調べてみて知ったのだが、既存のドアノブとラッチ周りを交換するだけで鍵付きに変更できる物があるのだ。
それなら、ドアや建物側への加工は必要ない。ものの数分で出来てしまうだろう。
俺は、その時仕入れた知識を元に、柚に説明をする。
────鍵付きのドアノブには何タイプか存在する。
俺が使っているのは、いわゆる籠城型で、トイレや浴室などに代表されるタイプだ。内側からだけ、サムターンを捻って施錠できる単純な仕組みであり、値段も安価だ。
問題点としては、部屋の外側のドアノブカバーに『使用中』みたいな赤いインジケーターが付いていることだ。流石にこれだと、部屋がトイレみたいに感じてしまうし───『使用中』というのが、なんというか……室内で致していることをあからさまに提示しているようで、どうにも嫌だったのだ。
そこで、あちこち調べまくってみたところ、普通の部屋に使えるデザインで籠城型の物を探し当てる事ができた。更に運がいいことに、元々付いていたドアノブとほぼ同じデザインの物が見つかったので………交換した今でも、俺の家族はそれに気付いていないのだ。
今回、柚が希望しているのは、部屋の外から鍵を使って施錠できて、更に内側からサムターンでも施錠できる『内外兼用型』である。
実際に、柚の部屋のドアノブを確認してみないと確実なことは言えないが、きっと元々のドアノブと似たデザインで、交換するだけの簡単に施工可能なものがあるはずだ。探せば、すぐにでも交換できるだろう。
………ちなみに、なんで俺の部屋のものは兼用型にしなかったのかと言うと──
俺は自分の部屋への入室を規制するということに、抵抗があったからだ。
現状、自分の部屋ではあるが……言ってみれば、今の俺は居候中の身のようなものだと思っているからだ。
プライバシーを守る権利くらいはあると思うが、同時に……今の俺に過剰に権利を認めるべきではないという───妙な、道徳観と云うか親に対する引け目や義理立てとでも云おうか……。そんな、よくわからない節制が働いてのことだった。
この心理は、上手くは説明できない。
それでも………ひとつだけ言えるのは、自分はまだ子供であるという自覚があるからだと思う。
部屋への入室を拒絶する、ということは……すなわち、親の庇護を拒絶するという事と同義のような気がしてならないのだ。………流石に、見られたくないことをしている最中は、例外ではあるが───。
………俺には、兄がいた。
歳がだいぶ離れていたので、正直……兄というよりは保護者のような感覚さえあったのだが、俺のことは大事にしてもらえていたように思う。
俺が、小学校高学年に上がる頃には、もう既に兄は社会人として家を出ていたため、正直な所……どんな人だったのかという印象とか、思い出のようなものは希薄だ。
だが、そんな兄が……部屋に鍵をかけるという行為に関して、俺に諭すように言っていたことがあったのだ。……彼が俺に、なにか後々まで記憶に残りそうなことを言ったのは、それが最初で最後だったような気さえしている。
「───いいか、楓。……『自分だけの立ち入られたくない領域』というものを持つのなら、それはたとえ家族であっても侵してはいけない部分なんだ。もし自分の領域を主張するのなら、同時に相手のそれも尊重しなきゃいけない。そして、その部分は……自分で守らなきゃいけないんだ。自分の考えというものを持つのなら……それを誰かが守ってくれる、ということを期待しちゃいけないんだぞ────」
その頃は、意味をほとんど理解できなかったが、兄の言った言葉は全部暗記している。それを、成長するにつれて……思い出し、その意味を今でも考え反芻している。
現状、俺の解釈は……。
───親の庇護を受けたいなら、立入禁止の部屋など設けるべきではない。
ということだった。
部屋の外から鍵を掛けられるようにしていない、というのは……そういう意味もあってのことだ。……もちろん、家族の方は……そんなこと気にもしていないだろうけど。
………俺は、まだまだ未熟者だ。
それこそ、母親に食事の用意をしてもらわなければ、三日も生きていられないだろう。そんな人間が、
バイト先の、憧れだった先輩の姿が思い浮かぶ………。
彼は学生時代から、食事の用意はおろか生活費も生活環境までも、全て自分で工面していたそうだ。……一説には、自分の住む家まで自力で建てたという噂まであるくらいだ。
さすがにそこまでは目指していないが……、せめて自分で食うものの支度くらい、あるいは食費くらいは自力で賄えるようになってから、改めて自分の権利は主張しようと思うのだ。………そうでなければ、あまりにもみっともない気がするから。
「────で、あたしの部屋のノブもそれに交換すれば、鍵付きにできるわけ?」
しかし柚はというと、そんな俺の心の内など知る由も無く、そう言って鍵の施工について深堀りしてきた。
「ん~……じゃあ、やってみるか」
親から怒られたら俺の方から謝ろう、という前提で、俺は柚の頼みを聞くことにした。
柚子のお母さんや姉ちゃんは、今のところ俺とは仲が良い。変な話だが、はっきり言って柚本人よりも関係性が良好と言って良いくらいだ。……家族の内情に首を突っ込むことにはなってしまうが、彼女の母親からは頼られているという一面も感じている。
話せば、分かってもらえるという見込みもある。
それに、鍵をかけたからといって……柚が部屋で変なこと(危ないクスリとか)をするようなやつじゃないことは両親も分かっているだろう。
しかし、逆もまた真なりで、柚は俺の母親ととても仲が良いのだ。その上、卑怯なことに柚は俺の父親とも関係性が良好なのである。これは、男女差も影響しているのだろう。
しかし俺は、柚の父親とはさすがに仲が良いとまではいかないのだ。もちろん、邪険にされている訳ではないのだが、女の子の父親ということもあって俺が柚の家を訪ねると、些か落ち着かないような、監視されているような、妙な雰囲気を感じたりする。
これはまあ、しょうがない事だろう。
年頃の娘を持つ父親の気持ちだ、理屈じゃない部分もあるに違いない。
怒られるなら、柚の親父さんに……だろうな。
そこは、覚悟しておこう。
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