第28話 簡単な仕事3

 私はなおも食獣魔樹の方に行こうとする冒険者の襟を掴んで引きずり倒すと、もう一人の脇腹に蹴りを入れたところで我に返っていた。


 あれ、一体どうなっているの?


 私の周りには数人の冒険者が地面に這いつくばっており、数人がゆらゆらと私の脇を抜けて行こうとしていた。


 そこでようやく何をしていたのか思い出すと、私の脇をすり抜けようとする冒険者を殴りつけた。


 全く、これのどこが冒険者を正気に戻すだけの簡単なお仕事なのよ。


 私は心の中で毒づいていた。


 エミーリアは先程から何故か陶酔しきった顔でこちらを見ているだけで、何もしていなかった。


「ちょっとエミーリア、貴女も手伝いなさいよ」

「いいえ、私には復活したお嬢様の凛々しいお姿を、しっかりと目に焼き付けるという大切なお仕事がございますれば助力は難しいかと」


 エミーリアはなんだか訳の分からない事を言っていて、全く手伝おうとしないのだ。


「ちょっと、何馬鹿な事いっているのよ。良いから手伝いなさい。これは命令よ」

「あ、お嬢様、横をすり抜けようとするのが1匹いますわ」


 そう言うと私のすぐ後ろを指さしてきた。


 私の脇をゆらゆらと抜けて行こうとする冒険者の足を払い転倒させると、腹を踏みつけていた。


 こうなると冒険者は体を鍛えている分、ちょっとやそっとでは動きを止めることが出来ないとても厄介な存在だった。



 蹴っても殴っても夢遊病者のように魔樹の元に行こうとする冒険者を、どうにかこうにか動きを止める事が出来た頃には、私は息が上がり痛みと疲労で体中が悲鳴を上げていた。


 地面に転がり荒い息をしている傍では、エミーリアがせっせと6人の冒険者を縛り上げていた。


 それにしても女には全く効かないあの甘い香りが、男にはこんなに効果があるとは想像もしていなかった。


 あの魔樹に近づくと、より一層男達を正気に保たせる事が困難になるではないかと思えてきた。


 そこで困った事に気がついた。


 このままではクエストを達成できないのだ。


「一体どうすればいいの?」

「お嬢様、今こそアレを使う時でございます」

「アレ?」


 私はエミーリアが何の事を言っているのか分からず、小首を傾げていた。


 するとエミーリアは鼻を摘まむ仕草をしてきた。


 ああ、壊鼻草ね。


 でもどうして?


 そこで直ぐに冒険者達が、食獣魔樹が出す甘い香りに誘われていた事を思い出した。


 ああ、目には目を、甘い香りには強烈な臭みって事ね。


 エミーリアはバックパックの中から私が地面に座る時等に使う布を取り出すと、手早く裂いていき、簡単なスカーフを作るとそれを私に差し出してきた。


 どうやらこれに壊鼻草の匂いエキスを付けて、冒険者の顔に巻き付けようと言っているようだ。


 荷物の中から壊鼻草を詰めた密封容器を取り出すと蓋を開けた。


 すると周りに強烈な匂いが広がり、先ほどまで周囲にまとわりついていたあの甘ったるい匂いが消えていった。


 拘束されている冒険者達は、先ほどまであれほど絶世の美女が呼んでるとか、俺だけの女神がどうのとか言っていたが、周囲に壊鼻草の匂いが漂いだしてくるとその妄言も徐々に少なくなっていた。


 そして冒険者の顔に壊鼻草のエキスを染み込ませたスカーフを巻いていくと、直ぐに正気に戻ったようだ。


 それと同時に壊鼻草の強烈な匂いに悶絶していた。


 やれやれ、これでようやく任務が続行できると、ほっとしていると、正気に戻った冒険者達の口から次々と呪いの言葉が発せられていた。


「うぉっぷ。何だこの脳天に直接響く匂いは?」

「うぉぉぉ、臭いぞお、止めてくれえ」

「鼻が、鼻が曲がりそうだ」

「おい、何をしてくれるんだ。くっせえ、何とかしろ」

「これはお前がやったのか? ふざけるなよ」

「今すぐこのスカーフを外せ、そしてこの戒めを解け。この大馬鹿者が」


 この人達は、今まで食獣魔樹に惑わせられていたことを全く覚えていないようだ。


 私があれだけの苦労をして魔樹の罠から助けてあげたというのに、そのお礼がこの罵詈雑言の大合唱だというの?


 あまりにも文句ばかり言う冒険者に嫌気がさしてきた私は、目の前に仁王立ちになると左手を腰に付け、右手人差し指をびしっと突き出していた。


 そして奥ゆかしい日本女性は知っているが決して使わない、うざい男を一瞬で沈黙させる最終兵器を使った。


「おだまり」


 その姿はファン・ステージの悪役令嬢クレメンタイン・ジェマ・ブレスコットそっくりだったことに、私は気が付いていなかった。



 冒険者達は自分達がようやく食獣魔樹に惑わされていた事を理解して、大人しく壊鼻草のエキスを染み込ませたスカーフを顔に巻いていた。


 私とエミーリアは壊鼻草の強烈な匂いから逃れるように、出来るだけ彼らから離れて歩いていたが、時折彼らは後ろを振り返ると恨みがましい視線を送ってきた。


 だが、私達が言われている簡単なお仕事とは、彼らが正気を保つ事なのでこれで任務完了なのだ。


 後は彼らの仕事だ。


 私はこちらを振り返る冒険者達に手を突き出すと、早く行けとゼスチャーで示していた。


 小高い丘を越えて視界が開けると、少し下ったところに目的の食獣魔樹が自生しているのが見えた。


 後の事は彼らに任せて、私とエミーリアは文字通り高みの見物をすることにした。


 冒険者達は食獣魔樹に冒険者ギルドで打ち合わせた通り、地面を固め、風魔法と戦斧で切り刻んでいった。


 そして食獣植物の本体が切り倒されたところで、今回のクエストが終了した。


 冒険者達は討伐が完了すると、直ぐに臭いスカーフを外すとそれを投げ捨てていた。


「ああ、あの生地は結構高かったのに・・・」


 私はエミーリアの声にならない嘆きを聞いたような気がした。


 討伐が完了したので私達はギルドに戻ることになった。


 その時アンガスが切り倒された食獣魔樹から、今回冒険者達を幻惑した誘惑苔を採取していたことに気が付かなかった。

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