第22話 レスター
先程の店員さんから持ち帰りのシュトーレンを受け取り、会計を済ませて外に出ると、何やら路地が騒がしかった。
何だろうと目を凝らすと、通りを向こう側から何かが人込みを押しのけながらこちらにやってくるようだ。
それを見た私はドミノ倒しの場面を思い起こしていた。
通りでは突き飛ばされ押しのけられた人達が他の被害者にぶつかったり、露店に商品の上に投げ出され、店主との間で騒ぎが起こっていた。
そして見えてきたのは、逃げる男達とそれを追いかける見た事がある男の姿だった。
潜伏中の私は騒ぎに巻き込まれる訳にはいかないので、ここは黙って見過ごすことにしたかったのだが、追いかけている男と目が合ってしまったのだ。
私は髪の色を金色から黒色に変え、そして防具を付けて冒険者の恰好をしているというのに、レスター様は私の事が分かったようだ。
それというのも私に対して、そいつを捕まえてくれと盛んに手で合図を送ってくるからだ。
こうなってしまうとここで動かず無視すれば、そのことを根に持って第一王子に通報されるかもしれない。
仕方がないわね。
私は心の中で小さく毒づくと、エイベルの顔を見た。
エイベルはそれに気づくと、親指を上げてサムズアップしながらウィンクしてきた。
まさかとは思うけど、あのレスター様が私にした仕草を真似ているんじゃないでしょうね?
もしかしてエイベルは、あの時レスター様のそのポーズに私が絆されたとでも思っているのでしょうか?
全くとんでもない誤解ですよ。
私がそれを華麗にスルーすると、エイベルはその反応に衝撃を受けたようだった。
私の冷めた反応に不貞腐れて仕事を放棄しないかと不安になったが、そんな事は無いようだ。
逃げてきた男達が傍までやって来ると、エイベルはその内の1人に狙いを定めていた。
「おらおら、どけどけぇ」
必死の形相をした男達が通行人を突き飛ばしながら、こちらに向かって走ってくるとエミーリアがそっと私の手を取って安全な場所に移動させてくれた。
そしてエイベルはすうっと動くと、鬼気迫る勢いで逃げてきた男達の1人に足を引っかけた。
ガラガラガッシャーン
足を引っかけられた男がバランスを崩すと、そのまま近くの露店の店先に突っ込んで動かなくなっていた。
それを見た仲間と思われる男達の動きが一瞬止まると、追い付いてきた男に次々と拘束されていった。
追跡劇が終わったところで、打ち上げられた魚のように息が上がった男が私の所にやって来た。
「はぁ、はぁ、やあ、久しぶり、はぁ、はぁ、ご協力・・・ゴクリ」
「息を整えてからでいいですよ」
私がそう言うと、片手を挙げて礼を言っているようだ。
こちらとしてはあまり目立ちたくないので、一刻も早くここから逃げ出したかったが、身元がバレている相手にはそれなりの対応をしておかないと後が怖かった。
「待たせてすまなかったね。協力して貰ってありがとう。助かりました。クレメ」
「わぁー」
私が慌てて遮ると、こちらの意図に気が付いてくれたようで、名前を呼ぶのは止めてくれた。
「これは失礼しました。ええと、確か、クラーラさんでしたね。お礼がしたいんだけど、無理かな?」
これは困った。
だが、今の私は逃亡犯みたいな立場だから目立つのは困るのだ。
だから、きっぱりと、そして丁重にお断りして別れたのだ。
+++++
レスターは長い黒髪を揺らしながら帰っていく、クレメンタイン嬢の後ろ姿を見送っていた。
その本当の色は金色のはずだが、これも変装の一環なのだろう。
彼女がブレスコット辺境伯家の一人娘で、第一王子の婚約者であり、残虐女とか告げ口令嬢と言われている事は当然知っていた。
そのため社交の場でも我が身の安全のため、決して近寄ってはいけない相手としてその顔は記憶していたのだ。
そもそもクレメンタイン嬢と会う事になったのも、騎士団長から理由も知らされず突然西側の商人街へ応援を命じられたからだ。
最初は何かの懲罰かと反発したが、実際に商人街に着てみれば商人達が困っている姿を見てその考えを改めたのだ。
そして商人達に粗悪品を売りつけている悪徳商人を見つけ、南の貧民街まで追いかけている時、馬車に撥ねられたのだ。
それは不運だったのだが、それでもクレメンタイン嬢の平民姿というとても珍しいものが見られたのだから、感謝した方がいいのかもしれないな。
馬車に撥ねられた時、声をかけてきたクレメンタイン嬢は変装していたようだが、その正体は直ぐに分かった。
相手が誰か分かった時は、何を言われるかと正直ビビっていたのだ。
きっと、「私の邪魔をした事を後悔させてあげるわ」とか言われるだろうなと覚悟していたくらいだ。
それがどうだ。
俺が馬車の前に飛び出したというのに、治癒ポーションで傷を治してくれてしかも丁寧な謝罪も受けるとは、正直本当にあの残虐女なのかと自分の目を疑った程だ。
それは周りの貴族達から聞かされる噂とは、あまりにもかけ離れていたからだ。
お忍びで遊びに出かけているようだったので、従者が商人だと身元を偽った時にちょっとした悪戯をしてやろうと思ったのだ。
言葉尻を捉えて馬車の中を探ると、そこにあったのは粗末な服と食料だけだった。
それだけ見れば、家出でもしたのかと勘違いするだろう。
これが本当に家出なら、騎士団の一員として保護しなければならないのだ。
すると観念したクレメンタイン嬢が、本名を名乗り追っ手から逃げていると言ったのだ。
どうして未来の王妃様が逃げなければならないのだという疑問が沸いたが、お忍びで遊びに来たと思えば簡単に納得出来た。
それに馬車を調べた時の困った顔や身分を明かした時の諦めた顔が、とても意外でそして可愛らしくもあった。
王城に輿入れしたら、こんな自由は味わえないからな。
ささやかな冒険を応援したい気分になっていた。
それになんだか自分も共犯者になった気分で、ちょっと面白かったのだ。
だから存分に楽しんでもらえるようにと、連れ戻しに来た人達の足止めに協力してあげることにしたのだ。
あのパーティー会場で見かける仏頂面をした女と平民服を着た表情豊かな姿が、どうしても同一人物には思えなかった。
平民服を着た姿が素の彼女なのだとしたら、また会いたくなってしまったのだ。
けれど彼女は第一王子殿下の婚約者なので、そう簡単に会う事はかなわないのが残念でならなかった。
そうだ、妹のクリスタルにクレメンタイン嬢の事を聞いてみよう。
それはとても良い考えに思えて、王都のアレンビー侯爵館に戻るのが楽しみになっていた。
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