第8話 館での朝食
私は高月瑞希、今年大学を卒業して中堅企業に就職した新社会人だ。
学生時代とは環境が激変して覚える事が多く、人間関係も複雑で精神的にとても疲れていた。
そんな時に、ストレス発散のため手にしたファン・ステージという乙女ゲームに夢中になっていた。
ゲームの中で私は第一王子や他の攻略対象のイケメン男子と恋を育み、いけ好かない悪役令嬢の妨害に遭いながらも何とかハッピーエンドを迎える過程が堪らなかった。
ゲームに出てくる悪役令嬢は攻略対象者によって異なり、最もポピュラーな第一王子を選択すると現れるのが、クレメンタイン・ジェマ・ブレスコットという辺境伯家の悪役令嬢だった。
この女は影で残虐女とか告げ口令嬢と呼ばれており、気にくわない使用人は直ぐ暇を出し、下級貴族等は父親の権力で没落させるため皆腫れ物でも触るように接していた。
そのためゲームのヒロインであるフィービー・ネル・リリーホワイト男爵令嬢も、第一王子であるイライアス・グレン・バーボネラを攻略する過程で、様々な嫌がらせやいじめを受けるのだ。
第一王子の攻略に失敗すると、リリーホワイト男爵家はあっけなく没落してバッドエンドになってしまった。
バッドエンドのエンディングで見せる悪役令嬢がヒロインを指さして見下しながら言うセリフを聞いて、何度ゲーム機を放り投げたか分からないほどだった。
そのため攻略に成功して、逆に悪役令嬢が学園の卒業パーティーで断罪される場面には、溜飲が下がるのだ。
だが、自分がその悪役令嬢になってみると、ヒロインは自分の婚約者に勝手にすり寄り奪おうとする害虫にしか見えなかった。
夏に蚊を見つけたらプチッと始末するように、ヒロインを全力で排除しようとするのは当然の行動だという事に気が付いたのだ。
そこでこの世界にいるヒロインが、私と同じく日本人なのだろうかそれとも違うのだろうかという疑問が湧いてきた。
だが、今の私にはそれを確かめる手段も機会も無いのだ。
ゆっくりと私の意識が深い海の底から浮き上がり水面に達した時、目が覚めた私は最後に見たキングサイズのベッドに入っていた。
天蓋付きのベッドには蚊帳が周囲を覆っており、両手を伸ばしても触る事が出来ないほど幅が広かった。
むくりとベッドの中で上体を起こすと、蚊帳の外からエミーリアが顔を覗かせた。
「お嬢様、おはようございます。お茶をご用意いたしますね」
エミーリアは何かを期待するような顔で私を見ているので、礼を言って欲しいのかと思い礼を言ったのだが、その顔にはなにやら期待外れと書いてあった。
それでもお茶の香りに誘われてベッドから出ると、エミーリアがガウンを掛けてくれた。
ラティマー商会の茶葉は、普段辺境伯家で使う茶葉と同じだった。
もっとも、私の好みに合わせてくれたともいえるのだろう。
温かいお茶のおかげで体温が上がり、体が目覚めて来るとそれと同時に胃袋も食べ物を要求してきた。
有能なメイドであるエミーリアは、その音に合わせてワゴンを運んできた。
ワゴンの上には金属製のポットが2つ、皿カバーがかかっている皿が2つそれにパンの入ったバスケットと空の深皿が載っていた。
「お嬢様、朝食ですよ」
そう言うと私の膝にナプキンを置くと、カトラリーを並べてから空の深皿にスープを注ぎ最初の一品目としてテーブルに載せてくれた。
庶民である私にはこういったマナーが必要な食事は殆ど縁が無いのだが、分からないところはどうやらクレメンタインの知識がサポートをしてくれるようだ。
迷いなく並べられたカトラリーから外側のスプーンを手に取ると、スープを掬い飲んでいった。
次は青や赤といった彩がある生野菜だ。
フォークを手にするとサクサクと野菜を刺しては口に運んでいった。
メインディッシュは何かの肉だった。
フォークを差しナイフで切ると、柔らかい肉は何の抵抗も無く切れていた。
上に乗ったソースは濃厚な色合いで、食欲をそそる香りがした。
フォークを突き刺して切り分けた肉片を口に運ぶと、柔らかい肉から噛むたびに肉汁が口の中に広がっていった。
それがソースと混じり合い味を引き立たせていた。
それにしても朝からこの量は流石に多く感じたが、クレメンタインの胃袋は問題なく受け入れているようだった。
私がメインディッシュを楽しんでいると、エミーリアがこの後の予定を知らせてきた。
「お嬢様、食事が済みましたら、この館の主ラティマー様から王都の情報収集の結果報告をして貰います。それから王都から辺境伯領までの脱出案があるそうですので、参考にしてみましょう」
そう言われて昨日エミーリアが言いていた商人に化けて、辺境伯領に帰るのではないかと聞いてみた。
エミーリアはそれも含めて、別途ラティマーさんからお話がありますとのことだった。
食事を終えて食後のデザートとお茶を楽しんでいると、エミーリアが滞在しているラティマー商会の会長の事を教えてくれた。
ブレスコット辺境伯とイーノック・ラティマーは、アンシャンテ帝国が侵攻してきた時に一緒に戦った戦友という事だった。
お互い死線を潜ってきた戦友だけあって友情は固く、何があっても裏切らないという確信があるそうだ。
そのため王都の辺境伯館を失った私が、唯一安心して身を寄せられる場所がここなのだそうだ。
そして今回の脱出ルート探しにも、商人達の情報網を生かして調べてくれているのだという。
これはお会いしたら、お礼を言わなければいけませんね。
壁に掲げてあった自画像を見て悪徳商人と思ったことは、心の中で謝っておくことにしましょう。
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