第3話 派閥の危機1

 バーボネラ王国の近衛師団第一隊長であるベイン伯爵は、非番のこの日に息子の晴れの姿を見ようと学園の卒業パーティーにやって来ていた。


 彼の息子は今年学園を卒業して騎士団に入隊することが決まっており、第一王子派に属するベイン伯爵家の未来は順風満帆だった。


 今日の主役はどうしても第一王子になってしまうが、彼にしてみれば自分の息子が主役なのだ。


 王都ルフナにある王国の名を冠するバーボネラ学園は、貴族が通う由緒ある学び舎で貴族の履歴としてもこの学園の卒業生ということで、一つのステータスとなっているのだ。


 ベイン伯爵も若い頃この学園で学んでおり、その時出会った女性を生涯の伴侶としていた。


 久しぶりにやって来たこの学園は昔の面影を今も残しており、学園に通っていた時の思い出が次から次へと蘇ってきた。


 彼が学園に通っていた時も現国王が同級生として学んでおり、その時の親交が今でも続いているのだ。


 そのおかげもあって今では第一王子派がこの国の最大派閥となり、この卒業パーティーでそれを第二王子派に見せつけてやれば、第一王子はめでたく王太子になれるだろう。


 そしてやって来た卒業パーティー会場では、ありえない光景が展開していた。


 第一王子は自分の婚約者を押さえつけさせ、衆人環視の元、自身の婚約者であるブレスコット辺境伯令嬢に婚約破棄を宣告しているのだ。


 そして彼にとってもっと衝撃的だったのが、王子の傍にいた自分の息子も自身の婚約破棄を高らかに宣言していたのだ。


 ベイン伯爵は自分がこれまでコツコツと積み上げてきたキャリアが、音を立てて崩れ去るのを感じていた。


 そうして暫く呆けていたがやっと我に返ったところで周りを見渡すと、やはり第二王子派の貴族が数名おり、目の前の場面を見てその顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。


 これは拙いな。


 ベイン伯爵は、場の雰囲気に流されレドモント家の令嬢へ婚約破棄をするという愚考を犯した息子を無視して、王城に向かうべくこの場を後にした。



 ベイン伯爵は王都ルフナの北側にある王城キングス・バレイの正門を通過しそのまま城の入口まで馬車を進めると、馭者が扉を開けるのも待たずに自分で扉を開け王城の中に駆け込んだ。


 磨き上げられた石材に足音を響かせながら王の元へ急いでいると、後ろから声を掛けられた。


「おい、キングス・バレイの廊下を走る愚か者。止まれ」


 そう言われてベイン伯爵が振り返ると、そこには宰相のギムソン公爵が目を尖らせて立っていた。


 ギムソン公爵もベイン伯爵が学園で学んでいた時のクラスメイトであり、現国王と3人でいつも行動を共にしていた仲だった。


 そのため他人の目が無い時は、家格を気にすることなく気軽に接することを許されていた。


「ギムソン、一大事だ。お前も一緒に来い」


 そう言うと宰相を手招きしてから、再び現王が居る2階の執務室に向かって走り出した。


 後ろからは宰相が慌てた声を出しているが、足音が聞こえてきているので追いかけてきているのが分かった。


 階段を上り2階の廊下を走っていると、途中から石畳の床が絨毯に変わり王家の占有エリアに入った事を来訪者に告げていた。


 後ろに続く宰相の足音も、絨毯に吸収されて聞えなくなっていた。


 暫く走っていると近衛兵が守る扉が見えてきたので、そこでようやく走るのを止めた。


 後ろからは、追い付いてきた宰相の荒い息遣いが聞えてきた。


「はあはあ、おい、ベイン、一体何があったというんだ」

「はあはあ、ここでは言えない事柄です」


 荒い呼吸を何とか整えて宰相にそう言うと、扉を守る近衛兵に合図を送り扉を開けさせた。


 現王の執務室は執務用デスクの他応接セットがあり、壁には有名画家による自画像や風景画が飾ってあった。


 現王オーブリー・シリル・バーボネラはまだ40歳前の働き盛りであるが、最近は第一王子派の未来が明るく最大の懸念材料が消えたその安心感から、やや太り気味になっていた。


 その血色の良い顔がこちらを向き、入って来たのが気の置けない相手だと分かるとその顔が笑顔に変わり、片手を挙げて来訪を歓迎していた。


「やあ、2人揃ってどうしたのだ?」


 現王の声色はとても穏やかだったので、仕事中というよりも寛いでいた事が伺えた。


 そんな現王にこれから凶報を伝えなければならない事に、ベインは一種のいたたまれなさ感じていた。


「はあはあ、陛下、大変な事態が発生しました」

「大変な事?」


 ベインは王城の入口からここまで走り通しだったことから、息が上がり次の言葉を口にするのに苦労していた。


 何とか呼吸を整えようと大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと吐いた。


「はあはあ、おいベインもったいぶるな。一体何があったというんだ?」


 一緒に走ってきた宰相の息もまだ上がっていたが、その口調にはそれよりも訳も分からず走らされた事で苛立ちが含まれていた。


 息を整えているベインの顔を怪訝そうに見ていた現王は、今日がどんな日が思い出したようで目をやや見開いていた。


「まさか、イライアスが何かやらかしたのか?」


 イライアスというのは第一妃が産んだ第一王子の名前だ。


 国王にはこの他に第二妃が産んだ第二王子もいた。


 この大陸を旅している高名な大預言者キャナダイン師が以前この国を訪れた時に予言した内容では、最初に生まれた御子を王太子にしなければ国乱れ民は塗炭の苦しみを味わうというものだった。


 だが、同時に神に愛された女性を娶る事で、その災いは解消されるともいわれていた。


 過去この国で起こった悲劇は、数百年前の火山噴火による冷害で発生した大飢饉や、内紛により国力が衰えた時に隣国アンシャンテ帝国が侵攻して来た事だ。


 その時活躍したのがダグラス・ガイ・ブレスコットという男で、彼が率いる軍勢はアンシャンテ帝国軍を相手に連戦連勝の戦果を上げ、敵軍を国境線の向こう側まで追い返したのだ。


 その時の功績と敵国の備えとしてブレスコットとその軍勢に、現在の辺境伯領を下賜したのだ。


 かの男はその期待に見事に答え、度々侵攻して来るアンシャンテ帝国軍を全て追い返していた。


 実戦で鍛えられたブレスコット辺境伯軍は、バーボネラ王国の中で最強の軍隊になっていた。


 多少の誇張も含まれているだろうが、辺境伯軍兵士1人を相手にする時は3人がかりで戦えと言われる程だった。


 そしてベイン伯爵は知っていた。


 一番最初に生まれた男子は、国王が手を付けた城付きのメイドが産んだ子供だという事を。


 そして、どう見ても政争の種にしかならないその子を直ぐに里子に出したのだ。


 頬を赤く染めたとても可愛らしい御子の左胸には、王冠に見えなくもない痣があったのを今でも鮮明に覚えていた。


 この事は当のメイドの他は、現王の他は宰相と私しか知らない秘密だった。


 そして国内屈指の名家であるスィングラー公爵が、是非第二妃にと自分の娘を差し出してきて産まれた子が第二王子だった。


 今でこそ判明しているが血が濃くなると奇形児や病弱な子が生まれるが、この子がまさにそうで産まれながら重い病気を患っていてとても政治をする器では無かった。


 だがその問題は、スィングラー公爵が摂政となる事で解決するとして第二王子派は継承権を正当化していた。


 このためこの国では、今第一王子派と第二王子派に分かれて次期王太子を掛けた権力闘争の真っただ中にあった。


 そこに終止符を打つための秘策が、当時権力闘争に中立の立場を取っていた有力貴族達を婚姻によって自陣営に引き入れる事だった。


 当然第二王子派も同じような工作をしており、大変な努力と膨大な時間を使ってやっとの事で成立させたのが、ブレスコット辺境伯家、アレンビー侯爵家、ラッカム伯爵家そしてレドモント子爵家なのだ。


 それを馬鹿息子共が、簡単に反故にしてくれたのだ。


 ベインの怒りも頂点に達していた。

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