第2話

「……ひとまず、練習、してみようか」

「はい」

 まず、和花が雄星に駆け寄った。

「……はじめ」

 監督が、手を叩いた。

 ――あの、パチンってやるやつじゃないんだ。

 と思いつつも、和花は雄星に手を絡めた。

「ひゃっ」

 絡めた側なのに、意図せずに声が出た。雄星が、あまりに自然に腕を絡めてきてくれたからだった。

「あ、あーあのさ、あの映画めっちゃいいと思わない?」

「あぁ、あれな。分かる。今度一緒に見に行くか?」

「あ、いいぃぃいいね! やったー」

 二人は腕を絡めたまま、バンまで辿り着いた。

 そこから注文のくだりをして、ニヤリと妖しい笑みを浮かべた五嶋美海が、雄星の手を包み込むように掴んでセリフを言った。

「えっ、えっ、あっ、ふぇっ?」

 雄星の顔は瞬間沸騰して、一秒に五回ほどの瞬きをして、勝手に彼女にバンへ引きずり込まれてゆく。

「あっ、ちょ、この人は私の彼氏なので、手を離してください!」

 と言って、和花は雄星の手を両手でギュッと握りしめた。


「離しちゃダメだからね!」


 やっていればかなり自然に言っている風に見えてくる。

 と、和花は握った手をグイッと引いて、雄星に飛び込むようにして抱き着いた。

「二度と、私の彼氏に手は出さないでください。本、ありがとうございました」

 そういって、和花と雄星は手を固く繋いで元来た道を帰っていった。




「ま、せーぜー頑張って」

 和花は、ポンと陸玖の肩を叩いて、去っていった。

「それでは始めます」

 パチン

「……」

「……」

 陸玖は口をキュッと結んで俯いて、ただ手だけはつないで歩いてきた。

「あの、この本お願いします」

「はーい、分かりました、ちょっとお待ちくださいねぇ」

 ウフフフフ、とウキウキしながら、五嶋美海は本を受け取る。

 陸玖は、五嶋美海をギロリと睨みつけながら、雄星の手をがっちり握った。

「はい、これどうぞー」

 彼女も本を注文せねばならないのに、完全にすっぽかしているようだった。

 本を雄星に渡して、受け取った手を五嶋美海が掴んで、セリフを言う。

「やめなさい!」

 その途端、陸玖は素っ頓狂な声で叫んだ。

「私の雄星さんです! 止めてください! 雄星さん、この人とは話さないでください!」

 陸玖は雄星の手を握ったままずいと前に出て、思わずのけ反っている五嶋美海の腕を薙ぎ払った。

 その目は、親の仇を見るような殺気に溢れていて、少しでも間違えれば本当に手が出てしまいそうだった。


「雄星さん、もうこの人には関わらないでください!」


「は、え……?」

 雄星は先程にもまして困惑顔で、そのまま陸玖に連れられてバンを離れていった。何度も、振り返ろうとする素振りを見せては躊躇いながら。

 ――本気じゃん。フィクションって分かってないじゃん。ダメじゃん。

 和花は、小さく拳を握った。




「あの……」

 しばらく首を捻っていた監督が、ポンと膝を叩いた。

「戸田さん、ちょっといい? 一度、やってみてくれない?」

「……え?」

「は?」

「どういう?」

「……」

 戸田アナウンサー、雄星、和花、陸玖が皆一様に仰天とした顔をした。

「戸田さん、一度大森さんと演技してみてよ」

「え、監督、それはどういう……?」

「ま、良いじゃない?」

 バンから聞こえた、悪戯っぽい五嶋美海の一声で、戸田アナウンサーは天を仰ぎ、かと思うとキリリと収録の時のような生真面目な顔に切り替えた。

「では、やってみましょうか」




 和花と陸玖は、沈痛な面持ちで、バンの中から仕事に必要なものを持ち出していた。

「……ひとまず、これから何をしましょう?」

「せっかくだから、撮影の見物したらいいじゃない。近くのホテルとか、頼んだら取ってくれるんじゃないか」

「いや、雄星さん……」

 和花は、その先の言葉を継ぐことを躊躇って、俯きがちに首を横に振った。


「どれだけ、五嶋美海のことが好きなんです?」


 陸玖は、その先の言葉を見事に引き継ぎ、単刀直入に切り込んだ。

「は、何だよ、別に好きってことも無いけど……ほら、ひとまず仕事するぞ。今からそれぞれのお客さんに説明しなきゃいけないから」

 スッとこちらに背中を見せて、小走りで車内へ駆け込んでいく。

「……」

 残された二人は、下唇を強く噛みながら、アイコンタクトを取った。

 彼を追いかけ、大声で呼びかける。

「五嶋美海は、一般人と結婚してますよ!」

「え?」

 雄星は、ムンクの叫びのような顔で振り向いた。

「本当です。なので、残念ながら雄星さんに勝ち目はありません」

 陸玖の剃刀のような直線的な物言いに、雄星はこれから先の行動を見失ったかのように、ウロウロとあっちへ行ったりこっちへ行ったりしていた。




 公式SNSで、和花が投稿ボタンを押してからわずか十秒でいいねが付き、わずか一分でコメントが付いた。

『BOOK MARKおめでとう! ますます強くなってくれることを祈る』

 三十秒後、二件目のコメントが届いた。

『大森さんも出演してるってよ!』

『まじ』

『たのちみ!』

 三件目のコメントが届いた。

『おめでとうございます。バンがどんな風な使われ方をするのか楽しみです』

 続いて、四件目。

『嬉しいけど、本はどこで買えばいいのかしら? ネットとかでも買えたらいいのに』

 ――あっ!

 和花は思わずスマホを取り落としそうになってしまった。

「これだっ!」

「どうした?」

 軽く飛び上がった和花のスマホを、雄星が覗き込んできた。

「雄星さん、ちょっといいこと思いつきました。サブスクリプションって、知ってます?」

「そんな、言うほど僕はおっさんじゃない」

「なら話は早いです。BOOK MARKでも、本のサブスクを始めたらウケるんじゃないですか?」

「……つまり、どういうこと?」

「まあ、私たちがオススメする本を有料で貸していくってのはどうですか? 受け渡しは郵便でもいいですけど、店に来てくれたら、本一冊二十パーセントオフ! とか」

「……なるほど」

「そうだ、BOOK MARKにファンクラブを作ってみてはどうでしょう? 無料か有料かは選べて、有料ならサブスクを使える。特典としては、ポイントが溜まったり、取り置きが出来たりとか……」

「なるほどな……」

 雄星は一瞬考え込んで、手を打った。

「よし、その案は採用だ。休業期間中にそれが出来たらいいな。陸玖と一緒にやっておいてくれたら嬉しい」

「え、あいつと」

「不満か?」

「い、いや?」

「仲良くして」

 呆れたように言うと、雄星はバンへ戻っていった。



 ***



 ――ったく、仲良くしないなら本当にどっちも首切ってやってもいいんだけどな。

 雄星はうなじをボリボリと掻きながら考えていた。

 どちらも、好き好んでオファーしてきたわけじゃない。言うなら、勝手に居座っているだけだ。

 元々思い描いていたのは、広大な田園風景の真ん中で、のんびり一人で本を読みながら商売することだったのに。

 ――でも、そのくせ良い案出して客を呼び寄せるから、どうにもならないんだよな。

「大森さん。ひとまず、こんな感じなので、大丈夫ですか?」

 バンから降りてきた監督が、カメラのディスプレイを見せてきた。

 画面の中には、戸田アナウンサーに手を握られている自分がいた。戸田アナウンサーの彼氏の設定なのに、何気に目線が五嶋美海の方を向いているのが我ながらむず痒い。辛い。

「はい、お好きにどうぞ」

「ありがとうございます。それでね、これがご所望の本です。私の他の作品の本も持ってきましたので、重いですけど、ぜひ」

 なんと、台車に段ボール二箱が乗っている。上の箱からは、色々な小道具のようなものが溢れていた。

「あ、ありがとうございます……」

 監督はにこやかに会釈して、バンの中へ戻っていく。

「はぁ? 何これ? どういうこと?」

 愛車の中から、二週間店主の五嶋美海の腹に反響する声が響いてきた。

 そんな声に耳を傾けながら、箱を開く。


 ――ウソだろ?


 雄星は、箱の中に入っているものが、大量の赤いピンバッチだというのを理解するのに数秒を要した。



 ***

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