第3章

第26話 秦家領

「候景将軍、呼び出したのは他でもない。楊公爵家の次女の件なんだけど。」

 候景将軍と話しているのは蔡辺境伯の息子の蔡伯虎だ。

 蔡辺境伯は女性に無頓着だった。

 大貴族でありながら正室を持とうとしなかった。

 何人かいる側室の子供の一人が蔡伯虎で、蔡辺境伯の子供の中で一番年上だったので嫡男として扱われていた。


「楊公爵の次女の件は、勾践に任せています。」

 候景は伯虎から楊家の次女の話を切り出されて、勾践の名を出して逃げた。

 楊家の次女とは、旧南東軍を率いている楊琳玲のことだ。

 伯虎の趣味は滅ぼされた貴族の子女が奴隷として買い取っていたぶる事であった。

 それで、楊公爵家の楊琳玲を早く捕まえろと、わざわざ候景の前で話して圧力をかけているのである。


「楊家の次女を捕まえてよ。捕まえたら、あれをさせて。うふふふふ。」

 楊琳玲を屈服させる姿を想像しながら伯虎は興奮していた。


「他に用件がなければ、これで失礼しますが。」

 候景は忙しかった。

 忙しい理由は、曹家領を楊慶之に奪われたと知ったからだ。

 楊家の三男の楊慶之は、以前【曲阜】の都市で遭遇した。たった2人で居た楊慶之を捕まえようと騎兵で追い駆けたが逃げられてしまった。

 もし、あの時は大した力も無く、楊慶之は逃げる事しか出来なかった。あの時、奴を殺しておけばと候景は悔やんでいた。それで、楊慶之を倒す為の情報を集めに候景は忙しかったのだ。


「いつも、そうやって候景将軍は僕から逃げるね。」

 陶器に入った酒をちびちび口に含みながらニヤついた表情で候景をみている。


「白虎様。勾践に任せておけば大丈夫です。ちょうど、伯虎様の名代として楊家の次女を捕まえに秦家領に赴いている頃ですから。」

 候景だけでなく、蔡家の家臣の中で、伯虎の悪趣味は有名である。

 唯一5人組の勾践だけが、似たような趣味を持っている所為か伯虎の趣味を理解を示している。


「そうか。そう言えば、秦家も父上の攻略対象の貴族になっていたな。私の命令で楊家の次女を捕まえると言って、秦家に侵入したか。」


「はい。伯虎様の命という事で、5人組の勾践と文主を秦家に潜らせました。」


「それは良い。父上の役にたち。旧南東軍も崩壊して大陳国の治安も良くなる。それで、私も楊家の次女を手に入れられるか。一石三鳥だな。」

 白虎の言う通り、伯虎の貴族の女奴隷を集める趣味は有名なので、秦伯爵に疑われずに勾践と文主を彼の懐に送る事ができる。それに、楊琳玲は旧南東軍を率いて大陳国に反抗しているので、その首領を捕まえる事は治安を良化に貢献する。ただ、3つ目の伯虎の趣味はどうでも良いような気がするが、まぁ黙っておく。


「まぁ、確かにそうですね。」

 候景は曖昧に答えてごまかした。


「楊家の次女は頼むぞ。それと、曹家の一族が賊に捕まったらしいな。その内、賊を討伐して、曹家を解放するだろうけど。父上はきっとあの家を潰すつもりだ。さすがに奴隷堕ちまでは無理か。候景、その辺の話を何か聞いているか。」

 伯虎は薄気味悪い表情で、候景に尋ねた。


「いえ、私も曹家領が賊に落された事しか聞いておりません。」

 候景は蔡辺境伯から聞いた楊慶之の事は黙っていた。

 楊慶之を取り逃がした失敗を思うと、この話は候景にとって弱みであった。わざわざ自分の弱みを話すのは避けたのだ。どうせ、伯虎は曹家の娘にしか興味はない。


「そうか、曹家の長女は嫁にいったかな・・・でも、次女と3女がまだ曹家にいたよね。」

 白虎は頭の中で楽しそうに空想を膨らませている。


「伯虎様、曹家の娘ですか、調べておきましょう。それに趙家や秦家も同じように領地を失うかもしれませんから、ついでに調べておきますよ。」

 候景は、伯虎のご機嫌をとるように言った。


「そうか、頼むよ。候景。それに所領を失っただけでは奴隷にならないから、生活が苦しくなるように仕向けて、娘を奴隷に売るようにすれば良いね。」

 伯虎は再び妄想を始めた。


 蔡辺境伯は自分の野心のようなモノを追い求める事だけに執着していたが、それ以外はどうでも良いように、関心を持っていなかった。

 後継者問題もその一つだ。

 彼の子供の中に優秀な子供もいた。なにせ彼の子供の数は多かった。全て側室の子供なので、後継者の権利を持った者は多かった。

 その中で、伯虎が後継者に一番近いのは、彼が【魔物の乱】の時に裏でいろいろ活躍したからだ。

 魔物が王都を襲ってきた際に、蘭家の旗を持った兵が城門を開けて魔物を引き入れたことになっていた。だが、本当に城門を開けたのは伯虎である。

 その後、王城の中の隠し部屋で前王や前王の母である太后が殺された。これも蘭辺境伯が下手人とされているが、本当の犯人は白虎であった。

 ついでに、蘭辺境伯も殺して死体は別の場所に葬っている。

 彼は、蔡辺境伯の野心を満たす為に裏方の悪事を引き受けた。それがあるから、蔡辺境伯も伯虎には目をかけていたのであった。


 裏を仕切る候景としては、裏の仕事に携わってきた伯虎が後継者になる事は好ましい。それに、この男は扱いやすい。

 女さえ宛がっておけばいいのだ。

 もし、蔡辺境伯に何かあれば、この男が大陳国の実質的な主になるのだ。

 

「お任せください。」

 ニヤリと愛想笑いをして部屋を出ていった。

 その笑いが、本当に愛想笑いかは候景にしか分からないのであった。


 * * *

【秦家領】 楊琳玲


「ここはどこ。」

 楊琳玲は、暗い石壁の部屋の中で意識が戻した。

 薄暗い魔石の照明が一つだけある。周りは辺り一面の壁だ。

 その魔封石のような手枷と鎖で壁に繋がれている。


「そうね、そうだったわね。」

 少しずつ記憶が思い出されていく。

 秦家軍の罠に嵌って、琳玲は秦家軍に捕まったのであった。

 今の状況を考えれば間違いない。

 ここは牢屋だろう。お

 身動き取れないように手足を手枷と鎖で壁に繋がれている。

 試しに魔力を手足にめて鎖を切ろうとするが、魔力が吸収されていく。

 「やっぱり、魔封石ね。」

 手枷と足枷は魔封石で出来たモノであった。魔封石は魔力を吸収する石で、この石で出来た手枷を嵌められると魔力を奪われてしまう。


「私は秦家軍に捕まったのよね。」

 琳玲は、自分の愚かさを嘆きながら罠にかかった戦闘を思い出した。


 彼女は楊公爵家の唯一の生き残りとして旧南東軍を率いて秦家軍と戦っていた。

 彼女がまともに戦えているのは朱義忠のおかげだ。

 朱義忠がいなければ、彼女を助けようとする仲間はもっと少なかっただろう。

 朱義忠は神級魔力を持つだけでなく、用兵も長けて部下の信頼も厚かった。

 そして、楊家が滅んでも忠義心を失わなかった。むしろ、言いがかりのような騙し打ちで主家を滅ぼした蔡家が許さなかった。

 彼は、兄の楊剛之の事を心から慕っていた。朱義忠を慶之兄と同じように弟のように可愛がり、育てきたのは次兄の剛兄であった。

 そんな剛之兄と一緒に死ねなかったことを義忠は悔いていた。


 【楊都】が陥落して、逃げて来た琳玲を義忠は快く受け入れてくれた。

 彼女を受け入れる事は、南東軍が蔡家と敵対する事を意味しだが、彼らはそんなことを気にせずに琳玲を受け入れた。

 その後、南東軍は新たな南東軍が国境に創設された為、旧南東軍と呼ばれた。

 今まで国境を守っていた旧南東軍が楊家について蔡辺境伯に抵抗し、国境を守る戦力が不在となったので、新たに国軍である南東軍が設置されたのだ。

 旧南東軍は、蔡辺境伯の寄子で、楊公爵家領に転封された秦伯爵と敵対した。


 新たに楊家領を与えられた新領主は、秦伯爵であった。

 秦伯爵の統治は今までの楊公爵の統治に比べ過酷となり、5割だった租税は8割となり、税が払えないと兵隊が家にやって来て家族を奴隷として捕まえる。

 曹伯爵と同じで、秦伯爵も5人組の呂照花に莫大な借金をしていたのだ。

 まとまった数の鎧騎士の購入や居城の改築を行った時にした借金を返す為に、領民に対して過酷な取り立てを行っていた。


 そのような状況で、旧南東軍は楊家の復興を目的としながらも、秦家の悪政に苦しむ領民の為にも戦うようになっていたのであった。

 旧南東軍は曹家領の旧南3家の勢力に比べ、秦家軍と戦う事ができた。

 その理由は2つある。

 一つの理由は鎧騎士を保有していたことだ。

 元々、国境を守る国軍だった旧南東軍は200騎の鎧騎士を保有していた。

 楊琳玲を受け入れる際に持ち出した鎧騎士の数はもっと多かったが、戦いで消耗して今はこの数になっている。鎧騎士はこの世界での最高戦力である。しかも、神級魔力を持つ朱義忠の専用機は強力だった。

 もう一つの理由は資金面が恵まれていたことだ。

 楊家の莫大な遺産を公爵から託された侍従長の王常之が遺産を持ち出していた。

 王常之はその遺産の一部を旧南東軍に提供していた。

 王常之、本人は商人として暗躍している。


 鎧騎士の軍事力と楊家の遺産という財力を持った旧南東軍は秦家軍を苦しめ、地の利を活かしたり、領民の情報を得て有利に戦いを進めていた。

 秦家領を攻め滅ぼすまでの道のりは遠いが、十分に戦えていた。


 それが、私の大失策で一気に旧南東軍は追い込まれてしまったのだ。

 多くの味方の鎧騎士を失い、琳玲も囚われて牢屋に入れられている。

 なぜ、敵の罠に簡単に嵌ってしまったのか。思い出すだけでも悔やまれる。


 そもそもの始まりは、間者の情報だった。

 領都にはたくさんの間者を潜ませていた。その間者の一人が、捕まえた多くの民を秦家軍が大商国の奴隷商人に売る為に輸送するという情報を得た。

 奴隷の輸送は良くあった。全てではないが、何回かは秦家軍を襲撃して、民を救い出している。

 今回の情報は、けっこうな数の奴隷を輸送するという内容だった。


 奴隷を運ぶ荷馬車は3百台以上。

 それも一台当たりの荷馬車はけっこう大きい。荷馬車1台で30人以上の奴隷を運ぶようで、約1万人の奴隷を大商国の奴隷商人の元に届けるらしい。

 今までに無かったほどの数の奴隷を一気に運ぶようだ。

 そして、護衛の戦力は鎧騎士10騎、歩兵1千人。奴隷を警護するには大袈裟な数の戦力だが、こちらの襲撃を防ぐには中途半端な数の戦力であった。

 味方からすれば、民を救い出し、秦家軍を各個撃破して敵の戦力を削ぐには丁度良い獲物だ。


 琳玲はこの情報に喰いついた。

 1万人近い数の民を救えるというのが彼女がこの情報に乗る気の理由であった。

 だが、朱義忠将軍はこの情報に乗るのに反対した。

 彼の反対の理由は、「話がうますぎる。」という事だった。

 琳玲は必死に義忠将軍に説明を行った。

 彼女も、この情報が敵の罠である可能性は想定していた。中途半端な戦力での護衛は、各個撃破をしてくれと言うようなモノである。

 

 そこで琳玲は、敵の進路で伏兵として待ち伏せる策を提案した。しかも、まわりに敵の援軍や罠が無いかを徹底的に斥候で調べ上げる事も織り込んでいる。

 場所は【黒水(こくすい)の谷】の場所を選んだ。

 この地は左右を崖に挟まており逃げ場も無い。左右の谷の上から駆け下りて奇襲をかければ、敵は混乱するので短期間で戦果が納められる。

 伏兵を置くには絶好の場所である。

 琳玲は敵の輸送部隊が囮でないかも考え、対策も練った。

 彼女はあらゆる敵の動きを想定して、義忠将軍に策を説明した。ついに、義忠も根負けして彼女の出兵を許した。

 出兵する味方の戦力は鎧騎士100騎、歩兵5千人の戦力である。

 鎧騎士では敵の10倍の戦力。この戦力で攻めれば負ける心配はない。後は、この敵が囮であることを想定して、いかに本拠地に直ぐ戻るか、だけだった。


 奴隷を輸送する当日。

 琳玲は軍を動かして【黒水の谷】に到着すると、多くの斥候を放った。

 前日に【黒水の谷】の周辺の地形は調査済だが、当日も入念に調べていた。

 暫くすると、敵の動きを探りに行った斥候の騎兵が戻ってきた。


「琳玲様。敵は報告通り。鎧騎士が10騎です。歩兵は千人程度です。」


「分かったわ。ありがとう。」

 琳玲は、斥候の報告を聞いて安心した。

 そして勝利を確信した。

「みんな。この谷を奴らが通過したら、一斉に攻撃するわよ。敵は鎧騎士10騎。素早く、奴らを片付けて、後は歩兵に任せて鎧騎士は直ぐに撤退するわ。」


「「「「「「はっ。」」」」」」

 味方の騎士や兵が一同に頷いた。


 (後は、奴隷として捕えられている民が人質に取られることだが・・・。)

 琳玲が心配したのが、申家の将軍である燕荊軻将軍が曹家軍に捕らえられた策であった。

 (その場合、私は荊軻将軍のような選択はしない。)

 琳玲は秦家軍が曹家軍と同じ行動をしても、動きを止めないと決めていた。

 民を人質に取った曹家軍は、燕荊軻を捕らえ、民を逃がしはしなかった。秦家軍も同じであろう。ここで琳玲が動かなければ、奴隷として売られる。人質として助けられても奴隷として売られる。民を救い出すには琳玲たちが勝つしかないのだ。

 (私は万能ではない。神でも、始祖でもない。できる事だけやる。)


「琳玲様。来ました。敵です。」

 300台近い数の荷馬車が谷を通過していく。


「まだよ・・・。まだ動かないで。」

 琳玲は、鎧騎士の動きに注意していた。

 敵の半分の鎧騎士が【黒水の谷】を通過した。


「今です。全軍、突撃。」

 琳玲の号令で、鎧騎士と歩兵が【黒水の谷】の左右の崖から駆け降りた。

 敵の鎧騎士は前方に5騎。後方に5騎。

 鎧騎士を逃がさないように殲滅するのが、今回の最大目的だ。

 領民が乗った荷馬車に当たるとマズいので魔弾砲の攻撃は避けた。

 琳玲たちが谷の上から駆け降りるのに気付くと、敵は荷馬車を置いて逃げ出した。


(民を人質にする策は取らないようね・・・勝ったわ。)

 荷馬車を置いて逃げる敵の兵士を見て、琳玲は勝利を確信した。


「みんな、荷馬車から領民を救い出して。」

 琳玲の命令で、歩兵が荷馬車に向かう。

 味方の鎧騎士は、前後に逃げる敵の鎧騎士や兵を追った。

 その時、突然にそれは現れた。


「なにこれ・・・、噓でしょ。」

 琳玲は思わず、悲鳴に近い声を上げていた。

 味方の兵士も唖然とする。


 荷馬車の中から、敵の鎧騎士が現れたのだ。


 荷馬車1台に1騎の鎧騎士が潜んでいた。

 その数、3百騎。

 油断していた味方の鎧騎士は、背後から魔弾砲の一斉射撃を受けてしまった。

 突然の攻撃で、味方の鎧騎士は混乱状態に陥った。

 琳玲も、敵の鎧騎士の魔弾砲が襲った。

 左手の盾でとっさに受けとめたが近距離で受けた所為か、盾と左腕が砲弾に持っていかれてしまった。


「な、何なの。これは・・。」

 吹き飛ばされた琳玲は立ち上がると、周りを見て言葉を失った。

 たくさんの味方の鎧騎士が、敵の初撃の魔弾砲でやられてしまっていた。

 残った鎧騎士の数は半数もいない。

 その残った鎧騎士の中でも、四肢がまったく無事な機体は少なかった。

 初撃の敵の攻撃で味方の戦意は喪失した。


「撤退よ。逃げるわよ。」

(やられたわ・・・。まさか荷馬車に鎧騎士を隠すとは・・・)

 琳玲は唇を噛んだ。

 敵の罠を想定して動いたはずだったが、敵の罠が琳玲たちを上回っていたのだ。

 とにかく、今は一騎でも多くの鎧騎士を無事に味方の砦に返すことだ。

 後を振り向くと、敵の3百騎の鎧騎士が追いかけてきていた。

 このまま背中を見せて逃げたら、容易にやられてしまう。


「私が殿(しんがり)を務めるわ。」

 琳玲は、途中で立ち止まり、剣を抜いた。

『身体強化魔法』を発動させる。この魔法は楊家の直伝の魔法である。

 「私も王級魔力の騎士だ。簡単にはやらせないわ。味方が逃げる時間を稼ぐ。」

 琳玲は剣に魔力をまとわせた。


「ダメです、琳玲様。琳玲様はお逃げください。琳玲様は公爵家の最後の血統。私たちが活路を作ります。どうか、どうかお逃げください。」

 部下が必死に琳玲を逃がそうとした。


「さっきも言ったけど、私は王級魔力の騎士よ。簡単にはやらせないわ。大丈夫、味方が逃げたら、私も撤退するから。」

 琳玲はそう言うと、振り返って敵に向かって走っていってしまった。

 味方が追いかけてこようとすると、魔弾銃を撃って牽制した。味方の鎧騎士はこれ以上、琳玲を追い駆ける事ができずに渋々撤退した。


「これで、時間を稼げば、味方は退却できるわ。」

 追いかけてきた敵は琳玲の専用機を囲むように攻撃してきた。

 秦家軍は琳玲を生かして捕まえるつもりのようだ。

 殺す気なら、魔弾砲で一斉射撃を行えば良い。それを敢えて、囲んで魔弾銃で攻撃していた。


「この剛兄の専用機なら、魔弾銃なんて装甲が弾くわ。行くわよ。一騎でも多く、道連れにしてあげる。」

 琳玲は『身体強化魔法』を発動させて、敵の包囲網に向かって走っていった。

 暫く戦いは続いたが、琳玲の機体は両足を斬り落とされ、立ち上がる事も出来なくなっていた。

 敵の魔弾砲で、ついに機体の右腕も吹き飛んだ。

「もう撤退した頃ね。お父さん、お母さん。それに慶兄。そっちに行くわ。」

 琳玲は鎧の中で意識を失った。


 そして、目が覚めたら、この牢屋にいたのだ。

(・・・それにしても間抜けね。このままだと、人質にさせられるか、見せしめに殺されるか。どちらにしても碌な事にならないわ。逃げるか、死ぬか。)

 全く、自らの間抜けぶりを笑うしかない。

 腕や足を動かしたりバタバタ暴れたが、壁に繋がれた鎖は切れそうもない。

 暫くの間、ジタバタしていたが、鎖はビクともしない。

 疲れるのと、自分の手足から血がでるだけだ。

(舌を噛むか・・・。)

 このままでは、味方を誘い出す餌にさせられるのは目に見えている。

 ここで死ぬのが、味方は被害を受けず、辱めも受けない一番良い方法だ。

 手足が動かない以上、自決するには舌を噛むしかない。


(14年の儚(はかな)い人生だったけど。まぁ、あの世に行けば、慶兄にも合えるし。良いか。)

 納得すると、覚悟は決まった。

 その時、

――キイイ。

 牢屋の入り口の扉が開く音がした。

 明かりがうす暗いので、良く見えない。先ほどまで閉まっていたはずの牢屋の格子戸が開いて、今度は閉まっていく。

 何かの気配はするが、姿は見えない。


「おまえが、楊琳玲か。」

「・・・・・。」

 女性の声が聞こえた。声の方を見ても姿は見えない。

 何者か分からないが、誰かがいるのは確かだ。


「おかしいな。違うのか。兵士がこの牢屋に楊琳玲がいると話していたのだが。」

「・・・・・・。」

「お前は、楊琳玲ではないのか?」

「・・・・・・。」

「黙っているという事は人違いか。すまなかった。ところで、お主は楊琳玲がどこの牢屋に捕まっているか知っているか。」


「あなたは誰。何者なの?」

 姿が見えないが、私を探しているようだ。

 何者かは分からないので油断は出来ない。だが、もしかしたら情報が入手できるかもしれないと思い話してみた。


「私か。私は藤有加(とうゆか)。楊慶之殿の妹を助けにきた者だ。」


「な、なんであなたが慶兄、じゃない楊慶之を知っているのよ?」

 琳玲は今まで、人から慶兄の名前を聞くことは滅多になかった。

 長男の義之兄や、次男の剛之兄の名は良く聞いた。義之兄は人柄も良く、何かあったら皆、義之兄に相談した。剛之兄はとにかく強かったので、戦いでの活躍などを良く耳にした。

 だが、慶兄の名を家族以外の人から聞くことは皆無と言っていいほど無かった。

(まぁ、あの人だけは特別だったけど・・・。)


「声のトーンを落とせ。感づかれる。やはり、お前が楊琳玲か。私は大聖国の女王に仕える者だ。話すと長くなるので詳細は省く。お主を助けに来た。」


「大聖国の女王?」


「そうだ、我があるじの聖女王が楊慶之殿と親しい間柄なのだ。それで、私に楊慶之殿の妹を守れという命が下された。」

 すると、声が聞こえる辺りから、綺麗な黒髪の女性の顔が現れた。


「ええぇ。何処から来たの。」

 琳玲は突然現れた女性に驚いた。


「私か、私はここに居た。ただ、聖女王様からお借りした《透明化のスカーフ》の効果で姿を隠していただけだ。」

 彼女は手にスカーフを持っていた。


「なに、その《透明化のスカーフ》って?」


「聖王家の宝具だ。気にするな。それより、ここから逃げるぞ。」


「それは無理よ。魔封石の手枷と鎖で繋がれちゃっているのよ。」

 琳玲の手足が鎖で壁に繋がれて、とても逃げられない。


「それなら、その鎖を外して逃げるぞ。」

 有加は鞄から細い針金を出して、手枷の鍵穴に突っ込んで動かした。

「おかしいな。」

 細い針金をカチ、カチと動かして、鍵を開けようとするが、何も反応がない。

「どこかに鍵を開ける引っ掛かりがあるはずなんだけど・・・。この手枷の鍵は鍵穴の引っ掛かりが無いタイプね。牢屋の扉はこれで開いたんだけど・・・この手枷の鍵を開けるのは無理ね。困ったわね。」

 有加はどうしたものかと腕を組んで考え始めた。


 ――コツン、コツン、コツン。

 人が歩く靴音が聞こえた。足音は一つではない。複数人の足音だ。


「マズいわ。人が来るようね。一旦、私は隠れているから、人がいなくなったら逃げるわよ。」

 有香(ゆか)はそう言うと、再び《透明化のスカーフ》で姿を消した。

 目には見えないが、この牢屋の中にはいるのが気配で分かる。


「分かったわ。」

 琳玲は眠りから覚めていないふりをした。

 ――コツン、コツンと歩く靴の音が、どんどんこちらに近づいている。

 遂に牢屋の門の前で足音が止まった。


「あら。誰かいるのかしら。」

 靴音が牢屋の格子戸の前で止まると、声は男だが喋り口調が女の声がした。

 (なぜ、有香の存在が気づかれた・・・。)

 琳玲は心の中で動揺したが、とにかく寝たふりを続けることにした。


「この格子戸、開いているわよ。牢番を連れてきてちょうだい。」

「はい、勾践様。探してきます。」

 女言葉を話すのは、勾践という男のようだった。一緒に来た部下に牢番を連れてくるように命令していた。

 部下の男が走って行く足音が聞こえる。


 勾践は牢屋の中に入ると、鎖で繋がれた琳玲の表情をじっと見ていた。

「・・・う~ん。これは少し歳をとり過ぎね。私の守備範囲じゃないわね。これなら、伯虎様に献上して良いわ。」

 琳玲は、自分の事を話している勾践の息遣いを感じた。

 きっと、顔を近づけて自分の顔を見回しているのだろうと思っていた。

 彼女が気になったのは他に2つあった。一つはまだ14才の琳玲を年寄り呼ばわりした事と、もう一つは伯虎の名前が出た事だ。

 伯虎は王都の貴族の中で『蔡家の変態』と呼ばれる男だ。確か、女奴隷を集めるのが趣味で、近頃は取り潰しになった貴族の女奴隷を集めていると聞いていた。

 どちらにしても、文句を言いたい気持ちを我慢して気絶のふりを続けた。


 暫く琳玲の顔を見回していた勾践は、琳玲に興味を失ったように体を話した。そして、一緒にいる男に話しかけている。

「それにしても、范令の考えた『荷馬車の計』は本当に上手くいったわね。おかげで、このおバカちゃんも捕まえられたし、伯虎様も喜ぶわよ。それに、秦伯爵の信頼も得られたわ。本当は私も趙嘩照のように色仕掛けで、伯爵様にお近づきになりたかったんだけど、まぁ、良いわ。」

 声は男なのだが、話し口調は女のままだ。本当に不気味である。


「勾践、寝言は寝てから言え。お前が色仕掛けをしたら、秦伯爵は驚いて死ぬぞ」


「あら、ひどいわ、文主ちゃん。乙女の私にそんなこと言うなんて。でも、見たら死ぬほど美しいという事もあるわね。」


「もう、良い。とにかく、勾践、お前の色仕掛けは作戦の妨げだから止めてくれ。それより、このお嬢ちゃんも可哀そうだな。あの白虎の毒牙に落ちると思うと同情するよ。まあ、あと5歳年が上なら、俺のストライクゾーンなんだがな。」

 もう一人の文主と呼ばれた男がつぶやいた。


「あら、文主ちゃん。なに言っているのよ。この娘は年を取り過ぎでしょ。あと5年若かったらなら分かるけど。あと5年経ったら、おばさんじゃなくて、お婆ちゃんになっちゃうじゃない。」

 琳玲は顔を降ろして寝たふりをしながら、眉間にしわを寄せていた。


「はぁ?相変わらず、お前の趣味分かんねぇな。この幼児趣味が!」


「あら、あなたの趣味の方が分からないわよ。女なら何でもいいんでしょ。それに、酒や賭け事にもはまっちゃって。もう少し、趣味を絞りなさいよ。その点、子供は良いわよ、逆らわないし、ピュアよ、ピュア。」


「なにが、その顔でピュアだ。お前にいじられる子供がかわいそうだぞ、幼児虐待!」


「あら、文主ちゃんでも、この美しい私に向かってのその暴言は許さなわよ。それに、何が幼児虐待よ、酷いわ。私は子供たちを、大事に愛でているのよ。文主ちゃんこそ、なに言っているのよ。この婆趣味!」


「俺は婆でなくて、スタイルの良い、魅力的な女性が良いんだよ。まったく。」

 勾践も言い返していたが、琳玲は幼児でも、お婆ちゃんでもどっちでも無いとツッコみたかったが、ひたすら気絶の振りをしていた。


「まぁ、文主ちゃんの趣味はこの際いいわ。それより、次の『鳥籠の計』よ。范令ちゃんが授けてくれた計。」


「ああ、白虎の餌食になるこの娘を餌に、残りの旧南東軍の連中を捕まえる策か。」


「そうよ。このままだと、秦伯爵の一人勝ちでしょ。少し、秦伯爵にも消耗してもえらわないと、蔡辺境伯様の思惑通りにいかないのよ。」

 2人の話を聞いていた琳玲は、この2人は秦伯爵の部下ではなく、蔡辺境伯の部下であることに気づいた。しかも、寄子の秦伯爵の力を削る策を考えている。


「まぁ、5人組の趙嘩照が秦家軍に納めた鎧騎士200騎が裏切る場を作るのが俺たちの役目だからな。その為の『鳥籠の計』というわけか。裏切りで奇襲するやり方は俺は好きじゃないが。」


「文主ちゃん。勝ち方にこだわるなんて、まだ青いわね。勝つのに手段は問わない。勝者が全てを奪い、敗者が全てを失う。これが世界のことわりでしょ。その理の中に勝ち方という言葉は無いのよ。分かったよ。」


「確かに負ければ、この女みたいに変態男の奴隷になるんだからな。そりゃ、負けられないわな。」

 文主は目の前の琳玲を見てつぶやいた。


「そう言う事よ。この女も可哀そうだけど、敗北したことが罪なのよ。」


 暫くすると、配下が門番を連れてきた。

「あら、あなたが門番ちゃん。格子戸が開いていたわよ。ちょっと警備が緩いんじゃないのかしら。」

 髭の剃り後が残るごつい顔で女言葉の喋り方をする勾践に、門番は顔を曳きつかせていた。


「す、すいません。あれ、格子戸の扉は確かに閉めたんでヤスが。あれぇ、おかしいでヤスね。確かに開いていヤス。す、すんません。閉め忘れたんでヤンス。」

 門番は、格子戸が開いていたことを悪びれずに受け流した。


「はあぁ、格子戸の扉の鍵を閉め忘れただと!弛んでいるんじゃねぇか。」

 文主が、ドスの利いた口調で門番を叱りつける。


「す、すんません。すんません。次はしっかり鍵をかけておくでヤンス。」

 門番は口では謝っているが、頭は下げない。


「止めなさい。文主ちゃん。私たちは、ここは秦家よ。後で、秦伯爵に伝えておけばいいのよ。私たちは、ただ明日の罠の餌を確認しにきただけでしょ。」

 勾践も門番の態度は気に入らなかったが、ここは秦家領。よそ者の勾践たちが暴れるのは好ましくない。門番もその事を知ってか、素振りに早く帰れという感じがにじみ出ていた。


「まぁ、そうだけどよ・・・、なんだか、気は済まねぇな、分かったよ。」

 文主は溜飲を下げたようだ。


「私たちは人質の身柄を確かめにきただけ。どうせ、明日には全てが終わるわ。そうすれば、この娘も明日は北に連れて行くんわ。それまで逃げないようにしっかり監視を頼むわよ。はい、行くわよ、文主ちゃん。」

 そう言うと、勾践たちは牢屋から出て帰っていった。


 格子戸の鍵を閉めると、門番は勾践たちが立ち去るのを見ていた。

 勾践たちの姿が見えなくなると、門番は格子戸の鍵を再び開けて中に入った。

「よそ者の癖に偉そうにしやがって、わざわざ牢屋にやってきて文句ばかり言いやがって。」

 門番は面白く無さそうに文句を言っている。


 そして、鎖に繋がれた琳玲に目をやった。

「確か、楊家の令嬢だったか。明日には北に連れて行くと言っていたな。すると、この牢屋も今日が最後か。なら、少しぐらい悪戯をしても分からねえな。へ、へへへへ。どうせ、目も覚まさないし。」

 門番は顔をゆがめて笑った。

 手足を拘束する鎖を確認するフリをしている琳玲に近づいた。

 そして、琳玲の体を触ろうとすると。


 ――ボカ。

 何か鈍器のような物で頭を叩かれて、門番は気絶してその場にひっくり返った。

 門番を蹴るが、完全に意識を失ったようで目を覚まさない。


「本当に油断もなにもあったもんじゃないわね。まったく。」

 籐有香が文句を言いながら透明化のマントを外して姿を現した。

 そして、門番の服をあさって、鎖の鍵を探す。


「まぁ、手間が省けたから良いけど。」


 すると、今まで目を閉じていた琳玲が目を開けた。

「『手間が省けた』じゃないわよ。本当に怖かったのよ。こんな男に体を触られると考えただけで虫唾が走るわ。」

 琳玲は、気絶している男の頭を叩きたかったが、手足の枷で出来なかった。


「触られなかったら良いじゃない。私なんか、あんたの鎖の鍵を探す為に、このエロ親父の体を触らなきゃいけないのよ。あ~、マジ嫌だわ。もう止めて帰ろうかしら。」

 有香が頭のエロ門番に触れていた手を放して、立ち上がる素振りを見せた。


「あああ、すみません。わがまま言いました。謝りますので有香さん、何とか、この鎖の鍵を探してください。本当にお願いします。」

 文句を言っていた琳玲が慌てて、有加に謝った。


「仕方が無いわね。まぁ、主の命令だからやるけど。ああ、本当に気分悪いわ。」

 再び、有香は門番の服をあさり始めた。

 ――ジャリ。

 胸ポケットから、何かに金属の音がした。

「あ、あったわ。これね。」

 籐有香は鍵を掴むと、まずは足の鎖を外し始めた。


「あれ、これじゃ無いわね。えええと。これは・・、違うか。これは・・・。」

 ――カチン。

「やった。開いたわ。」

 足の鎖の鍵を開けると、今度は繋がれている両腕の鎖の鍵も外した。


「ありがとう。有香さん。これで自由に動けるわ。それにしても、この門番、本当にムカつくわね。」

 足と手の鎖が外れると、琳玲は気絶している門番の頭を蹴りつけた。


「それじゃ、行くわよ。ここから出るわ。」

 有香はそう言うと、透明化マントを琳玲に渡した。

 琳玲は透明化のマントを羽織ると、彼女の姿は見えなくなった。

「これ、本当に見えていないですか?」


「ああ、見えていない。それじゃ、行くぞ。琳玲が先を歩け。お前には私の姿が見えないだろうからな。私はこのマントに慣れているから気配で分かる。」

 

 「分かりました。確かに、有加さんがどこに居るか分かりません。ちゃんと付いてきてくださいよ。」


 「私は大丈夫だ。」

 有加が答えると、琳玲は牢屋の格子戸の外に出ていった。

 こうやって琳玲は秦家軍に気づかれずに、上手く牢屋から脱獄したのであった。


 * * *

【秦陽】の居城、領主の間  秦伯爵


 楊琳玲が牢屋を抜け出す数時間前。

 【領主の間】に、秦伯爵や秦家軍の将軍など、幹部級の諸将が集まっていた。

 勾践が話した作戦についての議論を行っていた。


「儂は反対だ。旧南東軍を【秦陽】の城郭内に侵入させる等危険すぎる。」

 声を上げたのは、秦家軍の筆頭将軍の郭許だ。

 彼が大きな声を上げて、勾践の作戦に反対を述べていた。


 勾践の作戦とは、秦家軍の鎧騎士を国境を守る南東軍の合同練習という名目で一旦外に出す。楊琳玲を助け出したい旧南東軍がこれを好機と【秦陽】に攻めてくる。

 ここで、隙を見せて旧南東軍を城郭の中に侵入させる。そこに国境に向かう為、城外に出ていた鎧騎士が戻って来る。

 城内の味方と、城外から戻ってきた味方で旧南東軍を挟み撃ちにする。

 挟み撃ちに遭った旧南東軍は、鳥籠に入った鳥。逃げ道を失った旧南東軍は全滅するしかない。

 名付けて『鳥籠の計』である。


 勾践の作戦を聞いた秦伯爵は乗る気だった。

 だが、郭許将軍だけが、城内に敵を侵入させるのは「危険だ!」と言って反対していた。

「あら、郭許将軍。何が危険なのよ。相手がたった鎧騎士百騎ちょっと。味方の戦力の5分の1。しかも城内と城外からの挟み撃ち。完璧な策じゃない。」

 勾践のごつい顔の男が話すお姉言葉に、秦伯爵をはじめ将軍たちは初めは驚いたが、既に慣れていた。


「わざわざ、旧南東軍を城郭の中に入れずとも、野戦で倒せば良いのではないか。」

 郭許将軍がこだわっているのは、野戦であった。

 潔く、野戦で旧南東軍を壊滅させたいと主張していた。


「だから言っているでしょ。それじゃ、敵が逃げちゃうの、何度言ったら分かるのよ。城内に侵入させて、城の外に出た別動隊が逃げ道をふさぐ。その上、5倍の戦力差があるのよ。何をビビっているのよ。金玉ついているんでしょ。」


「・・・・・。」

 郭許将軍は黙ってしまった。


「私は面白い策だと思うよ。ただ、本当に旧南東軍が【秦陽】にやって来ればね。」

 郭許将軍の隣で作戦を聞いていた魯仁将軍が口を開いた。


「あら、魯仁将軍。あなたは分かっているわね。そうよ、問題は楊琳玲という餌につられて旧南東軍が『鳥籠』である城の中に入って来るかというのが問題なのよ。」


「それで、勾践殿は良い手があるのですか。鎧騎士を外に出しても、城中にはまだ鎧騎士がいる。旧南東軍が城の中に飛び込んでくるか。それに、外に出した鎧騎士をどこまで離すかも重要ですね。本当に東の国境まで離れてしまうと、城内の戦力だけで戦う事になり敗北する可能性もある。近くまでしか進まないと、旧南東軍は警戒して城にやって来ない。この2点の匙加減が難しいですね。」


「そうなのよ。せっかく、楊琳玲という良い餌があるんだけど、『鳥籠』の横に鳥を狙っている猫がいたら、鳥も近づけないのよね・・・。思い切って、鎧騎士を全部、城の外に出しちゃうのはどうかしら。」


「おいおい、男女おとこおんな、それはダメだ。城が獲られる。」

 郭許将軍が再び反対した。


「そうよね・・・やっぱ、ダメよね。だったら、城の中に残す鎧騎士を百騎だけにして、外に出た鎧騎士が直ぐに戻れるような仕掛けを打つし、城内にも罠を張るわ。」


「う~ん。百騎か・・・、敵と同数なら直ぐにやられる事は無いか。」

 郭許将軍は悩んだ。


「鎧騎士が直ぐに戻れる工夫をするのですか・・・、どれくらいの時間で城に戻すつもりですか。」

 代わりに魯仁将軍が尋ねた。


「そうね、半刻(約2時間)くらいで戻って来てもらうわ。その時間で城の外に出た鎧騎士が戻ってくるように細工をするのよ。」


「半刻なら味方は助かりますが。旧南東軍は、城外の鎧騎士の動きを斥候で見張るはず。半刻で戻れる位置なら、警戒して敵は攻めてこない心配がありますが。」


「大丈夫よ、囮を使うから。」


「囮ですか。」

 魯仁は不思議そうな顔をしている。


「まず、本物の鎧騎士は今夜にでも、城の外の洞窟か森にでも隠れてもらうわ。この城に半刻の時間で駆け付けられる場所に。そして、明日は、土魔法で作った鎧の囮を荷馬車に載せて運ぶのよ。荷馬車の上に布を被せれば分からないわ。10騎ぐらいは本物も載せて置けばバレないわよ。」


「確かに、鎧騎士を運ぶ時に荷馬車を使うのは不自然ではないが・・・。」

 鎧騎士を動かすには、魔力を消費する。

 その為、鎧騎士を運ぶのに荷馬車を使うのは普通の輸送方法だった。それに、半刻の移動範囲なら、鎧騎士を隠せる森や洞窟もある。

 今から動けば今日中に、鎧騎士400騎を運び出すのは問題ない。


「でしょ、城外の部隊は郭許将軍に指揮をとってもらえば、間違いないわよ。半刻も経たずに戻って来られるわよ、きっと。それに、城内にも門から居城の間に伏兵を置くわ。だから、旧南東軍が『鳥籠』の城内に入りさえすれば行けるわ。」

 勾践は自信を持って、分厚い胸を叩いた。


「半刻か、半刻なら、鎧騎士百騎でも守り切れるんじゃ無いですか。それに伏兵を置けば敵を崩せそうですし。最後は城外の味方が侵入してくる。2段構えなら、行けそうですよ、郭許将軍。」

 魯仁も勾践の話を聞いて乗る気だ。


「そうか、確かに敵の数が同数で罠を張れば、半刻程度なら耐えられるか。それに俺が城外の兵の指揮をして、もっと早く戻れば良い。」

 考え込んでいた郭許将軍も同意した。

 城外の味方を率いる郭許が、撤退する旧南東軍を全滅させて武勲も上げられそうだ。難色を示していた郭許将軍が、前向きな姿勢に変わった。


「これで、旧南東軍が餌に喰いついてくるはずよ。餌も良いし。」

 勾践はごつい顔でニヤリと微笑むと、郭許将軍でも怖がる恐ろしい顔になった。


「分かった、勾践殿。その策を採用しよう。貴殿が提案した前回の『荷馬車の計』も上手くいった。それに、勾践殿も楊琳玲を蔡辺境伯のご子息殿の元にお連れして戻らないといけないのであろう。そう考えると、あまり時間をかけてはいられない。手っ取り早く旧南東軍を始末する手で行くのが良い。」

 秦伯爵のこの一言で、この『鳥籠の計』の採用が決まった。

 秦伯爵も白虎の悪癖は知っていた。というか、この国の貴族なら大抵は知っている。

 そして、今回、勾践と文主が秦家に来たのも、楊琳玲を捕獲するという白虎の命で来ていた。既に、楊琳玲を捕まえた以上、勾践たちは王都に帰る予定でもあった。


「分かりました。秦伯爵様。」

 郭許将軍、公孫翔将軍、魯仁将軍の3将軍が跪いた。

 秦伯爵が作戦を採用した以上は、実行レベルで問題点がないか考え進めるだけだ。

 作戦が決まると、その後、勾践と文主は餌の楊琳玲の確認に行った。そして、壊れた牢屋の格子戸の件で門番にイラつくのであった。


 * * *

【旧南東軍の砦】 朱義忠


「本当に琳玲お嬢様が秦家軍に捕まったのか。」

 朱義忠の声は少し荒立っていた。


「は、はい。すみません、朱義忠将軍。秦家軍が民を運んでいると思った荷馬車から敵の鎧騎士が現れました。それで、我らは全滅寸前となり・・・、琳玲様は私たちを助けようと。殿(しんがり)を務められて・・・。」

 逃げて来た騎士たちは言葉を詰まらせた。


「それで、琳玲様を置いて、お主らは逃げてきたのか。」


「すみません。琳玲様のご命令で、一騎でも多くの鎧騎士を逃がせと。」

【黒水(くろすい)の谷】から戻った鎧騎士は40騎ほどしかなかった。

 戻った鎧騎士も手足が破壊され、直ぐに戦える状態では無い。

 それでも、この40騎が戻ってこられたのは間違いなく琳玲が殿を務めたおかげだ。魔石さえ壊れていなければ、修復が可能である。


「そうだな、お前らが悪いのではない。悪いのはこの作戦を許可した私だ。この敗北は、私の責任だ。しかも、琳玲様を・・・。これでは公爵様と剛之様に顔向けが出来んな。」

 今思えば、今回の民を輸送する情報には怪しい所はたくさんあった。

 一番不可解だったのは、相手の戦力だ。

 敵の数が中途半半端過ぎたのだ。

 あの戦力では個別撃破をしろと誘っているのが丸分かりだった。

 てっきり陽動作戦だと思って作戦の許可を出してしまった。やはり敵の策を見誤った私の落ち度だ。

 それにしても、まさか、荷馬車の中に鎧騎士を隠すとは想像もしていなかった。

 奇抜な作戦ではあるが、琳玲様を捕まえられた痛手は大きすぎる。


「策、多きが勝つ。私の負けだ。」

 これだけの策を弄する軍略家が秦家軍の中にいたのを見逃すとは・・・。

 一生の不覚だ。

(どうすれば、琳玲様は生きているのか・・・。)

 報告を行った部下を元の部署に戻すと、私は一人で考え込んでいた。


 指令室に、王常之殿が入ってきた。

 彼は公爵様が、楊家一族の行く末を託した楊家の侍従長だった男だ。楊家の遺産を託され、この旧南東軍を財政面で支えてくれている。この旧南東軍の中でも一目置かれた存在だった。

「朱義忠将軍。琳玲お嬢様は敵に倒された聞きました。」

 

「すみません。王常之殿。全て、私の責任です。」

 義忠は王常之殿に頭を下げた。

 王常之の目は、義忠を攻めている目ではなかったが、悲しい目をしていた。


「朱義忠将軍。私は誰かの責任を問いに来たのではありません。私の情報網では、どうもお嬢様は秦家軍に捕まったようです。」


「ほ、本当ですか、生きているのですか。」

 義忠の表情が少し和らいだ。


「そこで、どうやって琳玲お嬢様を救うかを聞きに来たのです。何か良い知恵をお持ちですか。」


「いえ、琳玲お嬢様を救い出す手が思いつきません。」


「・・・それは困りましたな。」

 王常之は、目を閉じると顔を上に向けて考え込んだ。

 しばらく、じっとそのまま固まっていたが、突然、顔を元に戻して目を開けた。


「義忠将軍、あなたは、この旧南東軍と琳玲お嬢様のどちらかを選べと言われたら、どちらを選びますかな。」

 開いた目で、私の顔を見つめる。真剣な目だ。


「・・・どちらを選べと言われましても、私には分りません。」

 旧南東軍と琳玲様。どちらも、公爵様と剛之様に託された大事なモノだ。

 どちらか一方を失う選択など義忠にはできなかった。


「義忠将軍。それでも選ばなければいけないとしたら、どちらを選びますか。」

 王常之は、義忠の目を見て逸らさない。


「それでもですか・・・琳玲様を選びます。私は、主君が死ぬ時に手を差し出す事ができませんでした。その時誓ったのです、2度と、主君の死を傍観しないと。私は命を賭しても、お嬢様を救います。それで、旧南東軍を失ってもです。」

 義忠は主君の楊公爵や楊剛之の死んだ場にいなかった事を悔やんでいた。

 彼は公爵様に見いだされて、そして楊家の次男の剛之様と一緒に成長した。

 その恩のある2人が死ぬ時に、彼は立ち会えなかった。

 それが、彼の人生の中での汚点であった。そして、もう2度と同じ過ちはしないと彼は誓っていた。


「義忠将軍の覚悟は分かりました。それなら策があります。ですが、良策ではありません。賭けのような策です。ですが、他に琳玲様を救う可能性のある策は思いつきません。そんな策でも良いなら話しますが、聞きますか。」

 王常之殿は謎かけのような言い回しで、策を聞くか彼に尋ねた。


「はい。是非、教えてください。」

 今の彼にとって、琳玲様を救い出す可能性が少しでもあれば何でもいい。

 王常之殿に策を教えてくれるように頭を下げた。


「策ですか・・・明日、秦家軍が鎧騎士400騎を東の南東軍との演習で動かすという情報があります。旧南東軍には、秦家軍の戦力が少ない内に【秦陽】を攻撃して秦家軍の注意を集めてもらいます。その間に別動隊を【秦陽】の中に潜ませておき、別動隊に秦家の居城の牢屋から琳玲様を救い出してもらいます。」

 王常之殿の表情は重苦しかった。


「旧南東軍が囮となり、その間に秦家軍から琳玲様を救出する。ですが、このタイミングで秦家軍が400騎の鎧騎士を動かすのは罠ではないのですか。」


「はい。明らかに罠です。」

 彼の表情が重苦しいのは、この策は敵の罠と知った上で行う策だからだ。


「この策は、賭けですね。常之殿。」

 義忠も考え込んでしまった。


「はい、賭けです。ですが、琳玲様は近いうちに王都に連れ去られるそうです。」

 王常之は【秦陽】の城内に独自の情報網を持っていた。

 彼は表の顔は商人としてして【秦陽】で振舞っていたが、裏では旧南東軍の情報収集係を自ら買って出て、独自の情報網を作っていた。その情報に琳玲を捕まえたのが、蔡辺境伯の家臣という内容も入っていた。


「王都・・・?」


「蔡辺境伯の息子の蔡伯虎が琳玲様を狙っているそうです。今回の荷馬車を使った策も、伯虎が琳玲様を捕まえる為に送った者が秦伯爵に提案したとか。」


「それで、勝利品として琳玲様を王都に連れて帰るのですか。」

 義忠の表情は悔しそうだった。


「そのようです。いつ王都を出発するかは分かりません。ですが、楽観視はできません。」


「そうですか。時間外無いので、王常之殿は敵の罠に乗る策を。」

 限られた時間で琳玲様を救うには、罠を破るという危険な賭けに出るしか無いと王常之は言いたいのであろう。

 

「私は、自分の策が良いとは思いません。ただ、何か代わりの策がありますか。」


「・・・・・・・いえ。」

 義忠は王常之の話を聞いて、彼の策が非常に危険であることは分かっていた。だが、彼が言うように琳玲様を救い出す可能性があるとしたら、この策ぐらいしか思い浮かばない。

 だが、非常に危険な策でもあった。

「王常之殿。最後に伺います。あなたはこの策が成功する確率はどの程度お考えですか。」


「成功する確率ですか・・・・1割あるか、無いかです。」

 彼はつらそうな表情で答えた。


「そうですか・・・1割あるか無いかですか。ですが、救出できる可能性が1割もある策は他にありません。今は、この1割に賭けるしかないようです。」

 義忠は王常之の策を採用すると決めた。


「城外の東に向かった鎧騎士が戻るまでに、琳玲お嬢様を救えるかが鍵です。息子の王常忠と数人を今夜の内に、【秦陽】の居城に忍び込ませます。常忠たちが琳玲お嬢様を見つけて救い出すのが先か。城外に出た秦家軍の鎧騎士が戻ってくるのが先かの勝負になります。」


「分かりました。ご子息の王常忠に全てを賭けます。」


「それと、もう一つ情報があります。この情報が大した情報ではありませんが、一応、義忠殿に伝えておきます。」


「情報ですか、なんでしょう?是非、お聞かせ願いたい。」

 今は少しでも情報が欲しい。


「間者が私に接触してきました。全く知らない間者です。その間者が言うには、自分たちは楊慶之様の配下の者で曹家領を落としたと言っています。そして【秦陽】を攻略するのであれば、助力すると。」


「常之殿が言っているのは、慶之様、あの楊慶之様のことですか。確か、貴殿の息子の常忠の話では、蔡家軍の兵に追われ【智陽】の近くの山で姿を消したと聞いていたが。しかも、追ったのは候景将軍だったと。生きていれば良いと思っていましたが。」

 久しぶりに聞いた名前だ。

 元々、楊家の中であまり効かない名前だったので忘れていたが、確かに死んだとは聞いていない。蔡家で楊家の男子は皆死んだと宣伝しているが、慶之の話は具体的に聞いた事が無かった。

 王常忠の話を聞く限りでは、候景将軍に目を付けられて逃げきるのは難しい。もし殺されていたなら、蔡家軍も楊慶之の死を公に公表するはずだ。だが、そのような話を聞いた事も無かった。


 だが義忠は、魔力の無い楊慶之に期待はしていなかった。

 剛之や琳玲のように王級魔力、いや、その下の下の特級の魔力でもあれば話は違うが、慶之には魔力自体を持っていない。

 仮に旧南東軍に現れても、将として戦場に立つのは難しいだろう。それでは、部下たちもついて来ない。琳玲のように、部下を助ける為に殿しんがりに残る力くらい無ければ、誰もついて来ない。

(だが、その間者はなぜ、楊慶之様の名を語るのか・・・)

 相手の意図が分からない。


「そうですね。私も慶之様が存命であればと祈っていました。ただ、その間者がなぜ、楊慶之様の名を出したのかが分かりません。慶之様が姿を消してから1年も経っていません。そんな短い間で、優秀な間者を配下にするほどの力を付けるとは到底思えないのです。」

 王常之の考えも義忠と似たようなモノだ。

 楊慶之が曹家領を落として、【秦陽】攻略をする力を持っているとは到底考えられない。

 ならば、楊慶之様の名は我らに近づく為のきっかけに過ぎない。

 なぜ、旧南東軍に近づくのか、目的が何なのかも知りたい処だ。


「それで、その間者は、王常之殿になにか要求か、条件を出してきたのですか。」

 もし、相手が何か条件のようなモノを言って来たら、相手の考えも読みやすい。

 

「いえ、特に要求も条件も無かったです。『考えさせてもらう』と答えたら、気配を消して、すでに姿を消していました。相当の手練れです。」


「そうですか、それでは敵では無さそうですね。味方とも考えずらいですが。それなら、取り敢えず楊慶之様のことは保留にしましょう。今はそれどころではありませんから。」

 義忠は、その間者が敵では無いと判断した。

 それだけの手練れの敵なら、その場で王常之殿の首を獲る事ができる。少なくても、何か探りを入れるか、もしくは『離間の計』でも仕掛けてくる所だ。

 少なくても姿を見せないし、楊慶之の名もださいない。敵に間者が姿を現すのは、暗殺の時だけと聞いたことがある。

 それに、要求も条件も出さないのであれば、ほおっておいて良さそうだ。

 義忠は、王常忠の話を割り切ると、頭の中から切り捨てた。


「それで、今回の作戦の方ですが。」

 義忠は、話を作戦に切り替えた。

「連れて行く兵は志願兵だけにします。家族のある者や若い者はなるだけ、残していくつもりです。」

 この戦いで旧南東軍は壊滅するかもしれない。

 そうであれば、若い者にはなるべく生きて欲しい。


「そうですか。志願兵だけの作戦ですか、義忠殿らしいですな。」

 王常之は白い髭を撫でながら、頷いた。


「そんな事はありません。死ぬのは、死に遅れた者だけで良いと思っただけです。」


「朱義忠殿もまだ若い。死に遅れた者とは私のような老人を言うのですよ。ふおっ、ふおっ、ふおっ、ふぉ。」

 王常之は悲しそうに笑っていた。


「いえ、私など・・・生き残ってしまっただけです。」

 そうだ、義忠は公爵や剛之たちと一緒に戦って死にたかったのだ。そして、今も死に場所を探しているのかもしれない。


「どうです、義忠殿。酒でも。麦で作った良い酒があります。」


「明日、早朝には出ます。一杯だけ頂きましょう。」

 王常之は酒と陶器を持ってくると、陶器に酒を注いだ。

 2人は黙って、陶器をぶつけて酒を飲み干すのであった。


 * * * *

 王都【陳陽】玉座の間  蔡伯龍


 玉座の間の扉が開いた。

 まだ7歳の王が玉座に向かって歩いて行く。

 その足取りは、威厳とはかけ離れている。少し進んでは、絨毯の上にしゃがみ込んで、従者を困らせていた。後ろから続く私は、足で蹴りたくなる衝動を必死に我慢している。


「蔡辺境伯、いえ、蔡摂政様。まことにすみません。」

 王が玉座の就くのを待っていると、侍従が小声で詫びを入れた。

 私が怒っているように見えたのであろう。イラついてはいたが、侍従に対してではない。私は、この王冠を被った小僧にイラついていた。

 王宮では辺境伯という爵位ではなく、摂政という階位で呼ばれるようになっていた。

 やっとのことで王が玉座に就くと、広間に控える一同が皆、跪いて平伏した。

 7歳の王が座る玉座の左に私は立っていた。そして、跪いた貴族や将軍、官僚たちを見降ろす。

 (あいつの血が流れる小僧に、あの椅子は無用の長物。早く、引きずり降ろして殺してやる。)

 私は、心の中で、右に座る少年を呪っていた。


「そ、曹伯爵領の将軍、張将軍。前に。」

 声を上げたのは、玉座を通して私の反対側に立っている曹宰相だ。

 顔色が蒼白で、表情が引き攣っている。声も幾分震えていた。


「はっ。只今。」

 曹伯爵家の貴族軍の副官、張将軍がその場に跪いた。

 曹家では、伯爵本人、筆頭将軍の岑将軍が賊に捕まってしまっている。そして、伯爵の息子の曹圭鎮は曹家領から逃げ出したが、クーデターを起こそうとした罪で捕まるのを恐れて姿を消している。

 その結果、岑将軍の副官の張将軍が曹家の代表としてこの場に控えていた。

 彼は恐縮した表情で玉座の前で跪いていた。


「張将軍。その方の口から、王へ曹家領で起きた事を報告せよ。」

 曹宰相が震えた声で、跪く張将軍に曹家領で起きた出来事を報告させていた。

 間者の報告では、張将軍は昨夜に王城にたどり着くと、直ぐに曹宰相の屋敷に入って行ったらしい。

 宰相は事前に将軍から曹家領で起きたことを聞いているだろう。

 将軍の話を聞いて、驚く宰相の姿が目に浮かぶ。

 今回の事態は宰相の実家である曹家で起きた。しかも話の重要度から彼の権限で収められる範疇を越えている。

 それで急遽、貴族や将軍、官僚に召集をかけてこの玉座の間に集めたのだろう。


 (さぁ~て、禿狸がどう出てくるか、楽しみだ。)

 私は、いつも陰で暗躍する曹宰相が、表情を曇らせているのが楽しくてしょうがない。


 張将軍は、曹宰相に曹家領での出来事の説明を求められて説明を始めていた。

 微妙に趙嘩照の話は避けていた。

 私は『天狗』の間者からだけでなく、趙嘩照や范令からも報告を聞いていた。 

 張将軍の話では、趙嘩照が手配した鎧の騎士に触れていない。

 彼女が裏切り目的で曹家軍に送り込んだという証拠が無い以上、この場で話すのは悪手と判断したのであろう。ただ、長男の曹圭鎮が誰かに唆されてクーデターを起こそうとした話は行っていた。


 将軍の報告は宰相と打ち合わせを行った上での内容であろう。

 将軍の報告を聞いていると、宰相はこの事件の黒幕を私と考えているようだ。

 その上で、私と対立するのは回避したいようだ。

 (まぁ、曹宰相の気持ちは分かるが・・・。私も黒姫から《火の迷宮》の話を聞かされなければ、誰が黒幕か検討もつかなかった。まさか、《火の迷宮》を攻略した冒険者が首謀者で黒幕が教団など夢にも思わなかっただろう。)

 

 このままでは曹家は貴族として断絶は確実だろう。

 曹宰相としては、今私と対立しても証拠が無い以上、不利なのは分かっている。ならば、黒幕が私だというカードは伏せて置いて、証拠固めに走り、曹家が断絶にならないように交渉するつもりなのだろう。

 曹宰相が、全く、喰えない男だ。

 私が考え事をしている内に、張将軍の報告は終わった。


 張将軍の報告を聞いて、玉座の間はざわめいた。

 誰もが張将軍の報告が信じられないと口々に言って、将軍に質問をしていた。

「張将軍、たった3騎の専用機で曹家軍が全滅したのか。」

「魔弾砲の砲弾300発を、結界で消したとか・・・それは、本当か。」

「曹伯爵を警護する兵士や魔法兵が少女1人に倒されたのか。」

「そいつは何者なのだ。」

 貴族は口々に張将軍に質問した。

 一つひとつの質問に張将軍が答えると、返ってくる答えは一律、『信じられん。』というモノであった。

 《火の迷宮》を攻略した冒険者が首謀者と知った上で、この会議を見ていると全く滑稽であった。

 その後も質問がいくつか出て、張将軍との問答は終わると曹宰相が声を上げた。


「皆、静粛に。それでは、その楊慶之なる逆賊の討伐軍編成の話に移ります。」

 曹宰相は、逆賊討伐の話を始めだした。

 そんな話は事前に私の耳に入っていなかった。曹宰相の独断で話は進んでいる。

 それにしても、報告の場で討伐軍の編成の話とはすいぶん話が早すぎる。

 まだ、楊慶之の能力も戦力も分かっていないのに、直ぐに討伐軍編成の話はさすがに急すぎる。

 曹宰相が焦っているのが、丸分かりだ。


「戦力は、王国軍が北から鎧騎士5百騎、東から秦家軍が鎧騎士3百騎。西から趙家軍が鎧騎士3百騎の合計11百騎の編成。歩兵は王国軍10万で討滅させるが良いかと。」

 曹宰相は曹家領を占領した逆賊の討伐軍の編成について語った。

 鎧騎士11百騎とは、ただの賊が相手では大袈裟戦力だ。ただ、今回は曹家軍の鎧騎士3百騎を3騎の専用機で撃破したことが分かっている。

 そこまで考えると、大袈裟とは言えない適切な戦力なのかも知れない。


「何か、異議や質問がある者はいるか。」

 粗方、作戦の説明が終わると、曹宰相はこの『玉座の間』にいる貴族や将軍たちを見回して意見を聞いた。

 貴族たちもあまりに急な話で、何を質問すべきか考えている。


 そこで、南西に領地を持つ趙伯爵が手を上げた。

「曹宰相、この場で、討伐隊の編成を決めるのは拙速ではないか。敵の戦力がどの程度か調べてから編成軍の規模を考えてみては。それに、その軍は誰が率いるのですか。」

 趙伯爵の意見は尤もだ。

 だが、この趙伯爵は曲者だ。この『玉座の間』の中で彼が何を考えているか分からない。

 黒描姫の報告では、楊慶之の仲間の一人は趙伯爵の次女の趙麗華という報告が入っている。彼女が3騎の専用機の一騎の騎士だったらしい。

 もしかしたら、楊慶之と裏で繋がっているのかも知れないが証拠も無い。それに、調べた所によると趙麗華は、趙家から勘当したと正式に届け出が出されている。趙伯爵家の籍を抜いた以上、趙家の継承権や相続権を失い、表面的には趙家とは関係ない人間と扱われる。

 だが、本当に趙家と関係ないかは分からない。いや、むしろ怪しいくらいだ。


 考え事をしていると、曹宰相が趙伯爵の質問に答えていた。

「趙伯爵、あなたの意見はごもっとも。ですが、相手の主力は専用機3騎と分かっております。ただ、普通の専用機ではありません。たぶん、神級魔力の騎士が搭乗していると思われます。ですから、11百騎もの鎧騎士を投入するのです。できれば、趙伯爵の神級魔力の騎士、趙紫雲殿も参戦させて頂きたい。

 それに、敵に時間を与えたくない。今は専用機3騎ですが、曹家領を拠点として勢力が拡大する恐れもあります。」

 曹宰相の言うのは尤もだ。

 今、時間は楊慶之の方に有利に働く。教団がどの程度肩入れするか分からないが、勢力が小さい内に叩けば、教団も手を引くだろう。

 だが、叩きのめすことが出来ればの話だが・・・相手が《火の迷宮》を攻略した冒険者なら、簡単にはいかない。赤龍の力は一国を壊滅できると言われていた。その赤龍を倒した相手だ。


「曹宰相の考えは、分かりました。そう言う事でしたら、趙家も参戦に協力します。それで、この賊の討伐軍の司令官はどなたになるのですか。」


「・・・私が軍を率います。」

 曹宰相が答えると、貴族たちはざわめいた。

 文官の宰相が軍を率いるなど聞いた事が無い。

 宰相が軍師で従軍するのは良くある話だが、司令官となると話が違う。戦いの経験や部下の信頼がモノを言う役目である。


(・・・曹宰相、そう言うことか。)

 だが、私には合点がいった。

 曹宰相が軍の編成を急ぐことも、自身が討伐軍を率いると決めた事も。

 曹伯爵家の伯爵の地位を、曹宰相自身が継承するつもりだ。

 反乱軍に曹家領を奪われ、自身は賊に捕まってしまった。この場合、嫡男が当主の代行を務めるべきだが、嫡男はクーデター未遂で行方を消してしまった。

 今のままでは、曹家のお家断絶は確定だ。

 だが、ここで伯爵の弟である曹宰相が賊を素早く討伐して、宰相が伯爵家を継承すると言えば、誰も反対はしないであろう。

 悪くない策だ。

 さすがは、悪知恵の働く曹宰相である。

 張将軍が彼の屋敷に跳び込んでから、曹家が断絶にならない策を必死に考えたのであろう。

 相手が《火の迷宮》を攻略した楊慶之でなければ、きっと上手くいったはずだ。


「曹宰相、あなたは今の楊慶之を知っていますか。」

 私は、会議の場に響くような声で彼に問いかけた。


「ど、どうしたのですか、蔡摂政。突然、そんな事を聞いて。先ほど張将軍の説明にもありましたように楊慶之は楊公爵家の三男。【楊都】陥落後は落ちのびて、どこかに隠れていたのでしょう。それがどうかしたのですか。」

 曹宰相は自分の策が私に反対されないように、慎重に言葉を選んでいた。


「私の間者の調べでは、《火の迷宮》を攻略した冒険者の正体が、楊慶之だという報告があります。証拠はありませんが。」

 私は、趙伯爵の方にも目線を向けた。

 たぶん、領地内に《火の迷宮》を所有する趙伯爵もこの事実を知っているはずだ。

 彼は私の目線を避けた。あの反応は知っているで間違いない。


「ま、まさか。そんなことは。確か、楊慶之は貴族なのに魔力を持たない無能と報告を受けています。確か、文官希望だったとも。」

 曹宰相は予想外の情報に震えた声で反論した。


「そうですか、楊慶之は魔力を持たないと思っているのですか。・・・それなら良いです。それと、曹宰相は、曹家の鎧騎士のほとんどが、いや全てが魔石を破壊されずに破壊されたことをご存知ですか。そして、この意味も?」

 私の話に、広間がざわついた。

 特に武官の将軍や、戦闘経験の豊富な貴族は声を出して驚いている。


「・・・敵の鎧騎士の魔石を破壊しないで、倒すと言うのは相当に難しいのでしょう。それが、どうかしたのですか。」

 曹宰相は自分の策に難癖をつけているのだと思って反論を行った。


「曹宰相、想像してください。相手は専用機3騎で、鎧騎士300騎を相手にしているのです。ですが余裕が無いと、魔石を壊さないで倒すことは出来ない。すなわち彼らにとって鎧騎士300騎は余裕だったのでしょう。だから魔石を破壊せず鎧騎士を倒した。そして、手に入れた魔石300個で新たな鎧を製造する。鎧騎士1100騎で足りますか、曹宰相。」

 この広間にいる軍事に詳しい貴族や武官が、首を縦に振って頷いている。


「・・・確かに、そうですね。それに、楊慶之が《火の迷宮》を攻略した冒険者かどうかも調べる価値はありそうですな・・・。」

 曹宰相は急に不安になってきたようで、楊慶之のことも調べると言い始めた。

 確かに、曹宰相の策は上手くいけば、曹家存続の為に起死回生になるが、敗北すれば、曹宰相自身も巻き込まれて宰相の地位を失ってしまう。相手が簡単に倒せる相手なら良いが、手ごわい相手なら手を引く方が良いと考え始めたようだ。


「まぁ、それは私が調べましょう。ですが、曹宰相の言う通り、討伐軍は早く編成する必要があります。規模はもう一度決めるとして、準備は行ってください。それと、趙伯爵。討伐軍の出兵を行うのに、準備期間はどれくらい必要ですか。」


「そうですね・・・最低10日間は必要かと。」

 趙伯爵は警戒しながら、慎重な表情で答えた。


「そうか、10日間か。小貴族領の貴族軍、それに国軍も、10日間を目途に出兵の準備を行うように。それと、司令官は追って私が通知します。」

 完璧に流れは、曹宰相から私に移っていた。

 曹宰相は何も言えずに、黙って唇を噛んでいる。

 貴族や将軍たちは納得したように、一斉に両手を掲げて受命の礼を行った。

 一斉に貴族や官僚が頭を垂れるのは見晴らしの良い景色である。

 ただ、唯一の不愉快なのは、隣の少年に存在だけだ。

 足をプラプラさせて、つまらなそうにしている7歳の少年が、私をイラつかせる。

(まぁ、良い。あともう少しだけだ。お前がその椅子に座っていられるのは・・・)

 心でつぶやいて、自分の苛立ちを抑える。


 会議が終わると、つまらなそうにしていた少年が玉座から解放され、嬉しそうに玉座の間から扉に向かって歩いて行く。

 貴族や閣僚たちは再び一斉に頭を垂れて見送りをする。

 私も少年に続いて扉に向かって歩いて行く。私の後ろからは、肩を落とした曹宰相が付いて来る。


「鄭任将軍か・・・。」

 私は扉まで歩く道のりで討伐軍の編成について考えている。

 そして、『不敗将軍』の2つ名を持つ男の名を小さな声でつぶやいた。

(討伐軍の司令官は彼にしよう。)

 完全に、討伐軍の編成の主導権は曹宰相から私に移っていた。

(まぁ、鄭任将軍なら、曹宰相も文句は言うまい、そして軍の規模は・・・・)

 黒姫の『虹の王には気をつけろ!』という言葉を思い出して、討伐軍の戦力と編成は曹宰相が言っていた軍の規模の2倍以上にする。

『玉座の間』を出る頃には、おおよその討伐軍の内容が決まっていたのであった。

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