第19話 董陽花

 大陳国 曹伯爵領の小さな農村


 夜、扉の鍵を蹴り壊し、突然、2人の兵士が家に乱入してきた。

 兵士は家の中に入ると、剣を振り回して叫んだ。

「おい、お前ら、大人しく縄につけ!この村の者は全員、奴隷として拘束する。」

 大声で叫ぶと、兵士たちは机や椅子を蹴り上げた。

「おっ、良い女じゃねえか、このちんけな村にしては、別嬪のお嬢ちゃんだな。こりゃ、高く売れそうだ。」

 兵士は私に目を付けると、品定めをするように下品な顔で近づいてきた。


「娘に、陽花(ようか)に手を出さないでください!」

 父が私の手を掴んで、隠すように後ろに下げて、自分が前に出た。


「おい、お前らの村は税を払わなかったからな、全員奴隷だ。これはここの領主様の命令だ。お前は、領主様の命令に逆らうつもりか。」

 兵士が剣で父の足を叩いた。

 父は足を叩かれ、痛みで前のめりに地面に膝をついて倒れた。


「おい、この農民に早く首輪をつけろ。」

 2人の兵士のうち、後ろで見ている兵士が、父を叩いた兵士に命じた。

 命令された兵士は腰に付けた《奴隷の首輪》を手に持って、父に近づいていく。


 父は地面に跪いて、首輪はもった兵士を見上げながら口を開く。

「ま、待ってください。税は支払っております。収穫のほとんどを税として差し出しました。」

 父が言う通り、今年の収穫のほとんどを税金として差し出していた。

 種子となる小麦だけしか家には残っていない。ただ、この種子まで差し出すと、来年の小麦が収穫できないので、来年の税を払う事が出来なくなってしまう。

 ほとんど全ての収穫を領主に差し出した私たちは『始祖芋』しか食べていない。

 始祖芋しか食べていないのはうちだけでなく、この村の領民全員が同じように収穫のほとんどを税金として納めていた。


 前の領主様は、こんなに酷い税率でも取り立てでも無かった。新しい領主様に変わって、生活が一変していた。飢饉の時しか食べた事にない『始祖芋』を毎日食べる生活に変わっていた。

 それなのに、兵士が来ては、年貢だ、年貢だと喚き散らしている。


「足りないんだよ。年貢がな。それともお前は、曹家の兵士である俺が嘘を言っていると言うのか。」

《奴隷の首輪》を持った兵士が、父を脅すような大声で怒鳴り散らす。


「いえ。そんなことはありません。ですが、もう小麦の種子しかありません。もう払うモノが何もないんです。」


「そうか、じゃ、仕方が無いな。それじゃ、その小麦の種子を出せ。」


「それを出せば、来年は税が支払えなくなります。どうか・・・。」

 父は必死に懇願するが、兵士は楽しそうに見ているだけだ。


「曹家に逆らうつもりか。とにかく、お前ら全員は奴隷だ。大人しく、この首輪をつけろ。税が支払えないなら当然だろ。抵抗したら、全員殺す。死ぬよりはましだろ。」

 兵士は剣を振り上げて威嚇する。


「ほう、こっちも高く売れそうだ。」

 前で父の足に剣で叩いた兵士が、母に近づいて腕を捕まえる。

 品定めをするような視線で母の顔を見る。

 そして、捕まえた母の腕を引き寄せる。


「きゃあ」

 母の叫び声に父は地面を這うように動く。


「待ってください、種子も渡します。ですから、妻や娘には乱暴は止めてください。」

 父は、母の首に《奴隷の首輪》を付けようとする兵士の足に縋りついた。

《奴隷の首輪》を付けられたら、鍵が無いと外れない。

 少しでも逆らったら、首輪が、首輪をつけた人の首を絞め殺してしまう。《奴隷の首輪》とは、本当に恐ろしい魔道具だった。それを知っている父は必死で母を庇おうとした。


「小麦の種子ももらうが、お前らが奴隷になるのは変わらん。」

 兵士は、母の腕を放して、自分の腰の鞘から剣を引き抜いた。

「邪魔だ。」

 そして、父の背中に剣を突き刺した。

 父を背中から刺している剣に力を加えて、地面に押し付けた。


「ぐわぁ・・・・・。」

 父の口から血が噴き出した。

 兵士は剣を父の背中から引き抜くと、今度は背中から赤い血が噴水のように溢れ出る。


「お、お父さん、おとうさん。」

 地面の上に倒れる父を目指して、私は無意識に走っていた。

 父は私を見ると、苦しそうな声で叫んだ。


「陽花(ようか)。来るな・・・。」

 断末魔のように振り絞った声で父は叫んだ。


「あ、あなた。」

「おと~さん。うわぁぁぁぁぁぁぁん。」

 母の叫び声と、弟と妹の泣き声が聞こえる。


 父が刺されたのを見て、隠れていた弟と妹がタンスの中から出てきてしまった。

 後ろにいる兵士が弟と妹を見つけると、父を剣で殺した兵士に命令した。

「おい、その隠れていたガキどもは安く買い叩かれそうだ。面倒だから、ここで殺しておけ。この2人の上玉だけで十分な収穫だ、後は泣き声が煩いから殺せ。」

 面倒くさそうな口調で、弟や妹も殺すように命令している。


(な、なんなんだ。この兵士たちは、)

(私達は何も悪いことはしていないのに、突然、家に押しかけて、)

(父を殺して、飽き足らずに弟や妹も殺そうとするのか、)

(こんな非道が許されて良いのか・・・・)

 父を刺し殺した兵士は、生死の確認の為か剣で死んだ父を小突いた。

 そして、倒れた父を抱きしめる私に向かって、手を伸ばしてきた。

「お前の父は曹家に逆らった。だから処刑した。曹家に逆らったら、皆死刑だ。分かったか。死にたく無かったら、大人しくしろ。そうでないと、お前も死刑だ。」

 父を殺した兵士が顔をニヤニヤしながら、私の髪を掴んだ。


 髪を引っ張って、父を抱き着いた私を引き剥がそうとする。

「お、おとうさん。」

 倒れた父は、まだ少し息があり、私の顔を見て微笑んだ。

 それが、最後だった。

 その微笑んだ表情のまま、父は動かなくなった。

(こんな非道が許されて良いのか・・・)

(ふざけるな!)

(ふざけるな!)

(ふざけるな!)

(ふざけるな!)

 父を殺された怒りとこの世界の理不尽さに、私は我を忘れた。

 意識が遠のいていく。


『リミッターが解除され・・』

 私の頭の中で何か無機質な声が聞こえた気がした。

 体中に何か熱い物が流れる。

 力が溢れ出しそうだ。

 私の中で、何かがはじけた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 怒りと熱い何かの力が膨れ上がり弾けると、私は叫び声を上げていた。

 何か強烈な力に私の体を乗っ取られたように私は動いていた。

 体が軽く、簡単に兵士の手を跳ねのける。そして、兵士の手からこぼれた剣を掴んだ。そこから誰かに乗っ取られたように体が動いている。

 自分の意思ではない、私は薄れゆく意識の中で体が動いているのを見ていた。

 どんどん、意識が遠のいていく・・・・・。

 その後の記憶は・・・、覚えていない。


* * *

 気がつくと、私は地面の上で寝ていた。

 周りは暗かったが、月の光だけが明るく照らしていた。

 体を起こして周りを見回すと、村からだいぶん離れた場所にいるのが分かった。

 遠くで、炎や煙を上げて燃えている赤い明かりが見える。

 きっと、あれが私たちの村なんだろう。


「あら、陽花、起きたの。」

 私の横で、母は涙を流していた。

 遠くで燃える村の炎の明かりを見つめていたみたいだ。


「お母さん。ここは何処。」

 私はここが何処で、なぜ、ここに居るのかが分からなかった。


「森の近くよ。いつも山菜や始祖芋を獲りにくる森。」

 私の横で弟と妹が、まだ寝ている。


「どうして、こんな所に・・・。あっ、そ、そうよ。確か、兵士が家の中にやってきて、それで・・、お、お父さん。お父さんが・・。」

 背中に剣が刺さった父の姿を思い出した。


 母は私の肩に手を置いた。

「お父さんは死んだわ。」


「そ、そう、そうだったわ。お父さんは最後まで私を・・・・。」

 父さんの最後の顔を思い出したら、何かが目から流れるのを感じた。

 涙が自然と溢れる。

 私も涙を流していた。私も母と同じように、遠くで赤く燃える村を眺めた。

 しばらくの間、ずっと、母と一緒に燃える村をみていた。


「あっ・・、私達、曹家の兵士に捕まったんじゃないの。」

 そうだ、兵士たちが私達を奴隷にすると騒いでいた。

 確か、手に《奴隷の首輪》を持って、クルクルまわしていた。

《奴隷の首輪》を首に付けられたら、一生にげることは出来ない。

 不安になって首に触れてみた。だが、首には何も無かった。首輪が嵌っていない。それが確認できただけでも安堵した。


「あなた、何も覚えていないの?さっきのこと。」

 母は驚いたように尋ねた。


「さっきのこと?」


「そうよ、あなた、お父さんが殺されるのを見て、急に表情が変わったのよ。何かに取り憑かれたようだったわ。兵士に飛び掛かって剣を奪うと。その剣で兵士を2人殺しちゃったのよ。本当に覚えていないの?」

 母が言っていることが良く分からない。

 私が兵士の剣を奪って、兵士と戦って殺したと言っている。私にそんな事ができる訳が無いのに。


「お母さん、頭、大丈夫?お父さんが死んだのがショックだったのよね。でも、私が剣を奪って、兵士を殺すとかは、ちょっとお母さんの妄想(もうそう)にしても無理があるよ。少し、落ち着いたら、何があったか教えて頂戴。」

 私は、父の死で動揺した母が心配になった。このまま、母までおかしくなったら、弟と妹を連れて生きていけない。


「あら、失礼ね。私の妄想じゃないわよ。あなた、本当に覚えていないの?」

 母は、私が坐る方の反対側においてあった剣を持って私に見せた。


「この剣よ。あなたは、この剣で兵士と戦ったのよ。」

 剣には血のりがついている。


「えっ、私が。また、また。お母さんったら、私の事をからかっちゃって・・・。」


「からかってなんていないわよ。それに、今の話しが嘘なら、あなたの首には今頃奴隷の首輪が嵌(はま)っているはずでしょ。首輪がないのが、本当である証拠よ。」


 確かにその通りだ。

 私の首に首輪らしきものは嵌っていない。

 剣で刺された父を見て、怒りがこみ上げてきた所までは、はっきり覚えている。

 その後、私の頭の中に、なにか無機質な声が聞えて、体が当たたあくなって・・・。

 そこから先の記憶が曖昧だ。

「お母さん・・・、ほ、ほんとに、私が・・・・。」


「そうよ。あなたが兵士を倒したのよ。いつもの陽花とは違った表情で怖かったけど。でも、お父さんの仇を討ってくれて、お母さん、嬉しかったわ。ありがとう。」


「ほ、本当に、私が・・・、兵士を・・、お父さんの仇を獲ったの。」

 どうも母の話は本当のようだ。

 そうだとすると、私が2人の兵士を剣で倒したことになる。

 母の横に置いてあった剣を掴んで、しみじみと剣を見つめる。

(この剣で、私が兵士と戦ったの・・・。)

 全然、剣を持って戦った実感が湧いてこない。

 全く記憶は無かった。

 だが、もし私が兵士を殺したのであれば母と同じように嬉しかった。父の仇を獲ったのであれば、兵殺しとして死刑になっても悔いはない。


 母は嬉しそうに、兵士と戦った私について話してくれた。

「兵士に髪の毛が引っ張られていたあなたが、急に兵士の手を掴んで投げ飛ばしたのよ。それで、兵士の剣を奪って、その後は、その剣で2人の兵士をバッサ、バッサと倒したのよね。兵士を頭からバサッよ。見ていた、私と昌平と小花は驚いて、その場で固まっちゃったわよ。あっという間だったからね。そして、兵士を倒し終わると、あなたがその場に倒れちゃたのよね。」

 母は、手でバッサ、バッサと腕で剣を振るう仕草でも説明して、笑っていた。

 だが、その目には涙が溜まっていた。


「はぁ、私が剣でバッサ、バッサとね。」

 そう言いながら、服を見てみると、服に血がべったりと付いている。

 母から渡された剣にも、血のりが付いていた。

 剣の刃を見つめると、昨日の戦いが微かに思い出される。

「やっぱり、本当のようね。」


「そうよ。嘘であって欲しいけど。村が焼かれて、お父さんが死んだのは、嘘じゃないわ。」

 母は悲しい口調で答えた。


 私達はその晩、森の近くで過ごした。

 そして、陽が明けると、私たちと恐る恐る村の近くまで戻ってみた。

 まだ、兵士がいるかもしれないと警戒して近づいていく。

 私が曹家の兵士を2人も殺しているので、捕まったら兵士殺しで処刑されてしまうので、曹家の者に見つかる訳にはいかない。

 少し離れた木の陰から、村を覗いた。

 村は廃墟になっていた。

 ほとんどの家から、燃えカスのような煙が出て、人の気配は全くなかった。

 曹家の兵士は、この村の民を全員奴隷として攫って行ったのであろう。

 略奪し、村民を捕まえると、価値が無くなった村を燃やしたようだ。

 まるで、証拠を消すかのように。


「お母さん。本当に、何も無いわね。」


「そうね、誰か生き残りの人がいないかと思ったけど、誰もいないわね。」

 私たちは、村人で生きている人や隠れている人がいないか探した。

 暫くの間、4人で探したが誰もいなかった。

 村の全ての家が燃えていた。

 当然、私達の家も灰になっていた。

 燃えた自分たちの家を見て、昨日まで貧しくても慎(つつ)ましやかに暮らしていた生活がもう無いのだと実感した。

 燃えカスの木などをどかして、弟の昌平と妹の小花も一緒になって父の遺体を探した。父が死んだと思われる場所も探したが遺体はなかった。たぶん、家と一緒に燃えて、灰になってしまったのであろう。


「お母さん。何か、形見になる物があればと思ったけど、骨すら無いわね。」


「そうね。火の勢いが早かったからね。」

 約一刻の間、いろいろ探したが、結局、父の遺体や形見も見当たらなかった。

 村の生き残りも、結局見つからなかった。

 家の跡地にあった、鍋やヤカンなどが燃えずに残っていたので拾っていく。

 そして、早々に村を退散した。

 この村に残っても、私たちが住める場所はもう無かったからだ。逆に兵士に見つかったらまずい。なにせ私は兵を殺してしまっているのだ。

「お母さん。これから、どうするの。」


「そうね。近くの村に行きましょう。もしかしたら、私達を受け入れてくれる村があるかもしれないわ。」

 どこの村も生活は苦しくて、人の面倒を見る余裕など無かったが、食事は『始祖芋』を食べれば良い。始祖芋ならどこにでも生えているし、採っても翌日には生えている。吐きそうに不味いことを我慢すれば死にはしない。

 とにかく、受け入れてくれる村を探して落ち着ける場所を得なければならない。それに、他の村の情報を知りたかった。

 だが、歩いて近くの村を見て回ったが、どの村も同じだった。

 全ての村が灰になっていた。

 きっと、奴隷として捕まったか、殺されたかのどちらかなのだろう。

 どの村も奪われ、捕まえられ、燃やされていた。

 私達は、人が住んでいる村を回るのをあきらめた。これだけ、回っても人がいないのであれば、この辺り一帯の村は曹家の兵士によって全滅しているだろう。


「お母さん。これって新しい領主様がやったのよね。」

 燃えカスしか残っていない他の村を見てつぶやいた。


「そうよ。新しい領主の曹伯爵がやったのよ。」


「なんで、こんな酷いことをするの。ちゃんと税金を払っているのに。」


「そうね、なぜ、新領主様はこんなことするのかしら。それは、陽花自身でしっかり考えなさい。人の意見に流されてはダメよ。ただ、流されてばかりじゃ、後悔するわ。人に情報や意見を求めるのはいいけど、考えるのを止めてはダメよ。取り敢えず、私たちの住んでいた村の近くの森に行きましょう。」

 私たちは住んでいた村の近くにある森に向かうことにした。

 村の者はその森に山菜を採りに行ったりしていたので良く知っていた。魔物や獣がいるので、曹家の兵士がやってくることもない。

 このまま人の住んでいない村にいるより、曹家の兵士が来ないだけましである。


「分かったわ、お母さん、教えて。なんで、お父さんが殺されたのか。なんで、私達がこんな目に遭わなきゃならないのか。その理由を知りたい。」


「そうね、じゃ、お母さんが知っている範囲で、話してあげるから、後はあなたが自分で考えなさい。」

 母は、歩きながら語ってくれた。

 母が言うには、数か月前に、この地の領主であった申子爵家が滅亡して、新たに曹伯爵家がこの地の領主になったそうだ。

 新しい領主の曹伯爵は、大陳国の中央に流れる長南江より、北の領土の領主だった。

 それが領地替えと言って、今までの領地を差し出して、新しい領地として申子爵家の領地や羅家、魏家の3つの貴族の領地を貰ったらしい。

 曹伯爵は、領地替えの際に、北からたくさんの兵士を連れてこの地にやって来た。

 この地で城を作ったり、武器を用意したりして、お金が必要だったらしい。

 そこで、今まで、5割だった年貢を、8割にしたのだ。

 そして、更に後から、9割にするというお触れが出た。

 でも、もう領民の手元には何も残っていない。

 2割の収穫は売って、鍋や服などに変わってしまっている。

 そこに、税金が9割に増えたので、残りの1割を払えと言って、兵士達が村々を襲ってきたのであった。

「なんで、新しい領主様は、急にそんな無理を言うのかしら。うちの村だけじゃなく、どの村も、この時期に税なんて払えるわけが無いのに。」


「曹伯爵の狙いは1割の税金を獲る事じゃないからよ。だから税が払えないこの時期にワザと税を増やしたのよ。」


「どういうこと。」


「それはね・・・・。」

 母は、また詳しく説明してくれた。

 新しい領主の曹伯爵は、わざと税金が払えないこの時期に税を払うように命じたのは、領民を捕まえて、奴隷に売るのが狙いと母は考えていた。

 申子爵家領の民が、申家の残党である義勇軍に協力している事や、奴隷として売却した方が領主にまとまったお金が入るからのようだ。

 そして、長南江の北から連れて来た金のある商人や地主に、民のいなくなった土地と奴隷にした領民を売り、大規模農園の地主として経営を行わせる。

 曹伯爵としては、奴隷と土地を売った金が入り、領民が申家の残党に協力しないように管理できる。一石二鳥だと話してくれた。


「許せないわ。そんな新領主。始祖様がきっと罰してくれるわ。」


「陽花。覚えておきなさい。神は、私達の味方じゃ無いわ。力やお金を持った強い人達の味方なのよ。」


「だって、時々村にやってくる神官様や天主長様が、千年前に始祖様が悪い魔神を倒して、我々を救ってくれたって言っていたわ。それに、始祖様の予言を果たす為に、使徒様がこの世に現れて、魔物や悪い奴を倒して、私達を救ってくれると言っていたわ。」


「そうね。でも、始祖様も、使徒様も・・・。お父さんが曹家の兵士に殺されるのを助けてくれなかったわ。それに、なぜ、私達を殺したり、奴隷に売ったりする貴族は罰を受けないのかしら。」


「・・・・・分からない。」


「陽花。人が言った事を、そのまま鵜吞みにしてはダメよ。自分で考えて、何が正しいかを自分で考えなさい。お父さんとお母さんも、そして村の人も考えたのよ。」


「えっ。それで、お父さんとお母さんは考えて、どうしたの。」


「お父さんとお母さん、それに村の人は考えて、戦う事にしたの。申家の義勇軍を助けることにしたのよ。このままでは、どの村の人も新しい領主に奴隷にさせられてしまう。お父さんは、本当は義勇軍で戦いたいと言っていたわ。でも、陽花や昌平、小花を置いてはいけないと。村の人も同じ考えだったわ。」

 それから、母がまた申家の義勇軍について話してくれた。

 あまりにも高い年貢を要求された父や母、それに村民達は、新たな領主に反感を持って、一揆を考えたそうだ。

 だが、一揆をおこしても、鎧騎士を持つ曹伯爵には敵わない。

 それこそ、鎮圧されて、奴隷にされるかは目に見えている。

 そこで村の人達、自分たちが反乱を起こす代わりに、前領主の残党勢力を支援することにした。

 前の領主の申子爵家の兵たちが、義勇軍と称して新領主に反抗して戦っている。

 他の村を含めて義勇軍に参加する領民も多くいた。参加できない領民は、その義勇軍に曹家の情報を流したり、攪乱する手伝いをしたりしていた。

 申家の義勇軍は、鎧騎士を持つ曹家軍相手に善戦しているようだった。

 曹家軍が義勇軍を倒そうと試みても、待ち伏せに遭って逆に被害を受けたり、義勇軍に逃げられたりして成果を上げられていないそうだ。

 戦力的には、鎧騎士を抱える曹家軍が圧倒的に有利なのだが、情報や地の利を得ている義勇軍が、曹家軍を上手く混乱させ、翻弄しているようだった。

 特に申家の名将、燕荊軻の存在が大きい。

 燕荊軻が指揮をする義勇軍は強いので、焦った伯爵が義勇軍を支援をする領民を奴隷にするように動いた。それで、税金を上げて、支払えない農民を一斉に襲撃したと母は考えていた。


「お母さん。それなら、義勇軍はなぜ私達を助けてくれないの。」


「・・・私たちが襲われているのを知らないのかもしれないわね。それに、知っていても、敵に鎧騎士がある限り、戦っても負けるかもしれないわ。」


「でも、お父さんも、お母さんも、それに村の人たちも、義勇軍を助けていたのよね。私たちが困っている時に助けてくれなければ・・・、それじゃ、誰が、お父さんや村の人を助けてくれるのよ・・・。村の人達も奴隷として売られていくのに、義勇軍は何もしてくれないの。」


「そうね。ただ、新しい領主は、いつかは私たちを奴隷として捕まえるつもりだったのよ。だから、私たちは義勇軍を支援した。陽花、覚えておきなさい。この世界は、力の弱い者は、力の強い者に踏みにじられる。だから、あなたは強くなりなさい。踏みにじられないような強さを持ちなさい。そして、もし、そんな弱い人を守るような人を見つけたら、その人に仕えて、一緒に弱い人を守って頂戴。」

 母は、私の頭を撫でながら話した。


「えっ。なに、それ。私が強くなるなんてあり得ないわ。それに、弱い人を守る強い人なんて聞いたことが無いわよ。力のある奴は、みんな自分の為にしか力を使わないわ。貴族なんて、皆そうよ。」

 私は、貴族が嫌いだ。

 前の領主の頃は正直、あまり貴族を意識していなかった。

 だが、新しい貴族が領主になってから、貴族が、目につくようになっていた。

 曹家の者が街や村に近づくと、若い女性は家の中に隠れた。

 騎馬で畑を荒らすことはザラで、騎馬で人を踏みつぶして殺すこともある。

 税で収穫を奪うだけでなく、やりたい放題だった。

 領民を人としてではなく、自分の所有物としか見ていない。


「そうね。だけど、燕荊軻将軍だけは違うわ。将軍は英雄よ。いや、領民の希望ね。」

 荊軻将軍は、今は義勇軍の頭領をやっている。申家軍の将軍だった人だ。

 平民出の将軍で、一人で強い魔物と戦って、子爵を守った英雄だ。数々の武勲を上げて、英雄将軍と民からは敬われていた。

 荊軻将軍は戦いだけでなく、不作になると、申子爵に税を安くするよう奏上したり、村に魔物が出て困っていると、民の為に魔物狩りを行ってくれたりもした。

 この辺り一帯の村が義勇軍を支援するのは、英雄将軍の荊軻将軍がいるからだ。


「あなたは強いわ。だって、あっという間に2人の兵士を斬り倒したのよ。きっと、荊軻将軍の家来になれるわよ。そんなに強いんだから。」

 母は、嬉しそうに語った。

 そんな表情をしている母を見て、無性に腹が立った。


「私、荊軻将軍の家来になんてなりたくないわ。だって、荊軻将軍はお父さんも、私達も助けてくれなかったじゃない。村の人達から支援だけ受けて・・・そんな恩知らずの家来になんてならないわ。お父さんもお母さんも、お人好しなのよ。」


「そうね。でも、お父さんは荊軻将軍を助けて、後悔はしていないはずよ。たぶん、奴隷として捕まった他の村の人達もね。」


「そんなの・・・、そんなの、私には分からないわ。」


「そうね。そのうち、分かる時が来るわ。」

 だいぶん歩いたようで、既に陽が暮れようとした所で森が見てきた。

 昨日の夜に逃げた森だ。


「とうぶん、この森で身を隠しましょう。」

 母はそう言うと、森の中にある洞窟に向かった。

 私たちが目指した森の洞窟は、村の人達が雨宿りをする場所だ。

 この森は、村から近いので村の者が山菜や茸取りや、獣の狩りに良く来る。

 村の者しか知らない洞窟なので、曹家の兵士に見つかる心配も無い。


 ――グウウゥゥ。

 洞窟に到着すると、妹の小花が可愛い音でお腹をならしていた。

 今日一日、だいぶん歩いたが、弟の昌平も、妹の小花も文句を言わずについて来た。2人もあの日の恐怖が忘れられないはずだ。だが、2人ともお父さんを失って、自分も強くなると頑張っていた。


「ご飯にしましょう。小花もお腹が減ったわよね。」

 母は森の中で見つけた始祖芋を麻の袋から取り出した。

 少しだけ、山菜や茸などもある。


「また、始祖芋ね。まぁ、いつもと変わらないわね。」

 私は、洞窟の中に蓄えられている薪を探してきて火を起こした。

 灰になった村から探してきた鍋を使ってお湯を沸かした。

 そして、森の洞窟に戻る途中で見つけた山菜や始祖芋を鍋に放り込んで煮込んだ。


「相変わらず、始祖芋は不味いわね。」

 今まで何度も食べてきたが、本当に不味い。どうなに調理方法を変えても不味い。何度食べても慣れない不味さだ。


「陽花。そんなことは言わないの。」

 母に怒られながら、始祖芋を主食にして腹を満たした。

 こうやって、暖かい食べ物をお腹に入れると、少しホッとする。

 だが、もう今までの日常の生活には戻れない。

 母も、弟妹たちも不安で一杯なのだろうが、決して口には出さなかった。

 とにかく、今は不味い始祖芋を食べて寝るしかない。

 そう思って、その日は洞窟の中で母と弟妹の4人で夜を明かしたのであった。


 翌日、もう少しまともな食べ物はないかと、森を探索した。

「私と、昌平の2人で何か食べられそうな物を見つけて来るわ。お母さんと、小花は洞窟を守る柵や濠を作って待っていて頂戴。」

 曹家の兵がこの森にくる事はないと思うが、魔物や獣が襲って来る可能性は高い。

 洞窟に魔物や獣が襲って来ないように柵や堀を2人に作ってもらう。


「分かったわ。あと、水も確保しておくわ。陽花、あなた達は、気をつけて行ってきてね。この辺は、魔物は多く無いけど、熊や狼がいるからね。襲われたら、逃げるのよ。」


「分かったわ。そんなに奥には行かないわよ。」

 私は兵士から奪った剣を腰にぶら下げると、昌平を連れて森に入って行った。

 昌平には、木刀のような太い木を持たせている。

 木刀で追い払える獣もそれなりに居るから護身用だ。

 魔物や強い獣に襲われたら、逃げるしか考えていない。

 私達は、母と小花に手を振って、森の奥へと入って行った。

 暫く歩くと、大きな水溜まりがあった。

 池のような大きさで、水辺の近くで獣や野鳥が水を飲んでいた。


「姉ちゃん。この辺で狩りをしようぜ。」

 弟の昌平は、水辺で水を飲んでいる小さな獣を見つけて狩るつもりなのだろう。


「良いけど。どうやって捕まえるのよ。」


「この木刀で、兎の頭を叩けば、大丈夫だよ。たぶん。」

 そう言うと、昌平は兎を見つけては、木刀で倒そうと追い回していた。

 だが、兔は人間に捕まえられるほど動きが遅くない。

 兔以外の小動物も同じで、気配を感じると素早く逃げて行く。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ・・。姉ちゃん。やっぱ、木刀で兎を捕まえるのは無理だな。」

 昌平は肩で息をしながら、小さな獣を捕まえるのはあきらめていた。


「当たり前よ。そんな簡単に兎を捕まえられるわけないじゃない。」

 兎を木刀で捕まえるのをあきらめた昌平は、今度は縄になりそうな蔓と、折れにくそうな枝を手に持ってきた。

「昌平。あんた、何をするの。」


「姉ちゃん。罠だよ。罠。父ちゃんに作り方を教わったんだ。」

 昌平は枝を曲げながら、縄で縛っていく。しばらくすると、罠らしい物ができた。


「どうするのよ。これ。」


「まぁ、見てなって。」

 昌平はそう言うと、水辺で小動物が集まる場所に罠を仕掛けた。

 罠の上に草や、土をかぶせて分からないようにすると、2人で罠から離れた場所で見張っていた。

 気配を気にしながら、30分くらいすると、鹿が水辺にやってきた。

 角がしっかり生えた、足の早そうな立派な鹿だ。


「昌平。来たわよ。」

 私達は、風下の離れた場所で、鹿の動きを見ている。

 鹿が、罠の仕掛けを踏んだようだ。

 縄が、鹿の足に絡まって、鹿の動きを封じている。

 鹿は足をジタバタして、なんとか縄を解こうと跳びはねている。

 だが、ジタバタすればするほど、罠は強く足に挟まっていく仕掛けになっている。

 縄の先が、地面に杭で縛り付けられているので、解くことは出来ない。


「姉ちゃん。やったよ。後は、姉ちゃんの剣であの鹿の首を落としてよ。血抜きは俺がやるよ。」


「わ、分かったわよ。や、やるわよ。」

 私達は隠れていた茂みから姿を現わして、鹿の方に向かって走った。

 兵士から奪った剣は私が持っている。

 母は、私がこの剣を軽やかに使ったと言っていたが、軽やかどころか剣は重い。

 弟も私が曹家の兵士を倒す所を見ていた所為か、私の剣の腕に期待している。

「ほ、本当に失敗しても知らないわよ。」


「大丈夫だよ。姉ちゃん。この前は凄かったんだぜ、姉ちゃんの剣。あの調子でやってよ。」


「どの調子よ、まったく。本当に知らないからね。」

 私は重たい剣を持って、鹿に近づく。

 足をバタバタもがいている鹿に近づくと、昌平が目を輝かせている。


「姉ちゃん。今夜は肉だぜ、肉。母ちゃんも、小花も喜ぶよ。さぁ、早く、スパーッと、鹿の首をやっちゃってよ。早く。」


「あ、あんたね。」

 鹿を捕まえて嬉しい昌平は、早く鹿を殺すように急かしてくる。

 昌平が言うように、『スパーッ』と首を切る胆力も腕も私は持っていない。

 鹿を可哀想にすら思ってしまうし、溢れ出る血も怖い。でも、何故か強い戦士のように思われている私は、それを言える状況ではなかった。

 私は、剣で鹿の首を斬る事に集中して、怖くて目を閉じる。


 すると、何故だか、体が熱くなった。

 頭の中に模様が浮き上がり、熱くなった何かが、頭の中の模様に流れ込んでいく。

 模様が赤く、大きな光を発して光った。

 なんだか怖くなって目を開くと、周りの動きが静かになっていた。研ぎ澄まされた静けさで、周りの動きが止まったと思う位ゆっくりになった。

 私は、動きが遅い鹿の首に向かって剣を横に凪(な)いだ。

 赤い光を浴びた剣が、動きが遅い鹿の首を難なく通過するように斬った。首を斬ったという感触を感じない位に何も抵抗なく、剣が首のあった場所を通過した。

 鹿は、自分の首が切られることに気がつかないのかまだ暴れている。

 首から血が少しずつ溢れてくる。

 全てがスローモーションのように遅く時間が流れて行く。

 私は良く分からずに、周りを見回した。

 小鳥も、風の音も、大きな水溜まりの気配もゆっくりと感じる。

 水の音すら、いつもより間延びして感じられる。

 まるで、時がゆっくり流れる世界にいるようだ。

 私は、怖くなって、目を閉じた。


 すると、頭の中に現れた模様が消えた。

 その瞬間、頭から、「ドサッ」と生ぬるい水を浴びた。

 驚いて目を開けると、鹿の血が頭に降り注いでいる。切断された鹿の首から血が溢れたが、鹿の体がそのまま地面に倒れると血は地面に流れて行った。

 頭が『ぼおっ~』としている。

(今の感覚は、いったい何だったんだ。)

 あの不思議な時間、頭の中に現れた不思議な模様、そして時間が遅く流れる感覚。

(私にいったい何が起きたの。)

 気付くと、鹿の生ぬるい血を浴びて、鹿が倒れていた。

 まだ、頭にボヤッとした感覚が残っている。


「へっ・・・・」

 私は意識を戻して、自分の手や服を見ると、真っ赤に血に染まっていた。

「わぁ、なにコレ。血、血じゃない。血だらけよ。」

 気付くと、鹿の血まみれになっていた。

 そんなことはお構いなしに、昌平は歓声を上げていた。

「すげぇ!すげぇぜ、姉ちゃん。本当にすげぇーよ。俺、姉ちゃんが剣を振るったのが見えなかったぜ。もしかしたら、姉ちゃん、剣の達人じゃねぇのか。」

 昌平は私の剣の腕を賞賛していた。

 私には何のことか分からないけど、なんとか鹿を倒せたようで良かった。


「あんたね。大袈裟なのよ。それより、服が血だらけよ。」

 私は急いで、池のような水溜まりに入って服を洗った。

 昌平は鹿を逆さにして、血抜きをしている。

 血抜きをやっておくと、肉の旨味も良く、肉の傷みが遅くなる。

 それに、獲物を洞窟まで運ぶ際も、魔物や獣に襲われる心配が減る。

 魔物も獣も、血の匂いに群がってくるのだ。


「いや、姉ちゃん、今日は肉だよ。にく。1年以上前だよね。肉食べたの。」

 昌平は、大きな木の枝を見つけてくると、血を抜いた鹿を縛りはじめた。

 嬉しそうに、手際よく鹿の手足を枝に縛り付けていく。


「あんた、ずいぶん手際良いわね。」


「ああ、父ちゃんに教わったからな・・・・。父ちゃんのおかげだな。」

 父を思い出して、昌平の声は少し悲しそうだった。


「そうね。お父さんのおかげね。お父さんの為にも、私達は生きていかなきゃね。私達の元気が無いと、お父さんも悲しむわ。行くわよ。今日はお肉よ。お母さんも小花もきっと、喜ぶわ。」

 水溜まりで洗った服をそのまま着ると、肉をかついで昌平と洞窟に戻っていった。

 その日は、本当に久しぶりの肉を家族4人で味わった。

 今までは、始祖芋ばかりだったが、肉を食べると暗くなっていた気持ちも少し明るくなった。特に昌平が、私が鹿の首を斬った時の仕草を真似してはしゃいでいた。

 ここに、お父さんがいたらもっと楽しかったのにと思いながら、久しぶりの肉を堪能した一日は更けていった。


 それから、私たちは森の洞窟を根城に、なんとか、1日、1日を過ごしていた。

 食糧は始祖芋があるので、飢えることは無い。

 始祖芋は採っても、採っても翌日には普通に生えてくる。

 どこから現れたと思う位に繁殖力は強かった。

 だが、始祖芋は不味い。本当に不味い。

 毎日食べても慣れない不味さだ。

 その為、罠を作って小動物を捕まえたり、山菜を獲ったりして、食べ物を補(おぎな)っていた。

 今までと比べると、食生活はずいぶん良くなっていた。始祖芋だけの毎日から肉や野菜が食べられる生活に変わったのだ。


 その分、安全性は酷い。本来、森に住むなど自殺行為だ。

 村が兵士に襲われる前は、森に入る時は必ず大人が複数人で入った。狩りを行う時も、武器を持った大人が複数人で慎重に行っていた。

 獣や魔物に襲われて、森で命を落とす村人はたくさんいた。この森は魔物も強いが、熊や狼などの凶悪な獣もたくさんいる。

 とても、女子供で生活できる場所では無かった。


 それが無事に生活できているのは、私の力のおかげだ。

 私はいつの間にか、強くなっていた。

 どのくらい強いかと言うと、熊に出会っても簡単に倒してしまうくらいの強さだ。普通の女の子の強さではない。お母さんには強く成れと言われたが、まさか熊を倒せるほど強くなるとは思っていなかった。

 精神を集中して目を閉じる。

 すると、頭の中に模様が自然と浮かぶ。

 体中に熱い何かの力が集まり、頭に浮かべた模様に力を注ぐ。

 頭に浮かべた模様が赤く輝いて、目を開ける。

 すると、全ての時間がゆっくりと動くのだ。

 時間の動きだけでなく、体が軽くなり、筋力が強くなった。今まで、剣など持った事に無かった私が、箸を動かす様に軽く剣を振り回している。


 この力があれば、熊を倒すことなど難しくない。

 動きの遅い熊の首を、剣で斬って終わりだ。

 熊の首はゆっくりと、体から離れ、そこから血がゆっくりと溢れ出る。

 そうして、再び目を閉じて開くと。

 元の時間の流れに戻っている。

 熊の首が前に転がって、首を失った胴体から噴水のように血が噴き出してくる。

 私も手慣れたようで、血を浴びるようなヘマはもうしない。

 素早く、熊の前から離れる。


「姉ちゃん。すげぇーよ。こんなデカい熊を倒しちゃうなんて。それに、姉ちゃんの剣は見えないし。ほんとーに、姉ちゃんは剣の達人だよ。」

 弟の昌平には、私の動きが目で追えないので消えたように見えているらしい。

 いつも、驚きながら、大袈裟に私を誉める。

 そして、嬉しそうに獲物の解体を行うのである。

 野獣を倒せるとなると、森での生活も大分楽になった。

 まずは獣に襲われる心配が減った。食糧も肉が手に入るし、毛皮も手に入る。毛皮が手に入れば、冬の寒さを凌げるし、いつか森を出た時に売ってお金に変える事もできる。

 時々、魔物にも遭遇した。

 魔物を倒した時は、魔石を獲って蓄えておく。魔石も売ればお金になるらしい。冬になれば曹家の動きも鈍くなるかもしれない。その時に森を出て、皆で他国にでも逃げれば良いと考えていた。

 今、動くと曹家軍に見つかってしまう。

 私は曹家軍の兵を2人も殺しているので、ほとぼりが冷めた頃に、どこかの国に逃げるしかなかった。


「これだけのお肉食べきれないわ。」

 母はそう言うと、熊の肉を煙で炙って燻製にしていた。

 熊の皮も剥いで煙であぶって鞣(なめ)すと、布団や絨毯、服を作ったりもした。

 これで、私達もなんとか生きていけると安心していた。

 なんとか生きていけると安心していた時に、あの事故は起こった。


 その日、私は一人で狩りに行っていた。

 昌平は、母と小花と3人で、冬に備えて、洞窟の中に保存庫を作っていた。

 冬は獲物も減るし、薪もとれなくなる。

 今の内に、保管ができる貯蔵施設を作って置く事になったのだ。

 洞窟の外で、箱を作る為の木を削っていた。小刀で平べったい木に削っていく。

 まともな道具が無いので、結構骨が折れる。


『ワオーン』

 そんなに遠くない場所で遠吠えが聞こえた。

「狼だ。」

 昌平は立ち上がると、洞窟の中で服を作っている母の元に走った。

「おかあさん。狼だ。近いよ。」

 母は、焚き火の火を強くして大きな薪を何本かくべた。火の勢いが強くなり、くべた薪が勢いよく燃え始めると、その薪を松明にして両手に持って立ち上がった。


「あなた達、洞窟の中にいなさい。それと、もっと薪をくべて、火の勢いを強くしなさい。それから絶対に洞窟から出てはダメ。陽花が戻るまで、とにかく外には出ないでね。分かったわね。」

 母は2人の弟妹にそう言うと、洞窟の外に出て行った。

 洞窟の外に母が出ると、既に何匹かの狼が、獣除けの柵や壕を飛び越えていた。

 侵入を防ぐ為の罠には、何匹かの狼が引っ掛かっていた。

 だが、狼の数は多かった。罠は数匹の狼を間引いたに過ぎなかった。

 洞窟の外に出た母は、周りを見回した。


「20匹・・・いや、30匹はいそうね。」

 洞窟の周りを囲む狼を睨みながら、母は狼の数を数える。

 4、5匹の狼は、罠に嵌って暴れているが、それ以上の数の狼がこちらの様子を見ている。

「ずいぶんいるわね。この森に、これだけの狼がいるなんて知らなかったわよ。」

 両手に松明を持って、母は愚痴を言う。

「でも、子供達を殺たせないわ。陽花が来るまで、持ち堪えるわよ。」

 母は洞窟の入り口の前に立ちはだかった。

 洞窟に近寄ろうとする狼を、火のついた松明で振り払う。


「お母さん。」

 弟妹たちは洞窟の中で、震えながら母親を見ているしか出来ない。


「大丈夫よ。もう直ぐ、お姉ちゃんが戻るわ。絶対に外に出ちゃダメよ。」

 母は松明で狼たちを威嚇しながら、子供達を励ました。

 狼たちが交互に、母に向かって左右や上空から容赦なく襲ってくる。

「あんた達、しつこいわね。来ないでよ。」

 母は文句を言いながら、その度に松明をぶつけて撃退する。

 数十匹の狼が、母を囲んで、唸り声を上げている。

 松明の炎で狼の攻撃を防いでいるが、洞窟に近づく狼も増えている。

 2匹の狼が同時に、母を襲った。

 1匹は松明で頭を叩いて除けたが、もう1匹は、母の肩に牙が食い込ませた。


「くっ、・・。」

 母の表情が痛みで歪(ゆが)む。

 その表情を見逃さなかった狼が、松明を持つ母の右手に喰らい付く。

「子供達の所には、行かせないわ。」

 左手に持つ松明で、右手に喰らいついた狼の頭を叩く。

『キャィーン』

 頭を松明で叩かれた狼が、地面に転げ落ちる。

 他の狼は攻撃の手を休めない。

 再び、2匹の狼が同時に母を襲った。

 左の松明で、一匹の狼の頭を叩くが、右手は先ほど狼に噛みつかれた所為か動かない。

 右腕に狼が喰いついた。

 痛みで思わず松明を落とすと、次々に狼たちが母親に向かって襲ってくる。

 洞窟の外で、狼の気配が強くなる。


 心配になった小花が声を上げる。

「おかあさーん。」

 やさしい母の声の返事が帰ってくる事は無かった。


 * * *

 私は狩りを途中で切り上げて、洞窟に向かって走っていた。

 先ほど洞窟の方角から、狼の咆哮が聞こえたからだ。

(なにか、嫌な予感がする・・・。)

 私は目を閉じて意識を集中させる。そして、頭に模様を浮かべると力を注いだ。

 目を開くと、周りの動きが遅くなったのを確認した。

 これで、私の走る速さはもっと早くなっているはずだ。

 (とにかく、急がないと。)

 嫌な予感が私の気持ちを急かした。


 洞窟の近くに着くと、信じられない光景が目に入った。

 母の服を着た肉の塊に狼どもが屯っている。

 そして、狼どもが母の死骸の周りで、肉を咀嚼していた。


「お、お前ら。な、何を・・・・。うあああぁぁぁぁああ・・・。」

 何を叫んでいるか分からないほどに怒りがこみ上げた。

 大声を上げて狼に向かって行く。

 頭の中で、再び模様が浮かび上げて、力を流し込む。

 狼の動きは遅くなり、自分の体が軽くなるのを感じた。


「うわああぁぁあぁ・・・。」

 怒りで我を失って、無我夢中で剣を振るった。

 右に、左にゆっくりと動く狼の首を斬りまくった。

 10匹までは数えていたが、後は数えるのを止めた。

 途中で、剣が血のりで切れなくなると、剣で狼の頭を叩き割った。

 とにかく、立っている狼は片っ端から頭を叩いた。


「お前ら、よくも、よくも、よくもお母さんを・・・。」

 辺りが、首を斬られた狼の血で真っ赤に染まった。

 ふと、我に返ると、その場にいた全ての狼の首が転がっている。

 たくさんお狼の亡骸が地面に散乱していた。

「・・・・・・。」

 私は、その場で膝をついた。

「お、お母さん・・・・うううううぅぅ。」

 泣き声を押し殺して、母の死骸を見つめた。


 静かになると、弟の昌平が洞窟から姿を現した。

 弟は、血だらけになった洞窟の外の景色を見回して絶句していた。

「お母さん。」

 母の死骸らしきものを見つけて、急いで近寄った。

「お、お・・、おかあさ~ん。」

 大声で叫んで首も手足も無い母親を抱きしめた。


 弟の叫び声を聞いたのか、妹も洞窟から走って、姿を現した。

 弟の側に近づくと。

「う、うそ。」

 母の遺骸を見つけた妹は、腰が砕けたように、その場に座り込んでしまった。

 上手く立ち上がる事ができずに、這うようにして母の遺骸に向かった。そして、弟と一緒に母を抱きしめた。

「お、おがあーざん。ど、どうじて、どうしてなの。」

 泣き声を上げて、妹の小花は原形を留めていない母の体に抱き着いた。

 顔も無かった。

 手も足も無い。

 母の服を着た顔の無い同体を2人は強く抱きしめていた。

 私は、呆然と空を見上げた。

 目からは涙が流れる。

 優しい母を思い出すと、涙が止まらない。

 母はいつも、私のことを理解してくれて、考えてくれて、守ってくれた。

 いろいろなことを教えてくれた。

 本当に優しかった。そして温かった。

 そんな母が、もうこの世にいない・・・。

 そう思うと、私も、思いっきり大声を上げて泣き叫びたかった。


 でも、今の私には大声を上げて泣く事は許されなかった。

 父は、私と母を助けようとして殺された。

 母は、身を晒して弟と妹を守った。

 次は私の番だ。

 父や母が私達を守ったのと同じように、私が弟と妹を守らなければならない。

 泣いている暇など、私には無かった。

 溢れ出る流れる涙を私は、弟妹に見せるわけにはいかないのだ。

 空を見上げて涙を見せないようにしていたが、無理だった。

 声を出さないようにするのがやっとだった。

 その晩は、3人で泣いた。

 ずっと泣いて、泣きつかれて夜を明かしたのであった。


 翌朝、私と昌平と小花の3人で、母の遺体を土に埋めた。

 3人で母を埋めた墓にお祈りを終えると、私は昌平と小花の2人を抱きしめた。

「この森を出るわ。」

 やはり森は危険だ。母が死んだのは、この森を甘く見ていた私の落ち度である。

 私一人であれば、大丈夫かもしれないが、弟や妹のことを考えると不安がよぎる。

 早くこの森から離れるしかないと考えた。

 それに、この洞窟は、むごたらしい母の死を思い出させる。


 弟妹たちも素直に頷いた。

 2人とも私と同じ気持ちなのだろう。

 だが、森を出れば、曹家の兵士に見つかるかもしれない。

「とにかく、曹伯爵領を出ましょう。」

 この曹伯爵領さえ抜け出せば、私の兵士殺しの罪は分からない。

 なんとか、兄弟3人で平和に暮らせる場所を探すしかない。

 そう思って、私は弟妹をつれて、東に向かうことにした。東の川を越えれば大商国という国がある。その国がここからは一番近い国であった。

 今まで蓄えた獣の毛皮や、魔物の魔石を持って森をでた。毛皮や魔石は売ればお金になると母が言っていた。


 曹家の兵士に見つからないように、なるべく見晴らしの良い道は避けて、けもの道や人目に付きにくい道を移動した。だが、どうしても平地を通る必要な時は、夜に移動するようにした。

 すると、夜は夜で今度は獣や魔物に襲われる。

 私は大丈夫だが、弟の昌平や妹の小花は夜目も効かずに危険であった。

 仕方がなく昼に移動すると、昼は昼で野盗や、奴隷狩りの商人達が襲ってきた。

 子供3人の旅は、獣や魔物、それに野盗や奴隷狩りにとって恰好の獲物だ。

 その都度、私の時間を遅らせる力を使って獣や野盗を倒した。

 その内、襲われて戦うのも面倒なので、森の中を歩くようにした。

 森は慣れてもいるし、その方が食べ物も手に入った。


 旅を続けていると、その日の小花は様子がおかしかった。

 足取りが遅く、顔色が悪い。元気もなさそうだ。

「小花、どうしたの?調子悪い?」

 心配して、小花に尋ねると。


「お姉ちゃん。頭が熱い。」

 元気のない声が返ってきた。

 小花に触れると額が熱い。熱があるようだ。

 母親を失ったショックや、慣れない旅で心身共に疲れていたのだろう。

 私は恐ろしくなった。

 また、誰かを失うのではないかと恐怖が私を襲った。


「村に行きましょう。そこでお薬を貰うの。それに、ちょっと栄養のある物を食べるのよ。」

 私は、妹を背中におぶって励ました。

 背中の鞄には、魔石や獣の毛皮が入っている。

 どこかの村で売れば、お金になるはずだ。そのお金で薬を栄養のある物を買おう。


 今まで何度か村に入った。

 だが、村に入って魔石を売ろうとすると。

「どこで、盗んだ。」

 と言われ、子供と侮られて魔石や毛皮が奪われそうになったことや、奴隷として捕まりそうになった事が何度かあった。

 その都度、不思議な力を使って、弟と妹を連れて逃げたのだが、それから村や都市には怖くて寄っていない。


 だが、今は妹の命が懸かっている。

 何が何でも薬と栄養のある食べ物、それに休息できる場所が必要であった。

「小花。大丈夫よ。もう直ぐ、お姉ちゃんが薬を手に入れるわ。」

 妹を元気づけるしか、今の私にはできない。

 とにかく、私がどうなろうと、2人の弟妹は守る。それが私の覚悟だった。

 熱で意識が朦朧とした妹を背負って、私は歩き続けた。

 けっこう歩いたが、村も都市も中々見つからない。

 弟は、妹を心配しながら黙って付いてくる

 途中で妹を休ませて、水を飲ませたり、服を変えたりした。

 森の中は日差しも少なく、気温も高くない。

 だが、小花の服は汗でぐっしょりと濡れていた。


「な、なにっ・・・・・・。」

 嫌な気配を感じた。

(獣・・・、いや魔物か)

 私は心の中でつぶやく。

 森での暮らし所為で、気配に敏感になっていた。


「昌平。小花を守っていなさい。」

 小花を大きな木の根元に下ろすと、弟の昌平に妹を守るように伝えた。

 昌平にも木刀を持たせている。

 私は弟妹が守るように、大きな木を背にして、剣を構える。

 いつものように頭の中に、模様を思い浮かべて、力を注ぎ込む。

 すると、周りの時間の動きが遅くなった。

 そして耳を澄まし、周りの気配に集中して、気配の元を探る。


「猿か・・・、いや、猿の魔物だな。しかも3匹。」

 目に映ったのは、3匹の猿の魔物だった。

 猿の魔物とは戦ったことは無い。

 だが、たかが猿の魔物。私は敵では無いと高を括った。

 力を使った時間の流れの中では、私に勝てる者はいないのだ。


「調子にのるな、お前ら。今、狩ってやる。」

 私は焦っていた。

 早く、妹に薬を。そして栄養のあるモノを食べさせて、暖かい布団で眠れる場所を探さないといけないのだ。

 それを邪魔する猿の魔物に怒りを覚えた。

 私は剣を構えると、猿の魔物に向かって行く。


 しかし、いつもと勝手が違う。異変を感じた。

(うっ、おかしい・・・。いつもと違う。猿の魔物の動きが・・・、何か変。)

 周りの時の流れは、いつものように遅く流れている。

 鳥の動きも、風の音も、周りの全ての動きが遅くなっている。

 だが、猿の魔物だけは、私と同じ時間の流れで動いている。

「そ、そんなはずは・・・。」

 思わず、叫ぶ声を上げるほど狼狽えてしまった。

 奴らだけが、私と同じ時間の流れで動いているのだ。


 同じ速度で動く猿の魔物に、剣を振るが全然当たらない。

 猿の魔物がすばしっこいのだ。

「あんた達、狩られなさいよ。」

 剣術を習った事が無い私は、ただ剣を振り回しているだけに過ぎなかった。

 今までは止まっているような遅い動きの中で、魔物や獣を相手に一方的に倒していた。だから、剣術などいらなかった。ただ、剣を振り回すだけでよかったのだ。

 だが、この猿の魔物は違う。

 普通に私と同じ速度で動いている。

 すばしっこく動いて、しかも3匹が交互に襲ってくる。

 私は、剣を使って猿の魔物の爪の攻撃を防ぐので精一杯であった。

 猿の魔物の爪や、牙をたてて跳んでくる。

 何とか、剣をかざして致命傷は防いでいる。


「空からだと。」

 猿の魔物は、地面からだけでなく、空中からも、交互に私に向かって攻撃してくる。

 しかも、見事な連携で、こちらに攻撃の隙を全く見せない。


「昌平、小花。2人とも逃げなさい。」

 私は大声で叫んだ。

「姉ちゃん。俺も戦うよ。姉ちゃんに死なれたら・・・。」

 昌平は、私が殺されると思い、なかなか立ち上がろうとしない。


「なに言っているの、あなたが敵う相手じゃないわ。早く逃げなさい。あなた達が逃げないと、私も逃げられないわ。大丈夫、お姉ちゃんも後を追うから、早くあなた達は先に行って・・・・・・早く行きなさい。」

 中々、立ち上がろうとしない昌平を大声で叱りつけた。

 昌平は泣きそうになりながら妹の小花をかついで、森の外に向かった。


「あんたの相手は私よ。」

 猿の魔物が、昌平を追いかけようとすると、私が立ちふさがった。

「行かせないわよ。私の命を賭けてもね。」

 戦っていた猿も含め、3匹の猿が私の周りを囲むように連携して攻撃をはじめた。

 上手く、猿の注意を私に引き付けるのは上手くいった。


「そうよ。それで良いわ。」

 昌平と小花は、猿の魔物から逃げ出したようだ。既に視線から消えていた。

 2人が逃げたのを確認して安心していると、猿の魔物の爪が左腕に入った。

 左腕から、血が溢れ出す。

 痛みが体中に走った。

(もう少し・・・もう少し時間を稼がなければ・・・。)

 今ここで私が倒されたら、この魔物たちは昌平や小花の処に向かうはずだ。

 2人が襲われない安全圏まで逃げる時間を稼がなければならない。

 私は、守りに専念した。

 剣で猿の魔物の爪を弾く。

 右手に持った剣で、猿の爪の魔物の攻撃を防いでいる。

 一匹だけなら防ぎきれるが、連携されるとどうしてもこちらに隙が出る。

 猿の魔物は、真綿で首を締めるように、ジワジワと攻撃を繰り返す。

「痛っ・・・。」

 左腕が猿の魔物の爪で斬られた。

 弄んでいるように、爪で攻撃を繰り返し、左手から出血を続ける私の体力を奪っていく。

 まるで、遊んでいるようだ。

 いつでも、私に止めを刺すことは出来るのだろう。

 魔物の猿は、ニヤニヤしながら、私を傷めつけて遊んでいる。

 致命傷になりそうな一撃を避けて、なんとか粘っていた。

(とにかく、昌平と小花が逃げる時間を稼ぐんだ・・・。)

 守りに徹していた。


 すると、懐かしい声がした。

「陽花。よく頑張ったわ。よく2人を守ってくれたわね。もう大丈夫よ。」

 声の先を見ると、母が微笑みながら近づいてくる。


「お母さん。」

 私は幻覚を見ているのか。

 それとも、あの世に旅立った母が迎えに来たのか。


「陽花。強くなったな。よく頑張った。」

 母の後ろから、今度は父も現れた。

 2人でこちらに向かって歩いて来る。


「お父さん。」

 これは幻か。夢か・・・。

「・・・、もう私は十分に頑張った。もう、良いかな、・・・お母さん。」

 左腕は魔物の爪で千切れ、右手や足は爪の攻撃で血だらけになっている。

 血を失い過ぎて、頭も朦朧としていた。

 剣も上手く動かせなくなっていた。

 弟妹たちがこの場を去って、だいぶん時間が経過している。

(十分に時間が経った。もう2人は逃げられたはずだ。)

 心の中で、両親から託された使命を果たしたことに満足した。

「お父さん。お母さん・・・。」


「もう、頑張らなくて良いわよ。」

「そうだ、陽花はよく頑張った。もう休みなさい。」

 母も、父も両手を広げて近づいてきた。

 もう、思い残すことはない。

 ――ガッチャ。

 もう右手にも力が入らない。

 剣が地面に落ちる。

 今まで猿の魔物の攻撃を凌いでくれた剣を手放した。


「陽花。良くやった早くこちらにおいで。」

「そうよ。陽花。良くやったわ。昌平も小花も無事よ。あなたのおかげで逃がしたわ。もういいわよ。そろそろ死んで。」

 父と母は私に向かって両手を広げている。


「お父さん。お母さん。私は疲れました・・・。」

(もう、戦いは終わりだ。疲れた。お父さんとお母さんの所に行こう。)

 私は目を閉じた。

 すると、私は頭の中で、力を与えてくれる模様が消えた。


 ――ボトン・・・、ボトン・・・、ボトン。

 何かが地面に落ちる音がした。

 閉じていた目を開く。

 そこにあったのが、3匹の猿の魔物の首だった。

 大きな口を開けて、牙をむき出しにした猿の顔だった。

 続いて、——ドン、——ドン、——ドン、

 猿の魔物の体が地面に倒れる音がした。


「お母さん。お父さん・・・。お母さんと、お父さんはどこ。」

 私は驚いて、大声で叫んだ。

 今まで、目の前にいたお母さんと、お父さんが消えて、猿の魔物の首が3匹分現れたのだ。私には何が起きたのか分からなかった。

 ただ分かったのは、お母さんとお父さんが消えた事だけだった。

 後ろを振り向くと、緑のマントを羽織った冒険者が立っていた。

 そして、猿の頭に魔刀を突き刺して、鞄の中に回収していく。

 手に持っているのは、虹色に光った綺麗な魔刀だ。


「大丈夫か。」

 冒険者は、こちらを見て手を差し伸べた。

(助かったの?でも、お母さんとお父さんは・・・・)

 私は気が抜けてしまって、冒険者の手を握り返すことなく、その場に倒れてしまった。


 * * *

 私が目を覚ますと、周りは暗かった。

 なぜか、ベッドの上でしかも暖かい布団の中で寝ている。

 布団に包まれて寝るのは何か月ぶりだろう。

 ずいぶん前のことだ。

(あれ。ここはどこなの。)

 ここが何処なのか戸惑っていると、横に誰かが座っているのに気付いた。

 向こうの黒髪の綺麗な女性も、私が目覚めたのに気づいたようだ。


「目を覚ましたようだね。どう、調子は?」


「あなたは誰ですか。」

 私は体を起こすと、横の綺麗な女性に尋ねた。


「僕か、僕は姜桜花。冒険者だよ。君の名前はなんというんだい。」


「私は、董陽花。その・・・、旅をしている者です。」

 私は、自己紹介など今までしたこと無かったので、どぎまぎしてしまった。

「あ、あの・・・、ここは、どこなのでしょうか。」


「ああ、《館》の中だよ・・・、まぁ、異空間の中かな。」


「はぁ、異空間・・・ですか。」

 私は聞きなれない言葉に困惑した。

 確か、私の記憶では、小花が熱を出して、森で猿の魔物に襲われて、死にそうになったらお母さんとお父さんが現れて・・・。

 そうか、ここはあの世か、きっと異空間という死んだ者が行く世界に違いない。


「そうだね。だから、安心して、ゆっくり休めば良いよ。」


「あ、あの私、猿の魔物と戦って死んだんですか。」


「えっ、死んでいないよ。君は生きているよ。ただ、猿の魔物、神級魔物の猿鬼3匹と戦って死にそうにはなっていたけどね。そこを子雲が助けたんだよ。」

 微(かす)かだが、緑の外套を着た人が私を助けてくれた記憶があった。


「えっ。神級魔物・・・あの猿の魔物は神級魔物なんですか。もしかして、私は神級魔物と戦っていたんです・・・という事は、やっぱり、ここはあの世ですよね。」

 あの魔物が、神級魔物だったとは・・・。

 どうりで、いつもの魔物より強かったわけだ。だったら、私が殺されるのも頷ける。


「いや、だから、君は死んでいないし、あの世にも行っていないよ。ここは、僕らの家の中と思えば良いよ。」


「でも、私は死んだお母さんと、お父さんに会いました。あれは、夢だったのでしょうか。」


「ああ・・君も見せられたんだね。あれは猿鬼の《精神》魔法の幻影だよ。」


「《精神》魔法?幻影?」

 私は首を傾げる。


「そうさ、あの猿鬼は人の記憶を覗いて、その人の大事な人の姿の幻影を見せて、相手に隙が出た所を倒すんだ。僕も、幻影を見せられた事があるからね。あの《精神》魔法の恐ろしさも良く分かっているよ。」


 話を聞いて、やっと自分が死んでいないことが分かった。

「と、とこで、小花は助かったのでしょうか。それに昌平は無事でしょうか。」

 2人に何かあったら、あの世にいる本当の母や父に申し訳がたたない。


「小花ちゃんと昌平くんって、君の妹さんと弟さんかい?」


「はい。そうです。妹の小花と、弟の昌平です。2人を知っていますか。」


「ああ、知っているとも。だって2人が君を助けてくれと僕らの処に泣きついてきたんだから。女の子の方は熱があったけど、子雲の解熱剤でもう大丈夫だよ。ほれ、あそこに寝ているよ。」

 桜花さんが、部屋の椅子の方を指さすと。そこには昌平と小花の2人が抱き合って眠っていた。


「ああ、良かった。」

 寝ている2人を見て涙が出て来た。


「そう言えば、君の左腕も子雲が治癒魔法で治してくれてたけど、どうだい、調子は。」


「えっ。」

 そうだ、すっかり忘れていたが、私は猿鬼との戦いで左腕を失っていたんだ。

 右手で左腕の感触を確認すると、ちゃんと左腕がついていた。

 痛くも無いし、普通に動く。腕を失ったのを忘れていたくらいに違和感がない。

 グルグルと左腕を動かしてみた。


「大丈夫のようだね。子雲の治癒魔法は、あれはとんでもないからな。僕も一度腕を治してもらったけど、腕が生えてくるのを見るのは中々気持ちの良いモノじゃないかな。でも、良かった。子雲の奴は病気でも怪我でも、何でも治しちゃうからな。あいつは僕の弟子なんだけど凄いんだよ。」

 桜花さんは、嬉しそうに子雲という人の事を語っていた。


「あ、あの、本当にありがとうございます。妹を助けてくれて。私の腕まで治して頂いて、なんとお礼を言って良いのか。」

 私は何度も何度も頭を下げて、礼を言った。

 腕が治ったのも嬉しかったが、妹が助かったのが、本当に嬉しかった。


「助けたのは僕じゃないから。子雲に、礼なら子雲に言ってくれよ。でも、良かったね。本当に、元気になって。」


「そうですか。その子雲様にもお礼を言いたいのですが。」

 私が、ベッドから起き上がろうとすると。


「そんなの明日で良い。それより、今日はゆっくり休んだ方が良い。君は死にそうな状態だったからね。治癒魔法で助かったけど。子雲が言うには、失った血だけは治癒魔法で回復しないそうなんだ。それで、血を作るには睡眠と食事が一番効果があるらしいよ。」


「血ですか。」

 確かに、血をたくさん流していた。左腕を失ってからは結構な量の血を流していたような気がする。


「そうよ、ゆっくり休んで、血を作りなさい。食事を後で持ってくる。」

 桜花さんはニコッと笑った。本当に綺麗な人だ。

 お母さんも綺麗だった。なんとなく、お母さんに似ているかもしれない。


「ありがとうございます。あの、せめて、お礼をさせてください。魔石や毛皮しかありませんが。」


「礼など要らないよ。子供が救いを求めていたら助ける。それが姜馬様の、僕たちの流儀だからね。それに、お礼を言うなら弟や妹に言えば良いかな。あの子たちが僕たちの元に助けを求めに来たんだ。それと、あの猿鬼はたぶん【智陽】から逃げ出した奴らだと思うよ。まぁ、僕らが倒し損ねた魔物も退治できたし、神級魔物の魔石や素材も手に入ったから、気にしなくて良いよ。」

 桜花さんは優しく微笑んで、礼を受け取らなかった。

「それより、陽花。君は神級魔力の使い手なんだね。こんな所に神級魔力の使い手がいるとは、そっちの方が驚きだよ。」


「へっ。私が神級魔力使い手?何かの間違いですよ。私はタダの農民の娘で・・。ただ、突然、変な力が使えるようになっただけですから。」

 魔法は貴族か、生まれながらに持っている人が魔法を使う。私は農民の娘だし、今まで魔法が使えると言われた事も無かった。桜花さんは私の事をからかっているんだろう。


「まぁ、今日はゆっくり休んで。この話はまた明日しようか。」

 桜花さんはそう言うと、私に布団をかけて、寝かしつけてくれた。


「ありがとうございます。」

 私はお礼を言うと、直ぐに睡魔が襲われた。

 数か月ぶりに安心して眠る事ができる。

 あの曹家の兵士が襲われた日から、久しぶりに曹家の兵士や魔物に襲われる事を気にしないで、眠りにつくことが出来るのだ。

 本当に何日ぶりだろうかと考えていると、私は眠りについていた。

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