第11話 姜桜花

姜桜花  【智陽】の西門


 「はぁ、はぁ、はぁ。」

 さすがに、西門周辺の魔物の数は多かった。

 桜花は肩で息をしながら、辺りを見回して倒した魔物の数を確認した。

 既に千匹の魔物は倒しただろうか。

 向かって来る魔物を手当たり次第に斬り倒していた。

 味方がいないので同士討ちの心配もせず、心置きなく魔刀が振り回している。

 雑魚ばかりだが、数が多かったので、多少は魔力レベルの経験値の上昇に貢献しているはずだ。

 『神速』魔法を発動して魔刀を振り回すと、一陣の風が吹いて桜の花が散るように魔物の首が地面に落ちていった。

 目で追えないほどの速さで刀が舞うのだ。

 『神速』魔法を使う桜花の前では、この数の魔物でも狩りの獲物でしかない。彼女にとって魔物を狩るのは作業でしかなかった。

 (まぁ、姜馬様との修行に比べれば、準備運動にもならないね。)

 半刻(約1時間)ほど経つと、西門の近くの魔物を粗方倒していた。

 何匹かは桜花の攻撃をすり抜けた魔物もいたが、中央には静香がいる。彼女の守りなら心配ない。すり抜けた魔物も静香が退治してくれるはずだ。

 すり抜けた魔物の中に、一匹だけ王級クラスの魔物もいたが、一匹くらいなら経験値が上がると静香も喜ぶはずだ。


 「慶之や美麗も頑張っているかな。」

 一呼吸置くいて、北と南を見回した。

 気配を探れば、北の慶之や、南の美麗の方も魔物が減ったのが分かる。

 北や南から、魔物の叫び声や、建物が壊れる音もほとんどしなくなっていた。

 それにしても、これだけの数の魔物が都市を襲うのは初めて見た。


 (たぶん、これが噂の『大瀑布』だ。)

 強い神級魔物が、数千匹単位の魔物の群れを率いて『魔物の領域』から飛び出す事を『大瀑布』と言うと姜馬に教えてもらっていた。滅多に発生しないと言っていたが、この国の王都や大聖国でも最近発生している。

 (まさか、こんな所で自分も遭遇するとは思っていなかったが・・・。もし、これが大瀑布なら神級魔物も現れるはずだ。王級魔物は何匹か倒したけど、神級魔物には出会っていないから戦ってみたい。今の僕の力で倒せるか分からいけど。)

 「とにかく今は、魔石でも回収するとしますか。」

 そんな事を考えながら、倒した魔物の魔石と素材の回収を始めた。

 西門付近の魔物はほとんど倒して、魔物はいなくなっていた。

 転がっている魔物の死体から魔石と素材を回収した。戦いもそろそろ終わりの頃合いだ。

 「ずいぶん狩ったな。きっと、平香も喜ぶだろうな。」

 姜平香は、鎧づくりの職人で、『姜の里』で桜花にとって仲の良い友人だ。

 貴重な魔石や魔物の素材に目が無いので、たくさんの素材と魔石を持ち帰ると本当に喜んだ。女性なのにはしたないのだが、レアな魔石や魔物の素材を見ると涎を垂らすこともあった。

 最高の鎧を作る天才であるのは間違いないのだが・・・。

 三度の飯より鎧づくりが好きという、ちょっと変わった鎧職人だった。


 そんなことを考えていると、なにか強力な魔力の気配を感じた。

 (なんだ。この気配は・・・。)

 強い魔力と、強い気を感じる。

 突然現れた気配に意識を集中していた所、ふと周りを見たら景色が変わっていた。

 「なんだ・・・、ここは、この場所は覚えがある。」

 今まで、【智陽】の城内にいたハズなのだが、気づくと別の場所にいた。

 見たことのある景色だ。懐かしさすら感じる。


 (魔力は感じる。敵が近くいるはずだが・・・。)

 桜花は魔刀の柄に手をかけた。いつでも抜ける状態で周りを警戒して見回す。

 魔物の姿は見えず、そして何も起きない。ただ、魔力を感じるだけだ。

 (静かだ・・・)

 周りは明るい陽が照り、小鳥がさえずっている。

 大きな川が流れ、周りには緑の田畑が広がっている。

 (あれ・・・懐かしい感じがする。)

 この景色を桜花が良く知っていたが、どこだか思い出せないでいた。


 (ううぅ・・・そうだ・・・思い出した。私は、この場所を良く知っている。

 この川も、野原も、そして奥にそびえる大木も知っている。

 この風も、この土の匂いも全部だ。)

 そう、ここは桜花の生まれた故郷の村の風景だった。


 「桜花・・・。桜花でしょ、桜花が生きていたわ」

 懐かしい声が聞こえた。

 目をそちらに向けると、懐かしい人の姿が目に入ってきた。


 「お母さん。」

 思わずつぶやいていた。

 そこに立っていたのは桜花の母親だった。

 「お、お母さん。本当に、お母さんなの」

 母親を確信したのか、声が大きくなり、彼女の瞳には涙が流れていた。


 「桜花。何処に行っていたの。探したのよ。」

 母は笑顔で答えた。


 「お母さん。なぜ、ここに。」


 「決まっているじゃない。桜花をずっと探していたのよ。」

 手を広げて、こちらに向かって駆け寄って来る。


 「お母さん。」


 「桜花、ずいぶん大きくなったわね。」

 桜花を抱きしめようとする。


 「・・・痛い。」

 母親が彼女に触れる瞬間、痛みを感じて、桜花は後ろに跳んでいた。

 左腕が痛む。

 桜花の手首から先が消えて、赤い血が噴き出していた。

 左手が地面に落ちていた。


 「お母さん。何をするの。」

 攻撃をしてきた母親を見ると、そこにいたのは母親ではなく、猿の魔物だった。

 「猿の魔物・・・。くそ、僕が不覚を取るとは・・・お母さんをどこにやった。」

 右手の掌(てのひら)で、血を止めようと左の手首を抑え込む。


 「あら、桜花。酷い娘(こ)ね。私があなたのお母さんじゃない。お母さんのことを猿の魔物と呼ぶなんてひどいわ。」

 猿の魔物が、母親の声で話しかける。

 痛みで目がかすむ。右腕が熱い。

 「・・・・・。」

 額から冷たい汗が流れる。

 (どうしたんだ、目の前の猿の魔物が、お母さんに被(かぶ)って見える。)


 「大丈夫かしら、桜花。こっちにいらっしゃい。抱きしめてあげるわ。」


 腕を抑えて、暫くすると痛みが薄れていった。

 頭もすっきりして前を見ると、目の前に立っていたのは母親だった。いつの間にか、猿の魔物が消えていた。

 「お母さん、早く逃げて!近くに猿の魔物がいるはずよ・・・。」


 母親は首を横に傾ける。

 手には血が付いた鎖鎌をクルクルと回しながら、桜花に近づいてきた。

 「桜花。そこで、待っていなさい。今、楽にしてあげるわ。」

 不気味な姿の母親が近づくのにつれ、桜花は後ろに後ずさってしまう。

 母親の歩く速度が速くなる。

 桜花は恐ろしくなった。

 『神速』魔法を発動して逃げるが、母親は『神速』と同じ速度で追い駆けてくる。


 「お母さん、な、なんで、なんで、お母さんは鎖鎌なんかを持って・・・。」

 母親は鎖鎌を振り回しながら追いかけてくる。

 

 「あら、それは、可愛い娘を捕まえる為よ。当たり前じゃない。」

 そう言って、更に速度を上げてくる。

 逃げる桜花をもの凄い速度で追いかけて、少しずつ距離を縮めている。


 「その鎖鎌を捨てよ、お母さん。僕を殺す気かい。」


 「そうよ。あなたを殺す気よ。」

 母親の口元が、三日月のようになって微笑んでいる。


 「なぜ、なぜ、お母さんは僕を殺すんだ。・・・なぜ。」


 「決まっているわよ。それは、あなたが要らない子だからじゃない。そうでしょ、桜花。だから死んで。なぜ、あの時、死んでくれなかったの。」


 (ああ・・・そうだった。僕は要らない子だったんだ。生きてはいけない子・・・。)

 母親の言葉を聞いて、桜花は何かを思い出したようだ。急に桜花の動きは鈍くなった。みるみる母親と桜花の距離が縮まっていく。

 桜花は追いつかれそうになると、本能で魔刀を右手に持って身構えた。


 「あら、桜花。あなたって子は。お母さんに刀を向けるの。」

 母親の顔を見ると、とても斬りかかれない。

 桜花が躊躇していると、母親が鎖鎌を投げて攻撃してくる。

 分銅を桜花に向けて投げて、足の動きを止めようとする。


 桜花は飛び跳ねて、鎖鎌の分銅を上手く除けてた。そのまま、魔刀で斬り掛かろうとするが、母親の顔を見ると刀を振り下ろせない。

 「僕は要らない子。だから、僕を殺すの・・・。そう、僕が要らない子なんだ。」

 桜花の動きは散漫となり、母親が投げる鎖鎌や分銅を受けるのがやっとであった。

 魔刀を振り上げるが、母を見ると、直前で魔刀が止まってしまう。

 その隙をついて、母親の分銅が僕の顔を目がけて飛んできた。

 魔刀で分銅を弾くと、一気に間合いを縮めてきた。母親も『神速』魔法を発動して動いているので速度が速い。

 鎌で僕の足を斬りつけた。太ももが斬られて、右足から鮮血が飛び散った。

 足をやられた・・・。足を封じられると逃げられない。

 「ドジを踏んだよ、子雲。姜馬様の夢・・・、後は弟子に託すよ。」

 僕は目を閉じた。


* * *


 その頃、静香は【智陽】の中心に作った塔の上から、西を睨みつけていた。

 この塔の南北には、この都市を左右に分断する防衛壁が走っている。

 この防衛壁はさっきまでは無かったが、今ではこの防衛壁が魔物からこの都市(まち)の人々を守る生命線になっている。

 魔物から逃げてきた人々は、この防衛壁に到達できれば命は救われた。

 塔の上から、静香が『千里鏡』で西の動きを覗いていた。『千里鏡』は望遠鏡のように遠くが見える大聖国の宝具である。

 『千里鏡』の中で魔物が目に入ると『聖の魔弾銃』の照準を合わる。

 引き金を引く度に魔物が倒れていく。将に百敗百中の命中率であった。

 魔物に追われて逃げている人々から突然魔物の威圧が消えた。どうしたのかと周りを見ると、襲い掛かってきた魔物が倒れている。

 そこに魔石を回収にきた離梅が人々に逃げる方向を教える。離梅の言う通りに進むと、中央の門にたどり着いて防衛壁の東側に逃げることが出来るのであった。

 今まで死と隣り合わせにしていた人々は門の東側に逃げると、やっと生きた心地がしたのであった。

 この防衛壁の近くで、うろつく魔物は全て静香の魔弾銃の餌食になっていった。


 西側から逃げてくる人も、追い駆ける魔物も数がだいぶん減っていた。

 さっき慶之に助けられたと言っていた親子もこの門を潜って行った。

 すると、東側の安全地帯に逃げた中から数十人の人が静香の下に集まってきた。

 「嬢ちゃん、助かった。魔物を倒してくれてありがとよ。」

 「嬢ちゃん、あんたの銃の腕は、すげぇな。」

 「お姉ちゃん。西で戦っている冒険者は、あんたの仲間かい?あんたの仲間に娘が救われた。ありがとうよ。」

 集まってきた冒険者や兵士たちが、口々に静香に礼を言った。

 そして、自分たちの都市(まち)を守る為に戦うと志願してきた。

 「嬢ちゃん。俺達も戦うぜ。」

 「家族を守るのに、見ているだけじゃ。嫌だ、俺たちも戦う!」

 「戦うぞ。指示を出してくれ。」

 一緒に戦うと、静香の下に冒険者や兵士たちが集まり出した。


 「・・・あんた達、壁の東側で大人しくしていなさい。」

 静香、面倒な者を相手するように、投げやりに手をふった。


 「いや、戦う。戦わせてくれ!この【智陽】は俺達の都市(まち)だ。見ているだけじゃ嫌なんだ。頼むよ、嬢ちゃん。」

 「「「「「「そうだ。そうだ。」」」」」」

 静香が止めるが、冒険者や兵士たちは、腕を上げて戦う意思を示した。


 「仕方が無いわね。それじゃ、北の端と、南の端を頼むわ。この辺りは私一人で十分。反って味方がいると射撃の邪魔になるわ。」


 「分かった。嬢ちゃん。俺達、冒険者は北に向かうぜ。兵隊たちは南を頼む。」

 口火を切ったのは、いかつい顔のガタイの大きい冒険者だ。周りの仲間や兵士に向かって大きな声を上げた。


 「頼むわ。それと、私が倒した魔物の魔石や素材に手を出したら許さないから。」


 「分かっているぜ。あんた達の戦利品に手を出す恩知らずがいたら、俺達も許さねえよ。あんた達は俺達の恩人だ。なぁ、みんな。」

 「「「「「おう」」」」」

 冒険者達は、命を賭けて魔物を倒す。その対価である倒した魔物の魔石や素材に執着するは、冒険者として当たり前の事であった。

 もし、他の冒険者が倒した魔物の魔石や素材の戦利品を奪う奴がいたら、略奪行為として殺されても文句を言えない。それがこの世界の冒険者の掟なのだ。


 「それとあんた達、私は嬢ちゃんじゃ無いわよ。お嬢様だから、お嬢様と呼びなさい。分かったかしら。」


 「ああ、分かったよ。お嬢ちゃん。」

返事は良いのだが、呼び方はあまり変わっていなかった。

 「それはそうと本当に、この場所の守りは、嬢ちゃん1人で大丈夫か。」


 「大丈夫よ。この程度の数の魔物は大したこと無いわよ。この『聖の魔弾銃』と私の神級魔力があれば、なん千匹でも、なん万匹でもかかってきなさい。」


 「すげえなぁ、嬢ちゃん。やっぱり神級魔力の持ち主か。それなりの腕の持ち主とは思っていたが、それじゃ、頼んだぜ。ハハハハハ。」

 ガタイの大きい冒険者は、声を上げて笑うと、仲間を連れて北に向かう。

 釣られて、魔弾銃や実弾銃を持った兵隊達も、南に向かって行った。


 兵士たちが去って、しばらくすると強力な魔力の気配を感じる。

 「けっこう大きな魔力ね。少しは経験値が稼げそうな奴が来たわね。」

 魔力の気配が大きくなっていく。

 ――ドン、ドン、ドン

 大きな足音と共に、犀の魔物が近づいてくる。

 王級魔物の魔犀鬼だ。2足歩行で、両手に斧を持ってこちらに向かって来る。

 「あちゃ~、王級魔物の魔犀鬼じゃん。あの魔物は私と相性悪いのよね・・・あいつの皮は硬いのよ。」

 静香は魔弾銃の照準を魔犀鬼に合わせた。

 「魔弾銃じゃ、ちょっと難しいかしら・・・。」

 引き金を立て続けて引いて、魔犀鬼に魔弾が連射する。

 ――ダ、ダ、ダ、ダ、ダ。

 全弾、魔犀鬼に命中するが、厚い皮で弾かれた。


 「やっぱ、この程度じゃ、ダメよね。」

 魔弾銃での攻撃をあきらめると、銃は『魔法の鞄』にしまった。そして今度は魔弾砲を取り出す。

 「この『聖の魔弾砲』だったら、いけるっしょ。これなら魔犀鬼の皮も貫けるはずよ。」

 魔弾砲は、魔弾銃の数十倍の破壊力を持つ。

 普通の魔弾砲では、王級魔物の魔犀鬼の皮は貫けない。

 だが、『聖の魔弾砲』は千年前に始祖の仲間が使っていた宝具である。王級魔物の皮なら多少硬くても貫けるはずだ。

 ただ、難点は連射が利かないこと、魔力装填に時間がかかる事。

 それでも、静香ならその難点もある程度克服できてしまう。本来普通の魔法使いなら10分程度かかる魔力装填を30秒程度で完了させてしまうからだ。


 「行くわよ・・・魔犀鬼。あんたは私の経験値になりなさい。」

 『千里鏡』を覗いて、魔弾砲の照準を合わせる。

 「大人しく、やられて頂戴。」

 静香が魔弾砲の引き金を引いた。

 魔弾砲から魔弾が、魔犀鬼を目がけて一直線に飛んでいく。

 魔犀鬼は不気味な雰囲気を醸しだして斧を持って身構えている。

 ただ、静かに魔弾を睨みつけている。

 ・・・・サッ。

 そして、砲弾が斧の間合いに入った瞬間、魔犀鬼の斧が流れるように動いた。

 魔弾砲の魔弾が2つに裂かれて、左右に飛び散った。

 「・・・嘘でしょ・・・なんなのよ。」

 魔犀鬼は斧で、魔弾を斬り裂いたのである。

 「桜花じゃないんだから・・・、魔物が斧を使うだけでもレアなのに。魔弾を斬り裂く技量とか無しでしょ・・・。なに、あれ。本当に魔物なの。」

 魔犀鬼の想定外の斧の技というか、あまりの理不尽さに呆れてしまった。


 「でも、そんなことで、めげていられないのよね・・・私。」

 再び、魔弾砲を構える。

 『聖の魔弾砲』の魔力充填に30秒。

 その間に、魔犀鬼が静香に向かって突進してくる。

 ――ドン

 壁に向かって突撃した。

 門の中央は閉じているので、壁を抜けて東側に向かう事は無いが、壁が大きく揺れた。

 「あ、危ないじゃない。」

 塔に立っている静香の足場が大きな揺れを感じた。

 壁にヒビが入る。頑丈に作った壁だが、王級魔物の魔犀鬼の力が凄いのか。あの威力なら、あと2,3発の突進でこの壁は壊されるだろう。

 「ちょっと、この状況、まずいわね。」

 (まぁ、本当にヤバくなったら、宝具の指輪を使って『移転魔法』で逃げるけど。)


 やっと、魔力充填は終わった。

 魔力充填の時間は、たった30秒。だが、王級魔物相手ではこの30秒が大きかった。

 「今度こそ、倒すわよ。」

 さっきりより魔犀鬼までの距離は縮まっている。この近距離なら魔弾を斬るのは至難の業だ。ここからなら、避けれ無いはず。

 (今度こそ、『聖の魔弾砲』の威力を見せてあげるわよ。)

 静香は照準を併せると、引き金を引いた。

 魔弾は、さっきより短い時間で魔犀鬼に到達した。

 ・・・・サッ。

 だが、結果は同じだった。

 魔犀鬼は、静かに斧を上段から振り下ろす。すると魔弾はさっきと同じように斧によって2つに斬り裂かれてしまった。

 魔犀鬼は、ニヤリを口角を上げて、静香を見上げた。

 「な、なによ。この達人・・・そして、この敗北感は。達人の魔物とか、わけ分かんないですけど。この手のタイプは、桜花の守備範囲じゃないの・・・。私は勘弁して欲しいんですけど・・・。」

 

 ――ドン

 魔犀鬼は、愚痴を言っている静香を構うことなく、壁に向かって突撃した。

 壁に入ったヒビが大きくなっていく。

 あと一撃か、少なくとも二撃を喰らえば、壁は間違いなく崩れ落ちる。


 「まいったわね。逃げるか、でも逃げたらたくさんの人が死ぬわね。それに慶之も、桜花も怒るだろうな・・・。でも、死ぬのは嫌だし・・・。攻撃の手札もあんまり無いんだけど・・・。仕方がないな、危ないから嫌だっけど、これで行くしかないわね。これでダメだったら、逃げるけど。」

 静香はぶつぶつ言いながら、鞄に手を突っ込んだ。

 鞄から出したのは『移転の指輪』だ。


 「・・・ああ、でも嫌だな。この攻撃は危ないんだよね。今回は、この指輪を逃げじゃなくて、攻めに使うけど。でもこの攻撃に失敗したら、移転魔法で逃げれば良いのよね。そう、いざとなれば逃げれば良い。それに、私はやればできる子なのよ。きっと上手く行くわ。」

 静香は自分に暗示をかけながら『移転の指輪』を指に嵌めた。

 「ふー、はー」と深呼吸をする。これ以上、待っていると魔犀鬼の三度目の体当たりがきそうだ。

 「行くわよ。」

 静香は覚悟を決めて指輪の魔法を発動させた。


 移転した場所は、魔犀鬼のすぐ目の前だ。

 魔弾砲を持った静香が魔犀鬼の目の前に現れた。魔犀鬼は状況が分からず一瞬動きが止まった。ほんの一瞬だった。

 その一瞬で、静香は地面に右腕をつけて魔法を発動させた。

 「液状化。」

 彼女が詠唱したのは土魔法の『液状化』であった。

 何が起こったのか分からない内に、魔犀鬼の足元が沼のように変わり、地面の中に沈んでいく。

 まるで、底なし沼に吸い込まれていくようだ。

 泥と化した地面に足を取られて、思うように前に進めない。


 手に持った魔弾砲を照準を合わせる。

 「(あの世に)いっちゃって頂戴。」

 足が取られて慌てている魔犀鬼を目がけて引き金を引いた。

 流石の魔犀鬼も、足元が定まらなければ、斧を振るう事もできない。

 顔面が吹き飛んで、体が地面に倒れた。

 静香は『液状化』の魔法を止めると、倒れた魔犀鬼の体から魔石を抜き取った。 そして素材も『魔法の鞄』の中に放り込んだ。

 「王級魔物の魔石をゲットよ。それに魔力レベルの経験値が稼げたわ。魔犀鬼の皮は硬くて鎧の装甲に適しているから、きっと平香が喜ぶわ。」

 ついでに魔犀鬼の後ろにいた雑魚魔物も魔弾銃で倒して回収した。

 静香はホクホクで、中央の塔の上に戻った。


 『千里鏡』で西の方を見回すと、魔物の気配は無くなっていた。

 暫く様子を見たが、これ以上魔物が現れそうには見えなかった。

 「この辺りで手仕舞いね。粗方、魔物は退治したし。そろそろ撤退しましょ。」

 さきほどの王級魔力の魔物と雑魚魔物の一群がどうも最後だったようだ。後は桜花が全ての魔物を退治したようだ。

 (そろそろ、西門に向かった方が良さそうね。早くこの都市(まち)から離れた方がよさそうよ。何か嫌な感じがするのよね・・・影で動き回る奴らの。)

 静香は少し離れた所にいる離梅を念話機で呼んだ。念話機は、姜馬が開発した魔道具だ。離れた場所にいる人と話が出来る携帯電話のようなものだ。


 「離梅。魔石と素材の回収は終わったかしら。」


 「はい、静香殿。ちょうど終わったところですよ。」

 冒険者達は約束を守って、静香が倒した魔物の魔石や素材には一切手を出さなかった。それだけではなく、回収をまで手伝ってくれた。おかげで離梅は思ったより早く魔石と素材を回収していたのであった。


 「そう。なら私たちも西に向かうわ。慶之や桜花たちと合流するわよ。」


 「分かりました。私も美麗お嬢様が心配です。早く行きましょう。」

 離梅も美麗が心配のようだったのか、了解した。


 静香が壁の東側の人に声をかける。

「あんた達、魔物は倒したから、私たちは行くわ。後はよろしくね。」


 声を掛けられた男は『待ってくれ』と言って、人が集まっている場所に入って行った。

 しばらくすると、さっきと別の冒険者の風貌をした男が現れた。

 「お嬢ちゃん。儂はこの都市の冒険者組合(ギルド)の組合長をやっている者だ。この都市の人を助けてくれてありがとう、本当に助かった、礼を言う。」

 組合長は頭を下げた。

 「お嬢ちゃん達も冒険者のようだが。お嬢ちゃんもそうだが、お嬢ちゃんの仲間の活躍で都市(まち)の多くの者が助けられた。本当にありがとう。それで、これだけの数の魔物を倒す力を持った冒険者は、『岳家の冒険者』ぐらいしか思いつかないが。あんた達は、『岳家の冒険者』たちなのかい。」


 「『岳家の冒険者』・・・ああ、岳光輝ね。違うわよ。」


 「『岳家の冒険者』じゃないのか。これだけの力のある冒険者は『岳家の冒険者』ぐらいしか思いつかないんだが。名前を教えてくれないか。あんた達は都市(まち)の恩人だ。冒険者組合(ギルド)としても、出来る限りお嬢ちゃん達に報いたい。魔石や素材も通常の買取価格より高く買おう。」


「私たちはね・・・そうね、名乗るほどの者じゃないわ。」

慶之や自分、それに美麗もお尋ね者なので、名前を名乗るわけにはいかなかった。

「それに、本当に急いでいるのよ。次に来る時に名乗るわ。魔石や魔物の素材もその時に買取をお願いするかもしれないし。それで勘弁してくれるかしら。」


 組合(ギルド)は、冒険者登録で本来なら冒険者の素性は押さえている。

 冒険者登録は、組合(ギルド)に魔石や素材の買い取ってもらう為に必要であった。だが、これだけの凄腕の冒険者なのに【智陽】の組合(ギルド)の組合長は静香たちの情報を全く掴んでいなかった。

 静香たちは、身元を隠す為に冒険者の恰好をして冒険者を名乗っていただけで、冒険者登録は行っていなかったからだ。下手に冒険者登録をしたら、その場で指名手配犯として捕まってしまう。その場で捕まらなくても足が付く。だから、登録をしていなかったのだ。

 それに、組合に魔石や素材を買い取ってもらう必要も無かった。旅の資金なら潤沢にあった。


 「急ぐ?・・・あんた達は我ら命の恩人だ。是非、礼がしたい。あんた達がいなかったら、この都市は、魔物に壊滅された【曲阜】の二の舞になっていた。本当に助かった。」

 組合長が頭を下げると、この都市の者たちも頭を下げた。


 「礼なんて要らないわよ。こっちも魔石や素材が手に入ったから気にしなくて良いわ。それに、本当に急ぐのよ、悪いわね。この場所を守って、私たちを行かせてくれる方が助かるわ。まぁ、あなた達が嫌と言っても、勝手に行くけど。」

 これ以上、この都市にいると何かに巻き込まれると静香は感じていた。だから、一刻も早くこの都市を離れたかったのである。


 「そ、そうか、分かった。恩人を困らせたくないから、ここは引き下がろう。それで、そんなに急いでどこに行くんだ。」


 「『火の迷宮』よ。」


 「そうか、『火の迷宮』か。本来なら、あの迷宮は活性化でかなりヤバい状況だから、行くのを止めるんだが。まぁ、あんた達の力なら大丈夫だろ。だが、次にこの都市に寄った時は、必ず組合に寄って声を掛けてくれ。都市(まち)のみんなであんた達を歓迎するよ。それに『火の迷宮』で獲った魔石も含めて、高く買い取らせてもらう。」


 「分かったわ。それじゃ、次にこの都市にきたら、組合(ギルド)に寄るわ。後は任せるわ。大した魔物は現れないと思うけど。」


 「ああ、後は任せてくれ。組合(ギルド)が声を掛けて冒険者を集めたからな。この都市を守ってくれて本当にありがとう。」

 

 「じゃ、先を急ぐんで行くわ。」

 静香はそう言うと、待っていた離梅と一緒に西に向かって走って行った。

 冒険者や都市の人たちは名残惜しそうに静香の姿を見送っていた。


* * *


 「もう僕も、ダメか。」

 桜花は、鎌で右足の太ももを斬り付けられ、走れる状況ではなかった。

 それでも、片方の足で跳躍してやっとのことで後方に下がって距離をとった。

 左腕を失い、足も傷ついた。

 腕と足から流れる血が止まらない。血をけっこう失ったのか目まいがする。

 これ以上は戦えないし、逃げられない。

 そう覚悟した桜花は目を閉じていた。


 辛い過去が思い出される。

 そう・・・、思い出したくもない・・・辛い過去だ。

 僕が『姜氏の里』にやってきたのは、まだ4歳の頃だった。

 消えかけていた命を姜馬様によって救われた。

 僕が生まれたのは大和国の1つ村だ。

 この辺りの領主もごたぶんに漏れず、民を搾取の対象としか見ない藩主だった。

 おかげで年貢の取り立ては厳しかった。

 だが、藩主の厳しい取り立ての割には、この辺りの村は恵まれていた。

 それは、この辺りの土地が肥沃で肥えていたからだ。

 収穫も豊で、近くにの山や川の自然の恵みが多かったので、ほとんどの収穫を領主に取られても、飢える事もなく、毎日が『始祖芋』というほど貧しくも無かった。


 そんなに苦しい生活では無かった。

 というより、母も、父も、兄も皆優しかったので幸せな環境で育てられた。

 夕暮れ頃になると、畑仕事から返ってきたお父さんが良く遊んでくれる。

 「おとうさん。いくよ。」

 「桜花は強いな、刀士の才能があるよ。ハハハハハ。」

 僕はよく木の棒を刀のように振り回して、お父さんに遊んでもらった。

 「おとうさん、おにいちゃん。桜花。みんな、ご飯ですよ。」

 お母さんが、夕食の仕度ができると呼びに来る。

 本当に、仲の良い暖かい家族だった。


 この村の豊かさは、大きな川の恵みのお陰である。

 大きな川が辺り一帯に水を送り、土は肥え、平野に田園が広がっていた。

 桜花が生まれた大和国は、米作が主要農作物だ。米を主要農作物とする国は大陸では珍しい。この大陸では小麦を主食にする国が多かった。

 稲穂が辺り一面を覆い尽くす。まるで黄色の絨毯が敷き詰められている景色だ。

 大きな川の恩恵は桜花が住む村だけでなく、川が流れる川下一帯の地域に広がっていた。

 そして秋になると、辺り一帯が豊かな収穫の恵みがもたらされるのである。


 近隣の村々の民は、この恵みを与えてくれた大きな川に感謝した。

 感謝の気持ちとして、大きな川を水神として崇め奉るのである。

 その水神も、この辺りの村の人々に試練を与える。

 それは、数年に一度おこる洪水であった。

 大きな川の川下の一帯を、洪水が襲うのである。

 洪水が起こると、水の勢いは凄まじく周辺一帯の村を押し流されてしまう。

 家も、人も、家畜も全てだ。

 だが、その洪水は奪うだけでない。

 栄養を含んだ豊かな土を川上から運んでくる。

 洪水が無いと土は涸れて、作物の実りが悪くなってしまうのだ。

 大きな川の川下に住む人たちにとって、洪水は死活問題であった。洪水が来ると、家財や人や家畜を奪っていく、洪水が来ないと人が飢える。

 この地域に住む人にとって、洪水と上手く共生することが生きる上で必要不可欠であった。


 少しでも洪水で奪われる物が少ないように、人々は水神様に祈るのである。

 すると、水神様は人々を哀れんで、洪水の水の量を抑えたり、洪水の予兆を教えてくれたりする。水神様に祈る事で、川下の一帯に住む人々は洪水の被害が和らげられると信じていた。

 ただ、救いには見返りも必要だ。ただ、一方的に恩恵を与えられるばかりでは、水神様に見放されてしまう。

 そこで、人々は、見返りとして生贄を水神様に捧げた。

 生贄は、毎年、洪水が起こる少し前の時期に水神様に捧げられる。

 下流一帯の村の中から4歳の子供が一人選ばれ、水神への生贄に捧げられる。

 これが、この大きな川の川下に住む村々のしきたりであった。


 そして、その年に選ばれた水神への生贄の子供は4歳の桜花であった。

 理由は、偶々、その年の生贄を出す順番の村に、4歳の子供が桜花しかいなかったのだ。

 この村の村長から、生贄の話を聞いたお父さんは抵抗したが、村の掟は変えられない。うちの村だけでなく、一帯の村の全てが、ずっとこの掟を守ってきた。桜花だけを特例扱いするわけにはいかなかった。

 お父さんも、お母さんも、そして兄も涙を流して、嘆き悲しんでいた。

 「なぜ、なぜ、桜花が・・・、桜花がこんな目に・・・。」

 お母さんが僕を抱きしめた。


 「お父さん、お母さん。逃げよう、この村を。桜花が生贄なんか嫌だ。」

 兄は家族でこの村を逃げようと提案した。

 「止めるんだ・・・。そうしたいのは山々だが・・・。」

 だが、兄の提案は受け入れられなかった。お父さんはこの村から逃げようと言った兄を止めたのだ。ただ、お父さんもお母さんも涙を流すしか出来なかった。

 あの時、僕は幼過ぎて、生贄という言葉の意味が分からなかった。

 なぜ、兄が『村から逃げよう』と言っていたかも分からなかった。

 そして、なぜ皆が悲しい表情で、僕の顔を見るのかも分からなかった。

 僕には、何か恐ろしい事が起きたということしか分からなかった。


 あの時は分からなかった父の話の意味が・・・、今なら分かる。

 今なら、あの時のお父さんやお母さんも辛かった気持ちが少しは分かる。

 この村を出て家族で逃げても、行く場所が無い。

 家族の皆で、流浪の旅をすることになってしまう。

 そうしたら、途中で魔物に食べられるか、盗賊に捕まるかだ。

 良くて奴隷として捕まって売られるのが関の山だ。

 だから、お父さんもお母さんもこの村から逃げるとは言えなかったのだ。

 そして、この村の掟にも逆らう事は出来なかった。


 僕は、筵(むしろ)に巻かれ、簀巻(すま)きの状態にされた。

 4歳の子供に抗う術は無い。

 僕は、自分が水神の生贄に捧げられると聞いても、良く分からなかった。

 ただ、皆が悲しそうな、泣きそうな顔で僕を見ていることは分かった。

 お母さんが目に涙を浮かべて、離れた場所で悲しそうに僕を見ていた。

 たくさんの大人の人に囲まれて、僕は怖かった。

 怖かったので、お母さんを探して、目で助けを求めた。

 だが、お母さんは手で顔を押さえて、俯(うつむ)いて答えてくれえなかった。

 その後、突然、目の前が筵(むしろ)で真っ暗になり、お母さんの姿も見えなくなってしまった。

 筵についていた土が、口の中に入る。ジャリと音がする。


 (おかあさん。)

 心の中で叫んだ。

 (おかあさん!おかあさん!おかあさん!)

 心の中で、なんども叫んだ。

 悲しくなった。泣きたかった。心の中では無く、大きな声で叫びたかった。

 でも僕が泣くと、お母さんが悲しむと思って我慢した。

 お父さんも、兄もきっと悲しむだろう。


 しばらくすると、体が持ち上げられた感覚がする。

 (あっ・・・動いた。)

 どこに向かうかは分からないが、どこかに運ばれているのは分かった。

 お母さんのいる場所から離れると思うと、怖かった。

 ただ、どこかに連れられる。

 きっと、怖い場所に連れていかれるのは分かった。


 しばらくすると、今まで支えられていた安定感が消えた。支えが無くなり、まるで宙を浮いているような感じだった。

 ――ザブン。

 急に筵(むしろ)から水が口に入ってきた。思わず水を飲み込んでしまった。

 「ゲホ、ゲホ。」

 直ぐに周りは水だらけで息が出来なくなった。

 水の中に潜っていると直ぐに分かった。

 分かったけど、どうしようもない。

 苦しい・・・、息が出来ない。苦しい。冷たい。声も出ない。

 (おかあさん。助けて。お母さん・・・。)

 声が出ないので、心の中で叫んだ。

 手も足も動かない。ここから逃げられない。意識が遠のいていく。

 (僕は・・、死ぬのかな・・・・・・・・。)

 その時、お母さんやお父さん、兄やみんなが悲しい顔していた理由が分かった。


* * *

姜桜花    【智陽】の西門


 「桜花、なにを、ぼっとしている。」

 突然、声がして右腕を後ろに引っ張られた。

 頭がぼんやりとしている。

 (確か、足が鎌で斬られて・・・僕は後ろに跳んで逃げたはずだが・・・)

 誰かに僕は抱きかかえられていた。

 後ろから聞こえる僕を呼ぶ声が、少しずつ大きくなっていく。


 「桜花、おい、桜花。目を覚ませ。おい。」

 聞いた事のある声だ。

 「はっ」とすると、頭の中の霧が晴れて鮮明になった。

 後ろを振り向くと、

 「子雲・・・。」

 僕を抱きかかえているのは、子雲だった。

 (ええぇぇぇえ。な、なんで、子雲が、ここにいるんだよ・・・。それに子雲に僕が抱きかかえられるなんて・・・あわわわわ。)

 気が動転して何が起こっているか分からない。

 確か、お母さんの恰好をした魔物に襲われて・・・、そう、足が斬られて動けなくなったんだ。そして、頭が朦朧として、もうダメだと思ったんだ。

 

 そして良く分からないが、今僕は子雲の腕の中で抱きかかえられている。

 男の人に抱きかかえられたのは、お父さんと姜馬様だけだ。

 頭が鮮明になり、顔が火照ってきた。

 「ここは、婆瑠波羅(ばるはら)なのかな?」

 婆瑠波羅とは、この異世界で死んだら者が導かれる安寧な魂の世界のことだ。

 絶対に有り得ない状況で、僕は死の世界にやってきたと思った。


 「なに訳の分からないことを言っている、桜花。ここは【智陽】に西門だぞ。」

 後ろから僕を抱きかかえる子雲が話すと、耳に彼の息を感じる。

 なぜだが、僕の左腕が暖かい。

 手首から先を失った左腕に、子雲が手が虹色の光を注いでいる。


 「し、子雲。ちょっと近すぎないか・・・少し離れようか。」

 抱きかかえられるのが恥ずかしくなって、僕は慶之から離れようと体を動かした。


 「動くな!今は治療中だ。もう少し大人しくしていてくれ。」


 「・・・なんで、子雲がここに居るのさ。子雲は北で魔物を退治しているんじゃなかったのかい。」

 子雲に抱きしめられた状態から離れられない。

 少し恥ずかしいが、なんだかちょっと嬉しい気がする。

 胸も、なぜかドキドキしていた。


 「魔物はほとんど倒した。こっちで大きな魔力を感じたんで、それで桜花が心配で駆け付けてきたんだ。」


 「僕が心配・・・僕は子雲の師匠だぞ、心配なんて・・・」

 今の状況で師匠づらしても説得力が無かった。

 それに、誰かに心配されることなんて小さい頃以来だ。たしか、あれは姜馬さまが僕を水の中から助け出して心配して看病してくれた時だ。


 「そうか、俺が来なかったら魔物にやられていたぞ、桜花。」


 「そ、そうか。これから反撃しようと思っていた所だったんだけどね。でも、助かったよ。・・・ところで、この光は治癒魔法かい。・・・あったかいな。」

 左腕にかざした虹色の光が暖かい。

 目を向けると、左腕の傷口から肉が盛り上がるように動いて左手が再生されていく。ちょっとグロテスクで怖い。


 (それにしても、僕が誰かに助けられるなんて・・・、姜馬様に一度助けられたから、これで2回目か。)

 僕は4歳の頃、水神様への生贄として、簀巻きにされて川に放り投げられた。

 あの時は、本当に死ぬと思った。

 溺れて死にかけていた僕を、水の中に潜って救ってくれたのが姜馬様であった。

 姜馬様は、毎年、あの時期になるとあの川にやって来て、水神へ生贄に捧げられる子供を助けると言っていた。

 そして、あの年に助けられた子供が僕だった。

 姜馬様のおかげで、僕は生きることが出来ている。

 あの時、僕は一度失った命を姜馬様の為に使うと決めたのだ。

 『始まりの魔法陣』で僕に魔力が発現すると、魔法を徹底的に鍛えた。魔法だけでなく刀の腕も鍛えた。そして、姜馬様の『北辰一刀流』の免許皆伝をもらい、『神速』魔法を使えるようにもなった。

 姜馬様の役に立つ為に強くなった。

 そして、二度と捨てられないように。

 もう、誰かに助けが要らないくらい強くなったと思っていたが・・・。子雲に助けられるとは、僕もまだまだ修行が足りないようだ。


 彼の手から注がれる虹色の光は、傷だけでなく心も癒さる。

 「ほら腕はもう大丈夫だ。次は足だな。」

 左腕を見ると、後が全く残らないように完全に完治していた。

 (これが、虹色魔力の治癒の力か・・・それにしても凄い効果だよね。)

 

 子雲は、足に手をかざして治癒を始めた。足は鎌で斬られた傷だ。

 さっき見た猿の魔物・・・あの魔力色は神級魔物の猿鬼だろう。

 その猿鬼がまた姿を現わして襲ってきていた。

 だが、子雲が結界に阻まれて、ここまでやって来られない。

 ――ドン、ドン、ドン。

 猿鬼は必死に結界を砕こうと手で叩くだけでなく、牙でかじったり、爪でヒビをいれようとするが、結界はビクともしない。

 それにしてもさすがは私の弟子だ。

 治癒魔法を発動しながら、結界を張ってるとは・・・。こんな高等な魔法陣を2つも同時発動するのが出来るのは姜馬様くらいにしか思いつかない。

 

 「それにしても、桜花が魔物と戦って苦戦するとはな・・・。桜花も人の子なんだな。」


 「当たり前だよ。これでも僕は人の子だからね。僕をなんだと思っていたんだよ。」


 「う~ん・・・。鬼かな。」


 「それは酷いぞ、子雲。なんで僕が鬼なのかな?」

 (子雲、お、鬼はないよね。鬼は・・・、そんなに僕は君に厳しかったかな?)

 ショックで泣きたくなる。

 子雲はきっと僕の事を勘違いしているに違いない。


 「そうだな・・・今までの特訓を考えると・・・やっぱ、鬼でしょ。」

 子雲がためらわず断言した。


 「子雲、鬼とは何だ、鬼とは・・・今まで愛情をもって指導してきたのに・・・。」   

 (グググググ、今までの指導は何だったのだ・・・、師匠の僕を鬼呼ばわりとは許せませんな・・・)

 本来なら、ここで性根を叩き直す所だが、今の僕は足の治療中だし、今日は子雲が僕を危機から救ってくれたので大目に見るとしよう。


 「それで、桜花。お前が苦戦するなんてどうしたんだ。あんな猿一匹を相手に。体調でも悪いのか。らしくないじゃないな。」


 「・・・猿一匹。確かにさっき一瞬、猿の魔物が現れけど。僕が戦っているのは、僕のお母さんだよ。さすがに僕も、お母さんが相手じゃ、思いっきり剣を振るえないんだよね。」


 「桜花、どうしたんだ。さっきから桜花が戦っていたのは、猿の魔物、猿鬼だぞ。一瞬じゃなくて、さっきからずっと。そもそも、こんな場所に桜花のお母さんがいるわけ無いじゃないか。」


 「確かに、ここは【智陽】。魔物が襲来している都市(まち)だ。そんな所に、お母さんが現れるわけがないか・・・。それに、お母さんは大和国にいるはずだし・・。」


 「きっと、これは猿鬼の結界だな。」


 「結界?猿鬼・・・どういうことなのかな。」


 「そうだ、猿鬼が空中に浮かべている魔法陣の構造から『精神』魔法を使った結界だ。あの結界には、『攻撃させない』という意味の術式が魔法陣に組み込まれている。おそらく、桜花の精神に作用して、認識を操作して幻影を見せているんだ。こういう風にね。」

 子雲がそう言うと、子雲の顔がお父さんの顔に変わっていく。


 「どういうことかな。それは。」


 「これは、猿鬼の『精神』魔法を俺が使ったんだよ。猿鬼の魔法陣を念写して発動させたのさ。桜花には俺が君の父親に映っていたはずだ。これで桜花は俺に刀を振る事は出来なくなった。まぁ、猿鬼も同じで、桜花に母親の幻影を見せて、攻撃できなくしているんだよ。」

 子雲と姜馬様は、魔物の魔法陣を見れば、頭の中にその魔法陣を再現する力を持っている。そして、一度再現した魔法を自身の魔法として使えるようになる。今、子雲が再現した猿鬼の魔法も同じだ。すでに猿鬼の魔法を自分の物にしていた。


 「そ、そうなのか。確かに、僕には子雲の顔がお父さんに見えるよ。お父さんに刀を向ける事はできないね・・・、今までお母さんと思って戦っていたのも猿鬼か。」


 「まぁ、そういうことだ。そして奴の魔法には俺には効かないはずだ。」


 「なんで子雲に効かないのさ?」


 「これは、姜馬の魔導書に書いてあったのだが、魔力階級が上の者に結界魔法は効かない。奴の魔法階級は俺より下だ。だから、虹色魔力の俺には、神級魔物である猿鬼の結界は効かないのさ。」


 「それじゃ、神級魔物にとって虹色魔力を持つ子雲が天敵のようなもんだね。だから、僕が苦戦しているのに、弟子の子雲が余裕で戦っている訳ね。ふ~ん、なんかずるいような気がするけど、でも、あの猿鬼は僕が倒すよ。お母さんの姿で攻撃するとか、ちょっと許せないかな。僕も怒るよ怖いんだよ。」

 それに、猿鬼を倒すヒントのような物で思い当たることが一つあった。


* * *


 「静香さん。これはどういうことですか。」

 「あら、美麗じゃない。私も今この西門にやってきたばかりで、良く分かんないんだけど。桜花と、慶之が猿の魔物と戦っているのよね。」

 美麗と静香は、それぞれ自分の持ち場の魔物を片付けて、集合場所の西門にきていた。

 西門では、桜花が一匹の猿の魔物と戦っている。

 慶之も西から現れた2匹の猿の魔物を相手に戦っていた。

 桜花が城内の猿の魔物を。

 慶之が城の外の猿の魔物の相手をしている。


 「あの猿の魔物、けっこうな魔力を持っているじゃない、それに動きも早いわ・・・というか、早すぎるわよ。あの動きの速さは『神速』魔法よね。・・・という事は、あの猿の魔物、神級魔力の猿鬼よ。」

 静香は二人が戦う猿の魔物の魔法を見て、神級魔物の猿鬼と気づいた。

 動きが速くなる魔法は、風魔法が得意な猿の魔物がよく使う。

 その中でも目で追えない程の速さの動くのは『神速』の魔法だ。そして、その魔法を使う魔物は神級魔力の猿鬼しかいなかった。


 「じゃあ、2人は神級魔物3匹を相手に戦っているんですか。そんなの無茶ですよ。神級魔物を一匹でも倒すには、複数人の神級魔力の騎士がいないと倒せないのは常識ですわ。いくら、桜花さんと慶之殿が力が強いと言っても、神級魔物の結界を人間が破るのは無理ですわ。」

 美麗は驚いていた。驚く方が、この異世界の正しい反応であった。

 神級魔物は結界魔法を使う。その結界を破るのは神級魔力の騎士でも困難だ。

 神級魔物は更に、空を浮遊したり、複数の魔法を同時発動できる。魔力階級は人間と同じでも、神級魔物を倒すのは複数の神級魔力の騎士が居ないと難しいのだ。


 (まぁ、普通は美麗の言う通り。人間が神級魔物2匹を相手に戦うなんて・・・自殺行為。でも、慶之は虹色魔力の持ち主。虹色魔力の力のお手並み拝見ね。)

 静香は、慶之が神級魔物と戦うのを見るのはこれが初めてであった。

 だが、彼女は美麗のように慶之が神級魔物を相手に苦戦するとは思っていなかった。大聖国の元女王は、虹色魔力の力を知っていたからだ。

 もし、本当に虹色魔力の力が自分が知っている力なら、神級魔物が何匹いようと負けるはずが無いと確信している。

 神級魔物の結界は虹色魔力には効かないのだ。

 それに、虹色魔力を使える者にはあの力・・・そう、魔物が使う魔法を自分の魔法にする力を持っている。慶之もその力を持っていれば、神級魔物と戦えば、戦うほど彼は強くなっていくはずだ。

 そういう意味で、今の戦いは静香にとって虹色魔力の力を見るいい機会であった。


 「美麗、大丈夫よ。慶之と桜花なら。だって、これから『虹の迷宮』に向かうのよ。そして、慶之は『虹の迷宮』の主を倒すとあなたと賭けたのよね。神級魔物2匹程度は余裕で倒してもらわないと、あなたとの賭けに負けちゃうじゃない。・・・まぁ、私は別に慶之が賭けに負けても良いけどね。」

 静香は美麗が仲間になることに全面的に賛成じゃないので、そんな言い方をした。


 静香が西の空に目を向けると、慶之が『空歩』の上に乗って浮いていた。

 空の上で猿鬼を迎え撃つつもりのようだ。

 すると、西の空から2匹の猿鬼が近づいて来た。

 きっと慶之は『探索』魔法を使って、猿鬼の動きを掴んでいたのだろう。

 猿鬼は、空の上に浮かぶ慶之の存在に気づくと直ぐに魔法陣を宙に浮かべた。

 『神速』と『精神魔法』の魔法陣だ。

 そして、猿の魔物が人間の言葉を話し始めた。

 「うきゃ、きゃ、きゃ、きゃ。なんでお前の頭の中が見えない。お前は何者だ・・・頭の中が・・・記憶が覗けない。」

 「うきぃ、きぃ、きぃ、きぃ。お前は人間か・・・なぜ、人間の癖に頭の中が覗けないんだ・・・。」

 2匹の猿鬼は慶之に向かって叫んでいる。


 慶之は、『空歩』の上に乗って動きが全くなかった。

 動きがあるのは叫んでいた猿鬼の方だ。

 そのうち、一匹の猿鬼がおかしな動作を始めた。

 猿鬼の目が虚ろになるとなんと、跪いて慶之に頭を下げたのだ。

 「・・・うきゃ、きゃ、きゃ、きゃ。獣魔王陛下、お言いつけの通り、たくさんの魔物を引き連れて人間の都市を襲ったきゃ。王虎まで仲間に入れて頑張ったきゃ。」

 慶之を獣魔王と呼んで、報告を行っている。

 これは、猿鬼の魔法を奪って、猿鬼に『精神』魔法をかけているのか。


 もう一匹の猿鬼の方は、仲間の猿鬼が急に跪いたので驚いている。

 「うきぃ、きぃ、きぃ、きぃ。どうしたきぃ。こんな所で何を言っている。止めきぃ。目の前に居るのは人間だ。戦う相手だきぃ。」

 なんとか、仲間の目を覚まそうと必死に声をかけていた。


 「静香さん。あれは、どういうことですか。魔物が話をしていますよ。それに、仲間割れを始めたようですが・・・・。」

 美麗は慶之の方を見て、困惑している。


 「神級魔物がしゃべるのは、よくある事よ。特に知能が高い猿の魔物が話すのは珍しくないわ。ただ問題は、あの猿鬼の話している内容の方よ。獣魔王がこの魔物たちに人間の都市を襲わせた・・・。どういうことかしら・・・。この大瀑布は自然発生ではなく、獣魔王が仕掛けたということ・・・。そんなことがあるなんて。」

 魔王は南の大陸にすむ魔人族の王のことだ。

 その王の中に獣魔王という王がいて、魔物たちを駆りたてて『大瀑布』を引き起こさせたと、あの猿鬼は言っている。

 (そんな事ができるの?・・・魔物を思うがままに操るなんて、・・・なら王都への大瀑布も獣魔王の仕業?・・・でも、なぜ、そんな事をするのかしら。)

 静香は猿鬼の言葉の意味を考えるが、難題すぎて答えを導きだせない。

 しばらく、考えていると何かの考えにたどり着いたようだ。

 (・・・そうか、分かったわ。このタイミングに、わざわざ魔王がこの聖大陸に来て動くのは、これしか考えられない。そう、魔王が狙っているのは、魔人の復活。始祖の予言が本当なら、魔人族も魔神の復活に動いてもおかしくないわ。)

 静香は、大聖国の元女王だけあって、王家の先祖である始祖の予言も知識としては知っていた。

 (まぁ、虹色魔石である七色に光る流れ星が現れ・・・七色の魔力を持った者が現れれば・・・当然、魔神が復活するのも予言通りというわけね・・・。)


 「どうしたんですか、静花さん。桜花さんの方も戦いが始まっていますよ。」

 静香が考えに耽っていると、美麗は桜花の戦いに目を向けていた。


 桜花と猿鬼の戦いは、桜花が押されていた。

 桜花の刀が、猿鬼を捕らえて振り払われると思っても、刀が猿鬼を斬り裂く寸前で止まってしまっていた。

 始めは、冗談かと思っていたが、何度も同じことが起きていた。

 あと少しという所で、桜花の刀が止まり、慌てて後ろに跳んで逃げている。

 一瞬動きが止まった都度、隙を狙われ桜花の傷は増えていた。


 「どうしたんでしょう、桜花さん。そのまま振り切れば猿鬼を倒せるのに。なぜ、寸前で刀を止めてしまうのでしょうか。」


 「美麗、あなた猿鬼の結界を知っているの。」


 「いいえ。知りませんわ。」


 「桜花の動きを見ていると、あれは『精神』結界ね。」


 「『精神』結界?なんですかそれ。」


 「私も本でしか読んだことは無いんでけど。相手の攻撃を封じる。まぁ、相手に攻撃させない結界よ。相手に攻撃できないように幻影を見せるのよ。幻影を見せられた方は、攻撃を封じる幻影を見せられて攻撃できない。相手の攻撃を封じる事で身を守る結界よ。」


 「私たちも、桜花さんの応援に行きましょう。」


 「・・・止めた方が良いわよ。私が桜花の立場でも嫌がるわ。桜花のプライドを傷つけることになるから。桜花が本当に危ない場面に遭遇するまでこの場で待機ね。」


 「分かりました。でも、桜花さんが『精神』結界で猿鬼を攻撃できないのは分かりましたが、慶之殿の方はなんか変ですよ。2匹の猿鬼が慶之殿の目の前で跪いていますけど、あれはどういう事なんですか?」


 「・・・まぁ、あれは、そう慶之の力よ。たぶんだけど、新しい魔法を手に入れたみたいね。その魔法を試しているんだと思うけど。」


 「新しい魔法を手に入れる。・・・そんな事出来るんですか。魔法は生まれながらに備わるか。もしくは、魔力階級が昇華する時に、天より授けられる物ですよ。そんな簡単に魔法が使えるようになるわけないじゃないですか。」

 美麗が言うのが、この世界での常識だ。魔法はそう簡単に使えるようにならない。魔道具や、魔法を使った武器の魔武具を使えば魔法の効果は得られるが、人間が魔法を発動する魔法陣を得るのは容易では無かった。


 「普通はそうよね・・・でも、慶之は魔物の魔法を自分の魔法にする力があるのよ。魔物は魔法を発動する時、空中に魔法陣を浮かべるでしょ。なんでもその魔法陣を頭の中に念写できるらしいのよ。それで、自分の魔法として使えるんですって、ずるくない。そんな事で使える魔法が増えれば苦労しないわよ。まぁ、ここで私が愚痴を言っても仕方がないんだけどね。とにかく、慶之は猿鬼の『精神』魔法を自分の魔法として使えるようになったらしいわ。」


 「それじゃ、慶之殿は、『精神』魔法を猿鬼にかけているんですか。『精神』魔法は猿鬼の魔法ですよ。しかも、相手は神級魔物じゃないですか・・・。」


「まぁ、そうこと。実際に、猿鬼に『精神』魔法がかかっているんだから、仕方がないじゃない。・・・その戦いも、どうも終わったみたいよ。」

 視線を慶之に向けると、慶之は跪く2匹の猿鬼の首を刀で斬ってしまっていた。

 首が斬られた猿鬼は、空中で浮遊していることが出来なくなり、首も胴体も地上に落ちていった。


 「なんか、猿鬼の首が空中から降ってきましたけど・・・。猿鬼って、神級魔物ですよね。しかも2匹ですよ。こんな簡単に倒して良いんですか。」

 「そんなの、私に聞かないでよ。知らないわよ。」

 美麗は、慶之が猿鬼を倒するの見て驚いていた。

 ただ、2匹の猿鬼が慶之の前に跪いて首を斬られて戦いは終わった。あれでは、戦いにすらなっていない。


 「まぁ、『結界』は魔力階級が上の相手に効かないからね。神級魔物の猿鬼でも慶之に敵わないのよ。慶之の魔力階級は虹色魔力だからね。彼の魔力階級は神級魔力の上。どうあがいても、猿鬼に勝ち目は無いのよね。」


 「そうなんですか・・・というか、なんですか虹色魔力って、神級魔力を上回る魔力階級なんて聞いた事がありませんよ。」

 美麗が聞いてきたので、静香は丁寧に虹色魔力について教えてあげていた。

 とにかく、慶之の方は片付いたみたいだ。

 後は、桜花の方だが、桜花の方は相変わらず攻めあぐねていた。


* * *


 「けっこう疲れたんだよね。」

 桜花は肩で息をして、猿鬼を睨みつけている。

 魔刀が猿鬼の首を斬り裂く勢いで全力で刀を振った・・・。

 振ったのだが・・・。だが、魔刀を振る手は止まっていた。いや、また止まってしまった。さっきもお母さんではなく・・、猿鬼の首の手前で腕が動かなくなった。

 力を入れても、魔刀を握る腕が前に進まない。

 どんなに腕に力を籠めてもウンとも、寸とも動かない。

 頭では、目の前のお母さんの姿が、猿鬼だと分かっている。でも、腕が動かなかった。どんなに腕に力を籠めても、魔刀は止まってしまうのだ。


 そして、スピードも桜花と猿鬼は互角。お互いに『神速』魔法を使っているので、スピードで差をつける事はできなかった。

 だが、刀の技は桜花の方が明らかに上だった。

 『北辰一刀流』の免許皆伝の桜花の腕と、自己流の鎖鎌を振り回す猿鬼では勝負にならないほど力量の差は離れている。

 戦いは桜花が有利なのだが、精神魔法に守られている猿鬼にはダメージを与えられずに、反って自分の方が傷を増やしている状況が続いていた。

 このままじゃ、不利なのは分かっているが、好転する手段が思いつかなかった。


 「桜花ちゃん。桜花は、おかあさんを斬るの?」

 母親の顔をした猿鬼が集中力を散漫にする為、話しかけてくる。

 桜花は、母親の顔や言葉に翻弄されて、精神魔法の所為で攻撃が効かない。というか、攻撃が出来ない。このままでは、じり貧になってしまう。


 「気持ち悪いんだよ、猿鬼。お前が、僕のお母さんの顔で・・・、お母さんの声でしゃべるな!」

 (猿がお母さんを語るなんて許せない!)

 その思いが桜花の心が乱し、心が乱れるほど、『精神』魔法の効果が強くなっていく。悪循環と分かっていても、その負のスパイラルから抜け出せない。

 (分かっていても感情を抑えられないとは、僕も修行が足りないな・・・。この魔物は僕が倒すと子雲に約束した。だから、絶対に倒す。そして、また子雲に治癒魔法をかけてもらう。)


 「ウキャキャキャ。お母さんを殺そうとするの。恐ろしい子ね。やっぱり捨てて良かったわ。」


 「うるさい。しゃべるな。」

 猿鬼が僕の心を乱そうとしているのが分かっていても、乱されてしまう。


 「あら、桜花、どうしたの。お母さんの首を獲るんじゃ無かったの?」

 お母さんがニヤッと弓のように笑う。


 猿鬼の首に、刀を横薙ぎに振るうが止まってしまう。

 「く、くそ。ふざけるな!なぜ、動かないんだ。」


 「あら、怖い顔。そんな恐ろしい娘に育てた覚えはないわ。それと、あなたにお母さんを斬ることはできないわ。だって、あなたでは、私の結界は破れないもの。キャキャキャ。私の可愛い桜花。次こそ、死んで頂戴。」

 猿鬼は、鎖鎌を振り回しながら、お母さんの姿で薄笑いを浮かべている。

 『神速』魔法を発動してスピードを高めると、鎌と分銅の両方で攻め込んでくる。


 僕も『神速』を発動させて、猿鬼と同じくらいの速度で攻撃をかわした。

 攻撃をかわして、カウンターで攻撃に移るが、魔刀は猿鬼の手前で止まってしまう。

 「本当に結構面倒くさいね。その結界。」


 「あら、褒めてくれてお母さんは嬉しいわ。これで、あなたの攻撃が効かないのは分かったでしょ、後は、あなたが死ぬのを待つだけよ。楽にしてあげるから、私に殺されてくれないかしら。」


 「褒めてないよ。全く、猿鬼はムカつくね。」

 話をしたら、相手の思う壺。とにかく、猿鬼の鎖鎌の攻撃を避け続けた。

 刀技はこちらが上、結界の守りは相手が上。

 結界を破れないようであれば、いつかはやられてしまう。

 お互いに体力が消費していく。消費していくのは体力だけではない。

僕の体に傷も増えていく。

 それに、子雲に治癒魔法で左腕や右足の治療を行ってもらったが、体調も完全ではない。

 さっきの戦いでけっこう血を流している。体が重たくなっていく。

 (このまま戦えば、先にこちらがやられる。仕掛けるしかないか・・・。)


 僕は走るのを止めた。

 右手に持った刀を高く掲げ、左手には脇差を持って身構えた。

 「あら、二刀流・・・?何の真似かしら、桜花ちゃん。」


 「・・・・・・・」


 「ウキャキャキャ。まぁ、良いわ。桜花ちゃん。これでも喰らって。」

 走る動きを止めた僕は、猿鬼にとっては狙いがつけやすい良い獲物だ。

 母の姿をした猿鬼が、分銅を僕に向かって投げつけた。

 その分銅を、最小限の動きで避ける。

 分銅を避けられると、猿鬼は『神速』を発動したまま、僕の周りを走り回る。

 普通の人には目で追えない速さで、走りながら攻撃する。

 そして、少しずつ僕の周りを囲む輪を狭(せば)めていくのだ。

 猿鬼と僕の距離が近づくにつれ、猿鬼の鎌が、分銅が、僕の体を掠(かす)る頻度が 増えていく。そして、更に距離が縮まっていく。


 僕の刀の間合いに入ったが、猿鬼は気にしない。

 しょせん、僕では猿鬼の精神結界を破れないと高を括っている。

 今の猿鬼は攻撃重視だ。

 至近距離で猿鬼が投げつけた分銅が、僕の右足の太ももにめり込んだ。

 「つうっ・・・・・。」

 もの凄い痛みが襲い、思わず目を閉じた。

 再び目を開くと、お母さんの顔が、猿の顔に変わっていた。

 (そう、これよ。)

 僕は左手に持った脇差で自分の左足の太ももを刺した。

 「いつっ。」

 右足の太ももには分銅が喰い込み、左足の太ももには脇差を刺した。

 両足から途方もない激痛が脳を駆け巡る。

 痛みが僕の脳を刺激した。

 猿鬼の顔がはっきりと認識できた。

 そこにはお母さんの姿ではなく、間違いなく猿の魔物の顔があった。

 (そう、僕はこれを待っていたんだ、これで終わりだ。)

 すでに僕の間合いに入っている猿鬼に向かって横薙ぎに刀を振るった。

 右手に持った刀は止ま・・・・らない。

 刀は止まることなく、猿鬼の首に食い込んでいく。

 僕は力に魔力を籠めて、片手で刀を振り切った。

 ――ポトン。

 斬り落とした首が、地面に落ちた。

 「や、やったのか。」

 地面には、目の色が赤から白に変わった猿鬼の顔が転がっていた。

 慶之が来る前の戦いの時、猿鬼の顔が認識できたのは強い痛みが襲った時だけだった。

 それで、『精神』結界を崩すのは、痛みしかないと賭けに出たのだ。

 両足のふとももの痛みが、僕の脳を精神魔法から解き放ってくれると信じての捨て 身の攻撃だった。もし、この賭けに負けたら、足が動かず逃げられなかった。


 (でも大丈夫・・・。あそこに子雲がいるから。子雲ならきっと助けてくれるよね。)

 猿鬼を倒して安心したのか、ふっと力が抜けてその場に崩れ落ちそうになった所 を、慶之が『瞬歩』で移動すると、倒れる桜花を抱きかかえた。

 傷ついた両足の太ももが悲鳴を上げ、とても立っていられる状態ではなかったようだ。

「子雲。これで師匠の顔は立ったかな。あとは頼むよ。また、治癒魔法をよろしくね。」

そのまま、桜花は目を閉じると、そのまま意識を失ってしまった。

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