第8話 虞美麗

楊慶之 大陳国領


 俺たちは西に向かって歩いていた。

 この世界の旅は辛い。道が酷いのだ。所々で途切れていたり、岩はゴロゴロしている。土砂崩れで道が塞がっても、誰も整備などしない。その場合は、迂回して進んでいく。

 しっかりした街道の整備など誰もしない。

 領民が逃げないように意図的に街道を塞ぐ領主もいるくらいだ。

 元々、都市の経済は自給自足なので、街道が整備されていなくても困らない。

 せいぜい街道を使って旅をするのは、冒険者や少ない数の行商人ぐらいだ。


 俺たちの旅は、『火の迷宮』に行く為だ。

 修行の終了を意味する『皆伝』の最終試験で、『火の迷宮』から虹色魔石を探してこなければならない。併せて、強い魔力を持った者を仲間に迎え入れるのも試験の合格条件だ。

 早く、秦家領で、楊公爵家の領地を取り戻そうとしている妹の琳玲を助けに行きたい。だが、修行が始まる前に『皆伝』を必ず受ける宣言した手前、最終試験を早く片付けるしかなかった。


 そういう訳で、俺と桜花と静香の3人で『火の迷宮』に向かっている。

 『火の迷宮』は『姜氏の里』から歩くと6、7日間はかかる道のりだ。

 こうやって旅をしていると、従者の王常忠との旅を思い出す。あの時は自分を守る力がなく、蔡家の兵士に怯えながらの旅であった。

 あの時に比べると、今回の旅は快適だ。神級魔力の騎士が2人も一緒に旅をしているので安全面は問題ない。旅に必要な物資も『魔法の鞄』の中に十分入っている。特に自分自身が魔法を使えるのは一番心強い。

 ちなみにこの『魔法の鞄』は姜馬の里が運営している商会である『亀山社中』のヒット商品だ。今は在庫が無くて販売は行っていないが、金貨300枚(日本の価値で3億円)を出しても手に入らない魔道具だ。

 この魔道具は、中が空間魔法で異空間になっていて、小さな鞄にとんでもない量の物が入る。

 それに、この『魔法の鞄』があると、重い荷物を担がなくて良いので、本当に助かる。


 王国領を通って、『火の迷宮』のある趙家領に向かっているが、半年ぶりに『姜氏の里』の外で、外の世界はだいぶん変わっていた。

 王家領だからか、もしくは時間が経ったからか。良くは分からないが、楊家の敗残兵を探す蔡家の兵士は見かけなくなっていた。

 それに、領民の生活水準が半年前より低くなったような気がする。

 多くの農民が瘦せ細って、ボロの服をきていた。路上で物乞いをする者も多く、治安も悪くなっていた。

 何度か野盗に襲われたが、都度桜花が撃退して追い払っていた。

 半年前の常忠との旅だったら、こうも容易く野盗は撃退できなかっただろう。


 こんな楽な旅であるのに、ブースカ文句を言っているツレがいる。

 「慶之。暑いよ・・・、もう疲れた。歩きたくなーい。移転魔法を使おうよ。移転魔法。どうせ、姜馬様にはバレないわよ。もう、むり!」 

 文句を言いながら歩いているのは、源静香だ。

 1日目は黙って歩いていたが、2日目になってぶつぶつ言い始め、今日は朝からこの調子で、正直ウザい。

 大陳国は南方の国で、既に初夏で日差しは強い。

 ただ、湿度は低い所為か、俺にとって耐えられないほどではない。


 あまりにも煩いので、仕方がなく相手をしてやる。

 「静香。そんなに歩くのが嫌なら帰ってもいいぞ。移転魔法を使って1人で帰れ。」


 ずーと無視をされていたので、相手をされて嬉しそうに俺に近づいてきた。

 「慶之。つめたーい。もっと優しくしても良いじゃない。私はこれでも、元女王さまよ。甘やかされて育ってきたのよ。こんな待遇、酷いわ、泣くわよ。」


 「これは修行だ。甘やかして欲しいのなら。従者の所に帰っていろ。」

 そういえば、静香の従者の籐有香は、元楊公爵領の秦家領に向かわせていそうだ。静香が命令して、秦家領に居ると思われる俺の母上と妹を探しに行っている。


 「なにそれ、慶之の意地悪。移転魔法がダメなら、慶之が私をお姫様抱っこしてyよ。背中におんぶでも良いわよ。せめて馬とか、馬車が良いわね。とにかく歩く以外なら良いわ、なんで、わざわざ歩くのよ。」

 静香が文句を言っている。

 『馬車が良いわね』とか、このお嬢様は全く分かっていない。

 そういえば、静香は姜馬や半蔵たちから『お嬢』と呼ばれていた。

 この世界で、馬車で旅など出来るはずがない。馬車を走らせられるのは城内だけだ。城の外は道が悪すぎるのだ。

 それに、今回の旅は『魔法の鞄』があるので、荷物を背負わなくて良い。それだけでも有難いのに、本当に女王様は世の中の事を知らないと呆れてしまう。


 あまりの静香の言い草に、前を歩いていた桜花が振り向いた。

 「静香。いい加減にしてくれるかな。これは修行なんだよ。それに移転魔法は、仲間を探せなくなるからダメって言っているよね。静かにしてくれないかな。」

 子供を諭すように、静香を諭す。


 「桜花の意地悪。分かったわよ。歩くわよ。歩けば良いんでしょ。」

 静香は頬を膨らませて、渋々ついてくる。


 旅自体は天気にも恵まれ順調だった。不愉快なのは、静香が騒ぐくらいだ。

 時々、魔物や盗賊が出てきたが、桜花が嬉しそうに瞬殺で退治してしまった。

 魔物は倒して、魔石を取ると直ぐに、『魔法の鞄』に放り込む。

 倒した魔物だけでなく、皮や爪、牙や肉、血までが金に変わる。

 『魔力溜り』からはぐれる魔物はだいたい魔力階級の低い魔物が多い。

 弱肉強食の魔物の世界では、魔物の数が増えると、弱い魔物は『魔力溜り』から追い出されるケースがあった。

 階級の低い下級魔力の素材は大した買取値段にはならないが、それでも食べられる魔物は、美味しくは無くても食糧になるし、爪や牙は武器の素材、皮は甲冑の素材、血は魔法陣を描くインクになる。

 そして、回収した魔石は、街の冒険者組合(ギルド)が買い取ってもらう。


 盗賊も非常においしいカモだった。

 盗賊が現れると、バトルジャンキーの桜花が速攻で退治してしまう。

 途中から修行の為に盗賊の退治の役目を俺に変わってもらい、実戦の感覚を身につけていった。

 盗賊の場合は、殲滅した後に1人か2人を生かしておいて、アジトを吐かせる。

そして、盗賊のアジトに攻め込んで、奴隷として売る為に捕まった人を助けたりした。ついでに蓄えてあった金貨などは没収させてもらう。

 盗賊は、人助けと治安改善、それに資金を稼いで、その上、近接戦の修行にもなる一石三鳥の美味しい狩りの獲物であった。


 俺達の旅は非常に順調だった。

 だが、油断は大敵だ。俺は蔡家に追われている楊家のお尋ね者だし、静香も大聖国の現国王の追っ手に狙われている。

 『索敵』魔法で、半径500mの範囲は網は張っていた。

 『索敵』魔法を張っておけば、野盗や魔物それに追っ手も探知できる。『索敵』魔法は自動的に敵の襲来を教えてくれる機能はないので、注意深く『索敵』魔法のマップを見ている必要は面倒だが、マップさえ見ていれば奇襲の心配はなかった。


 しばらく歩くと、『索敵』魔法がこっちに近づく人間を探知した。

 あまり面倒事には巻き込まれたくないので、相手が軍だったりすると道からそれて、隠れたりもしていた。

 ただ、今回は大した人数では無かった。


 「静香。5人だけど。人が来る。道を変えるか。」


 「5人・・・それくらいの人数なら良いんじゃない。いざとなれば私達3人で対処すれば良いし、このまま行きましょう。」


 静香は我儘だが、状況判断には優れていた。

 この世界の知識や情報にも詳しいので何かあったら彼女に判断を参考にさせてもらうも。知能の能力値890は伊達じゃない。

 前方から歩いてきた5人は兵士だった。

 俺は見たことが無い貴族軍の甲冑を着こんでいた。

 向こうの兵士もこちらに気づいて、擦れ違いざまに声をかけてきた。


 「おい。そこの男。どこから来た。」


 俺は冒険者の服を身にまとっている。

 頭に被ったフードを少しずらすと、顔を兵士に見せた。

 「王国領の【曲阜】です。」

 兵士や都市の文官に尋ねられても良いよう、切り返し口上は用意してある。

 【曲阜】は半年前に魔物に襲われ壊滅した都市(まち)だ。あの都市の近くで蔡家の兵士に追われ、山に逃げた。

 詳しくは無いが。一応、都市の状況は知っている。

 それに、あの都市(まち)からたくさんの民が逃げ出している。下手に楊家領から来たと言えば敗残兵を疑われるが、王家領の【曲阜】ならその辺も心配ない。


 「そうか、【曲阜】か。お前たちも大変だったな。それでどこに行くんだ。」

 【曲阜】と聞いて、声を掛けた兵士は俺たちに同情したようだ。


 「趙伯爵領の『火の迷宮』に行くところです。」

 俺たちは冒険者だ。冒険者が『火の迷宮』に行くのは、いたって自然だ。


 「『火の迷宮』か・・・。あそこは、今、魔物が活性化していると聞くぞ。悪い事は言わん。他の『魔力溜り』を狙った方がいいぞ。」

 声をかけた兵士は意外に親切な男のようで、俺達を心配してくれた。


「活性化の話ですか。知っていますよ。まぁ、それだけ、稼げますから。」

 魔物が活性化すれば魔物の魔力階級も上がるので、強い魔物が多く現れる。

 それだけ、狩った魔物の魔石の買取価格も高くなる。

 だが、命あっての物ダネだ。

 普通の冒険者は、活性化した『火の迷宮』などに近づこうとはしない。

 活性化した『火の迷宮』に向かうのは、腕に自信のある冒険者だけだった。


 別の兵士が、俺の後ろの2人に声をかけた。

 「おい、そこの2人。顔を見せろ。」

 後ろにいた桜花と静香の2人も、俺と同じようにフードで顔を隠していた。

 俺と話していた別の兵士が、2人のフードに手にかける。

 悟られないように腰の刀に手を添えて身構えた。

もし、この兵士が桜花と静香の2人に何かしたら、タダでは置くつもりは無かった。ただ、俺が動く前に桜花が何もしない訳はないのだが・・・。


 2人のフードを剥がすと、中から美しい顔立ちの女性の顔が現れた。

 フードを剥がした兵士は、眼福と言わんばかりに、マジマジと2人を見回す。

 桜花と静香の2人は、不愉快な表情で兵士を睨みつけた。


 「へぇ、もの凄く綺麗なお姉ちゃん達だな。顔の美しさでは負けていないが、でも違うな。髪の色は金髪じゃないし、半仮面も被っていない。別人だな。」


 「そうか。別人か。それじゃ、先に逃げたか。相手は手負いだから、そんなに遠くには行っていないと思うが。急ぐぞ。悪かったな、兄ちゃん。別嬪の女2人と一緒の旅とは羨ましい限りだぜ。邪魔したな。」

 兵士は誰かを探しているようで、絡んでこなかった。

 俺達が別人だと分かると、直ぐにその場を走り去って行った。


 その後、俺たちは特に人に出会う事なく、旅は順調だった。

 暫くすると太陽が西に傾き、辺り一面の景色は茜色に染まっていた。

 「そろそろ、日が暮れる。野営の準備でもするか。」


 「そうね。あそこの川沿いなんて良さそうだね。」

 桜花が南の川辺を指さした。


 「良いんじゃないか。」

 道からは少し離れるが、南の方に川が見えた。

 俺達は川の近くに向かうと、素早く野営に良い場所を見つけた。

 場所を決めると、俺は野営の準備を始める。


 野営の準備と言っても川辺の岩場を探して、『館(やかた)』を設置し、周りの景色に馴染むように『館』に土を被せるのと、水を汲むぐらいだ。

 この『館』は姜馬が作った移動式の家だ。

 前世のキャンピングカーに似ている。キャンピングカーのように移動は出来ないが、外で寝泊まりする機能はキャンピングカー以上だ。

 正式名称は『空間館(くうかんやかた)』。

 空間魔法で作った空間の中に、寝泊まりできる館が存在しているのだ。

 1mぐらいの岩の扉を開けると、中は広い空間になっている。

 その広い空間に大きな家と体育館のような建物が立っていた。

 家の方は居住用で、体育館のような建物は修行スペースのようだ。

 家の中も広い。中に入ると、広い居間、キッチン、沢山の部屋に、それに大きな風呂が備わっていた。

 姜馬の屋敷より大きい家だ。


 一応、『亀山社中』で商品化して、移動式の家型魔道具として販売しようとした。

 実際に販売したが、一軒も売れなかった。

 理由は値段だ。

 姜馬の趣味で作ったのでコストがかかりすぎて、金貨千枚(日本円で10億)の販売価格になってしまったようだ。

 死蔵していた『空間館』を姜馬が、今回の旅の餞別と言って俺にくれたのだ。

 この『屋』の中に入れば旅の途中でも、暖かい布団で寝られて、魔道具が揃ったキッチンを使って美味しい食事も食べられる。風呂にも入れるのだ。

 温泉マニアの姜馬が作った風呂だけあって、広さといい、趣といい、湯加減といい、素晴らしい出来であった。


 俺が『館』の設置をしていると。

 「先に、食事の準備をしておくよ。」

 桜花はそう言うと、静香と一緒に『館』に入ってしまった。

 その間、俺は『館』の外で、外観に手を入れる。

 『館』の外観を土や草で人為的に周りの景色に馴染ませるのだ。

 これは、『館』が獣や生き物に悪戯をされない為だ。

 目立つ岩があれば、なにげなく触れるかもしれない。俺たちが中にいる時に、『館』を触られて、空間魔法の中に閉じ込められたら大変だ。

 生き物に気付かれないように、周りの外観に馴染ませるのが大事であった。


 周りが薄暗くなる中、せっせと土や草で『館』を外観に馴染ませていると、何か、生き物の動く気配した。

 この川沿いを見つけた時に索敵魔法で周りを確認したが、それらしき気配が無かった。その後、野営の準備に集中しすぎて油断した。

 再び、索敵魔法の網を張ると、すぐ近くの魔力を探知した。


 (しまった・・・油断した。)

 直ぐに、刀に手をかけて、魔力を探知した場所に振り向いて構えた。


 「・・・・・。」

 殺気は感じられないが、確かに人の気配がある。


 「姿を見せろ。そこにいるのは分かっている。」


 「・・・・・・。」


 「出て来い。来ないなら、こちらから攻撃する。悪く思うなよ。」

 暗闇の中、気配を殺して近づいてきたのだ。相手が敵と考えるのが順当であろう。

 俺が腰の刀に魔力に手を触れる。


 すると、沈黙を破って岩陰から人が近づいてきた。

 「待ってくれ。敵意はない。」

 何者か分からないが。女性の声がした。

 暗闇で良く見えないが、血の匂いがする。


 「何者だ、お前は。」

 刀の鞘から抜いて身構える。

 警戒を緩めずに相手の様子を伺った。


 「怪我人がいる。すまないが、薬を分けて欲しい。食糧も・・・。対価は払う。」

 服は血や土で汚れているが、着ている服は貴族のものだ。

 フードで顔を隠している。

 殺気は感じられない。

 こんな真っ暗な場所で、怪我をした貴族の相手は何だか気持ちが悪い。だが、『怪我人がいる』と聞いたら、放っておけない。


 「分かった。患者を見せろ、俺が症状を看て・・・いや、俺は治癒魔法を使える。怪我人はどこだ。」

 つい前世の感覚で、患者を治療しようと考えたが、今の俺は治癒魔法が使える。

 慶之から借りた魔導書を読んで、治癒魔法が使えるようになっていた。まだ誰かに試してはいないが、姜馬からは大丈夫だとお墨付きをもらっている。


 「本当か、それは助かる。今、連れて来る。あの岩陰に隠れている。」

 フードで顔を隠した女性は、少し離れた岩を指差した。


 「いや、待て、怪我人を動かすな。俺が岩陰に行こう。」

 怪我人を動かすのは悪手だ。

 脳がやられていたら、移動させている間に死んでしまう場合がある。


 「すなまい。なら私の後を付いて来てくれ。」

 この世界の人は当然、医学など知らない。

 好意で来てくれると思ったのか、フードで顔を隠した女性は礼を言うと岩の方に歩いて行く。俺は女性の後ろを付いて行く。


 岩の後ろには、荒い息をした男が横になっていた。

 体中が傷だらけで、まだ血が止まっていない。

 一番出血が酷いのは脇腹の傷だ。そこから大量の血が流れている。

 (この傷の場所は、大腸か・・・、ばっさりいっている。直ぐに手術をして大腸を縫い合わせないと、この男は助からない。だが、ここには手術をする施設も道具も無い。)

 そう・・・本来なら助からない。

 男の症状をみれば、あと数十分もすれば痙攣して、絶命する。

 だが、この世界には治癒魔法がある。

 魔力階級が高い治癒魔法の使い手なら、絶望的な状況もひっくり返してしまう。

 息さえしていれば、腕の一本や二本を失っても直ぐに生やすことが出来る。


 フードで顔を隠した女性が、倒れている男の首を持ち上げて自分の膝に乗せる。

 横になっている中年の男の息は荒れて、息の勢いは徐々に弱まっている。

 「鍾離梅、死ぬな。助けを呼んできた。離梅。」

 女性は、男の手を握って必死に元気づけようと声を掛けていた。


 今にも死にそうな男は薄目を開けて、必死に何かを伝えようとしている。

 「お嬢・・・さま。虞家の・・・、ハァ、ハァ、ハァ。」


 「もう何も話すな。この御仁が治癒魔法をかけてくれる。静かにしていろ。もう、大丈夫だ。」

 男を元気づけるように、女性は声をかけた。


 「もう大丈夫だ。俺が治す。」

 俺は、男の怪我の部分に、手のひらを向けて虹色の光を放つ。

 すると、虹色の光が傷口を塞いでいく。

 傷跡も消えてなくなり、無傷の状態に戻っていく。

 手も、足の傷も、そして血が止まらなかった脇腹の傷も塞がっていく。

 女は驚きながら、虹色に輝く俺の魔法を見ていた。

 しばらく虹色魔力を浴びていた男の呼吸は少しずつ静かになっていく。あれだけ荒れていた呼吸が急速に治まっていった。顔の死相も消えていった。


 「とり敢えず治療は終わりだ。出来るだけの事はやった。だが、血を失い過ぎている。後はこの男の運次第だ。それに、しっかり睡眠と休養、それに栄養も必要だ。」


 「すまない、本当に助かった。離梅。良かった、本当に良かったな。」

 女性は、横になって静かに寝ている男の手を取って涙を流しながら喜んだ。


 離梅と呼ばれた男は、表情は穏やかになったが顔色は白いままだ。血を失い過ぎているのだ。治癒魔法は外傷は治癒できても、血までは作れない。

 今は、静かに眠っている。

 女性は、男の頭を膝にのせたまま、フードを取って俺に向かって頭を下げた。

 暗くてよく見えないが、顔の半分を隠すように白銀の半仮面を被っていた。

 「私は、虞美麗。私の従者、鍾離梅を救ってくれて感謝する。本当にありがとう。この礼は必ず。」


 「俺は楊慶之。冒険者だ。それと、彼は血を相当失っている。血が足りない。今日か、明日が峠だ。ゆっくり休まなければ再び状態は悪化するかもしれない。油断はできない。」

 この世界には、輸血も造血剤も無い。

 自分の体で、睡眠と栄養をしっかりとり血を作らなければならない。


 「血が足りない・・・のですか。それで、どうすれば良いですか。なにか私に出来る事が有ったら教えてください。」

 この世界の人間に『血が足りない』と言っても、意味が分からなかった。

 見た感じでは、男の症状は良くなっていた。助かったと思ったのに、『血が足らない』と言われて、虞美麗と名乗った女性はかえって混乱してしまった。

 医療知識のない人に、医療内容を話しても分からないのは当たり前だった。


 (たぶん、今晩が峠だな・・・)

 「・・・血を作るのは睡眠が一番だ。暖かい寝床で、定期的に体温が冷えないように汗を拭いてやるしかない。少しでも良く成れば、暖かい柔らかい物を食べさせた方が良い。」

 俺に出来るのはここまでだ。とにかく治療は終わった。

 後は、本人が生きたいという気持ちが勝るかどうか。


 「そうですか」

 虞美麗は再び、表情を曇らせた。


 「どうした・・・。暖かい暖を取る場所はあるのか。」


 「・・・・・・。」

 初夏でも夜は寒い。この体調で野営は厳しい。せっかく本人が生きようとしても、体の体温を取られたら助からないだろう。

 虞美麗の表情から、暖かい場所の確保が難しいのは読み取れた。


 「仕方がない。乗り掛かった船だ。俺たちの野営地に来れば、暖かい寝床と食事がある。俺に付いてこい。」

 鍾離梅という名の横になって寝ている男を掲げて立ち上がった。

 俺は病人には甘いようだ。相手の素性も分からない。しかも怪我人の傷は、怪我の跡を看るに剣よるものだ。

 でも、医師としての気持ちが優先して、どうしても助けようと動いてしまう。


 『館』の中に、鍾離梅を抱えて入ると、玄関で静香が怖い顔で待っていた。

 俺の後から虞美麗も付いてくる。

 「慶之。どこに行っていたのよ。もう、外も暗いじゃない。急にいなくなったから、心配したじゃない。それに、慶之が抱えているのは誰かしら。」

静香は、不審そうに俺が抱えている人間を見る。

「慶之、あなた、怪しい人間を勝手に館の中に連れ込んで、どういうつもり。後ろの人は何者なのかしら・・・。半仮面なんか付けて、いかにも怪しんだけど。」

 静香は、俺が連れて来た2人の顔を交互に見ている。

 俺が戻ってきたと思えば、いかにも怪しい男女を連れてきて警戒している。


 「怪我人だ、静香。既に治療魔法を施したんだが、血を失い過ぎている。今晩は、2人ともここで休ませることにしたいんだ。」


 「ええ・・・、治療魔法を施したんなら、もう良いじゃない。怪我も治っているようだし。怪我をしたら、血を失うのは当たり前でしょ。」

 静香の反応はもっともだ。この世界であれば当然にそう考える。


 「静香、人間は体の中の3分の1の血を失うと死ぬんだ。この患者は3分の1に近い血を失っている。こんな状態で、寒い所に寝かせたら、助かる命も助からない。」


 「・・・慶之、なに言っているの。血を失い過ぎたら死ぬのは当たり前じゃない。でも、この人は治癒魔法で治療して生きているのよ。死ぬまでに血を失わなかった事でしょ。」

 静香はこの世界の中で、超がつくほどの優秀な治癒魔法使いだ。

 その治癒魔法使いでも、医学に関する知識はこの程度なのである。これは静香が悪いのではなく、この世界の常識なのだ。


 「それじゃ、静香。今まで、治癒魔法で治療したはずの人が、翌日に症状が悪化して亡くなった事はなかったか。」


 「そうね・・・あったわ。確かに、出血が多かった兵士が何人か翌日の朝に死んでいたわね。せっかく、治癒魔法で治療して完治したはずなのに・・・。その時は戦争中で原因を考える時間が無かったから、そのままになったけど。」


 「そ、それだ。その兵士は、血液を大量に失って弱った所に体温が低下して死んだんだ。血を大量に失うと、体温が下がる。そんな時に、寒い夜空で一夜を明かしたら、死ぬに決まっている。この男の顔の色を見ろ、顔色が白いだろ。」

 俺が抱えている男の顔を見たら、静香も頷いた。


 「確かに、この男の顔は青白いわね。分かったわ。でも、後ろにいる女はいかにも怪しいじゃない。顔には仮面を付けてるし、服には血が付いている。いかにも怪しんですけど。そんな人を家に泊めるつもり。」

 確かに静香の言う事も一理ある。

 確かに、服に血を付けた怪しい仮面を付けた女はいかにも怪しい。俺が静香の立場でも同じ反応をするだろう。


 俺がどう説明するか頭を抱えていると、後ろに控えていた虞美麗が頭を下げた。

 「すまない。私は、虞美麗という。決して怪しいものではない。その・・・魔物に襲われて、従者が怪我をしてしまった。すまない、その従者が動けるようになったら、直ぐにここを去る。少しだけの食糧と、休憩できる場所を貸してもらえないか。必ずお礼はする。頼む。」


 「・・・・・・。」

 静香はどう反応して良いか悩んでいると、桜花もやってきた。

 「子雲、戻ったようだね。どうしたんだい。玄関で立ち止まったりして。」


 「怪我人だ。治癒魔法で治療はした。だが、血を失い過ぎて今夜が峠だ。寒い場所で寝れば、体温を失って危ない。すまないが、奥の部屋に寝かせたいんだ。」


 桜花は、俺に抱えている青白い顔の男を視ると、状況を察したようだ。

 「分かったわ。直ぐに準備するよ。」

 直ぐに、桜花は奥の部屋に向かった。

 きっと、寝台と布団の用意をしているのだろう。暫くすると、桜花の声がした。

 「準備が出来た。こっちに連れてきてくれるかな。」

 

 静香は何か言いたそうだったが、なし崩し的に虞美麗と鍾離梅の2人を家の中に招き入れた。

 俺はそのまま鍾離梅を抱えて、奥の部屋で彼を寝台の上に寝かせると、一緒についてきた虞美麗に看病の指示を出した。

 「暖かくして寝かしておいてくれ。暫く安静だ。そして、目が覚めたら、食事を摂らせてやってくれ。なるべく消化が良い食べ物がいい。」

 「わ、分かりました。」

 本当に分かったのかどうかは不安だが、美麗は頷いた。


 そして、一息ついた所で、美麗を桜花と静香に紹介した。

 「桜花、静香。この人は虞美麗殿だ。彼女の従者が怪我で倒れていた所を俺が助けた。旅の途中で何者かに襲われたようだ。」


 美麗は2人に再び頭を下げた。

 「本当に助けてもらって感謝いたしますわ。私は虞男爵家の長女、虞美麗。字は璃奈。従者の鍾離梅ともども礼を言います。」

 挨拶は洗礼されていた。

 言葉遣いも、男のような喋り方からお嬢様の言葉遣いに変わっていた。

 貴族と聞いて、桜花と配したが問題は無かった。

(俺の時は、俺が貴族と聞いて、2人とも突っ掛かってきたのだが・・・。まぁ、良いとしよう。)

 何となく、腑に落ちない点もあったが、ここは黙っていた。


 美麗が桜花と静香に挨拶をすると、2人も挨拶を返す。

 「僕は、姜桜花。せんし・・・、いや、冒険者なんだ。よろしく頼むよ。」

 「私は、源静香。だいせいこ・・、いえ、冒険者よ。よろしくお願いしますわ。」

 2人とも冒険者の挨拶に慣れないようで、なんだかぎこちない挨拶をしていた。


 ――グウゥゥ。

 挨拶が終わった所で、美麗から腹が鳴る音がした。

 顔を赤くした美麗は、顔を隠すように直ぐに下を向いた。

 「す、すみません。今日は朝から何も食べていないんです。重ね重ねすまないのですが、何か食べ物を頂けませんか。必ず礼はしますわ。」

 蚊の鳴くような小さな声で食べ物を所望した。


 「もう、料理の準備はできているわ、今日は迦黎(かれい)よ。」

 とにかく、美麗を連れて、皆のいる居間に向かった。

 彼女は、『館』の家の中の広さを見て驚いていた。

 「こんな大きな家が、魔道具の中なんですか・・・信じられませんわね。」

 少し落ち着いたのか、口調もくだけてきた。


 俺たちが机に座ると、直ぐに桜花が迦黎をよそって一人ひとりの前においた。

 迦黎は前世のカレーに似た食べ物だ。

 今回は、猪の魔物である魔猪妖の肉が入った特製の迦黎(かれい)だ。

 これは桜花が姜馬から聞いて作った料理であった。

 なんで、明治維新前の時代にいた姜馬がカレーを知っているかと姜馬に聞いてみたら、ジョン万次郎という米国から帰国した知人に聞いた食べ物だと言っていた。姜馬の話から、この迦黎を再現した桜花も凄い。

 一度も食べた事が無いのに、レシピも分からないで、ここまでの味を作り上げるとは信じられない。


 この迦黎に対して、美麗の反応は微妙だった。 

 「あまり見たことがない色の料理ですわね。匂いは良いですが。お米の上に黒っぽい液体がかかっていますが。」

 美麗は迦黎を始めて見たようで、この料理を警戒しているようだった。


 「美麗さん。これは、迦黎っていうんだよ。本当に美味しいんだぜ。」


 「そうよ。この料理は美味しいわよ。このスパイシーな味は忘れられないのよね。辛いんだけど、この辛さが良いのよね。大聖国で作らせようとしたけど、調味料は足りないし。料理の作り方は分からないし・・・、とにかく、本当に美味しいわよ。」

 桜花や静香は『姜氏の里』で迦黎は食べ慣れて、美味しさを良く知っている。

 木のレンゲの上に、お米と迦黎をのせると口に中に入れて噛みしめる。

 

 「「美味しい(わ)」」

 2人が美味しそうに、口をもぐもぐして迦黎を味わっている。


 2人が迦黎を食べる様子を見て、美麗も恐る恐るスプーンを動かした。

 目をつぶって、思い切ってスプーンの上の迦黎を口に含んだ。

 少しずつ、口を動かし、迦黎を味わう。

 「う~ん、これは、お米かしら。それに、この茶色い液体は分かりませんが、お米に合いますわ。深みのある味ですわね。後からくる辛さが舌に押し寄せてきますわ。でも、美味しいです。この味は有りですね。妙に食欲を刺激すます。美味しい、美味しいですわ。こんなに美味しい食べ物は食べたことがありませんわ。」

 美麗は食レポにように迦黎の味を表現しながら、手を動かしていた。

 見た目は細い体だが、凄い勢いで迦黎を口に運んでいる。


 「そうだろ。桜花の迦黎は格別に美味いからな。」

 俺が誉めると、桜花もまんざらでは無いようだ。嬉しそうな顔をしている。


 「あら、私も手伝ったのよ。お米を焚いたり、煮込んだ迦黎のアクを取ったり。大変だったんだから。私も誉めなさいよ。ぶー、ぶー。」

 誉められた桜花の隣で、静香が文句を言っている。


 「そうか。静香も手伝ったのか。ありがとう静香。美味しい迦黎を作ってくれて。」


 「う~ん、まぁ、分かれば良いのよ。分かればね。ちょっとワザとらしいけど。」

 静香も誉められて、まんざらでは無い表情で嬉しそうに迦黎を食べていた。


 そこに、申し訳なさそうな美麗の声が聞こえた。

 「あ、あの。すみません。オカワリ良いですか。」

 いつの間にか、美麗が皿に盛り付けられた迦黎が綺麗になくなっていた。

 美麗の見た目は、細くて華奢だ。あのスレンダーな体のどこに迦黎が入ったか分からない。


 「良いよ。どんどん食べてよ、まだまだあるから。」

 桜花がカラの皿を受け取って、お米と迦黎をよそった皿を美麗に返した。

 盛り付けられた迦黎を受け取った美麗は、美味しそうに食べている。


 「それにしても、そんなに食べて細いボディラインとか、あなた反則よね・・・まったく、羨ましい体質だわ。」

 静香は本当に羨ましそうに、迦黎を食べる美麗を見て感嘆の声をだしていた。


 皆が迦黎を堪能した所で、静香は口をハンカチで拭いて美麗に尋ねた。

 「ところで、美麗さん。あなた、顔を半仮面で隠しているようだけど、怪我でもしたのかしら。怪我なら、私の治癒魔法で治してあげるわよ。」

 美麗の顔の半分を隠す白銀の半仮面にこの場の人の視線が集中した。

 確かに、火傷などの跡を隠すのに仮面を被る人がいる。特に女性は多い。

 怪我をしたばかりなら治癒魔法で治せるが、時間が経ってしまうと火傷の怪我は治せない場合が多い。

 だが、神級魔力の静香の治癒魔法なら、そんな難しい怪我でも治してしまう。


 「・・・いえ。治療は要らないわ。これは怪我ではないので。」


 「ほう・・・なら、なぜ、半仮面で顔を隠すのかしら。あなたは虞男爵家で。確か、『槍姫』とか、『傾国』とか言われていたわよね。せっかくの『傾国の』の美しさが、顔を白銀の半仮面で隠したら勿体ないわよ。それとも、虞家が今は滅亡してお尋ね者になったから、顔を隠しているのかしら。」


 「・・・・・・。」

 静香の言葉で、今まで迦黎に夢中だった美麗から殺気が放たれた。

 鋭い目つきで、静香を睨みつける。


 美麗の能力値は『認識』魔法で既に確認済である。

 正直、逸材である。

 これだけの能力を持った騎士はこの大陳国でも多くない。

 だからこそ、そんな能力の高い人材が偶然に俺に助けを求めて近づいてきた事に怪しさを感じる。

 いかにも話が出来過ぎているからだ。

 だが、もし裏表のない人物なら仲間にしたい有能な人材であるのは確かだ。

 きっと静香も、その辺が気になって美麗を挑発しているのだろう。

 俺たちに近づいて来たのか。それとも別の目的があるのか、今は判断がつかない。ここは黙って、静香に任せて様子を見ることにする。


【虞美麗の能力値】

魔力階級 王級魔力

武力レベル 850

知力レベル 580

魅力レベル 630

魔力レベル 650

称号    槍姫

王級魔力の魔力持ちで、魔力レベルは神級魔力の700までに50と後一歩の所まできている。しかも武力レベルも850と高い。桜花の920には負けるが、俺の610より相当に強い。称号の『槍姫』も気になる。


 静香が口を拭いた布を机に置いた。

 「あら、私の話が気に障ったかしら?」


 「あなた達・・・ただの冒険者じゃないですわね。雷伯爵家、もしや蔡辺境伯の手の者ですか。」

 美麗は、白銀の半仮面を被った顔から光る鋭い瞳の視線は静香を睨みつけたままだ。

 そして、立ち上がると近くに置いていた槍をとった。

 すると、王級魔力の橙色の魔力色が槍を覆いはじめる。


 静香は、そんな美麗を見ても落ち着いている。

「別に、私たちは雷辺境伯でも、蔡辺境伯の手の者でもないわ。それに、自分の名前を名乗ったのはあなたよ。虞美麗と言えば、『槍姫』とか『傾国』で知られている。私が知っていても、おかしく無いんじゃないかしら。」

 余裕の表情で、美麗の顔を見ている。


 (『槍姫』とか『傾国』とか有名なのか・・・・俺は知らなかったが。)

 当然のように他国の貴族について語る静香に比べ、全く貴族の世界に疎い俺は恥ずかしくなった。だが、今は黙って、静香の話に耳を傾けた。


 「もう一度聞きます。あなた達は、なに者ですか。」

 今にも静香に向かって飛び掛かりそうな厳しい口調で叫ぶ。

 確かに、美麗が言うように、ここまで貴族の状況に詳しい冒険者はいない。


 「それを言うなら、あなたの方が怪しいのよ。だいたい、その傷はなに。魔物に襲われたと言っていたけど、その傷は剣の傷よね。それに、長南江以北が縄張りの虞家の姫がなんでこんな所にいるのかしら。お調子者の慶之は、人助けでこの家に連れて来たみたいだけど。私は合点がいっていないのよね。」


 「・・・・・・・。」

 美麗は黙ってしまった。

 俺も、美麗の従者の鍾離梅の傷は気がついていた。あの脇腹の傷は魔物の爪ではなく、静香の言う通り剣の斬り傷だ。

 その他の美麗についた傷も魔物では無く、剣の傷であった。

 いつもは我儘ばかり言っている静香だが、知力レベル890は伊達では無い。


 「黙っていたら分からないわ。言っておくけど、私達があなたに近づいたんじゃないのよ。あなた達が慶之に近づいたのよ。怪しいのは私達では無くて、あなた達よ。分かるかしら。」


 静香の言葉に何か気がついたのか、美麗は身構えていた姿勢を解いた。

 「確かにそうですわね。助けを求めて、慶之殿に近づいたのは私の方でしたわ。ですが、他意はありません。本当に離梅の傷の治療を頼んだだけです。今の静香殿の話の通り、私達は、雷家の兵に狙われています。そして、離梅の傷も、私の傷も雷家の兵士に襲われて傷ついたものです。私と兄は虞家の領地を奪った雷家領で、かつての臣下を集めて抵抗しています。それで、雷伯爵が私に刺客の兵を送ったのです。」

 美麗は自分がなぜ襲われたのか話し始めた。

 今まで、虞家が雷家領で反抗していた事や、これまで雷家の兵士に襲われて、仲間を失った事も話してくれた。美麗の話を聞いていると、昼間にあった兵士は、どうも雷家の手の者であったようだ。


 「それなら、なぜ、あなたは長南江の南にいるのかしら。虞家の戦場は、長南江の北でしょ。雷家軍と戦って、虞家領を取り戻すんじゃ、ないかしら。」

 静香は、なぜ美麗がこの地に居るのかと聞いていた。

 美麗は、虞家の旧領を治める雷伯爵と戦って、領地を取り戻す為の戦いをしているはずだ。それが、長南江の南にある国王領に居るのは確かにおかしい。


 「・・・それは、『火の迷宮』に行くからです。雷家と戦うには、鎧騎士が必要なのです。鎧騎士を持った雷家軍には、どうしても敵いません。『火の迷宮』に行って、特級以上の魔石と魔物の素材を狩ってくるのが、兄から与えられた使命なのです。」

 確かに、鎧騎士を保有する敵と戦うのは、至難の業だ。

 本当に雷家との戦いに勝って、虞家の旧領を取り戻すつもりなら、鎧騎士を手に入れようとするのは分かる。そして、その為に特級以上の魔物を倒して魔石や魔物の素材を手に入れようとするのも。

 ただし、得られるのは、あくまで材料だけだが・・・。

 とにかく、今までの美麗の話は確かに筋が通っている。


 「ふ~ん。『火の迷宮』に行くんだ。それじゃ、私達と同じね、慶之。」

 静香は、どうするの?という視線で俺に送った。

 静香も俺と同じことを考えているのだろう。虞美麗という人材をどうするのかと決めあぐねている。


 「美麗、事情は分かった。俺たちも隠し事は止めよう。俺は楊公爵家の3男で楊慶之。そこの源静香も、大聖国のお尋ね者だ。そして桜花は俺たちの友人という関係だ。まぁ、冒険者として『火の迷宮』に行くつもりだから、冒険者と言うのは嘘では無いが。まぁ、俺も蔡辺境伯の敵だ。だから、美麗殿を敵に売るような事はしない。安心して欲しい。」


 「・・・本当なのか、楊公爵家の一族の男は全員死んだと聞いていた。ただ生き残ったのは一人だけ。王級魔力の一族の女が、旧南東軍を率いていると。」

 魔力の無い俺は、どうも楊家の一族の男とカウントされていないようだった。


 「そうなのか。一応、俺も楊家の一族の男なんだが。」

 そう言って腰に掛けている『魔法の鞄』から、親父殿に貰った楊家の紋章が刻まれた剣を出して美麗に見せた。


 美麗は俺が差し出した剣を見て、紋章を確認した。

 「確かに、この剣は楊公爵家の家紋が刻まれているが・・・。」

 確かに、楊家の家紋が刻まれている剣だが、この剣で楊家の一族の者と信じるのは軽率だ。

 もし、これが貴族の身分を示す『護国の剣』であれば別だが、ただの楊家の紋章が刻まれた剣だけでは、身の証明にはならなかった。

 「・・・だが、慶之殿に出会わなければ、私達はどうせ死んでいた。敵の雷家や蔡家なら、わざわざ瀕死の離梅を助けるはずが無い。慶之殿の言葉を信じるとしよう。」

 なんとか、美麗の疑いは晴れたようだ。


 俺が自分の素性を話したもは、美麗を仲間にする為だ。

 仲間にして良いか疑っていたが、 本当に虞家の人間なら、蔡辺境伯やその家来の雷伯爵から追われるのも頷ける。

 その為には、力が必要だ。

 鎧騎士の材料を求めて、『火の迷宮』に向かうのも、俺たちと同じだ。

 俺は、虞美麗を信じる事にした。

 確かに話は出来過ぎているが、何でも疑っていたら仲間など集められない。

 俺は彼女を信じる事にして、どうやって仲間にするかを考え、まずはこちらの素性を話すのが、第一歩と考えたのだ。


 「それで、俺たちも『火の迷宮』に行くんだが、一緒に行くか。」


 「それは助かるわ。是非、お願いします。」

 美麗の言葉は、再びお嬢様言葉に変わっていた。

 彼女の言葉は、気を許すとお嬢様言葉になるようだ。

 そんな話はどうでも良いが。

 とにかく、美麗も一緒に『火の迷宮』を目指す事になったのであった。


* * *


七光教団 大天主堂 教主の間 【大聖国 聖陽】


 教主の間。

 いつものように、円卓の中央に私が坐り、聖人が囲むように席に着いていた。

 教主である私と7人の聖人による『聖人会議』がこれから開催される。

 円卓に座る聖人たちを見回した。


 2人の聖人の表情が良くないようだ。顔を俯(うつむ)いている。

 その他の者はいつもと同じだ。

 私は、皆に向かって聖人会議の開催を宣言した。

 「7人の聖人よ。皆、この会議に集まって頂きご苦労様。これから聖人会議を始めめます。今回は、大梁国の『地の迷宮』で動きがあったと報告を受けています。皆と一緒に話を聞いて、これからの方針を決めてもらいます。」

 七色に光る流れ星を手に入れる為に、『地の迷宮』と『火の迷宮』に聖人を派遣していた。『地の迷宮』には、赤聖人を送っていたが、緑聖人が志願した事もあって、後から緑聖人も追加で送っていた。


 その2人からの報告がこれからあるのだ。

 「緑聖人、赤聖人。『地の迷宮』の動きについて報告してください。」


 立ち上がったのは、緑聖人であった。

 「まず、『地の迷宮』に七色の光を放つ星・・・虹色魔石ですが、地下3階層までにはありませんでした。そして、無理をして地下4階層を潜り抜けて、地下5階層の入り口まで進みましたが、そこにもありませんでした。」

 「「「「「おおぉぉ・・・」」」」」

 魔物が活性化をしている『地の迷宮』の入り口とはいえ、地下5階層まで進んだのは快挙と言って良い。

 始祖の予言に対する赤聖人と緑聖人の強い意思が伺える行為だ。

 私や、他の聖人たちも感嘆の声を上げていた。


 「我々が進めるのは、そこまででした。地下5階層は、神級魔力の魔物が潜んでいる階層。それに、その階層にはこの迷宮の主もいます。我々は、地下5階層まで進んで、入口で待機していました。」

 「それでは、虹色魔石は地下5階層にあったのですか。」

 藍聖人の質問に緑聖人は頷いた。


 「はい、地下5階層に・・・正確には迷宮の『主の間』にあったようです。」

 『あった。』は、過去形の言葉だ。

 その言葉は虹色魔石を見つけたことを意味している。

 ただ、気になるのは、迷宮の『主の間』という言葉だ。地下5階層の入り口にしかたどり着けなかった赤聖人と緑聖人がなぜ、迷宮の『主の間』に虹色魔石があったことを知っているのか・・・。


 「緑聖人、なぜ、地下5階層までしか辿り着けなかったあなたが、迷宮の『主の間』にある虹色迷宮の存在を知っているのですか。」

 私に代わって、私の疑問を質問したのは藍聖人であった。


 「はい。私はその話を聞いただけで、見ておりません。そして、その話を私にされた方こそ、虹色の魔力を持った使徒様・・・岳光輝様。使徒様が迷宮の主を倒し、虹色魔石を手に入れた方です。」


 「岳光輝様・・・そのお方が使徒様と言うのか・・・。」

 私は思わず、使徒様の名を口にしていた。


 「そうです、教主様。岳光輝様の体から虹色魔力色を発していました。そして、倒した迷宮の主の遺体も目にしました。あの方が間違いなく、大梁国の使徒様です。」

 緑聖人は力強く断言した。


 「そうですか・・・、そうですか。使徒様が現れましたか・・・。これで始祖様の予言成就はなったも同然。良くやりました。緑聖人、赤聖人。使徒様を見つけ出すとは、大手柄です。」

 私は、2人の苦労を褒めたたえた。

 『地の迷宮』の地下5階層まで行って、使徒様を見つけ出したのだ。


 「お待ちください、教主様。私どもは手柄など上げておりません。いえ、それよりも失態を犯しました。どうか、我らを罰してください。」

 緑聖人と赤聖人が、席から立ってその場に跪いた。


 「どういうことなのですか。」

 私は訳も分からず、2人に尋ねる。


 冴えない表情の緑聖人が口を開いた。

 「使徒様に・・・いえ岳光輝様に、教団との共闘を断られました。」


 「それは、どう言う事なのですか・・・。」

 緑聖人の答えに驚いて、言葉を失ってしまった。

 (そんなはずはない。緑聖人は『富』と『権力』と『武力』を使徒様に用意すると申し出たはずだ。それを断るとは・・・。)

 大梁国の使徒様の反応を教主は、想像もしていなかった。

 使徒様は始祖様が千年後の我らに送ってくれた始祖様の化身。そのお方は当然、予言の成就の為に教団と手を取り合ってくれると思い込んでいた。

 経典の解釈もそうなっていたので、今まで疑ってもいなかった。

 

 それだけに、緑聖人の報告は衝撃的だった。

 どう反応して良いのか、これから教団がどう動くべきなのか、何も思いつかない程のショックを受けていた。

 「どうして、使徒様が我らとの共闘を断ったのですか?」

 教主は動揺を隠して、辛うじて言葉を振り絞った。


 「その・・・、使徒様は・・・いえ、光輝様は宗教が嫌いと申され、教団の力は要らないと・・・。全く、取り付く隙もありませんでした。」


 「我が教団の力は不要と言うのですか・・・。」


 「はい。岳光輝様はそうおっしゃられました。」


 「それでは、始祖様の『予言』はどうなるのだ。使徒様は『予言』など知らないと言われるのか・・・、それでは教団は何の為にこの千年間の月日を・・・。」


 「・・・・・・分かりませんが、使徒様は予言の事は存じない様子でした。」

 緑聖人の答えは、予期しないものであった。

 (使徒様は・・・、千年後の始祖様の生まれ変わりではないのか。七光聖典に記された教えは虚言か。いや、そんなハズは無い、始祖様の予言は確かに存在する。現に、七色に光る流れ星が墜ち、使徒様が現れた。それでは、なぜ、使徒様は我らに協力しない?・・・使徒様が始祖様の生まれ変わりというもは、教団の勝手な解釈か。確かに、始祖様の予言の原文にはそのような言葉は無かった。では、我らはこれからどうすれば良いのだ・・・)

 私は頭の中で、『何が正しいのか。』そして『教団はどうすべきなのか。』を必死に考えた。

 この千年の間、教団の教えは『使徒を助け、始祖様の予言を成就する』という内容であった。

 それが、この期に及んで、使徒様に『要らない』と言われてしまったのだ。これでは、教えの通りに使徒様を助けることなどできない。

 (強引にでも、使徒様に共闘を迫るべきか・・・、いやそれは悪手だ。虹色魔力を持つ使徒様に力で敵うはずが無い。下手をすれば使徒様と致命的な亀裂が生じてしまう。では、どうすれば良いのだ・・・。)

 『洗脳』や『魅了』魔法も考えたが、虹色魔力を持った使徒様に拒絶(レジスト)されてしまうだろう。虹色魔力はこの世界で最強の魔力だ。どの程度の力か想像もつかない。魔法では敵わない。

(・・・なにも妙手が思いつかない。)

 かと言って、ここで使徒様との共闘を諦めたら、信者の信用を失う。今まで、『始祖の予言』を絶対の教えとして布教をしてきたのだ。

 絶対に、『使徒様の予言成就を助ける』という教団の役目を失うわけにはいかない。


 考えに考えたが、良い手は思いつかない。

 「それにしても、なぜ、岳光輝様は教団を嫌うのですか?」

 仕方がなく、緑聖人に尋ねた。


 「それは・・・・。」

 緑聖人は、『地の迷宮』での岳光輝とのやり取りを皆の前で話した。

 その話を聞いて、教主である私を始め、他の5人の聖人も唸(うな)ってしまった。

 要約すると、岳光輝様は、宗教自体を嫌っている。宗教は人を騙して人を利用するものと断定していた。それは、七色聖教に限定するものではなく、宗教その物を憎んでいると言った物であった。

 なぜ、岳光輝様がそのように宗教を憎むようになったかは分からない。

 ただ、今の世に現れた使徒様は、宗教を憎み、七光聖教を必要としていない御仁という事実があるだけだと言って、緑聖人の説明は終わった。


 確かに、七色聖教も信者からお布施と言って金を集めたり、間者のように利用して情報を集めたりしている。あながち『人を利用する』という言葉は嘘では無い。

 ただ、これも、始祖様の予言を成就するという大望の中での必要悪だ。教団が力を付けなければ、予言の成就は叶わないのだ。

 そんな我らの苦労を、使徒様は『不要』と一言で切り捨てるとは・・・。


 そんな重い空気の中で、藍聖人が口を開いた。

「岳光輝様の名は聞いた事があります。大梁国の武人として、名を成した方ではないでしょうか。確かに武人としての武の力を持ち、虹色魔力の力を手に入れれば鬼に金棒です。それで、我ら教団の持つ力は必要ないと言うのではないでしょうか。」

 岳光輝の年は若いが、大梁国で武術の達人として名を馳せていた。

 大梁国のいくつもの武術大会で優勝している。

 今まで、魔力の話は一切聞いた事が無かったので、虹色魔力は始祖様と同じように、後天的に発現したのかもしれない。あの国で、岳家の嫡男と言えば、魔力ではなく、武人として一目置かれた存在だったと藍聖人が説明を加えた。


 藍聖人の話を聞いて、益々、私は皆の表情は曇っていった。

 「教団の力は必要ないですか・・・。虹色魔力を持つ。そして武人としても達人の領域。更に今回、虹色魔石も手に入れた。まさに最強。そのような最強の人に我らが提供できる物があるのですか・・・。何か良い手はありませんか。緑聖人。」


 「・・・・・・。」

 緑聖人も交渉が上手く行かなかった責任を感じている。

 だが、この局面を打破できるようなアイデアは生まれない。跪いたまま、顔を下に向けて沈黙を守っているだけだった。


 そんな状況で、今まで黙っていた赤聖人が口を開いた。

 「教主さま。私に考えがあります。上手くいくかは分かりませんが、話しても良いでしょうか。」


 「どうぞ、赤聖人。良いアイデアがあれば、是非にともお願いします。」

 赤聖人は武の男だ。だから、今まで意見を言ったり、仮に言ったとしても良い意見はほとんど無かった。

 教主は赤聖人に発言を許したが、彼は『武』の聖人であった。この局面を打開する『智』を発揮するとは正直考えていなかった。ただ、藁をも掴む思いで、何か情報を得られればと思って聞いた。


 「もし、藍聖人の話したことが岳光輝様の考えであるならば、我ら教団は、お役に立つ事を、教団と共闘する価値がある事を、光輝様に示さねばなりません。」

 

 確かに赤聖人の言う通りだ。

 使徒様の教団に対する認識はゼロからのスタート、いやマイナスからのスタートだ。なら、認識を改める為、教団の価値を示さなければならない。

 「その通りです、赤聖人。我らは光輝様にとって価値を示さねばなりません。ですが、どうやって価値を示すのですか。」


 「私と、緑聖人が岳光輝様に会った時に、藍忠辰と、青紅蘭が光輝様と従者として一緒に控えていました。」

 赤聖人が意外な名前を口にした。


 「藍忠辰と。青紅蘭か・・・。」

 2人の名を聞いた聖人たちがざわめいた。

 皆が、藍聖人と、青聖人の方に視線を向ける。

 そう、藍忠辰は藍聖人が率いる『藍の一門』の幹部だった男である。

 『鬼才』の忠辰と言えば、『神才』の公明と並んで、『藍の一門』の麒麟児と言われていた。

 ただ、『幹部だった』と過去形なのは、すでに彼は七光聖教を脱会している。


 そして、青紅蘭も、『青の一門』の幹部だった女性であった。

 彼女も教団を脱会していた。

 

 教団の脱会には一門により、厳しさに濃淡がある。

 脱会に厳しい一門もあれば、緩い一門もある。

 『赤の一門』は武の一門で、脱退が厳しくて有名な一門だ。一門を脱退するには、師匠の赤聖人が許すか。赤聖人を倒すかしないと脱退は出来ない。

 対して『藍の一門』は緩かった。

 そもそも、教団への忠誠心が薄い一門なので、自身の主を見つけて、一門を脱会することは珍しいことでは無かった。というか、自立と言う意味で自身の主を見つけ出すことが奨励された。

 その意味では、藍忠辰は自身の主である岳光輝に仕え、教団を脱退するのは一門としては自然な事であった。本当に変な一門である。


 そして、青紅蘭が『青の一門』を脱退したのには、ある事件が引き金になった物として、誰もが口をつぐんで、彼女の脱退を黙認した。

 その事件とは、『潘陽の惨殺』と呼ばれる事件で、先代の青聖人の死にも関わるものだった。

 教団は、魔物に襲われるのが分かっていた【潘陽】を見放しにした。

 ただ一人、先代の青聖人だけは教団が見放した【潘陽】の民を救う為に戦った。強力な結界を【潘陽】に張って魔物の侵入を防ぐ為に尽力したのであった。だが、その先代の青聖人も最後は魔物に食べられて壮絶な死を遂げたのであった。

 青紅蘭は、先代の青聖人と一緒に最後まで、【潘陽】の民を救う為に魔物と戦った『青の一門』の幹部であった。『青の一門』は聖属性の魔法に秀でた一門である。そんな彼女に、魔物を倒す力は無かった。

 ただ、彼女には神級魔力の強力な『結界』で民を守る為に戦ったのだ。

 彼女も、先代の青聖人同様、【潘陽】で死ぬはずだった。

 そこに現れたのが岳家の冒険者たちだ。

 冒険者たちは、襲って来る魔物から民を救って、生き残った民を岳家領に連れて行ったと報告で聞いていた。その時、青紅蘭も助けられたと報告で聞いていた。

 だから、あの【潘陽】から生き残った青紅蘭から、教団の脱退を申し入れがあった時は黙認するしかなかったのだ。


 「たしか、【潘陽】は冒険者に救われたと聞いていたが・・・もしや。」

 私は青紅蘭と聞いて、思いだしたようにつぶやいた。

 教団は教団領の【潘陽】を好きで見放したのではない。見放すしかないほどの数の魔物が【潘陽】を襲ったのであった。教団の聖騎士の力でも、【潘陽】を救うのは倒すは難しいと判断され、やむなく見放したのだ。

 だが、そんな事を今更言っても、誰も納得してくれない。


 「はい。その冒険者が、岳光輝様だったかと思われます。」

 赤聖人からの返事に、自身の迂闊さに愕然とした。

 あの【潘陽】の報告を聞いた時に、もう少し冒険者の存在を疑うべきだった。

 もし、あの時点で岳光輝様を発見していれば・・・状況は教団にとってもっと良かったかもしれない。

 あの事件を岳光輝様はどのように考えているのだろうか。

 きっと、七光聖教など、自領の民を見捨てる軽薄な教団と思ったに違いない。

 教団は【潘陽】を見放した後ろめたさから、【潘陽】を救った冒険者や、青紅蘭の脱退について無関心過ぎだのであった。


 「そうですか・・・。」

 (【潘陽】が岳光輝様に教団の悪影響を与えてしまったのは間違いない・・・。だが、過ぎ去った事を後悔しても、何も生まれない。今は、何としても使徒様・・・岳光輝様とのパイプを繋げないと・・・)

 「それで、赤聖人。話を続けてください。」

 簡単に、使徒を諦める訳にはいかない。


 「上手くいくかは分かりませんが・・・、岳光輝様は今、敵に備え力を蓄えよとしています。そこが、教団が価値を示すチャンスかと。」


 「光輝様が敵に備える・・・?どういうことですか、赤聖人。」

 赤聖人の話は非常に興味深い。

 たしかに赤聖人が言うように、これはチャンスだ。


 「はい、忠辰の話では、大梁国と西に国境を接している大秦国が侵攻の準備を進めているので、岳光輝様は、大秦国の侵攻に備え戦力を蓄えております。」


 大秦国の王である秦王の野心家は、教区主からずいぶん前に聞いていた。

 話を聞いた時は、大梁国の趨勢など興味が無かったので気にも留めなかったが、大梁国に岳光輝様が現れた今では、話は変わって来る。

 「その話は私も聞いています。そうですか・・・きっと忠辰ですね。その話を岳光輝様に伝えたのは。」

 『智の一門』は情報を集め、教団の作戦を考える一門だ。忠辰が、大梁国の情報を知っているのは頷ける。

 そして、大梁国の王は大病で苦しんでいる。

 ここ数日のうちに逝去し、後継者争いが勃発すると教区主から報告が上がっていた。そのチャンスを大秦国の秦王が逃すはずはない。必ず、大梁国に侵攻を始めるだろう。


 「これは我らにとって、岳光輝様に教団の価値を示すチャンスです。近々、大秦国が大梁国に侵攻します。岳光輝様は大秦国の侵攻に備え力を蓄えております。これこそ始祖様のお導きに違いません。」


 「赤聖人は、このチャンスを利用して、岳光輝様とパイプを作る事を考えているのですか。」


 「はい、その通りです。まず、藍忠辰や青紅蘭と同じように、我ら各一門の弟子の中で優れた者を光輝様の元に送ります。併せて戦力や資金も提供するのです。」


 「光輝様が教団の支援を受け取るでしょうか。」

 光輝様は教団を警戒している。簡単に教団の申入れを受け取らないであろう。


 「忠辰の目的は、自身の主を覇者にする事ですから。光輝様は警戒しても、現実主義の藍忠辰が我らの支援を受け入れるように仕向けます。藍忠辰の狙いは、大秦国の侵攻で混乱する大梁国を、主である光輝様が手中に収める事です。人材・戦力・財力を提供する我らの申出を断れるはずはありません。」


 私は藍聖人の顔に見を向けると、藍聖人も頷いた。

 一番、藍忠辰の事を知る師匠が頷くなら、この策は大丈夫だ。


 「そうか、私はこの作戦は面白いと思う。それに、教団の軍師である藍聖人も賛同した。この赤聖人の策で行こうと思うが、他に意見がある聖人はいないか。」


 「「「「「・・・ございません。」」」」」

 他の聖人も、赤聖人の策に同意した。


 「それでは、金貨を1万枚。それに鎧騎士千騎。それと各一門は弟子の中から有力な者を選定してください。」

 金貨1万枚は、小国の国家財政に匹敵するくらいの価値だ。

 鎧騎士千騎は、教団が保有する聖騎士3千騎の3分の1に相当する。


 「次に人材ですが、藍聖人に人選は任せますが。『藍一門』、『青一門』の2門を除く5門から、幹部クラスの者を選抜して欲しいのですが、できますか。」

 藍一門からは、藍忠辰。青一門からは青紅蘭が既に光輝様に仕えているので、今回派遣する一門から外した。


 「あの、弟子では無くて私が岳光輝様の所にいきます。わたくしが使徒様の鎧を作って差し仕上げます。」

 手を挙げたのは、いつも会議で口を開かない黄聖人であった。

 『黄の一門』は鎧や魔道具を作る一門で、鎧や魔道具作り以外に全く関心を示さない一門だ。今まで、教団の教えや運営などに全く興味を持ったことが無かった。

 その『黄の一門』の黄聖人が、使徒様との繋がりを得る為に尽力するはずがない。


 「・・・黄聖人。あなたと言う女性(ひと)は、私の話を聞いていましたか。光輝様の元に送るのは、幹部止まりです。さすがに聖人を家臣として送ると、光輝様も警戒しますし、我らの動きが他国に気付かれてしまいます。あなたの、光輝様への忠誠心は素晴らしいのですが、黄才媛を送りたいのです。」


 「はい、知っております。ですが、わたくしが岳光輝様の元に行きます。弟子ではもったいない・・・いえ、まだ早すぎますわ。」


 「黄聖人、あなたの弟子の黄才媛はあなたが育てた鎧職人として、既に立派にいくつも鎧を作っています。問題ないと思いますが。」


 「いえ。問題はあります。岳光輝様は『地の迷宮』で迷宮の主を始め、たくさんの神級魔物を倒したと聞いておりますわ。それだけの魔物の素材や魔石を、あの娘だけで・・・いえ、あの娘では素材の良さを引きだせませんわ。」


 「・・・。黄聖人。あなた、またいつもの病気が出ましたね。」

教主は、黄聖人の口ぶりから、いつもの病気を発病した事を悟った。


 「いえ、決してそのようなことはありませんわ。わたくしは、使徒様に最強の鎧に乗って欲しいと。ただ、それだけの思いですわ。」


 「・・・黄聖人。いい加減にしなさい。見え見えですよ。あなたの狙いは、『地の迷宮』の魔物の素材と魔石ですね。顔に書いてありますよ。」

 黄一門は、変わっている者が多かった。教団の一門で、教団の指示に従わない一門で、ナンバーワンが黄一門だ。


 (2番目は、藍一門だが・・・。)

 黄一門は、良い魔物の素材や魔石に目が無い。王級魔力階級の魔物の素材が手に入ると、一門で奪い合う位だ。そんな、『黄の一門』が『地の迷宮』を攻略した岳光輝の魔物の素材に関心を示さないはずがなかった。

 『地の迷宮』には、王級魔力階級どころか、神級魔力の赤聖人や紫聖人ですら倒すのが難しい神級魔力階級の素材まである。しかも、神級魔力の魔物の中でトップ水準の力を持つ『地の迷宮』の主の素材もあるのだ。

 そんな好条件の環境を、黄聖人が弟子の黄才媛に簡単に譲るわけが無かった。


 「えっ、顔にですか・・・、」

 黄聖人は顔を服の袖で擦り始めた。


 笑って良いのか、怒った方が良いのか、複雑な表情で教主が黄聖人をたしなめる。

 「黄聖人、顔に書いてあるは物の例えです。」

 

 「ええ、酷いです、教主様。・・・仕方がありません。今回は弟子に譲りますわ。」


 「そうですか。分かって頂けましたか、黄聖人。」

 渋々ながら、黄聖人は光輝の元に弟子の黄才媛を送ることを承諾した。

 岳光輝様にとっても、黄一門の人材を得る事は大きいはずだ。

 なにせ、自領で鎧を作る事が出来るようになる。これで『地の迷宮』で倒した魔物の素材や魔石で、大量の数の鎧が製造できるのだ。特級以上の魔力を持った騎士を集める必要はあるが・・・。

 「それでは、皆さん、私の指示でよろしいですか。」


 「「「「「ははは、教主様。」」」」」

 橙聖人を除く、全ての聖人は頭を下げた。


 一人橙聖人が頭を上げた。

 「教主様。ご命令に異を唱えるのは差し出がましいのですが、『橙一門』は教主様と教団を守るのが役目。使徒様が重要なのは分かりますが、弟子を使徒様の元に送って、教主様と教団の護衛を疎かにするわけには参りません。『橙の一門』の弟子を 岳光輝様に送るのはご容赦頂きたいのですか。


 「・・・・・・。」

 (困ったものだ。ここにも、教団の教えを疎かにする者がいたか・・・)

 教主は頭を痛めたが、弟子を差し出さない理由が自分や教団の守護の為だというのであれば、むげにも出来ない。

 確かに、『橙一門』は教団を教えより、私と教団の守護を使命とする『忠』の一門だ。

 「分かりました。橙聖人の意見に『諾』と致しましょう。それと、光輝様への支援についての交渉の全般は藍聖人に任せます。交渉相手が弟子の忠辰であれば、あなたが一番適任でしょう。」


 「畏まりました。教主様の命令とあれば。」

藍聖人は頭を下げて、私の命令を引き受けた。


 私は、椅子から立ち上がった。

 「聖人たちよ。大梁国の使徒様については、当面の方針が決まりました。もう一人の使徒様。大陳国の使徒様を早く見つけ出し、何としても、教団に引き入れるのです。」

 大梁国の使徒様である岳光輝様を教団に引き入れるのは難しそうだ。信頼関係構築するのでやっとであろう。だがらこそ、大陳国の使徒様を何としても、我が教団に招聘しなければならない。

 「その為には、緑聖人と赤聖人は、大陳国の『火の迷宮』に向かってください。虹色魔石を見つけながら、大陳国の使徒様が来るのを待って我が教団に招聘してください。我が教団の教えである『始祖の予言』は・・・そして、千年間の教団の苦労は、あなた方の双肩にかかっているのです。よろしいですか」


 「「はっ。分かりました。」」

 緑聖人と赤聖人は跪いて、拝命の礼を行った。


 藍聖人の顔に目を移す。

 「そして、大陳国の使徒様さえ我が教団に招聘できれば、使徒様を旗印に聖戦を興します。その時は、藍聖人、あなたが聖戦軍の軍師です。岳光輝様には、側面から聖戦に協力して頂きます。やっと、教団の千年の大望を果たす時がまいりました。」


 「・・・・・。」

 聖人たちは黙って私の言葉に耳を傾けている。


 「良いですか、皆さん。これから始祖様の予言の通り、この世界に激動が訪れます。魔人族が、魔神を旗印に南の大陸から押し寄せてくるでしょう。魔人族と、魔物たちに民が恐れおののく世が来るかもしれません。ですが、恐れることはありません。我が教団は千年間、この日の為に準備を行ってきました。そう・・・全て、この日の為です。失敗は許されません。何としても、使徒様の元に人間族が団結させるのです。その為、使徒である岳光輝様との関係を築き、大陳国の使徒様を見つけだす。この2つに教団の全ての力を注ぎます。良いですか、みなさん。」


 「「「「「はは、かしこまりました。」」」」」

 7人の聖人は教主の決定に頭を下げたのであった。

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