第4話 姜氏の里

 『お兄ちゃん。助けて。』

 前世の妹が、手を伸ばして助けを求める。

 後ろに、蛇の魔物が獲物を見る目で妹を睨みつけていた。

 『待っていろ。お兄ちゃんが、助けにいく!』

 妹を助けようと、前に進もうとするが、蛇の魔物に睨まれて。

 体が石のように動かない。

 『お兄ちゃん。お兄ちゃん。おにい・・・・。』

 妹の頭が蛇の魔物に飲まれていく。

 『やめろ!妹を・・・妹から離れろ!魔物がごときが・・・。』

 大声で叫ぶが、体が動かない。

 妹が、蛇の魔物の口の中に納まって、叫び声も聞こえなくなった。

 『うわぁぁぁ・・・すまない。兄ちゃんを赦してくれ。』

 妹が呑み込まれるのを、見ているしかなかった。

 腰が抜けて、そのまま地面にへたりこむ。

 蛇の魔物は、満足そうに口から舌を出して、こちらを眺めている。まるで、俺の無力をせせら笑うように。


 「うわあぁぁぁ・・・。」

 叫びながら目が開いた。

 「はっ。」

 目に移ったのは天井だった。懐かしいと感じる木目の天井である。

 夢を見ていた。

 前世の死んだ妹が、俺に助けを求めている夢を・・・。

 首には、ジトッと汗を掻いている。

 『ここは、どこだ、・・・。』

 (なぜ、あそこに天井が・・・?)

 『確か、魔物に追われて・・・、山に入って・・・。』

 (そうだ。七色に光る光がみえて・・・洞窟に入ったはずだが・・・。)

 『布団・・・?』

 自分は布団の中で寝かされている。

 首を動かして周りを見回すと、洞窟ではない場所で寝かされていた。

 状況は分からないが、とりあえず、布団を剥いで体を起こした。


 『なんだ、ここは。どこなんだ。』

 床、いや畳?

 体を起こして周りを見ると、部屋には畳が敷かれている。

 この世界で畳は始めて見た。

 床は大抵、木か煉瓦、貧しい家だと土だ。

 『本当に、ここはどこなんだ。』

 心の中で自問する。

 なんだか懐かしい雰囲気の家だ。

 この懐かしさは、この家が前世の家の建築の面影をもっているからだろう。

 部屋を見回すと、畳だけでなく、障子や土間などもあった。

 襖(ふすま)から、陽の光が部屋に入ってきている。

 襖の先には、縁側も見えた。


 立ち上がって、縁側へ向かってみると、先には庭が見えた。

 周りは木で覆われている。

 『・・・桜の木?』

 この世界ではあまり見ない木だが、この木は前世の桜の木に似ている。

 よくよく、この家の構造を見てみると、まるで前世の日本の建築のようだ。

 前世の爺ちゃんの家に似ている。

 『もしかしたら、俺は七色に光る光を放った洞窟に入って死んだとか、それで、前世の世界に戻ったのでは・・・、』

 もう少し、ここが何処だか分かる情報は無いかと、周りを探して見る。

 すると、布団の横に義之兄からもらった外套が畳んであった。

 『やっぱり、そんなハズはないか。』

 さすがに、また、別の異世界に来たという事は無かった。

 この場所が何処かはどうしても分からないので、記憶をたどり直す。

 虹色の光に誘われて。

 洞窟に入った所までは覚えている。

 『それから、どうしたんだ?』

 その後の記憶が全く無い。自分の体に包帯がまかれ、手当がされている。

 そして、目を開けたら、ここに寝ていた。

 さっぱり、状況が分からない。

 考えていても埒が明かない。


 障子を開けて、他の部屋も探すことにした。

 きっと、俺を助けてくれた人がいるはずだと、声を出して障子を開ける。

 「誰かいますか?」

 恐る恐る隣の部屋に入ったが、返事も、人の気配もない。

 部屋は3つあったが、どの部屋にも人の気配は無かった。

 縁側まで出て、外を見ると。

 そこには、この世界で今まで見たことの無い景色が広がっていた。

 ――あたり一面に田んぼが広がっている。

 陽の光に照らされ、黄金色に輝く稲穂が、頭を垂らして風に吹かれている。

 蜻蛉が空を飛んでいる。

 道は広く、きれいで整備されている。

 少し離れた場所に、藁(わら)ふき屋根や瓦の屋根の家が見えた。

 なぜか、懐かしい景色だ。

 『やっぱり、前世に転生したのか?』

 前世の世界に来たと錯覚するほど、景色が似ていた。

 「誰か、誰かいますか?」

 家の外に向かって叫んでみても、返事はない。

 『本当に、ここはどこなんだ。』

 (ここは大陳国の街なのか・・・。でも、全く、大陳国の匂いがしない。)

 この世界で、稲穂を見るのも初めてだ。

 大陳国もそうだが、ほとんどの国では小麦が主食だ。米を作っている国は少ない。

 それに藁葺の家もある。


 (だが、稲穂があるという事は、懐かしい米が食べられるかもしれない。)

 稲穂を見て、米を食べられるかもと想像すると。 

 ――グウゥゥゥゥ。(腹が鳴った。)

 そう言えば、昨日の昼から何も食べていない。

 喉も渇いた。

 水は夜に山で川の水を飲んだが、食べ物は丸一日何も食べていない。

 家の中を見まわすと、台所のような場所を見えた。

 中に入ってみる。

 『なんだ、これ。コンロか?』

 火を焚く竈が見当たらないが、代りにコンロのような魔道具があった。

 調理場の横に2台も設置されている。

 (なんで、こんな家にコンロのような魔道具が・・・。)

 こんな魔道具も、この世界では見たことがなかった。

 コンロの魔道具の上には、煙が外に逃げるような換気口までついている。

 『いや、いや。それはあり得ない。この世界にコンロとか。』

 炊事をする流し台のような場所があり、水道の蛇口なような物が見える。

 試しに蛇口を開くが、何も出てこなかった。

 「なんだ、これ。蛇口と思ったが、流石にそれはないか。」

 この世界では、水は基本的に井戸や川から運ぶ。

 上下水道の設備などは整っていない。

 このような村か街か分からない場所に、水道があるわけが無い。

 『でも、見れば見るほど、日本に、日本の田舎に似ているな。』

 ますます、ここが何処か分からなくなった。

 手を顎において首を傾ける。


 すると、突然、首筋に冷たいものを感じた。

 ――ヒタ、ヒタ。

 「君は何者かな・・・。しかもなんで、人の家の台所でうろちょろしているのかな。」

 首に、冷たい物が触れている・・・・。これは鉄の冷たさだ。

 目を下にやると、刀の刃が目に入った。

 「怪しい者じゃないんだ。すまん。ちょっと、喉が渇いて。」

 両手を挙げて上げて弁明した。

 「はぁ、怪しい者じゃない・・・、十分怪しい奴だよね。それに、人の家の台所にかって入り込んで。君は泥棒なのかな。」

 首を叩いていた刀が、刃の横から、刃の後ろの『峰』に変わった。

 今まで、ヒタヒタと鉄の冷たさを首で感じていたのが、トントンと首を叩く痛みに変わった。

 「いや、いや待て、待て。確かに台所に勝手に入ったのは悪かった。つい喉が渇いて・・・だが、この家にかってに侵入したわけじゃない。目が覚めたら、この家に寝かされていたんだ。」

 「ふ~ん。そんなの知っているよ。拙者が助けたんだからね。」

 自分を拙者と呼ぶ奴とは・・・、そんな奴はこの世界に来て始めて見た。前世でも時代劇でしか見たことが無い。

 「そ、そうか。なら、俺が勝手に家に入った侵入者じゃないのは分かってもらえたな。ついでに、その危なっかしい刀も仕舞ってもらえると嬉しいが、・・・。」

 「ダメだね。確かに君を助けたけど。それは行きがかり上だ。君が怪しいのは変わらないよね。」

 「そうか・・・。なら、俺の素性を話す。そうすれば、怪しい者で無いのが分かってもらえるはずだ。」

 刀にビビりながら、体を振り向いた。


 振り向くと、そこには怖い顔で睨みつける綺麗な女性がいた。

 顔立ちは目も髪の色も黒。目が大きく、キリッとした美しい女性だ。

 紺の袴を身につけ、腰には2本の刀を刺して、黒髪を後ろで結んでいた。

 前世の大正時代の大和撫子のような恰好だ。

 「なに、勝手に振り向いているのかな。」

 刀の『峰』が俺の首を叩く。

 力が入っていて、叩かれた首がマジで痛い。

 「決して怪しい物ではない。俺の名は楊慶之。字は子(し)雲(うん)。楊公爵家の3男だ。魔物に襲われて、山に入ったのだが、なぜか、君の家にいた。君がこの包帯を巻いてくれたんだろう。助かった、ありがとう。」

 俺は頭を下げたかったが、刀が首にあって出来ない。

 だが、これで、俺の疑いも晴れたはずだ。

 公爵家の一族であれば、信用は十分で、怪しいとの疑いは晴れるハズだ。

 楊家の刺繍を入った外套もあり、自分が楊家の人間であることも証明できる。

 「ふ~ん。公爵家のお坊ちゃまね・・・。それでどうやってこの里に入ったのかな。この里には結界が張り巡らしてあるんだよね。神級魔力の騎士でも破れない結界がさぁ。君、マジ怪しいね。」

 首をトントン叩いていたのが、『峰』から『刃』に変わった。

 なぜだか分からないが、怪し度が増している。

 この大和撫子の女性は、俺がこの里になんらかの目的で侵入してきたと思い込んでいる。どうして、そう思われるか、俺には訳が分からない。

 とにかく、身の危険が更に上昇したことだけは確かだ。

 「すまないが・・・、その刀を『峰』から『刃』に変えるのは、ちょっと危ないから止めてもらえると嬉しんだが・・・。それに、俺は魔力を持っていない。そんな結界を破る力なんて無いんだ。ただ、山に入って・・・、七色の光が溢れる洞窟を見つけて・・・、その洞窟に入ったら、突然、中に浮いて・・・そして目が覚めたらここに居た。ただ、それだけだ。」

「それで、目が覚めたら、この里にいたと・・・。ふ~ん、そんな話を信じるのは無理だね、青年。なぜなら今の話では、君は何も意図せずに、この山の結界を破ったと言っているんだよ。この結界は意図せずに破れるほどヤワじゃない。破るには相当の魔力や魔法が必要だ。神級魔力の使い手である私でも破れないような。」

 この大和撫子の女性が、この世界で一番強い魔力階級の神級魔力の使い手と名乗ったのは、本当だ。刀に赤い魔力色が纏わりついているのが見える。

 この女性はマジで強い。怒らせたら、本当に殺される。

 「そんな結界なんて知らない。何度も言うが、俺は無実だ。」

 「まぁ、貴族は嘘つきだから。そうやって領民を騙して、年貢を搾り取ったり、奴隷に売ったりするんだよね。そんな貴族の言葉を信じるほど拙者は甘くないよ。」

 大和撫子の女性は既に決めつけていて、俺の話を傾ける気配は微塵もない。

 「信じるも信じないも。俺は無実だ。」

 だが、自分の身の潔白を主張し続けるしかない、痴漢の冤罪もそうだが、認めたら負けだ。

 「君はしつこいね。さっきも言ったけど、君はこの結界を破った。だが、君は破っていないと言っている。だが、ここには結界を破らないと入れない。・・・だから、君は嘘を付いている。噓つきは有罪。分かったかな、少年。」

 俺とあまり年が変わらない女性に、少年扱いは無いだろうと、ツッコミたいが、今はそれどころではない。

「分からないな。そんな理屈。」

 「う~ん、まだ言うかね。もう、それは良いから。それより、どうやって、結界を破ったのか。何が狙いなのか。君が何者かを吐いてもらはないとね。どちらにしても、簡単にこの里から返すわけにはいかないな。ついて来てきてもらうよ、少年。」

 「・・・どこに連れて行くつもりだ。」

 「里長(さとおさ)様の所だよ。この件は拙者には手に余るからね。里長様なら何か分かるハズだ。」

 「里長って、ここは里なのか。何という里なんだ。」

 「君は、うるさいな。そんなのも知らないで忍び込んだのか。ここは『姜氏の里』だよ。いや、知らないフリをしているのかもね。まぁ、良い。とにかくついてきな。」

 「もう、勝手にしてくれ。」

 彼女は俺の首に刃が向いていた刀を鞘に戻した。

 「君、逃げたら斬るよ。拙者の居合抜刀を試してみる?」

 ニコッと笑った。顔は可愛いが、目が怖い。

 「い、いや、いいよ。遠慮しとくよ。痛そうだ。」

 彼女は、刀の鞘で俺の背中を押して、前に進むように促した。

 「こっちだ。僕より前を歩いてくれるかな。おかしな動きをしたら、斬るかね。」

 どうでも良いが、彼女の一人称が拙者から僕に変わっていた。

 とにかく、背中を押されて、玄関から外に出た。

 玄関も、本当に日本式の玄関にそっくりだ。

 それでもって、彼女は靴ではなく、草履を履いている。

 「あの。少し聞いてもいいか。」

 「なにかね、青年。」

 「君の名前を聞いていなかった。教えてもらって良いか。」

 「良いけど。馴れ馴れしくするなよ。拙者は姜桜花。武士だ。」

 「武士?騎士ではなく、武士を名乗るのか。」

 「・・・君は失敬だな。拙者は武士、武士道を貫く者だ。武士は拙者の生き方そのものであり、魂だ。拙者が武士を名乗るのに何か文句があるのか。」

 「いや、問題ない。ちょっと別の事で驚いただけだ。」

 『武士』という言葉に少し反応してしまった。

 大陳国では、戦士は騎士と呼んだ。武士というのは日本の表現で、この国では使われない言葉だったので、ちょっと驚いただけだ。

 まぁ、この桜花と名乗る女性は神級魔力の使い手だ。

 間違いなく強い。

 刀を鞘にしまっていても、彼女が本気になれば、俺なんて瞬殺だ。

 たいてい強い武人は何かにこだわっている場合が多い。

 桜花は強い武人にこだわっていてもおかしく無いのだが、なぜ『武士』や『武士道』という言葉を使うのかが気になる。

 それにしても、この里は不思議だ。

 本当に日本のようだ。家も田んぼも、衣服や、この桜花と名乗る女性の言葉からも日本の文化や言葉が聞こえてくる。

 時間があれば、この里のことをもっと知りたいが、今の俺は常忠を探して合流した後で、王都に向かわなければならない。

 とにかく、ここから逃げ出して、王都に向かう。

 それには、ここの場所を把握して、逃げる道を見つけなければならなかった。

 その為には情報収集は欠かせない。

 「あれは、米か。」

 黄金色になった稲穂を指さして尋ねた。

 「ほう、米を知っているか。大陳国の人間にしては珍しいな。」

 大陳国の国名を聞いて、やはりここが大陳国の国内であることは確認できた。

 少なくとも、死んで、元の世界に転生したわけではなさそうだ。

 『それにしても、米か。』

 米が食べたい・・・。この15年、この世界に来て、一度も米を食べていない。

 桜花が言うように、大陳国の民のほとんどは米を馴染みがないが、俺は米が食べたい。

 「ここは、大陳国のどの辺なんだ。」

 「君は、この里の場所を知っているよね。侵入してきたんだから。」

 確か、侵入したのは【曲阜】の城郭都市の近くの山だが・・・。だが、周りにこのような里は無かった。桜花が結界がどうのと言っていたから、結界でこの里は隠れていたのかも知れない。

 という事なら、ここは、あの山の近くなのかも知れない・・・。

 後は、どうやってこの里を出るかだが・・・、今動けば、桜花に殺されることは分かっている。取り敢えず、様子を見るしかない。


 桜花が俺に対して殺気を放って歩いていると、突然、人が空から現れた。

 現れたのは、全身真っ黒の装束を着た男。

 「・・・・なんだ!」 

 その男を見て驚いた。

 理由は突然現れたからでなく、衣装が忍者そのものだったからだ。

 大和撫子の女性の次は、忍者。

 (なんだ・・・、ここはやっぱり日本か。何なんだ、この日本の文化は・・・。)

 『マジ、ここは日本の戦国時代か!』と突っ込みたくなる。

 突然、現れた黒装束の忍者のような男は、桜花に顔を向けた。 

 「桜花。客人に無礼だぞ。」

 「・・・半蔵か。何が無礼なんだ、君たちが来るのが遅いから、僕が怪しい男を捕まえて、里長様の所に連れていく所だ。報告をしてから、だいぶん時間が経っているぞ。」

 「すまん、遅れたのは謝る。だが、里長様の客人を威嚇するのは無礼だぞ。」

 「半蔵。君は何を言っているのかな。あいつは貴族だぞ。里長様が貴族など客人にするわけ無いじゃないか。それより、あの青年が、里長様の結界を破った方が問題だ。」

 「いや、桜花、早とちりするな。あの御仁は間違いなく里長様の客人だ。里長様が結界を解除して、招き入れた客人だ。」

 「里長様が、貴族を里に招き入れるだと・・・。しかも、結界を解除して・・・。半蔵、君は僕をからかっているのか。」

 「いや、からかって等いない。拙者が言ったことは本当だ。里長様の命でその御仁を迎えに来たのだ。それに、里長様が結界を解除しなければ、この里に来れるハズが無い。それぐらい分からんのか、桜花。」

 「・・・確かに、そうね。結界を解除したのなら、あの貴族の青年でも、里には入れるね。でも・・・、なぜ、里長様があんな貴族をこの里へ・・・。」

 「それは、里長様に会えば分かる。」

 

 桜花は急にバツが悪そうに、俺の方を向いた。

 「そうなのか・・・、たしか、青年・・・いや、慶之君といったかな・・・その、なんだ。悪かったね、慶之君。僕は君を嘘つき呼ばわりした。君が言った言葉が正しかったようだ。本当に申し訳なかった。この通りだ。許して欲しい。」

 桜花は、頭を下げた。

 こんな綺麗な女の人に頭を下げられると、怒る気にもなれない。

 「まぁ、分かれば良いよ。それに、あなたには治療もしてもらった。台所を徘徊して怪しかったのも俺だし、謝罪を受け入れるよ。」

 「そうか、許してくれるか。君は心が広いな、慶之君。」

 桜花が素直に謝ったので、謝罪を受け入れた。

 忍者姿の男が、跪いて頭を下げた。

「慶之殿、すまなかった。仲間が無礼を働いた。拙者の名は姜半蔵。里長様から貴殿を安全に迎えるように仰せつかった。里長様の館まで来てもらいたい。」

 礼儀正しく挨拶した。

 「半蔵殿。謝罪は受け入れるよ。」

 「ありがとう、慶之殿。」

 「それと、里長殿の館も伺うにも構わないが、聞きたいことがある。里長殿は何で俺を招待するんだ。俺は里長殿を知らないし、会った事も無い。それに、この里の事もいろいろ気きたんだが。」

 俺も、この里の里長に興味があったので会うのは構わなかった。それに、里長の結界が俺を魔物から救ってくれた礼も言いたかった。

 だが、会う前に、里長が何者なのかを知りたかった。

 「すまない、慶之殿。拙者も詳しくは聞かされていない。里長様に聞いてくれると助かる。」

 「分かった。そう言う事なら、里長殿から話を聞かせてもらうよ。」

 「半蔵殿。一つ聞きたいんだが。」

 「なんですか。慶之殿。」

 「この山に招かれたのは、俺だけなのか。その・・・もう一人、王常忠という男はいなかったか。」

 「さぁ、私が知っているのは、慶之殿だけですね。その御仁をお探しか。」

 「ああ。私の従者で、一緒に魔物から逃げた者だ。もし分かれば教えて欲しい。」

 「分かりました。配下に探らせましょう。それでは、拙者は里長様に慶之殿の館に来る旨を報告せねばなりません。それでは、ご免。」


 そう言うと、いつの間にか、姿を消していた。

 名前は半蔵と名乗った。あの歴史上の有名な人物と同じ名前。しかもあの恰好。最後に姿まで消すとは・・・。

 『忍者じゃないか!』と俺は一人心の中で興奮したが、表情には出さなかった。

 それにしても忍者とは・・・。

 益々、ここが日本でなければ、何らかの日本の文化が入ってきている。という考えが強くなっている。だが、なぜ入ったかは分からない。

 半蔵が消えると、桜花と里長の館に向かって再び歩き始めていた。

 「それにしても、桜花殿、この里の者は皆、『姜』姓なのか?」

 「・・・『殿』は要らない。なんだか、こそばゆいな。その・・・、桜花で良い。皆、僕のことは桜花と呼んでいるからね。それと、この里の者の名だけど、ほとんどの者が『姜』姓を名乗っているよ。一部の者で、別の姓を名乗っている者もいるけどね。」

 「それは、どういうことなんだ。なぜ、『姜』が多いんだ。」

 「それは、里長の姜馬様から名を頂いているんだよ。僕も、半蔵も。子供の頃、姜馬様に救ってもらった時にね。」 

 「救ったって、どういことなんだ?」

 「僕も、半蔵も子供の頃、里長の姜馬様に助けて貰ってね。この里の者は皆、姜馬様に助けて貰った者たちだよ。貴族に親を殺された子供。魔物に親を殺された子供。奴隷に売られた子供もいる。皆、姜馬様が魔物を倒したり、貴族から救ったりして助けてくれたんだ。奴隷商人から買いとってくれた子もいるよ。」

 「へぇ・・・、それで、救った子がこの里で生きているのか。」

 「そうだね。里長の姜馬様は、僕達に生きる技を教えてくれたんだよ。僕には刀術。半蔵には忍びの術。中には商人の知識や、政治の知識、建築の知識などたくさんあるよ。姜馬様は何でも知っているからね。僕たち、里の者が生きていられるのは、姜馬様のお陰だよ。」


 「そうなのか。凄いんだな。里長殿は。」

 「そうさ、姜馬様は優しくて、頭が良くて、それで強い。僕ですら敵わない。」

 「神級魔力の武人でも敵わないのか・・・、それは凄いな。是非に会って話してみたいな。」

 桜花は嬉しそうに里長の姜馬という人物について話してくれた。

 「そう言えば、さっき君が言っていたけど・・・君は姜馬様のことを知らないんだろ。馬様の客人なのに。」

 「ああ、知らないな。初めて聞いた名前だ。」

 「そうか、知らないのか。・・・変だけど、姜馬様が招待したんだから、何か理由があると思うね。まぁ、姜馬様に会えば分かるかな。」

 「そうだな、俺も魔物の大群に追われて死にそうだった所を救われた。礼を言いたいしな。」

 あの山の結界が無ければ、魔物に襲われて本当にマズかった。

 「そうだ。僕が庭に出たら、君が桜の木にぶら下がっていたからね。しかも体中が怪我だらけ。そのままでは気が引けたから助けただけだよ。」

 「そうか。ありがとう。」

 俺は礼を言った。

 「いいよ、礼なんて。僕も、君が結界を破った侵入者と決めつけたからね。お互い様だ。気にするなよ。」

 「なんか、同じ年代の子に、君と言われるとおかしいな。俺の事は慶之と呼んでくれ。字の子雲でも構わない。」

 「そうか。なら、遠慮なく、字の子雲で呼ばせてもらうよ。」

 「ああ、そうしてくれ。」

 この世界では、字を呼ぶのは、久しい間柄の者だけだ。

 俺の場合だと、家族と、幼馴染・・・許嫁がそう呼んでいたのを思い出す。

 桜花とは会ったばかりだが、字で呼ばれると、親しみがグッと縮まった気がする。

 しばらく歩くと里長の屋敷に到着した。

 「ここが、里長の屋敷か。」

 「そうだよ。ここに里長の姜馬様がいるね。中に入ろうか、子雲。」

 さっそく、桜花は俺のことを字で呼んだ。


 里長の家の門は大きかった。

 門の中に入ると、大きな立派な屋敷が目に入った。

 なんとなく、大陳国の建物とは変わった平屋建ての建物で懐かしさを感じる造りだ。

 この国の建物は、一般的には、赤の柱と白の壁が基調の木造建築で、左右対称で調和を重んじた造りになっている。前世の記憶で言えば、中華風の建物だ。

 だが、この建物は違う。

 純和風の建物だ。

 玄関の中に入ると、一つ一つの柱が大きく、木目が立派で洗礼されていた。

 床も綺麗で、木目の配列が木の息吹を感じているように敷かれている。

 この玄関だけでも、この屋敷が並みの家では無いことが伺い知れた。

 「すごいな。この家は。」

 「そうだろう、子雲も分かるか、君は中々見る目があるな・・・。それと、子雲。この家は土足厳禁だからな。」

 玄関では靴を脱ぐように言われた。

 何だか靴を脱ぐのも新鮮だ。この世界で、靴を履いて家に入るのが普通だったので、靴を脱いで家に入るとのが懐かしい。

 歩きながら部屋を見ると、部屋の扉は障子で、中には畳が敷かれている。

 (玄関も、床も、畳も、障子まで日本風だな。)

 桜花の家でも畳を見て驚いたが、この家も畳が敷かれていた。しかも、いくつもある部屋に畳が敷き詰められていて、障子でそれを区切っている。

 更に廊下を進むと、結構な大きさの庭が見えてきた。

――枯山水(かれさんすい)。

 驚いたことに庭には綺麗に白砂が撒かれて、その白砂が波の模様を描いていた。

(これは、京都のお寺とかで見る高貴な庭ではないか・・・。)

「凄いだろ、子雲。こんな凄い庭、見たことがないんじゃないか。この模様は、姜馬様が魔法で描いているんだぜ。」

 「ああ・・・・・、綺麗だな。」

 桜花は、自分の事にように庭を自慢していた。

 枯山水の庭を、前世の画像で見たことがあるが、黙っていた。

 桜花が自慢する庭を眺めながら廊下を進むと、大きな部屋の前で立ち止まった。


 障子を開けられると、何十枚の畳が敷き詰められた部屋が目の前に現れた。

 そこには、半蔵を始め数名の里の者が、俺が来るのを待っていた。

 半蔵が、俺と桜花を席まで案内してくれた。

 「慶之殿。こちらです。」

 「助かる。半蔵殿。」

 俺は半蔵に挨拶をして着席すると、周りを見回した。

 この広間にはたくさんの畳が敷いてあり、けっこう広い部屋だった。

 坐って待っている里の者は半蔵を含め約10名。

 皆、若い。10代後半から20代後半までの年齢くらいだ。

 しばらくすると、広間の襖が開いた。

 一人の老人が部屋に入って来た。

 老人は上座に座ると、視線を俺の顔に移した。

 「すまんの。わざわざ屋敷まで来てもらって。儂が里長の姜馬じゃ。」

 里長は相当の年齢だ。この里には若者しかいないので、余計に目立つ。

 たぶん80歳は超えている。

 老人だが眼光は鋭く、声にも張りがある。ただの老人と違った迫力を持っていた。

 広間にいる者の鋭い視線を浴びながら、俺も挨拶を返す。

 「楊公爵家の3男。楊慶之、字は子雲。今日は、里長の姜馬殿に招かれてやってきた。よろしくお願いします。」

 広間の中がざわついた。

 「・・・姜馬様が里の外から人を招いただと・・・。」

 「・・・しかも、貴族を招待するとは・・・。」

 「・・・公爵家だと、なんだ姜馬様に向かってあの生意気な態度は。」

 俺に対する批判の言葉が飛び交った。

 ほとんどの里の者の目が、苦々しい者を見るように俺を見ていた。

 場の空気が一気に重くなったのが分かる。

 そして、この里の者が、貴族が嫌いという事もだ。


 ざわめく声が溢れる中、里長の姜馬が静かに右手を上げた。

 それで、騒いでいた者たちは一斉に口を閉じて、静かになった。

 「慶之殿。魔物に追われた大変だったようじゃな。」

 この老人は俺が魔物に襲われて逃げてきたのを当然知っている。

 「死ぬかと思いました。姜馬殿の結界に救われた。ありがとうございます。」

 あの結界が無かったら、本当に魔物に殺されていた。

 「そりゃ良かったぜよ。」

 姜馬の言葉には、ちょっと変わった訛(なまり)が混じっていた。

 結界の他にも少し気になったことがあった。

 あの山に逃げる時、もうダメだと何度か思った時に、何者かが助けてくれた。

 あれも、姜馬の力だと思っていた。

 「姜馬殿。この山に向かう途中で、私を救ってくれたのは姜馬殿ですか。」

 「ほう、その通りぜよ。正しくは、助けたのは半蔵だがな。」

 やはりそうだった。

 山に着く手前で、魔猿妖2匹と魔狼獣1匹に俺は殺されそうになった時も、半蔵に救われていたようだ。

 「本当に助かった。俺の命があるのは姜馬殿の助けのおかげだ。それにしても、一撃で魔物を倒した風魔法の威力は凄いな。」

 「ほう、良く風魔法の攻撃と分かったのう。」

 「風を感じましたので。」

 あの時、通り過ぎた風が気になっていた。

 それに、魔物の首の斬れ味から見て、魔法であれば風魔法の攻撃と思っていた。

 「そうか・・・、風を感じたか。」

 「それと、助けてもらって失礼だが、質問があるのですが、聞いてもよろしいか、姜馬殿。」

 「なんでも聞いてくれ。おまんは儂の客人。儂が答えられることなら、答えるぜよ。」


 「それでは姜馬殿の言葉に甘えて伺うが、なぜ、姜馬殿は俺を助けたんだ。そして、この里に招いた。姜馬殿には、俺を助ける理由も、招待する理由もない。しかも、俺は貴族だ。姜馬殿も、この里の者も貴族は嫌いなようだ。」

 この里で目が覚めた時から不思議に思っていた。

 そして、姜馬にこの館に招待された時から、聞こうと思っていたことだ。

 「そうじゃな。儂は慶之殿と面識がない。それに、貴族が魔物に襲われて死のうと、儂には関係ないのも確かぜよ。」

 「だから聞いている。助けてもらって悪いが、助けられる理由が思い当たらない。」

 俺は、姜馬が必ずしも敵ではないと思っているが、味方とも思っていない。

 助けるなら、その理由があるはずだ。

 その理由によっては、敵にも、味方にもなり得る。理由もなく、嫌いな貴族を助ける訳も無く、どこかに打算があるはずだ。

 「儂がお主を助けた理由か・・・。何から説明したら良いかな・・・。」

 姜馬は白い髭に手をやりながら考えこんでいる。

 この里の者も姜馬がこの里に俺を招いたことには納得していないようだ。彼らも姜馬の言葉を黙って待っていた。

 

 しばらくして、姜馬が俺の方を見て、口を開いた。

 『慶之殿。これから儂を、姜馬と呼び捨てで呼んでくれ。』

 釣られて、思わず同じ言葉で答えていた。

 『姜馬か・・・、分かった。それなら、俺も、慶之と呼んでくれ。』

 『分かったぜよ。それなら、慶之。これからは、そう呼ばせてもらうきに。それより、慶之。なにか気づかないかのう。』

 『なにか、おかしいか・・・・・・。』

 周りに目をやると、広間にいる里の者たちが怪訝な顔をしていた。そして、姜馬と俺の顔を交互に見比べ、変な者を見るようにしている。

 何だか、おかしな仕草だ。

 いや・・・、おかしいのは、俺たちが話していた言葉だった。

 姜馬に釣られて、日本の言葉を話していた。


 やっとこの状況に気づいて、疑問を投げつけた。

 『姜馬。お前も転生者か。』

 『そうだ。この世界に転生して、80年以上も生きちょる。』

 (やはり、そうか。)

 この里に入った時から、ずっと、この里はおかしいと思っていた。

 畳の部屋や、藁葺の家、それに稲穂の田んぼ。

 極めつけが、日本の歴史上の人物の名が、この里の者の名前になっている。

 この里の里長が日本からの転生者なら、全ての辻褄が合う。

 予想外だったのは、姜馬の言葉が標準語で無かったことくらいだ。


 「姜馬さま。今、何とおっしゃったのですか。」

 1人の若者が、広間に居る皆を代表して、姜馬に質問をした。

 「すまんな、法政。皆に分からん言葉を使うた。慶之が同郷の者と分かって、故郷の言葉で語りかけたのじゃ。」

 姜馬は、この世界の言葉に言語を戻して答えた。

 「それでは、慶之殿は、姜馬さまと同郷の方なのですか。」

 法政と呼ばれた若者の声は弾んでいた。

 「そうじゃ。儂と同じように、日の本という遠い国から来た者じゃ。」

 俺は、自分が転生者であることは今まで誰にも話してこなかった。

 話しても信じてもらえないか、気味悪がれる。それに、親父殿や母上の子供では無いかのようで嫌だった。


 「慶之。なぜ、儂がおまんを助けたかという質問の答えじゃが・・・。その答えは、おまんが儂と同じ故郷の者、同じ虹色魔力を持った者だと分かっちょったからじゃ。儂は、おまんに託したい事があったんじゃ。」

 「託したい事?」

 「そうじゃ。」 

 「姜馬。なぜ、俺が転生者・・・いや、同じ故郷の者と分かったんだ。」

 「それは、お告げがあったからの。おまんも聞いただろう。虹色の流れ星の言葉を。あの言葉が、『民を助ける力を持った者が現れる』と念話で儂に言っておったんじゃ。だから、半蔵に山の一帯を探らせていた。」

 「虹色の流れ星の言葉・・・・。」

 (昨日の七色に光る流れ星が通り過ぎた時に聞こえた、無機質な念話のことか?)

 「ああ、聞いたが。たぶん、あの無機質な念話の言葉のことか。」

 「そうじゃ、それ。変な声の念話や。それで、おまんには、なんと言っておったんじゃ。」

 「そうだな、よく聞き取れなかったが。・・・『力』『目覚め』『救民』と3つの言葉を言っていたと思うな。」

 「・・・・力、目覚め、救民か・・・、やっぱりそうや。」

 「何が、やっぱりなんだ。」

 「いや・・・、何でもない。こっちの話や。それより、念話の話や。儂はあの念話を聞くのは、初めてじゃ無いき。今から40年前にも聞いたことがあるき。だが、今回は違う。いよいよ時代が動くぜよ。」

 「時代が動く・・・?あの念話の言葉はどういう意味なんだ。」

 「あの言葉か、正しくは分からんのじゃ。だが、弱き民を救えと言っているのは間違いない。儂も40年前に同じ言葉を聞いた。そして、儂はその使命を果たすべく今まで、少しずつ準備をしてきたんじゃ。この里もその準備の一つじゃ。そして、準備は整うた・・・。」

 姜馬を俺の前まで近づくと、その場に座って手を握った。

 「頼む、慶之。慶之に儂の遺産を託す。儂の後継者として、子供たちが・・・そして、弱き者が暮らせる場所を・・・国を作って欲しい。」


 「国を興す。・・・建国?・・・いや、いや、いや、それは無理だろう。」

 「大丈夫じゃ、さっきも言った通り、準備は万全だ。」

 「いやいや、準備が万全とかそうじゃなくて。建国をするということは、国に反乱を興すことだろ。国家反逆のテロリストのような者じゃないか。しかも、俺は楊公爵家の人間だ。実家にも迷惑がかかる。とても建国に参加できない。」

 「頼む、慶之。儂が全てを託せる人間がおまんしか居ないのじゃ。」

 「俺じゃなくて、姜馬。お前が国を作れば良い。俺も陰ながら助ける。」

 姜馬はこれだけの結界を張る魔力もある。

 それに配下も優秀だ。桜花は神級魔力の持ち主だし、半蔵も相当の魔力持ちだ。

 建国にかける強い思いも持っている。彼が建国に向けて動くなら、助けて貰った恩もあるので手伝い位はする。

 姜馬は目を閉じて、顔を天井に向けた。

 「それこそ無理じゃ、慶之。儂は歳をとり過ぎてしもうた。もう、儂の命も長くないき。それで、儂の遺産をおまんに託す。儂の代りに、この世界の民を救うて欲しいんじゃ。頼む、慶之。」

 姜馬はそう言うと、俺に向かって頭を下げた。

 「俺にも都合がある。楊家の為に王都で官僚にならなければいけない。父上との約束であり、楊家の人間としての責務でもある。」

 「そうか・・・貴族の責務っていう奴か。それなら、慶之。おまんは貴族である証の魔力を使えるのか。」

 「・・・使えない。」

 (姜馬は、俺に魔力が無いことを知って、こんな質問をしたのか。でも、なんで姜馬は俺に魔力が無いことを知っている・・・、そうか、俺が魔物に追われた時の話を半蔵から聞いたのか。)

 そう考えると、姜馬に対して腹が立った。

 魔法を使えない貴族と、馬鹿にする為にこんな質問をしたと思った。

 「そうじゃろ、転生者は生まれ持って魔力が無いんじゃ。儂も、魔力は無かった。だが、今は虹色魔力という最高の魔力を手に入れた。慶之、おまんにも魔力が使えるようにしちゃる。だから、頼む。」

 「俺が魔力を・・・、俺が魔力を使えるようになれるのか。」

 「ああ、なれる。おまんがこの国の・・・子供たちを助ける為の力を儂が与えちゃる。しかも、普通の魔力じゃないき。虹色魔力、天級魔力という神級魔力を上回る力を持った魔力じゃ。その魔力と儂の遺産を引き継げば、建国なんて簡単や、頼む、慶之、この通りや。」

 俺はどう答えて良いか分からず、頭に手をやって髪をかきまわす。

 建国の準備ができていると言われて、『はい。分かりました。建国します』と答えて、大陳国か、どこかの国で反乱を興すほど簡単ではない。

 それに、親父殿の期待にも応えなければならない。

 黙って考えこんでいると、姜馬が顔を寄せてくる。

 「慶之。おまんは貴族や。支配する側の人間じゃ。その立場を捨てるのが嫌がか。」

 「いや、そういう訳じゃない。」

 別に貴族の立場に未練は無い。俺は、元々3男坊の魔力無しの身だ。

 それに、自分が人を支配する立場なんて考えた事も無い。

 「・・・ただ、悪いが、俺は姜馬が夢を訳すほどの男じゃないんだ。助けたい人を救えなかった弱い男なんだ。だから、民を助けるとか、この里の者を救うなんて、できるわけがない。それに建国なんて・・・、楊家や、家族を捨てて、国家に反逆するアウトローの道に進む覚悟が正直ないんだ。」

 これが俺の正直な気持ちだ。

 建国どころか、2人の親子すら見殺しにした。

 目の前で親子が魔物に喰われるのを、見ていることしか出来ない惨めな男だ。

 しかも、俺の為に戦った従者まで置き去りにして、逃げたのだ。

 こんな惨めな俺が、姜馬の遺産を引き継いで、建国して、安心して暮らせる場所を作るなんて出来る訳が無い。

 「そりゃ、今までの慶之じゃ。魔力を持たない無力な貴族じゃった。だが、これから、おまんは力を得る。いや、儂が力を託す。力が無いと嘆く必要が無いほどの力を。その力で、儂や、この子たちの夢・・・、子供たちが安心して暮らせる場所を、国を作って欲しいぜよ。頼む、慶之。」

 姜馬は頭を下げた。

 白髪頭で、真っ白の髭で顔を覆われた老人が、頭を下げて俺の言葉を待っている。

 この老人は本当に子供が好きなんだろう。

 この里の人たちも、元は死にそうな子供たちだったと桜花から聞いた。

 この世界なら、飢えた子供、魔物に食べられそうになる子供、奴隷に売られた子供などが容易に想像できる。

 子供が死ぬのは日常茶飯事で、珍しいことでは無い。

 【曲阜】の都市の子供も何千人もの子供が死んだだろう。

 目の前で頭を下げている老人は、そんな子供たちを何千人も救って、この里を作った。貴族や魔物に襲われないように結界を張って、子供たちを守ってきたのだ。

 この老人は、老いて死にゆく自分の為ではなく、残されたこの里の者や、この世界の子供たちの為に頭を下げている。

 目頭が熱くなった。

 「姜馬。一つ教えてくれ。」

 「なんじゃ、慶之。」

 「・・・姜馬はこっちの世界をどう思う。正直、俺はこっちの世界は好きじゃない。というか、怖い。簡単に人が死ぬ。簡単に人が殺される。油断すれば、拉致されて奴隷に売られる。こんな秩序が無い世界が怖い。」

 「そうじゃのう。儂はこの世界が嫌いじゃ。じゃが、前世の倍以上の時間を過ごした。この世界は嫌いじゃが・・・・愛着はある。」

 「そうか・・・・少し考えさせてくれ・・・・。」

 「そうじゃな、大事な事じゃ、しばらくこの里で考えるのが良かろう。儂の館に泊まると良い。・・・それとも、桜花の家の方が良いかの。」

桜花はからかわれて、一瞬、顔を赤くしていたが。

「姜馬様、ダメですよ。僕の家に男なんて泊めたら、殺しちゃうかもしれませんよ。」

 脅しとばかりに、桜花は腰の刀の柄を「カチャン」と鳴らした。

 「そうじゃの。慶之じゃ、確かに、桜花に殺されるな。ハハハハハ。」

 大和撫子の美しい女性の家に泊まるのは魅力的だが・・・、日本刀で一刀両断されるのは勘弁願いたい。

 「そうですね。確かに男女が同じ家に泊まるのは。ハハハハハ。」

 何もあるはずは無いのだが、ここは丁寧にお断りをするに限る。

 「それじゃ。儂の家で良いか。」

 俺は、姜馬の家に厄介になることになった。

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