第3話 東北の山

 この魔物達の群れは東から湧いてきた。

 そして西に向かっている。一部北に向かっているが、ほとんどが西だ。

 逆に、南や東に向かう魔物はほとんど見当たらない。

 北では無く、南に逃げればという後悔もあるが。

 魔物が向かって来る南に進むことは東に・・・北東なら逃げられる。

 北東に進むのは、方向的に戻る形になるので、追い駆けてくる魔物は少ないだろうと考えたのだ。

 さすがは常忠だ。

 「分かった。あの山に向かって走ろう。」

 魔物が迫っている。

 逃げ切れるかは分からないが、諦めるには早い。


 俺達は北東に進路を変えた。

 人の流れは北に流れていたが、進路を変えた。

 元々、西への流れを北へ変え、そして今度は北東に進路を変える。

 俺たちは北へ向かう列から離れて北東に走った。

 同じように北東に進む者が前方にも、そして後から来る者も何人かいた。

 ほとんどの人が、藁をもすがる可能性に賭け、進路を変更して必死に走っていた。

 魔物も同じように、北に向かう人間を追いかけて魔物がついてくる。

 ほとんどの魔物は西に向かったが、一部の魔物が北に。

 魔物も甘くは無い。

 一人の人間も喰い漏らさない気迫で追いかけてくる。

 そういった魔物が北東に向きを変えた。

 数は多くは無いが、それでも何十匹はいる。

 そして、追いついた人間から魔物は襲っていった。


 犬の魔物が逃げる人間の足に噛みついた。

 猫の魔物は、人の肩に飛び乗って、首に嚙みついく。

 「ぎゃー」 

 「誰か、助けて」

 「うわぁぁぁぁぁああ。」

 都度、人の悲鳴や叫び声が聞こえる。

 逃げる人が魔物に捕まり、断末魔を上げて消えていく。

 両手で耳を塞ながら走って逃げるしかない。

 助けを求める声も無視をした。

 力の無い俺は何もできない。唯一出来るとしたら、身代わりになって魔物に食べられるくらいだ。そうすれば、他の人が逃げる時間を少しは稼げる。

 だが、俺もそこまでお人好しではない。

 俺も楊家の家族の為に、成すべきことがあった。


 自分も生き残って、他の人を守る力。そんな力を俺は持っていない。今、俺にできる事は、自分が生き延びる為に走って逃げる事だけだ。

 逃げながら、流れ星が頭上を通過した時の無機質な声の言葉を考えていた。

 『その力・・・。』『目覚める・・・。』『民を救え・・・。』

 確かそんな言葉があの夜に、頭の中で聞こえた。

 あの言葉はいったい何だったんだ。

 『力・・・・、力など俺は持っていない。目覚める・・・、何が目覚めるんだ。民をすくえ・・・、力が無いのに救えるか!』

 いつもの俺なら、出来ないことは直ぐにあきらめた。

 いや、そんな事を考えすらしなかったかもしれない。

 無理なものは無理。無いものは無い。とにかくできる事をするしか無い。

 そして今できる事は、逃げる事だ。

 出来る事に努力するのが正しく、出来ない事を欲するのは我儘(わがまま)だとさえ思っていた。

 それが、あの無機質な声を聞いてから、俺の心が何か変だ。

 力が無いのに、助けたいと思うのは我儘だと思っても、助けたいと思ってしまう。

 無い物は無いとあきらめるべきを、『力が欲しい』と強欲になってしまう。

 『人を助ける力が欲しい。』と柄にもなく、心から願っている自分が変だった。

 前世では、力が欲しいとは思ったことなど無い。力など野蛮であり、俺には縁のない物だった。

 そんな俺が、おかしなことに力を求めていた。

 自分を、仲間を、助けを求める人たちを救う力が欲しいと。

 あの無機質な声に影響されたのか。勝手に予言と思っているのか。

 無性に力が欲しいと願った。

 そして、『流れ星よ。力を目覚めさてくれ!』と心に祈ったが・・・。

 何も起こらなかった。

 そんな都合よく力など得られるわけが無い。


 『グルルルル。』

 馬鹿なことを考えながら走っていると、後ろから魔物の声が聞こえた。

 しかも、ずいぶん近い距離だ。

 少し前に、逃げている親子を追い越したばかりだ。

 ――嫌な感じがした。

 振り返ると、やはり、先ほど追い越した親子が走っていた。

 小さな女の子と、その子の手を引いた母親の2人連れだ。

 手を引かれている女の子は、前世で死んだ妹と同じ年くらいだった。

 前世で兄弟は5人だったが・・・、本当は6人いた。

 一番下の妹が小さい頃に死んだので数には入れていなかったのだ。

 姉3人が一生懸命看病をしたが、最後は助からず死んでしまった。

 十分に食べられない環境で、風邪に罹り、高熱を出して死んでしまったのだ。

 救急車の中で、妹は『お母さん、お母さん』と呻(うめ)き声を上げていた。

 暫くすると、そんな妹の呻き声が静かになった。

 呼吸が止まっていたのだ。

 俺が医者を目指したのも、死んだ妹に対する懺悔(ざんげ)の念からだった。

 

 そして、死んだ妹と同じくらいの年の女の子が、母親に引かれて逃げていた。

 その直ぐ後ろに、狼の魔物。

 下級の『中』の魔力を持った魔狼妖が地面を駆けている。

 魔狼妖は、今にも親子に飛び掛かりそうな距離まで近づいていた。

 もの凄い速さで近づき、親子を襲える跳躍の間合いに今にも入りそうであった。

 そう思っていると、魔狼妖が跳んだ。

 間合いに入ると、地面を蹴って、女の子を目がけて飛び上がったのだ。

 女の子の顔が恐怖で引き攣る。

 「キャアアア」

 叫び声を上げた。

 母親は走るのを止めて、女の子の手を引いて、自分の体で女の子を抱き抱える。


 その姿を見て、俺の体が自然に動いていた。

 「ふざけるな。」

 足は止めて、後ろに向かって体が勝手に動いていた。

 「魔物が・・・、簡単に・・・、人を殺すな。」

 腰から親父殿にもらった剣を抜いていた。

 「妹を・・・いや、その女の子は殺させない。」

 狼の魔狼妖に向かって剣を振り上げていた。

 魔狼妖は、女の子を庇う母親の背中に覆いかぶさっている。

 爪が、魔狼妖の爪が、母親の足に食い込んで、皮膚から赤い血が飛び散った。

 母親は子供を抱えて、その場にうずくまっている。

 そして、魔狼妖が、今にも母親の首にかぶりつこうとするその瞬間。

 「ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。」

 手に持った剣を振り下ろしていた。

 魔狼妖の首が転がった。

 「ハァ、ハァ、ハァ・・・・。」

 呼吸が荒れる。

 魔狼妖が、母親の首に集中していた。

 そのおかげで、魔狼妖は俺の剣に気づかなかったようだ。

 止まっている魔狼妖を上から剣を振り下ろして、斬り殺すことが出来た。

 魔物の硬い皮を、斬り裂くことが出来た。

 剣を振ることに集中したおかげで、硬い魔物の皮を斬り裂くことができた。

 魔狼妖の胴体から緑の血が噴水のように飛び散った。


 血を撒き散らす魔狼妖の胴体を、母親の背中からはぎ取った。

 転がっている首の目の色が赤から白に変わった。

 「あ、ありがとう、ありがとうございます。本当にありがとう・・・。」

 魔狼妖の緑の血を、頭から被った母親がお礼を言っていた。

 そこに、母親の礼の言葉を遮るように、前から戻ってきたのが常忠だった。

 やってきて、開口一番、声を上げて怒鳴った。

 「慶之様。何をしているのですか!」

 「いや、親子が魔物に襲われていたから、つい体が動いて・・。」

 「そんなことよりも、早く逃げますよ。魔物たちがきます。時間がありません。」

 常忠は切羽詰まった声で、前に進むように俺の手を引っ張った。


 山に向かって逃げるように促すが、常忠の手を振り払う。

 「立てるか。」

 頭を下げている母親の体に手をかける。

 抱えられていた女の子が、母親の下から顔を現した。

「ひッ。うわわぁぁぁぁぁぁん」

 女の子は転がっている魔狼妖の首を見て大声で泣きだした。怖かったのだろう。

 この女の子は、俺の前世の妹に本当に似ていた。

 地面にしゃがみこんでいる母親の手を引いて、立ち上がらせようとしたが、上手く立ち上がれない。

 立ち上がろうと、力を入れても腰が上がらないのだ。

 良く見ると、母親の足から血が流れている。

 『まずい。さっきの、魔狼妖の攻撃を受けたか・・・。』

 母親が立てないとなると、魔物からは逃げられない。

 俺も、この親子も詰んでしまう。


 「慶之様、逃げますよ。急いでください。早く行きます。」

 常忠の目には、親子の姿は映っていない。

 後方に数十匹の魔物が見える。こちらに向かってもの凄い速さで走ってくる。

 「た、助けたいんだ、・・・。常忠、この親子を。」

 前世で妹を助けられなかった。

 目の前の幼い女の子が助けられなかった妹と重ねっていた。

 「それは無理です、慶之様。」

 「なぜだ、常忠は強いじゃないか。将級魔力を持っている騎士だ。この程度の下級魔力の魔物なら常忠の力で倒せるだろ。」

 「・・・慶之様、本気で言っているのですか。これだけの数の魔物を相手ですよ。それに、下級魔力の魔物だけとは限りません。中には将級魔力・・・、いや王級魔力や神級魔力の魔物がいるかもしれません。」

 「・・・それでも、常忠だったら・・・。」

 「慶之様、私は無敵では無いのです。戦う時は、相手の力を見て勝てるか、勝てないかの判断をします。そして、今回は勝てません。だから、逃げるのです。」

 「だったら、この親子だけでも助けたい。」

 「・・・おい、そこの女。立てるか・・・。」

 常忠は母親に声をかけた。

 母親は地面に手を付けて、腕で地面を押し上げて立ち上がろうとする。

 足が動かないようで、立ち上がれない。

 母親は常忠に顔を向けて、首を横に振った。

 「無理です。そこの女は立てません。魔物に足をやられています。もう魔物がきます。早く逃げましょう。」

 既に、5、6匹の魔物がこちらに近づいてきている。


 ここで親子を見捨てれば、あの魔物が襲い掛かるのが目に見えている。

 「見捨てたくない。」

 「それでは、みんなが死にます。」

 常忠はここでこの親子にかまって、逃げる時間を失いたく無いようだ。

 だから、この親子を見捨てるつもりだ。

 厳しい顔をして、早く先に行くように急かしている。それに、親子が魔物に襲われれば、その間、逃げる時間も稼げる。

 母親が立てない以上置いていくのが正しい。

 常忠の考えは合理的で、当然の考えだ。

 「すまない。常忠、だが、俺はこの親子を助けたい。」

 「な、なにを言っているのですか。貴族が、平民を助ける。その為に、命を捨てるつもりですか・・・。美徳のつもりですか。」

 「美徳じゃない。ただ、人の命を助けたい。貴族だろうが、平民だろうが関係ない。人が死ぬのを見たくない。」 

 たぶん、今までの俺なら、こんなことは言わないであろう。

 仮に前世の正義感で思っていても、口に出すことなどしなかった。どこかで、魔力の無い俺には無理だとあきらめていた。


 それが、流れ星が頭上を飛んでいた時に聞こえた無機質な声を聞いてから、魂なのか、何の力なのか、何かが強く俺の正義感を刺激して、今までの自分と違う行動を行わせている。

 何なのかははっきり言えないが、俺の分身・・・、いや、別の自分がいる。

その別の自分が俺の体を乗っ取って、偽善を言っている。そして、その偽善の言葉を吐いている自分を、見ている自分もいた。

 「ふざけないでください。魔力も無い慶之様にこの親子を助けられるのですか?」

 「・・・・・・。」

 「道連れで、死ぬだけじゃない・・・。」

 常忠の言葉をかき消すように、猫の魔物の魔猫妖の爪が俺に襲い掛かってきた。

 条件反射で、剣で魔猫妖を肩から斬り下ろした。

 勢いよく振るった渾身の一撃が、今回も硬い魔物の皮を破った。

 肩の深くまで剣は斬り裂いたようで、魔猫妖の肩から緑の血が噴水のように飛び散っている。このアダマンタイトの剣なら、魔力の無い俺でも魔物が斬れた。

 「早く、逃げますよ。慶之様。」

 「・・・・・。」

 緑の血でぬれた剣身をマジマジと見て、戦える気がしていた。

 剣身に気を取られていると、今度は下から狗の魔物の魔狗妖が飛び出してきた。

 魔狗妖は、気づかぬように間合いに入っていて、剣を構える隙すら与えず攻撃してきた。剣の柄で辛うじて頭を抑えることしか出来なかった。

 「慶之様。」

 常忠が、俺が頭を抑えている魔狗妖の肩を斬りつけた。

 俺は、常忠が倒した魔狗妖の頭を獅剣で斬り落として止めを刺す。

 魔物の目が赤から白に変わっていく。


 「あ、あの貴族様。」

 地面に座り込んで、子供を抱えた母親が俺を見てそう呼んだ。

 身なりや服装を見て、そう呼んだのであろう。

 義之兄から餞別もらった服は、旅で汚れているが良く見れば立派な服だ。

 「なんだ。」

 「貴族様。助けて頂きありがとうございます。足が動きません。それで、どうしても立ち上がれません。ど、どうか、娘だけでも。お願いします。」

 母親は自分の子供を抱きかかえて、俺に預けようとするが。

 女の子は母親から離れないようにしがみ付いている。

 「慶之様。次が来ます。早く逃げてください。」

 常忠は別の猿の魔物を切り捨てて、剣を振って、付いた魔物の血を振り払うと。

 俺の腕を掴んで、逃げるように促した。

 「早く、時間がありません。」

 「いや、この親子を・・。助けたいんだ。」

 「無理です。」


 こちらに向かってくる数十匹の魔物を、常忠は指さした。

 「あなたは、私に無駄死をさせるつもりですか。」

 「いや、常忠は逃げてくれ。俺がこの親子を・・・。」

 「私は慶之様の従者。慶之様を一人置いて逃げられません。結局、数百の魔物と戦って、私もここで死ぬことになります。」

 言い争っている時間はなかった。すぐそばまで、次の魔物の集団が近づいていた。

 「慶之様。早くお逃げください。今ならまだ間に合います。囲まれる前に。」

 「待ってくれ、この親子を・・・。」


 「きゃぁぁぁぁああああ。」

 母親の叫び声が聞こえて、視線を親子に視線を移すと。

 蛇の魔物が口から舌を動かしながら、今にも親子を飲み込もうと睨んでいた。

 母親に抱きかかえられた女の子も泣きそうな顔で蛇の魔物を見ている。ただ、泣くのを我慢している。泣けば、死ぬのが分かる位の威圧だ。

 すでに魔物たちに近づかれていた。

 「・・・・・・・、マズい。」

 蛇の魔物は、3mくらいの巨体。

 今までの下級魔物とは違った威圧というか魔力を持っている。

 「慶之様、あの魔物は下級魔力の魔物ではありません。将級魔力の魔物の魔蛇天です。慶之様では手に負える魔物ではないです。早くお逃げください。」

 常忠はいい加減にしろ、と言った怒った口調で叫ぶ。

 彼が怒るのも当然だ。

 既に数匹の魔物に囲まれる状況になろうとしている。

 俺が、常忠の言う事を聞かずに、親子を助けたいという馬鹿なことを言ったばかりに、危険な状況に陥っていた。

 自分で自分の馬鹿な行動を分かっているのだが、心に・・・、正義感に・・・この親子を救えと圧力がかける。

 常忠の言う通りに逃げていれば、ここまで追い込まれることも無かった。

 「俺は何をしているんだ・・・。力が、弱い者を守る為の力が欲しい・・・。」

 俺は思わず呻(うめ)いた。

 「何か言いましたか。」

 「いや、何でもない。」

 この状況を変えるべく力を欲したが、力が現れるハズなどなかった。

 とにかく、ここから逃げるしかない。それには俺たちの周りを囲もうとする魔物たちに目を何とかしなければ。


 「早く、逃げますよ。まだ、今なら、囲みを抜けられます。」

 「・・・・・・。」

 常忠の言葉を無視して考える。

 まだ、魔物の包囲網は完成していない。

 俺たちだけなら、たぶん、まだ逃げられるはずだ。

 だが、親子まで連れて逃げるのは無理だ。

 母親は足が動かない。

 女の子だけでも・・・、抱えて逃げても、動きが遅くなり追いつかれる。

 やはり、親子を救うのは無理か・・・。それは分かっているが、自分の意識が、魂が親子を見捨てるのを許そうとしない。

 「ギャー、助けて!」

 「お母さん。」

 魔物が囲みから逃げる方法を考えていると、親子の叫び声が聞こえた。

 蛇の魔物が、母親の頭を飲み込もうとしていた。

 また、体が自然に動いた。

 蛇の魔物に向かって、剣を突きさすように斬り込んだ。

 蛇は予想していたかのように、尻尾で近づく俺を振り払った。

 まるで、『食事を邪魔するな。』と蠅を叩くように、蛇の魔物の尻尾で俺は吹き飛ばされた。


 吹き飛ばされた俺は、立ち上がろうと体を起こすと。

 「止めろ!」

 恐ろしい光景を見て、思わず声を上げていた。

 蛇の魔物が、スローモーションのように、ゆっくりと、ゆっくりと。

 母親が動こうともせずに、頭から少しずつと蛇の魔物の口に飲み込まれていく。

 叫び声の音も、小さくなっている。

 蛇の魔物は、満足そうな目で俺を凝視している。

 ただ、飲み込むのは止めない。だんだんと大きな口が下に進んで、抱えていた女の子もろとも吞み込まれていく。

 「お母さん、お母さん、お母さん・・・・・。」

 女の子の声もだんだん小さくなり・・・・そして聞こえなくなった。

 蛇の魔物は満足そうに口を閉じて、舌で口の周りを拭っている。

 腹に収まった親子を消化するような仕草で、とぐろを巻いて目を閉じた。


 「今の内です。」

 常忠は、近づく下級魔力の魔物を倒していた。

 既に辺りには、たくさんの魔物の死体が転がっている。

 そして『身体強化』魔法が発動して、俺の腕を強引に引っ張っていた。

 「早く、逃げください。北東の山に。」

 蛇の魔物に飲み込まれる親子の姿を見るしか出来なかった俺は無力だった。

 今は、北東に向かって走るしかなかった。

 親子が食べられる瞬間は衝撃的だった。

 そう、ここは前世の地球ではない。魔物や殺し合いがすぐ近くにある死と隣り合わせいる世界。あの親子が死んだのは仕方が無いのだ。

 只、俺に力が無かった。だから、前世の妹に似た女の子を救えなかった。

 それが、今は無性に悔しい。

 きっと、こんな事を考えるのは、あの無機質な声を聞いたからだろう。

 

 後ろからは、まだ多くの魔物が追って来る。

 おとなしく寛いでいるのは、親子を呑み込んだ蛇の魔物くらいだ。

 魔物に追いつかされそうになると、常忠が何匹かの魔物を倒していく。

 魔物を間引いている間に、俺だけを走らせて距離を稼いでいた。

 目の前で、助けようとした親子が呑み込まれたのはショックだったが、今は走るしかない。体を動かして、ここから逃げる事に意識が移っていく。

 魔物の走る速度は速い。歩幅も大きく、4つ足で地面を蹴って走る。

 こちらも急いで走っているが、確実に俺達との距離を縮んでいる。そもそも、魔物は普通の獣より身体能力が高いのだ。足が速い魔物が俺たちに追いつくのは当然なのだ。

 こちらに向かって逃げた人たちは、さっきの親子のようにほとんどの人が魔物に捕まって食べられてしまった。

 気がついたら、自分たちの周りには、もう人はいなかった。

 そして、逃げる人間は俺たちだけだが、襲う魔物の数は減らないどころか、次から次へとやってくる。


 追い駆ける魔物の数を見て、常忠は覚悟を決めたようだ。

 常忠は剣を構えて、足を止めた。

 「慶之様。お逃げください。私が時間を稼ぎます。」

 「待て。今度は、常忠が死んでしまう。」

 「慶之様。まだ甘い事を言っているのですか!私は慶之様が生き残る為に、時間を稼ぎます。死ぬ気はありません。このままだと、後ろから襲われますよ。」

 「・・・・・・・。」

 常忠の言葉に、言い返すことは出来なかった。

 このままだと魔物の数が多すぎて、後ろから速い足で追って来る魔物に攻撃されるのは時間の問題だ。そうすれば、2人とも・・・、少なくとも魔力の無い俺は助からない。

 「早く行ってください。」

 「分かった。だが、待っているぞ。あの北東の山で。絶対に来いよ。」

 「その返事は、もっと早く欲しかったですね。」

 常忠を残して北東の山に向かって全速力で走り続ける。

 俺が北東の山を目がけて走るのを確認すると。

 「それでは、少し時間を稼ぎますか。」

 常忠は剣を構えると、再び『身体強化』魔法を発動する。

 腰を低くして剣を抱えて身構える。そして、手当たり次第に近づく下級魔力の魔物の首を剣で刎ねていく。

 魔物も、複数で同時に襲い掛かるなど、あの手、この手で常忠い襲い掛かった

 それでも『身体強化』魔法で、動きが早くなり、威力が強化された常忠の攻撃の方が強い。瞬発力や腕力で単調な魔物の攻撃を除けながら、剣を振り、魔物の首を薙いで行く。

 彼が剣を振るう度に、目が白くなった魔物の首が地面に落ちていく。

 「ガウ」「キィー。キィー。」「グルルルル」

 魔狼妖(まろうよう)、魔猿妖(まえんよう)、魔牛妖(まぎゅうよう)などの魔物が、雄叫(おたけ)びを上げながら襲って来る。

 倒しても、倒しても、次々に現れる魔物の泣き声は鳴きやまない。

 「きりが無いな。ハァ、ハァ、ハァ。」

 彼は肩で息をしながら、向かって来る魔物を倒していく。

 「マズい。」

 何匹かの魔物が、常忠の攻撃をすり抜けていった。

 周りを囲まれた彼に、すり抜けていった魔物を追いかける余裕などは無い。

 「慶之様。あなたの運次第です。死なないでください。」

 そう言って、常忠は自分を囲む魔物に剣を掲げて向かっていった。


 その時の俺は只、北東の山に向かって逃げている。

 一心不乱に走るしかない。

 蛇の魔物に飲み込まれた親子の事も考えずに、ひたすら北東の山に向かって走る。

 せっかく、常忠が作ってくれた時間だ。

 この時間を、もう無駄には出来ないと、ただそれだけ考えて走った。

 すると、数匹の魔物が近づく気配を感じた。

 鳴き声、走る足音、殺気で、あとどれくらいの距離があるかは分かる。

 直ぐ後ろまで近づいていた。

 それも一匹ではない。2匹・・・、いや3匹。

 俺は走りながら、腰の剣を握ると鞘から抜いた。

 そして、腰を落として、走りながら回転するように後ろに反転すると。

 その勢いで、剣を横薙ぎに振った。

 剣は猿の下級魔力の魔物の魔猿妖の首を斬り裂いた。


 だが、危機感は去っていない。魔猿妖の首が跳ぶのと同時に殺気を感じた。

 「ヤバい。」

 カウンターで頭上に攻撃が襲って来るのを感じた。

 これは魔物の爪・・・、もしくは牙の攻撃だ。

 腰を落として攻撃したおかげで、相手の頭上の攻撃は空を斬った。

 もう一匹の魔猿妖がいたのであった。

 もう少し、俺の頭の位置が上だったら、カウンターの魔猿妖の爪の攻撃で首が跳んでいた。


 だが、これでもまだ危機は去っていなかった。

 魔猿妖は3匹いた。

 最後の3匹目の魔猿妖の攻撃が襲ってきた。

 今度は、低い位置から爪の攻撃が向かってくる。

 猿の魔物はスピードが速い。

 たかが下級魔力の中の魔物でも、やっと反応できるほどの速度で動く。

 地面すれすれの低い位置の魔猿妖の爪の攻撃を剣で防ごうとするが、剣を片手の爪で押さえつけ、もう一方の手の爪で首に襲い掛かる。

 「これは、本当にまずい。」

 まさか、3匹の魔猿妖が同時に攻撃してくるとは思っていなかった。

 魔猿妖の爪が首に刺さる瞬間、死を覚悟した。

 この世界の人生は、前世の人生よりも更に短かった。 

 前世と同じように、楊家の家族の為に何もできなかったのが悔やまれるが仕方がない。親父殿も・・、母上も・・、兄や妹も・・・悲しむだろう。


 ――俺は覚悟して、目を閉じた。

 「ごめん・・・。」

 風が通り過ぎたように感じた。

 ・・・ただ、それだけだった。

 ただ、それだけで何も起きなかったはずなのだが、魔猿妖の爪の圧が消えていた。

 ――ズドン。

 何かが地面に落ちた音がする。

 音がしたので、目を向けると魔猿妖の首が2つ転がっていた。

 少し離れた場所で魔猿妖の胴体が倒れている。

 首があった場所からは、緑の血がドクドクと湧き水のように溢れ出ていた。

 転がっている首と同じで、首の無い胴体も二つあった。


 「助かった・・・のか。」

 本当に助かったのかは実感が無い。

 誰が、どうやって魔猿妖を倒したのか分からない。

 周りには人はいない。気配すら全くない。当然、常忠の姿も無い。

 そして、魔猿妖がやられる姿も見ていなかった。

 只、死ぬと思った瞬間、理由は分からないが、死んだのは魔猿妖であった。

 「何がなんだか分からないが・・・、とにかく助かった。」

 地面に落ちた魔猿妖の首を見ると、何かに斬られたようだ。

 「銃では無いな・・・。魔法の攻撃か。」


 後ろを振り返ると、まだ、たくさんの魔物がこちらに向かって来る。

 倒れた魔物を観察している時間など無い。

 「常忠は大丈夫か。」

 これだけの魔物が後方から向かって来るという事は、常忠の防衛ラインが突破されたことを意味した。

 常忠が心配だが、とにかく、今は逃げるしかない。

 とにかく山にさえ入れば、隠れやすい洞窟や木の上に逃げられる。どこかに隠れていれば、そのうち魔物も去っていくだろう。

 この辺り一面の平原では、隠れる場所が一切ない。

 とにかく、山へ・・・、北東の山に向かって走るしかないのだ。

 暫く走ると、また魔物が近づかれた気配を感じる。

 「早い・・・、なんていう速さだ。」

 あっという間に、距離を詰められていく。

 前世では、文系で運動なんて全くやらなかったのだが、この世界の体の動きは悪くない。たぶん、体の基礎能力が遺伝的で高いのであろう。

 この世界の体は運動神経も良く、体が軽い。動体視力や跳躍力、反射神経も良かった。前世では出来なかった体の動きも出来るし、体力も断然にある。

 これだけ走り続けられるのも、この体のおかげだ。

 加えて、常忠や王級魔力を持った妹の琳玲に鍛えられたのも大きかった。

 常忠は魔力が無いなら体を鍛えろと、頼んでもいないのに訓練をよくやってくれた。

 そして、妹も。2つ歳下で可愛い顔をして、良く稽古に付き合わされた。

 彼女は次男の剛之兄と同じ王級魔力の持ち主で、武術が得意だった。それで俺に懐いていたので、常忠と2人してよく俺の所にやってきては稽古場に連行された。

 妹の訓練相手は苦痛でしかなかったが、初めて彼女に感謝している。訓練のおかげで、少しは魔物と戦うことができている。

 だが、これだけの魔物相手では、さすがに魔力の無い俺では無理だ。

 「こんなことなら、常忠の言う通り、もっと基礎体力を鍛えておけば良かった。」

 愚痴を言っても、今更始まらない。

 とにかく、狼の魔物がもの凄い速度で走って近づいてくる。

 「あれは、マズい。下級魔物では無いな。特級魔物か。」

 後ろを振り返って、追いかけてくる魔物を見て絶望した。


 追いかけてくるのは、特級魔力を持つ魔狼獣だ。

 魔狼獣から、青い魔力の色が見える。

 この世界の魔力には魔力色といった魔力の色があった。

 魔法を使ったり、魔力を籠めたりしている時に魔力色は見える。

 青い魔力色は特級魔力だ。今までの下級魔力とはわけが違う。

 特級魔力の階級は7階級のうちの4番目。今まで相手にしていた下級魔力の上、中、下が5番目、6番目、7番目の魔力階級。

 さっき倒した魔力階級が下級の中である魔猿妖よりランクが2つも高い。特に下級魔力階級と、それ以上の魔力階級では魔力の力が愕然に変わるのである。

 常忠の将級魔力は魔力階級が3番目。この特級魔力の魔狼獣より強いが、魔力の無い俺では、下級魔力の魔物が関の山だ。


 さすがに、体のスペックが高く、常忠や妹に徹底的に鍛え上げられた流石の俺でも、魔力の無い身で特級魔物の魔物を相手するのは相当きつい。

 「・・・・詰んだな。」

 魔狼獣は、口から涎を垂らしながら鋭い牙を向ける。

 4本の脚で地面を蹴って、全速力で距離を縮めてくる。

 『まずい・・・。今度こそ、死んだな。』

 魔狼獣を見て、全速力で逃げるが、追いつかれるのは時間の問題だ。

 『マズい、マズい、マズい。今度こそマズい・・・。』

 呪文のように口走りながら逃げる。

 そもそも魔力が無い俺が、下級魔力とは言え魔物を倒せたのはアダマンタイトの剣のおかげだ。

 特級魔物を相手に、さすがに魔力の効果なしで剣が皮を貫けるか分からない。

 「親父殿、母上・・・、親孝行もできずに、親より早く死ぬ愚かな息子を許してください。」


 魔狼獣が直ぐ後ろに近づいている。

 もう、すでに奴の間合いだ。

 腰を低く落として走りながら、後ろに振り向きざまに剣を横薙ぎに振った。

 後ろの魔狼妖を斬った・・・・と思ったが、そこには何も無かった。

 ――剣は空を斬った。

 魔狼獣は地面を蹴って、跳躍して剣をかわしていた。

 俺の頭上を飛び越えて着地すると、今度は俺の首を目がけて跳び込んできた。

 『終わったな。』

 今度こそ、死を覚悟した。

 次の瞬間に、奴の牙が俺の首に喰いつく姿が想像できた。


 すると、再び・・・。

 風が通り過ぎたように感じた。

 目を閉じて、首に全神経を集中する。直ぐに痛みが襲うハズだった。

 ――ズドン。

 痛みではなく、音がした。

 何かが落下する音だ。

 目を開いて後ろを向くと、魔狼獣の首の無い胴体が地面に落ちていた。

 そして、直ぐ近くに首が転がっている。

 「た、助かったのか・・・、まただ。でも、誰が・・・。」

 思わず独り言をつぶやいたが、また、周りに人の気配はない。

 当然、王常忠がこの場にいるわけもない。

 周りを見回して目に入ってくるのは、後からやってくる数十匹の魔物だけだ。

 何が起こったか考える余裕など無かった。


 とにかく、北東の山に向かって走った。

 もう、山のすぐ近くに来ていた。この距離なら山まで逃げ切れる。

 俺は無我夢中で山に向かって走った。

 そして、やっとのことで山の麓にたどりついた。

 後ろを振り向くと、数十匹の魔物の群れがこちらに向かってくるのが見える。

 とにかく、山を登って隠れる場所を探そう。

 川を探して匂いを消せば、上手く撒く事もできるはずだ。

 何もない平原よりも隠れる場所がある山の方が生き残れる可能性がある。


 山のすそ野から、山に足を踏み入れた瞬間。

 何かをすり抜ける感触がした。

 『変な感触だ・・・。何かに触ったような。』

 何か違和感を持ったが、特に変化は無かった。

 周りを見回すが、何も不自然な物は見当たらない。

 『気のせいか』

 気を取り直して、山の坂道を登っていく。

 後ろを振り向いたが、魔物たちは追ってきていなかった。

 『今の内に少しでも、距離を稼ごう』

 とにかく急いで坂道を登った。


* * *

 黒い外套と頭にフードを被った一人の女性が、【曲阜】の城門から魔物たちが走り去った西の方角を眺めている。

 「鴉鬼(あき)。どう、これで、魔物たちも食事にありつけたかしら。」

 「はっ。黒姫様、これで魔物の腹も満たされたかと。」

 黒装束に身を包んだ鴉(からす)の魔人が、黒い外套を羽織った女性の前で跪いている。

 「まぁ、『死海の森』から、ここまで走らせたからね。魔物たちもお腹が空いていたでしょ。それに、この都市の住民も全滅ね、おかげでたくさんの魔魂が手に入ったわ。」

 【曲阜】の都市には、人っ子一人も見当たらない。

 全ての民が、魔物に食べられたか、都市から脱出している。

 脱出した民のほとんどが途中で追いつかれて、魔物の餌になって死んでいた。

 「御意。これで、魔物も王都まで向かえます。」

 「良かったわ、全く伯龍も人使いが荒いからね。『死海の森』の主を動かすのは大変だったのよ。でも、それだけの価値があるわ。この都市で手に入った魔魂は1万人分。それに、王都ではもっと多くの魔魂が入るでしょうし・・・。さらに伯龍が王になれば・・・。これで、魔神様の復活も・・・。」

 黒い外套を被った女性は、数万匹の魔物の群れが北東の王都へ向かうのを見て、ニヤッと微笑む。

 「そうでしょ、鴉鬼。」

 「我らは人間には興味はありません。ただ、間者として黒姫様の為に尽くすのみ。」

 黒装束の鴉の魔人である黒鴉は、淡々と答えた。

 「そうね。あなたにとっては、人間なんてどうでも良いわよね。でもね、魔神様の復活には必要なのよ。魔魂である魂がね。それには、忌々しい人間の魂なら丁度良いわ。心置きなく殺せるでしょ、そうは思わない?」

 「はっ・・・。獣人族は、黒姫様の命令に従います。」

 「そう、いい子ね。だから獣人族は好きよ。」

 黒い外套に見を包んだ黒姫は王都に向かう魔物の群れを満足そうに眺めていた。

 その表情が少し歪んだ。

 「何かしら、あの山は。」

 「どこの山ですか、黒姫様。」

 「あの山よ。」

 彼女は、北東に位置する山を指さした。

 「あの、北東に見える山がどうかしましたか。」

 「嫌な結界の気配を感じるんだけど。」

 「結界ですか・・・。黒姫様がそう言われるのでしたら、見てまいりましょうか。」

 「・・・それは良い。嫌な予感がするわ。手を出してこない相手に、こちらから手出しする必要は無いわね。これだけの結界、・・・ちょっと面倒な相手ね。下手に探りを入れて寝た子を起こしたら面倒よ。今は王都の方が大事ね。ほっといて良いわ。」

 「そうですか、黒姫様がそれほど言う相手なら気になりますが。・・・今は止めておきましょう。」

 「そうよ。今は大事な時期よ。王都の方が大事だわ。10万人分くらいの魔魂も入るかもしれないし、伯龍の正念場だわ。今は、この膨大な結界は無視するわ。敵か・・・、味方か・・・分からいけどね。」

 黒姫は、鋭い視線で北東の山を睨みつけて、つぶやいた。


* * *

 夕陽が、辺り一面を真っ赤な茜色に染めていた。

 あと少しで陽が暮れようとしている。

 既に山の中腹まで登っていたが、後ろから魔物が追っ手くる気配はない。

 『どこか、良い隠れ場所は無いか・・・。』

 洞窟や、登り易い大きな木、または匂いを消す為の川を探したが見つからない。

 それらしき物すら見つけられない。


 そのうち、見晴らし良い崖に出た。

 そこから下を見下ろすと、山のすそ野に数十匹近い魔物が屯っていた。

 魔物は不思議なことに、この山に入って来ようとしない。

 すそ野で、魔物が何かを探すようにうろちょろとしている。

 『奴らは、なんで山に入ってこないんだ。』

 良く分からないが、魔物はこの山のすそ野から山に入ろうとしない。

 「はぁ~。」

 魔物が山に入って来ていないのだと分かると、どっと疲れが出た。

 ひとまず休憩だ。

 もう直ぐ日が暮れる。

 夕陽の色が茜色から、黒に変わってきた。

 あと少しで真っ暗になる。

 ――ググゥ~。

 腹が鳴る音がした。そう言えば喉が渇いた。

 安心すると、喉の渇きを覚えた。昼から何も口に入れていない。

 まだ少し、夕陽の明かりがある内に、山の散策を始めた。

 「そう言えば、常忠は大丈夫かな。」

 食糧も、火打石などの必需品は、全て常忠が持っていたのを思い出した。

 そんなことを考えていたら、常忠の安否が心配になった。

 常忠も無事にこの山に辿り着いたら良いだが・・・。

 なぜか理由は分からないが、この山に魔物が登って来ない。

 常忠もこの山にさえ辿り着けば助かるはずだ。


 「常忠は強いからな。きっと大丈夫だ。とにかく食べ物と水を探そう。」

 気持ちを切り替えて、山の散策を始めた。

 既に夕陽の光は無くなっていた。

 暗くて周りが見えないが、薄い月明かりだけで集中して辺りを探る。

 剣を握ってしばらく歩くが、何も見つからない。

 動物どころか、虫の鳴き声すらしない。この山からは一切の生き物の気配を感じなかった。

 静寂が一帯を支配している。

 月明かりだけなので、せめて火の明りが欲しい。

 火打石が欲しいが、常忠が持っていてここには無い。こういう時、火の魔法でも使えれば良いなと思う。

 楊公爵家の属性魔法は火属性の一族だ。親父殿も、義之兄、剛之兄、琳玲も皆が火属性の魔法を使う。なんとなく、楊家で火をつけるのは魔法を使うのが普通だった。

 当然、俺は魔力が無いので、火属性魔法など使えない。

 川の近くなら、火打石が落ちているかもしれないと、川を探すが見つからない。


 しばらく歩いていると・・・?何か音が聞こえる。

 この山に入ってから、やっと俺以外が発する音が聞こえた。

 『水だ・・・。水の流れる音だ。』

 耳を澄まして、水の流れる音に意識を傾ける。

 水の音が聞こえる方に向かって進んでいく。

 この山に道はあるが、川の音が聞こえる方には道が無かった。

 少しの月の明かりだけを頼りに、暗闇の中、転ばないように草をかき分けて歩いていく。

 川の音に耳を澄まして歩くと、川辺に出た。

 近づいて、川に手をつける。そっと両手で水をすくって口に含んだ。

 『うまい。』

 渇いた喉に水が染み渡り、やっと生きた心地がした。

 何回も、何回も水を口の中に運んだ。

 喉の渇きが癒えると、川辺の石に座り込んで休んだ。

 『さて、これからどうするか。』

 やっと生きた心地がした。

 腹が減って、なにか食べ物が欲しいが、この暗さで食糧の調達は難しい。

 あとは火が・・・、明かりが必要だが、川辺にも火打石になるような硬い石は無かった。


 この暗闇の中で、これ以上の探索は無理だ。

 あとは明日に動くしかない。

 明日になって明るく成れば、茸や山菜なんかの食べ物や、火を点ける火打石も見つかるかもしれない。この暗闇の中、動き回るのは反って危ない。

 早く隠れる場所を探して、今日はゆっくり体を休めたい。

 今の所、生き物の気配は感じないが、この山に魔物や獣が本当にいないかの確証はない。

 『とにかく、一晩休む安全そうな場所を探そう。』

 洞窟か。木の上が好ましいが・・。

 『この暗闇では、人が一晩過ごせるような大きな木を探すのは無理か・・・。隠れやすい洞窟を探すしかないな。』

 俺は、山の斜面に向かって、洞窟を探し始めた。

 山の斜面であれば、どこかに穴や洞窟があるかもしれない。

 薄い月明かりで、山の斜面を入念に探した。

 『・・・本当に無いな。』

 川で休憩した後に、3時間ていどの時間をかけて山の斜面を歩き回った。

 既に月が真上に近づいてきたが、全く洞窟や穴など見当たらない。

 そろそろ疲れた。

 洞窟や穴は見つからなかったが、この山に生き物の気配が無いことが分かった。

 このまま、良い場所が見つからなければ、雨さえ降らなければ、洞窟や穴で無くても良いのではと思い始めていた。


 暫く歩くと、山の斜面から明かりが見えた。

 月明かりではない。斜面の中から、七色に光る明かりが何かの光が輝いていた。

 『な、なんだ・・・。あの光は。良く分からないけど・・・綺麗だ。』

 よく見ると、その光は山の斜面にある洞窟から漏れ出て光っていた。

 俺は目を疑った。

 その七色の光は、昨日の七色の流れ星の明かりと同じだった。

 『なんだ、あの光は・・・。しかも、こんな所に洞窟があるとは・・・。それにしても綺麗な光だ。』

 俺は見たことも無い光を警戒しながら、近づくことにした。

 興味本位もあるが、今は明りが欲しい。

 もし、光りゴケや、光る石なら、火が無くても照明代りに明かりを与えてくれる。


 光に近づくにつれ、なにか不思議な明かりと感じた。

 やはり、この光は、七色に光る流れ星に似ている。

 「幻想的で温かい光・・・、こんな綺麗な光は見たことが無い。まるで魔力色の光 のようだ。だけど、魔力色でもこんな綺麗な光は無いか・・・。」

 魔力は無いけど、人の魔力色を見るのは好きだった。

 魔力色は見える人と見えない人がいるようだが、俺は小さな魔力の明かりでも見ることが出来た。だが、こんな七色に光る魔力色は見たことが無い。

 魔力色では無いかも知れないが、見とれてしまうような綺麗な光だった。

 近づくと、目が開けられない位のまぶしい光が洞窟の中から溢れ出ている。


 『なんだ、この洞窟は・・・。』

 目を細めて洞窟に近づいてみたが、人の気配は感じない。

 光こけでも洞窟の周りに付着していたら、それを剥がせば明かりになる。

 思い切って、洞窟の中に入ってみた。

 目を細めていても、まぶしく何も見えないほどの光が溢れていた。

 様子を探ると、七色の光は地面から出ているようだ。

 慎重に足を動かして、虹色の明かりが溢れている地面に近づいてみる。

 「うっ・・・・。」

 突然、足場が無くなった。

 七色の光が消えて、目の前が真っ暗に変わる。

 ・・・地面が消えた。・・・体が宙に浮いているように感じる。

 そして、意識を失った。

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