第2話 城郭都市【曲阜】

 「風をひきますよ。」

 もう、陽が明けていた。

 東から昇る太陽の陽がまぶしい。

 いつの間にか寝てしまったようで、焚火は消えていた。

 冬の朝は冷える。背中にかけられた毛皮のおかげで風邪をひかずに済んだ。きっと、常忠がかけてくれたのであろう。


 軽く食事を済ますと、王都【陳陽】に向かって歩き始める。

 あぶって燻製にした昨日捕まえた魔牛妖の肉をかじりながら、黙々と歩く。

 この大陳国は、冬の割には暖かい。聖大陸でも一番南に位置するで、一年中暖かな気候で過ごしやすい。

 ずっと歩き続けると、額に汗がにじんでくる。

 おかげで、冬の一月に吹く冷たい風は、俺たちには丁度良かった。

 冷たい風は気持ちがいい。


 しばらく歩いていると、目の前に小高い丘が目に入った。

 「あの丘を越えると、【曲阜】の城郭都市です。慶之様。」

 「そうか、これで野宿から解放されるな。今日は宿でゆっくり休めそうだ。」

 「宿だけじゃありませんよ。食べ物も楽しみです。」

 常忠は相変わらず、食べ物に目が無い。

 「とにかく、あともう少しだ。早く行こう。」

 「そうですね。早く行きましょう。【曲阜】は結構大きな都市ですから。塩や小麦なども手に入れられます。それに、仕留めた魔牛妖の魔石や毛皮も売りましょう。」

 荷物が重すぎると、旅では運ぶのが大変だ。

 だから、消費した分を途中の都市で調達するのが一般的だった。

 この旅も5日目だ。

 途中で魔牛妖を仕留めて食糧にしたが、この辺で消費した物資の調達が必要である。


 太陽が真上に上った頃には、目的地の【曲阜】の城郭都市に辿り着いた。

 城郭都市とは、高い壁で囲まれた都市だ。

 外側には『郭』という城壁があり外城と呼ばれている。そして、内には『城』という王や領主の貴族が、政治をしたり居住地として使う内城がある。

 外城の壁は高いのは、魔物が攻めてくるからだ。

 魔物の中には、大きさが5mくらいの大きい魔物もいるので、壁を高くする必要があった。普通の街の壁でも10mぐらいの高さはあった。

 この【曲阜】は王国領の南東部の中心の都市だ。

 周りの村や街の民は、魔物が現れたら、皆この都市に逃げ込むようになっている。

この都市の城壁の高さは15mであった。

 15m以上の城壁を持つ都市は中核都市として普通の高さだ。

 王都や大領の貴族の領都だと、その上に20m級の城壁が一般的だ。


 俺たちは、【曲阜】の城門の前に並んで、門に入る順番を待っていた。

 「常忠。この旅で、やっとまともな都市にたどり着いたな。」

 「はい、慶之様。この【曲阜】はこの辺りでは、けっこう大きな城郭都市です。今から楽しみです。」

 何が楽しみかは言わないが、想像はつく。

 「今日は見張りの番を気にせずにベッドで寝られるな。」

 「はい。慶之様。」

 俺達は旅で突かれていた。

 この世界の旅は本当に大変である。道中では魔物や盗賊に襲われるかもしれないので絶えず辺りに気を張っている。そして夜は交代で警戒をしないといけない。

 野宿の準備や、水の確保、火を焚いたりと、前世のキャンプとはえらい違う。

 そして、金もかかる。

 城に入る際に払う入城税で銅貨10枚を払う。他にも要所には関税が設置されており、通行する度に金を払う。

 ちなみに銅貨1枚で、前世の日本の価値で百円だ。


 「それにしても、本当に税ばかり取られるな。」

 「入城税のことですか。」

 「ああ、入城税もそうだが、少し進むと関所があって、通過するのに通行税を払う。これじゃ、税ばかり払って、旅をするのも大変だな。」

 「まぁ、旅をする人は少ないのに。旅人から金を巻き上げようとする貴族が多いですから。どうしても税を払いたくなければ、遠回りをして険しい山越えとかもありますが・・・。時間と安全を金で買った方が良いと思える金額に関税を設定してあります。貴族も強かです。」

 山や川を越えるとなると、山賊や魔物に襲われる危険もある。

「そんなものか、それじゃ・・・、物流が機能しないんじゃないか。」

「物流ですか・・・、そんなもん誰も考えていませんよ。国も貴族も、税収が入って、民が逃げなければ良いんですから。」

 この世界では、領民は国や貴族にとっての私有物という考えが強く、民が逃げないように関所が見張りも兼ねていた。

 だから、戦争で勝てば、相手の国の領地と領民を全て手に入れることが出来る。占領した国の民を奴隷にして売り払うのも自由であった。


 前世の地球の歴史で考えれば、奴隷制古代の時代の価値観なのであろう。

 価値観だけでなく、技術や知識の水準が前世の世界に比べレベルの偏(かたよ)りが激しい。

 戦いに関する技術が一番進んでいる。前世の近代や現代並みの技術力だ。

 実弾銃という銃や、実弾砲という大砲もある。

 特に鎧という前世のロボットのようの人型兵器の技術は群を抜いている。


 次に進んでいるのが城郭や、建築物の技術だ。

 これは前世の中世水準だ。東洋の建築技術に似ている。

 柱の色が赤で、壁が白。左右対称の調和のとれた中華風の木造建築が多い。

 そして、一番遅れているのが経済や政治、そして食文化だ。

 生きるのに必要な塩ですら物流が悪いので、高価で貴重な食材として少ない量しか手に入らない。

 物流に至っては、領地内の自給自足が基本である。

 政治は奴隷制の政治体制で、民には移動の自由すらない。物扱いだ。

 そして人の命が軽い。軽すぎるのだ。

 貴族の暴力や盗賊、魔物、それに戦争によって簡単に人の命が奪われる事を誰も不思議に思わない。自分を守ることで、皆必死なのだろう。

 それと、政治や経済だけでない。

 この世界の文化も変わっていた。

 前世の価値観で言えば、西洋と東洋の文化が混じった独特な文化だ。

 人の名前や、建物の建築仕様は中華風なのだが。

 服のセンスや、爵位の呼び方などは西洋風。食べ物なども、地域や国によって異なるが、主食が小麦の国が多く西洋風のような気がする。

 そんなことを考えているのは、この世界で俺だけなのだろう。

 まぁ、この世界の人にとっては、政治や経済、価値観は当たり前のことで気にもならない。

 

 常忠にとっては、食べ物を確保することが大事なのであろう。

 「慶之様。お腹が空きました。あの店はどうでしょう。」 

 相変わらず食欲旺盛で、都市に入るとずっと食べ物屋を探していた。

 やっと食堂を探したようで、小さな食堂を指さした。

 「ああ、良いんじゃないか。」

 その店は、小ぎれいで美味しそうな匂いがした。

 近づくと、小麦を焼いているのか、香ばしい匂いがする。

 そう言えば、俺もお腹が空いていた。

 太陽は真上から少し西に傾き始めていた。

 昼を少し過ぎた頃合いだ。

 「じゃ、この店にしましょう。」

 2人で店に入り、席につくと、常忠は、直ぐに店員を呼んだ。

 壁に張られた料理のメニューを見て、常忠は次々に注文を始める。

 「おい、常忠。そんなに食べられるのか。」

 「大丈夫ですよ。食べられなければ、持ち帰りにしますから。」

 常忠の注文の量を聞いていると、少し心配になる。

 「ここの紙焼はきっと美味しいですよ。」

 注文が終わって待っていると、紙焼と、肉を焼いただけの料理が運ばれて来た。

 紙焼とは、小麦を紙のように薄く敷いた焼いた食べ物だ。

 前世の食べ物で例えると、餃子の皮やナンを薄く伸ばした感じの食べ物だ。

 紙のように薄く伸ばしているので紙焼と呼んでいた。

 常忠は、紙焼の上に肉を乗せて丸める。

 そして、そのまま口に放り込む。

 肉汁がジワッと、紙焼に染み込んで美味そうだ。

 「うまーい。慶之様。この店の紙焼は絶品ですよ。これなら何枚でもいけます。」

 常忠は、次の紙焼に手を伸ばしていた。

 俺も、常忠と同じように肉を巻いて、口に放り込む。

 確かに、肉の油が紙焼に染み込んで、美味い。

 調味料が塩だけでこの美味さはある意味凄い。

 食用旺盛な常忠では無いが、この薄焼は美味しいので何枚でも入りそうだ。

 何の肉か分からないが、硬い肉の味にもこの世界にきて慣れた。

 次から次へと運ばれてくる薄焼を、常忠は美味しそうに口に運ぶ。

 「おい。常忠。お前は本当に、良く食べるな。」

 「食べられる時に食べないと、いざという時、役に立ちませんからね。」

 口を動かしながら、常忠は答える。

 「常忠。お前は食べるか、しゃべるかどちらかにしろ。」

 「なら食べます。」

 美味しいので何枚でも食べられると意気込んだが、3枚も食べると俺の腹が一杯になった。


 常忠は相変わらず夢中で食べているので、俺は食堂の客同士の話に耳を傾けた。

 この世界で情報は重要である。

 客の頭が禿げた男が、髭だらけの男と話をしていた。

 「昨日の流れ星を見ただか。」

 「ああ、見た、見た。あんなにでかい流れ星は初めて見たぞ。うちの家畜が騒いでいたから外に出て見たら、いきなり、七色に光る綺麗な流れ星が目の前にドーンだからな。本当にびっくりしたぜ。」

 「西に向かって流れて落ちていっただな。」

 「ああ、あまりにも近く過ぎてぶつかると思ったぜ。しかも流れ星は2つだ。これは、良い兆しなのか、悪い兆しなのか。どちらなんだろうな。」

 「良い兆しに決まっているだ。あんな綺麗に7色の輝く星が悪い兆しのハズがないだ。それに、これ以上、生活が悪くはならないだよ。」

 「まぁ、そりゃ、そうだな、前王が死んでから、貴族がやりたい放題。俺達の生活は苦しくなるばかりだからな。」

 「それに、教団の信徒の爺も、何やら騒いでいただ。」

 頭が禿げた男が言う教団とは、七光聖教という大陸で一番大きな組織の宗教だ。

 「爺が騒ぐのは、いつものことだよ。」

 「それもそうだが、使徒様がどうのとか言っていただ。」

 「なんじゃ、そりゃ。」

 2人の男が、笑いながら、昨晩の流れ星について語っていた。

 流れ星で未来の吉兆を占うのはどこの世界でも同じようだ。

 この世界には讖緯(しんい)という神が下界の人間に予兆を知らせる自然現象がある。天望山脈に鳳凰が現れたら、良い兆し。蝗(いなご)の大群が現れたら悪い兆しなど、神が讖緯で下界に兆しを知らせるのだ。

 だから、この世界の民は、奇妙な自然現象を讖緯と捉えて、良い兆しか、悪い兆しなのかを考える習慣があった。

 讖緯を言い当てる讖緯官という仕事すらある。

 あれだけの大きな流れ星が2つも落ちると、今度の流れ星は何を意味する讖緯かと考える方が自然であった。

 俺にとっては、あの流れ星より、あの無機質な言葉の方が気になる所だ。

 そう言えば、常忠は何かのお告げだとか言っていた。


 俺が考え事をしている間、常忠は相変わらず紙焼を頬張っていた。

 既に6枚目を完食していた。

 驚くほどの食べっぷりだ。

 机の上に置かれた紙焼と肉の塊をあっという間に平らげていく。

 「お姉さん。もう一つ、同じ物をおかわり。」

 常忠は、口を動かしながら、新たな注文を頼んでいく。

 「慶之さま、まだ3枚じゃないですか。今日は15歳の成人に成った日です。もっと食べないと大人として見られませんよ。それとも、どこか体の調子が悪くて、食欲がわかないとかですか。」

 俺の体の調子を心配するより、自分の胃を心配しろと言いたい、

 「別に体調は壊してない。お前が食べ過ぎなんだよ。」

 ボケているのか、真剣に話しているのか、常忠の言葉にはいつも悩まされる。

 考えても仕方が無いので、勝手に食べさせておく。

 「はい、お代わり持ってきたわよ。それにしても、お兄さん。昼から良く食べるわね。」

 お代わりの紙焼を持ってきた女性にも呆れられている。

 「ここの料理は、本当に美味しいからね。ついつい食べちゃうよ。」

 相変わらず食べ物を口に入れたままで、上手に答えている。

 結局、常忠はナンパを7枚も食べた。大人が食べるナンパの普通の量は1~2枚だそうだ。3,4人前も食べて、流石の常忠も満足したように腹をさすりながら店を出た。


 食事が終わると、今度は旅の買い出しで、市場(いちば)に向かうことにした。

 旅の途中で、浪費した分の食糧だけを補充する。また、重荷にならない保存食でもあれば、それも買い足したりしていく。

 道中で倒した魔牛妖から取り出した魔石や、剥いだ毛皮も結構な高値で売れた。

 魔牛妖の皮は頑丈で、防具にも服の素材にもなる。

 その他にも、牙や爪など魔物の種類によっては武器の素材や薬になったりする。

 魔石は冒険者協会(ギルド)が期待通りの値段で買い取ってくれた。

 この魔石が特級以上の魔力を持った魔物の魔石だと、けっこういい値で売れる。

 特級以上の魔石がないと、鎧が作れないからだ。

 「意外に人は多いな。」

 市場(いちば)には、人が多かった。

 王国領の南東一帯の街や村から、物資や人が集まるからだろう。

 思った以上に【曲阜】の都市は活気があった。

 冬の寒さに備えて、薪や毛皮などを買いに来る者もいるし、獣の肉を売りに来る者も、保存食を売っている者もいる。

 「よく、あんな高い税を払って、売る食べ物があるな。」

 「慶之様。民はしたたかですよ。税で収穫した小麦のほとんどは、領主に奪われますが。自分達は『始祖芋』を食べてなんとか凌ぐのですよ。そして、領主に隠れて農閑期に育てた食べ物、森や山で捕まえた獣の肉や皮、それに作った炭などを売って現金収入を得るのです。」

 大陳国の主な農作物は小麦である。

 11月に種を撒き6月に収穫するが、そのほとんどが税で持っていかれてしまう。

 王国領の税率は5割のハズだが、実際に代官として派遣されている貴族は7~8割近い税を課している。王国の税と実際に徴収する税の差が貴族の取り分である。

 領民の手元には、収穫物がほとんど残らない。

 食べる物だけなら、この世界には『始祖芋』という食べ物があるので飢えることはない。

 この『始祖芋』繁殖力が強く、どこにでも生えるので、獲っても、獲っても翌日にはまた獲れた。おかげで不作が続いても、悪徳領主に収穫物をほとんど奪われても、民は飢えることが無かった。

 ただ、不味い。本当に不味い。食べたら吐くほどの不味さだ。

 『始祖芋』という名は、千年前にこの大陸を統一し、魔神を封印した始祖の名からきている。

 魔神を封印した始祖が、褒美を神から聞かれた時に、民が飢えない食べ物を望んだらしい。それで神が与えてくれた食べ物が、この『芋』だったそうで、名前も『始祖芋』という名になったそうだ。

 吐くのさえ我慢でいれば、『始祖芋』で民は飢えを凌ぐことはできた。

 だが、人が生きていくのには食べ物以外に必要な物もある。

 衣服や農機具、塩等の必要な物資も手に入れないと、生きていけない。

 これらを得る為に現金収入がどうしても必要だった。

 そこで、農民たちは、農閑期の6月から10月に野菜や大豆などを栽培して保存食にしたり、近隣の森や山で狩猟して得た肉を干し肉にしたり、毛皮をなめしたりして市場に売りに行くのである。

 そして、市場で、それらを売って得た金で、冬場に必要な物を買うのである。

 農閑期(のうかんき)の収穫や、山や森で得た恵(めぐみ)には、さすがに王国も貴族も税を掛けなかった。そこまで税をかけると、民が生きていけないのだ。

 ただ、悪徳な貴族の一部には、農閑期の収穫にも税をかける者もいるが少ない。

そのような貴族の民は冬を越せずに死んだり、逃げたりするので、かえって税を納める者が減少してしまう。結局は税収がマイナスになるからだ

 そんな理由で、市場は賑わっていた。

 「慶之様。手癖が悪い者も多いので気をつけてください。」

 「ああ。」

 おれは空返事をした。

 先ほどから、わざとぶつかって来て、俺の懐を荒そうする者が何人かいた。だが、残念ながら、俺は財布や金目の物は持っていない。

 全財産は常忠が持っている。

 隙だらけの俺に金目の物を持ったら、簡単にすられてしまう。

 彼は、絶えず殺気を払っており、近づく全てのスリを撃退していた。

 「常忠。食糧をちゃんと補給しろよ。なにせ、お前の食べる量が異常だからな。」

 「はい。慶之様。補給はお任せください。」

 魔牛妖の魔石と毛皮が良い値段で売れて、懐も少し温かくなっていた。

 常忠が、市場で乾燥した干し肉や、小麦など保存食を買い込んでいく。さすがは長南江以南の王国領東で一番大きな城門都市だ。欲しい物がだいたい手に入った。

 塩や保存食の干し柿や茸、山菜なども売っていた。

 「おい。買い過ぎじゃないか。」

 「できるだけ補給はしておきましょう。次の補給地は遠いですから。」

 「まぁ、構わないが、荷物が重くなるぞ。」

 「大丈夫ですよ。」

 荷物を運ぶ鞄がパンパンになっている。

 だいたい旅で必要な物を買い終わると、今日泊まる宿を探し始めた。

 「常忠。風呂がある宿が良いな。」

 「はぁ~。そんな贅沢な宿があるわけ無いじゃないですか。」

 「いやぁ、俺も、大貴族の一族だし・・・、旅で疲れたし・・・、何とかならないかな。風呂付の宿は。」

 「そんな贅沢はダメです。風呂に金をかけるなら、食べ物にかけます。」

 常忠はきっぱり俺の願いを跳ねのけて、中レベルの宿を探した。

 「あの宿はどうですか。外観は悪く無いですよ。」

 「そうだな・・。」

 常忠が指さす宿を見ていると。


 ――カン、カン、カン、カン。

 城内にある緊急用の鐘を叩く音が聞こえる。

 「常忠。何かあったのか。」

 「・・・・どうも、そのようですね。」

 常忠は、鐘が鳴る方を見ながら、耳を澄ませる。

 俺も耳を澄ませると、鐘は南の東の方から聞こえる。

 ――ドーン・・・・。

 今度は、大きな音が東から聞こえた。

 何かがぶつかった音か?・・・・それとも何かが崩れる音か?

 「・・・な、なんだ。今の音は。」

 何の音かは分からないが、嫌な予感がする。

 「慶之様。私から離れないでください。」

 常忠も同じ予感を感じたようだ。

 目を閉じて耳を澄ます。様子を伺いながら、俺の腕を掴む。

 「・・・・・。」

 鐘の音が鳴り響いているので良く聞こえないが、何かの音が遠くでする。

 その音は、だんだん近づいてき、大きくなっていく。

 やっと俺の耳で聞き取れるくらいの音になると、常忠の表情が険しくなった。

 「キャー。」

 「グギャー。」「ブオゥーン。」

 聞こえてくる音は、人間の悲鳴?魔物の叫び声?

 それとも、何か別の音なのか?

 ――カン、カン、カン、カン。

 鐘の音は勢いを増し、危機感を煽る。


 これはマズい。

 顔を常忠に向けると、常忠も同じように俺の顔を見ていた。

 「・・・あの悲鳴か、鳴き声か分からない叫ぶ声は何なんだ。」

 「わかりません。ただ・・・・。」

 「ただ、嫌な気配です。たぶん、魔物です。」

 「魔物だと・・・、ここは城郭都市だぞ。いきなり、魔物が城郭都市の城門を破って、城内に入り込むわけが・・・。」

 常忠は、俺の言葉が終わるのを待たずに、腕を引っ張る。

 「慶之様、逃げます。全力疾走で走ってください。」

 「おい、逃げるって、どこに逃げるんだ。」

 「西門です。魔物は東から来ているようですから。」

 「分かった。」


 俺たちは西に向かって走り出した。

 追いかけるように、人の悲鳴や叫ぶ声が聞こえる。

 声が近づいているのは分かる。

 近づくにつれ声は大きくなり、そのうちはっきりと聞き取れるようになった。

 「魔物だ・・・魔物が侵入したぞ。」

 「早く逃げろ。魔物だ。魔物が城内に入った。」

 「東門だ・・・。東門が開いた。とにかく逃げるんだ。」

 「大量の数の魔物だ・・・歯が立たないぞ。」

 兵士が叫びながら、こちらに向かって走っているのが分かる。

 「常忠。聞こえたか。」

 「はい。聞こえました。大量の数の魔物と言っていますが・・・。」

 「何だか、ヤバそうだな。」

 「はい。とにかく、西門に逃げましょう。」

 走る速度を落とさずに走る。


 市場にいた人たちは、兵士の声でパニックになっていた。

 子供を探す親。

 親とはぐれて泣き叫ぶ子供。

 市場に並べている商品を慌てて、風呂敷にしまい込む店主。

 中には、家に入って隠れる者もいる。

 そういう家には地下に隠れ部屋が作ってあり、そこに隠れる。

 だが、ほとんどの民は俺たちと一緒で西に向かって逃げる為に走っている。

 「常忠、人が多いな。」

 「走るのに邪魔ですが、仕方がありません。とにかく西門を出ましょう。」

 進行方向は市場にいた民が逃げ出している。

 西に進むのを邪魔するのは、市場で店を開いていた店主たちだ。

 急いで荷物を畳もうとしているが、西に逃げる人にぶつかり、思うように見せが畳めない。それが障害物となり、逃げる人の進路を塞いでいる。

 魔物の襲来に何をしていると思うが、彼らにとっては、商品を失ったら、この冬を凌ぐ収入が得られなくなり、生死にかかわるのだ。


 後ろを振り向くと、東から人の波が押し寄せる。

 更に後ろには、舞い上がる砂塵が見えた。

 「助けて・・・。」

 「いやぁ・・・、来ないで・・・。」

 「うわぁぁぁぁぁぁぁ。」

 人間の悲鳴や、叫び声が聞こえる。

 店を畳む店主たちも、近づく魔物が怖くて商品をあきらめて逃げ始めた。

 市場の人混みが動き始めたが、既に魔物がやってきていた。

 魔物たちは、逃げ惑う人間の背中に襲い掛かる。

 次々に魔物がやってきて、口を開けて人間の首や手に食らいつく。

 血が散乱し、倒れた人間の手足を奪い合う。

 後から、魔物が現れて、新たな獲物に跳びかかる。

 1匹や2匹ではない。数百匹・・・、いや数千匹の数の魔物が次々に現れる。

 辺り一帯に悲鳴や叫ぶ声、泣き声が聞こえる。

 ――まさに阿鼻叫喚だ。


 今まで経験の無い恐怖が全身を襲う。

 「逃げろ。逃げろ。逃げろ・・・常忠。逃げるぞ。」

 走りながら、恐怖を消し去る為に大声を上げる。

 「何ですか、あの数は・・・、あんな魔物の数は見たことが無い。なんて数だ。」

 常忠も後ろを振り向いて驚いていた。

 一時期、冒険者を行っていた常忠でも見たことの無い数のようだ。

 市場にいた人間も、同じような恐怖を味わっていた。

 商品を運ぼうとする商人などは既にいない。

 皆が走って、逃げていた。

 中には、腰が抜けて立てない者。恐怖で足がふらつく者もいる。

 立ち止まった者や、ふらつく者から魔物に喰いつかれて、倒されていった。

 そして魔物が、倒れた人間を食べている間は、逃げる時間を稼ぐことができた。

 だが、新たに現れた魔物が、咀嚼している魔物を押しのける。

 すると、新たな魔物が距離を縮めて、一番後ろを走る人間に襲い掛かった。

 「急げ、常忠。奴らに捕まったら死ぬぞ。」

 「はい、慶之様。こんな所では死ねません。」

 全力疾走で走りながら、横の常忠に叫んだ。

 常忠も必死で走っている。


 いつの間にか、鐘が鳴る音も消えていた。

 城内の兵でも太刀打ちできないような数の魔物だ。

 兵たちも逃げているのであろう。

 「常忠。こんなたくさんの魔物が、城郭都市の城門を簡単に突破できるのか。」

 「無理ですね。」

 「じゃ、なんで、こんなにたくさんの魔物が城内に侵入しているんだ。鐘が鳴った時は既に侵入していたぞ。」

 「分かりません。」

 「まぁ、そうだよな。俺たちが分かるわけ無いよな。」

 これだけ数の魔物を見たことがない。数千匹は確実にいる。下手をすると万の数の魔物かも知れない。

 これだけの魔物が近づいたのに、城内では誰も気づかずに、城門まで突破されている。


 本当にこんなことが有り得るのか。

 何が起こっているか、さっぱり分からない。

 「考えられるのは・・・・。」

 「何が考えられるんだ、常忠。」

 「この魔物たちがどうやって城門を突破したかの理由ですが。考えられるのは、魔物の中に城郭を一瞬で破壊するほどの力を持った魔物がいたか。もしくは内部のなに者かが、城門を開けたかです。私の予想では後者の可能性が高いと思います。この城郭都市の城壁を簡単に破壊は無理ですから。」

 「そうか、城内に、魔物の内通者がいるのか・・・。だが、魔物に城内を襲わせて何のメリットがその内通者にあるのだ・・。」

 「私にも分かりません。とにかく、逃げましょう。慶之様。」

 「そうだな。俺には分からん。とにかく走れ。」

 俺と常忠はとにかく、西門に向かって走るしかない。

 「おかあさん・・・。わぁぁぁぁぁん・・・・・・。」

 後方から子供の泣き声が聞こえる。

 その声もしばらくすると、声が聞こえなくなった。

 子供が食べられたのかも知れない。

 後ろを振り向く余裕は無いが、声がしないのはそう言う事だ。

 「だいぶん、近づいてきましたよ。慶之様。」

 「そうだな、俺たちも喰われるのか。」

 「大丈夫ですよ。慶之様は美味しそうではありませんから。」

 「そうか、そんなの魔物に分かるのか。・・・というか、なんで俺が美味そうじゃ、無いんだ。」

 「慶之様は小食ですから、体がガリガリですよ。」

 「そんな、冗談を言っている暇はないぞ。」

 だんだん魔物の声や気配が近づいているのが分かる。

 とにかく、魔物は足が速い。獣より身体能力が高いのだ。

 「常忠。方向を変えるぞ。北だ。北に向かうぞ。」

 「どうしたのですか、慶之様。方向を変えるって、どういうことですか。」

 「どうも、魔物は東から西にまっすぐに動いている気がする。方向を変えれば、追ってくる魔物も減るかも知れない。」

 魔物は東門から侵入してきたのは間違いない。

 そして、そのまま一直線で西に進んでいるように思えるのだ。

 それなら同じ方向に進むより、方向を変える方が良いと考えたのだが、問題は北か、南どちらに進むかだ。

 俺は、北を選んだ。

 なぜなら、俺たちが向かう王都がこの【曲阜】から西北の方向にあるからだ。

 南に向かうえば、王都から遠くなってしまう。

 「分かりました。北へ逃げましょう。」

 俺達は、十字路で北に進路を変えた。

 そして、目標を北門に変えて無我夢中で走った。


 思った通り、ほとんどの魔物が真っ直ぐ西に向かって走って行く。

 これで魔物を巻いたと思ったが甘かった。魔物の数はあまりにも多い。

 数千匹・・・いや、正確には分からないが、下手をすれば万単位の魔物がこの都市に侵入したかもしれない。

 後ろから溢れる数の魔物が、西だけでなく、北にも溢れていた。

 俺達と同じように、進路を北に変えて逃げる人間を追って、進路を変える魔物もいる。

 「不味いな。追ってくる魔物がいる。」

 「とにかく、逃げるしかありません。足の動きを緩めないでください。」

 数はだいぶん減ったが、追いかけてくる魔物も少なくない。

 常忠の言う通り、今は嘆いている暇はないのだ。

 今は走るしかない。

 その後ろを魔物達が追いかけてくる。4つ足の魔物は足が速い。

 逃げる人の中から脱落者が現れ始めた。

 追いつかれた人から魔物の餌食になっていく。

 犬の魔物や猫の魔物、猿や蛇の恰好をした魔物が逃げるのに脱落した人間を頭から噛み殺していく。

 辺りには血が散乱して、人間の遺体に魔物が群がる。

 魔物たちは、引きちぎった腕や足をむさぶり喰っている。


 人が一人、魔物に捕まると、その間だけ時間を稼ぐ事ができた。

 「おい、常忠。人が魔物に喰われている。誰も助けないのか。」

 「・・・慶之様。あの数の魔物は無理です。」

 「人が死ぬんだぞ・・・。誰も・・・、誰も助けないのか。」

 「助けないのではなくて、助けられないのですよ。慶之様。」

 常忠は走りながら、俺の言葉に呆れている。

 「でも、やってみないと分からないじゃないか。」

 「分かりますよ。仮に2人で魔物に飛び込んでも、無駄死にすることは。」

 「王国軍の兵はいないのか。民を助ける為に戦うのが兵士だろ!」

 「どうしたんですか、慶之様。民を助ける為に戦う兵なんてこの世界にいませんよ。兵は自分の主君である王や貴族の為に戦うのですから。」

 城内の兵も我さきにと逃げている。

 前世の常識がこの世界で通らないことを思い知らされた。

 俺の考えが、この世界の非常識なのだ。

 この世界の人の命は非常に軽い。

 「そうか・・・そうだな。この世界では、俺の考えが間違いだったな。」

 「はぁ、何がこの世界ですか、とにかく、誰も魔物からは助けてくれません。逃げ切るか、死ぬかの2択です。」

 助ける力の無い俺が、偉そうに人を助けろとは、確かにお門違いだ。

 「すまなかった。今は生きる為に逃げることだ。」

 「そうです。慶之様は時々、おかしなことを言う。まぁ、いつものことですが、今はそんな冗談に構っていられません。早く、魔物から逃げます。」

 ようやく北の城門に着くが、案の定、兵士たちは逃げて門は開けっ放しだ。


 そのまま、北の門を潜って、【曲阜】の城外に出た。

 それでも、魔物たちは追い駆けてくる。

 もう一度、後ろを振り返ると、多くの人が北門をくぐって城の外に逃げている。

 後ろには、たくさんの魔物が追いついてきている。

 後方を走る人が魔物に倒される。その人の遺体に魔物が群がり、喰らいつく。

 少しは圧力が減ったかと思うと、後ろから新たな魔物が現れる。

 自分たちも餌にありつこうと、もの凄い速度で追い駆けてくる。

 中には4足歩行ではなく、2足歩行で両手に斧や鎌を持った魔物もいる。

 だいぶん後方になるが、鴉や蛾、蝙蝠のような空を飛ぶ魔物も、こちらに向かってくるのが目に入る。

 「常忠。俺達は生き伸びられるか。」

 「分かりません。とにかく走るのを止めないこと。止めたら死にます。」

 「そうだな。走るしか無いな。どうせ死ぬ時は、死ぬ。」

 前世では、簡単に死んでしまった。

 それが、俺にとって強い心の残りになっていた。

 姉に恩返しができなかった・・・。

 この世界でも、厳しいが俺に甘い親父殿や、母上、兄妹へ感謝している。

 柄ではないと思いながらも、文官として官僚を目指す気になったのは、生きる為でもあるが、親父殿や家族に恩返しをしたいからだ。

 『だだ、・・・こんな所で、もう死ぬわけにはいかない。』

 今度は、しっかりと家族に恩を返す為に生き延びると心で叫ぶ。

 とにかく、ここから生き伸びることが大事だ。

 「慶之さま。あそこに、山が・・、山が見えます。あの山に逃げ込みましょう。」

北東の山を常忠が指さしたのであった。

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