異世界戦記 虹の王

あらいぐま

第一章 

第1話 七色の流れ星

 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ・・・・。

 剣で長い草を刈る音が、静寂に包まれた暗闇に響く。

 音は、俺たちの目の前まで近づいて、あともう少しで剣は俺たちを捕らえる。

 「楊家の残党はいたか?」

 「この暗闇では、発見できません。」

 「確かに、この草原に入ったのを見た者がいる。探せ!」

 今日は、二つの月が姿を消す新月の夜。

 蔡家の兵士たちは、暗闇の草原で落ち武者狩りをしていた。

 彼らは腰ほどの高さまで生い茂った草を剣で刈りながら、俺たちを探している。

 『まだ、この辺りにいるはずだ。探せ!』

 蔡家の兵士の声がすぐ近くで響き、彼らが間近にいるのが分かる。

 息を殺し、兵士たちの声や剣で草を刈る音に全神経を集中させる。


 (・・・まずい・・・見つかってしまう・・・。)

 恐怖が俺を襲う。走り出したい気持ちで一杯だが、ここで音を立てれば確実に見つかるだろう。


 俺は、隣で一緒に息を殺している王常忠を見る。

 常忠は顔を横に振り、『動くな』と目で語りかけた。

 (・・・あともう少しで、兵士の剣が俺に当たりそうだ・・・。)

 俺の額から、冷たい汗が一筋流れ落ちる。

 音を立てないように注意しながら、剣の柄を強く握り直す。


 『おい、それ以上奥に進むと、本隊と離れ過ぎだ。一旦戻って違う方向を探せ。』

 『そうか、分かった。暗くてよく分からないが、だいぶ奥に入り込んでしまったようだな。』

 兵士の足音が止まった。

 草を刈る剣の動きも止まる。

 もう少しで俺たちの体に触れそうだった剣が、向きを変えて離れていく。

 (・・・助かったのか?・・・)

 確かに、暗闇の中で一人が突出して進むのは危険だ。見えない崖や、魔物が潜んでいるかもしれない。

 兵士の仲間が、隊から離れすぎた兵士を呼び止めた。

 呼び止められた兵士は、他の兵士たちと離れすぎていたことに気づき、来た道を戻っていった。

 その声が、俺たちを救った。


 蔡家の兵士たちはしばらく辺りを探していたが、やがて先へ向かって走り去った。なんとか助かった。これで一緒に隠れていた常忠に声を掛けることができる。


「ふぅ…蔡家軍の兵士に見つからずに済んだな、常忠。」


「はい、慶之様。しかし、まだ油断はできません。」


「そうだな、まだ逃げ切れていないからな。」


「はい。もうすぐ夜が明けます。今のうちに、少しでもこの地から離れましょう。とにかく、北西に向かいましょう。」


「そうだったな…。」


 実家である楊公爵家は、蔡辺境伯の軍によって滅ぼされてしまった。

 蔡辺境伯は、同じ大陳国の三大貴族の一角を担う勢力だ。

 その蔡家が、まさか同じ三大貴族の一つである楊公爵家領に突然攻め込んでくるとは、誰もが予想していなかった。

 完全な奇襲だった。

 しかも、大陳国の王は、卑劣な奇襲を仕掛けた蔡家を支持した。

 若き新王——わずか四歳の王は、ただの子供に過ぎず、蔡辺境伯の傀儡でしかなかった。蔡家の言うままに、楊公爵家の討伐を支持したのであろう。


 奇襲を受けた楊家にとっては、まさに青天の霹靂で、戦いの準備などまったく整っていなかった。

 楊公爵である親父殿は、戦いを止めようと動いた。

 侵攻してきた蔡家軍の本営に、白旗を掲げて単身で出向き、楊公爵家に侵攻する蔡家軍に正義がないことを説明しようとしたのだ。

 だが、親父殿の説得は無駄だった。

 そもそも話もできずに、蔡家軍の本営で無惨にも首を討たれてしまった。

 楊家軍が籠る城郭都市【楊都】に戻ってきたのは、楊公爵である親父殿の首だけ。そしてその首は、城門の前に掲げられたのであった。


 掲げられた親父殿の首を目にした城内は、混乱の渦に包まれた。

 仇を討とうと士気を高める者もいれば、親父殿の死に悲嘆に暮れる者もいた。


 この【楊都】の城郭都市が一か月以上も持ちこたえた。

 このような状況で籠城したら、本来ならまともな抵抗もできなかっただろう。

 しかし、親父殿を失ってから、【楊都】を支えたのは二人の兄だった。

 長男の義之兄は城門の上で指揮を取り、蔡家軍の猛攻を何度も押し返した。

 次男の剛之兄は鎧騎士に搭乗し、城門から撃って出た。

 剛之兄の魔力階級は王級(魔力階級7つの中、上から2番目)であり、彼が騎乗した鎧騎士は無敵で、蔡家軍の鎧騎士を何十騎も葬った。妹の琳玲も剛之兄の後について出撃し、何騎もの蔡家軍の鎧騎士を倒していた。


 そんな厳しい籠城戦の中、俺は何もできなかった。

 後方で兵糧の準備をしたり、雑用をすることしか出来ない。

 二人の兄と妹が兵を鼓舞し、敵に向かって戦う中、俺は戦いでは何の役にも立たない兵卒の一人でしか無かった。

 俺が役に立たないのは、俺には魔力が無いからだ。

 この世界の戦いは、魔力を持つ者が支配している。もっと言えば、魔力を持っている騎士が操縦する鎧騎士が戦いの命運を握る。

 鎧騎士は人型の大型ロボット兵器で、戦場での最高戦力だ。

 この鎧騎士を動かせるのは、一定以上の魔力を持つ騎士だけだ。

 だから、魔力のない俺は一般兵として戦うしか無かった。しかも、楊家の一族なので、危ない戦いは任せられないと、後方の安全な部署に配属されていた。


 兄たちや妹は苦しい戦いの中で、本当に頑張った。

 そんな時でも、2人の兄や妹は後方の仕事しか出来ない俺に気を遣ってくれた。

 俺は後ろめたさに、打ちひしがれた。

 だが、前線にでても、魔力の無い俺では何も役に立たなかった。

 戦線は厳しかった。

 どんなに兄たちや妹が頑張っても、三人だけの力では戦局を覆すことは出来ない。 

 ほとんど奇襲のような形で攻め込んできた蔡家軍に対し、楊家軍は戦う準備が整っていなかった。

 その上、親父殿を失ったために兵の士気が低下したことが響いた。

 日が経つごとに戦況は厳しくなり、1か月近くに及ぶ籠城の末。ついに城郭都市【楊都】は陥落した。長兄である義之兄、次兄の剛之兄の二人は楊家を守るために戦死し、多くの楊家軍の兵士たちもまた命を落とした。


 俺も楊公爵家の男として、戦いで死ぬ覚悟を決めていた。

 だが、死ぬことすらできなかった。

 敵の放った魔弾砲で城壁が崩れ、俺は瓦礫の下敷きになってしまっていた。

 頭を強打して気絶していた俺は、気がつくと従者の常忠に背負われて逃げていた。

 彼は、兄たちから俺を城外に逃がすように命じられていたらしい。気絶していた俺を見つけると、俺を背負って、数名の兵士と城外に逃げたのであった。


 一緒に逃げた兵士たちは、追手から俺を守るために何人かがその場に残り、その度に姿を消していった。そして遂には、俺が目を覚ましたときには、常忠と二人だけになっていた。


 俺と常忠は、暗闇の中、蔡家軍の追っ手から身を隠しながら必死に逃げ続けていた。さっきも草むらに隠れていたところを蔡家軍の兵士に見つかりかけたが、なんとか難を逃れた。


 「慶之様、琳玲お嬢様は西の大商国へ。慶之様は北西へ向かって逃げます。これは楊家の家督を継がれた長兄の義之様のご命令です。何とか生き延びて楊家の仇を討たねばなりません。最悪でも、どちらか一人でも生き延びるのです。」


 楊家一族の生き残りは、俺と次女の琳玲だけだ。兄たちは、俺たちを逃がすために別々の方向へ行かせた。一人でも生き延びる可能性を高めるためだ。もし二人が同じ方向に逃げたなら、二人とも捕まる可能性が高くなってしまう。


 「生き延びたとしても、俺には力がない。」


 「何を弱気なことを。力がなければ、これから力を蓄えればいいのです。仲間を集め、10年、いや20年かかるかもしれません。それでも、必ずや親方様や義之様、剛之様の仇を討たなければなりません。そのために、私も人生を捧げます。」

 常忠は親父殿のことを「親方様」と呼んでいた。


 「気持ちはありがたいが、常忠。お前は、侍従長の王常之の三男で俺の従者にすぎない。楊家に命を賭ける必要まで思いつめなくても良い。ここまで助けてくれただけでも感謝している。それに、魔力のない俺とは違い、お前は将級魔力の持ち主だ。どこの貴族でも、喜んでお前を雇う。助けてくれるのはありがたいが、無理をするな。嫌になったらいつでも言ってくれ。」


 常忠は俺の従者だが、侍従長の三男だ。

 この世界で貴族の侍従長は地位が高い。

 貴族の家の中の事だけでなく、領地運営も担っていた。

 侍従長は貴族の一族の有力な分家が担う役職であった。

 三大貴族の楊家の侍従長であれば、小領の貴族よりもよっぽど力を持っていた。そして代々、侍従長の子供たちは、楊家の子供たちの従者を担っていた。王常之の長男が義之兄の従者を務めている。


 「慶之様、私は親方も義之様、剛之様も尊敬していました。それに、蔡辺境伯のやり方には耐えられません。楊家一族の仇を討つために、私の人生を賭けます。」


 常忠の魔力は強い。

 名門の侍従長の一門の魔力階級も楊家並みに高い。

 彼の魔力階級なら、どこの貴族も競って彼を雇うだろう。この世界では、武人の評価は魔力で決まる。そして、魔力の強弱は魔力階級で決まる。魔力階級の高い者は、戦力を高めたい貴族からも引っ張りだこである。


 魔力階級は7つの階級に分かれており、それらは上級魔力と下級魔力の2つに分類される。

 上級魔力には、①神級魔力、②王級魔力、③将級魔力、④特級魔力の4つがあり、   

 下級魔力には、⑤下級魔力上位、⑥下級魔力中位、⑦下級魔力下位の3つがある。  

 上級魔力以上を持つ者だけが鎧騎士を操縦できるため、貴族や陪臣として優遇される。一方、下級魔力では貴族としての地位は持たず、鎧騎士を操縦する力もない。しかし、魔力があるだけまだ良い方で、魔力のない俺など、誰も相手にしない。貴族の子供が魔力を持たなければ、変な噂が立ち、勘当されるのが普通だ。


 それに、常忠は魔力だけでなく武術にも優れており、俺の武術の師匠でもある。とにかく、常忠は楊家が滅んでも、俺とは違って生き延びる力がある。


 「妹の琳玲は無事に逃げ延びただろうか…」


 「大丈夫です、慶之様。東には南東軍がついています。南東軍が琳玲様を、そして楊家を裏切ることはありません。南東軍の総司令官である朱義忠将軍は、決して楊家を裏切るような方ではありません。」

 南東軍とは、大陳国の南東の国境を守る国軍である。

 南東の国境には大商国が接しており、南東軍の総司令官は代々楊公爵家から輩出されていた。ついこの前までは、剛之兄が南東軍の総司令官であったが、今は、剛之兄の片腕だった朱義忠将軍が総司令官になっている。

 南東軍は国軍であるが、国境を守るためには周辺の有力な貴族の協力が不可欠なので、国軍の総司令官には歴代、その地域の大貴族が管轄していたのだ。


 大陳国の国境が南が海、西は天望山脈で東西が遮断されており、北と東だけが他国と接している。

 接している他国は、北の大国である大魏国と、北東の小国の大成国、もう一つ南東の小国の大商国の3つである。

 北軍:三大貴族の一角である蔡辺境伯家

 北東軍:三大貴族の一角だった蘭辺境伯家(現在は不在)

 南東軍:我が楊公爵家(総司令官の朱義忠が指揮)

 蘭辺境伯家は既に蔡辺境伯家に滅ぼされ、北東軍は現在蔡辺境伯家の支配下にあるが、南東軍はいまだに朱義忠が軍を掌握し、蔡家軍の支配下には入っていない。


 「そうだな、朱義忠将軍なら楊家を裏切ることはないと断言できる。彼は名の通り、忠義の将だ。問題は…妹の琳玲たちが南東軍と合流できたかどうかだ。」


 「そうですね。合流できるかどうかは、神である始祖様にお祈りするしかありません。始祖様も、そこまで楊家に厳しく当たらないと思いますが。」


 「そうだな、何としても妹の林玲には南東軍に合流してもらわないとな。なにせ、南東軍を指揮できるのは妹の琳玲だけだからな。俺じゃ、南東軍の将兵が従うかは怪しい。なにせ、俺には魔力が無いからな。だが、琳玲は違う。琳玲は剛之兄と同じ王級魔力を持っている。琳玲なら皆が黙って従ってくれるはずだ。」

 南東軍の朱義忠将軍は、今まで総司令官だった剛之兄を支えてきた将軍だ。

 魔力階級は大陳国に9人しかいない最上級の神級魔力を持つ。

 朱義忠は魔力と強さだけの武人で無かった。

 戦術の指揮も卓越しており、部下からの信頼も厚い。さらに、忠義にも篤い名将として知られている。

 剛之兄が【楊都】に応援に行っていた際、総司令官代理を朱義忠に任さた。

 そして、剛之兄が籠城戦で亡くなっても、朱義忠はそのまま南東軍の総司令官として指揮を執り続けていた。

 彼は、楊家が滅亡したからといって楊家を切り捨てるような人物ではない。きっと妹の琳玲を支えてくれるはずだ。


 「慶之様には慶之様の良さが、琳玲様には琳玲様の良さがあります。自分にないものを持っている者と張り合っても仕方がありません。それより今は何としても生きてここを脱することが重要です。早く行きましょう。夜のうちに【楊都】の近隣から少しでも離れる必要があります。」


 「そうだな。」

 俺たちは一旦、南に進路を取った。

 目指す方向は北西なのだが、俺たちを追っていた蔡家の兵士が西に向かったので、蔡家兵の目を紛らわすためにも一旦進路を南に取ったのだ。

 南に向かって歩いて、結構な時間が経つ。すでに一刻(約4時間)は経っている。  

 月の照らさない夜はすでに日付も変わっている。

 変わったのは日付だけじゃない、年も改まっていた。

 前世の世界なら今日は正月だが、こっちの世界では年が改まっても何にもない。ただの暦で1年の始まりの日に過ぎない。まあ、仮にこの世界に正月を祝う習慣があったとしても、今の俺たちにはそんな余裕は無かった。

 とにかく日が変わっていた。

 辺り一面は相変わらず真っ暗で、物音ひとつしないほど静かだ。

 もう、俺たちを追って来る蔡家軍の兵士を巻くことはできだろう。


 「常忠、だいぶ【楊都】からは離れたかな。」


 「そうですね、ですが油断は禁物です。今のうちに少しでも距離を稼ぎます。」


 明るい場所だと顔が割れる。

 顔を見られない夜の内に、少しでも動いた方が良い。


 「そうだな。もう日付が変わったな。ところで、常忠。今日、俺が15の成人になった日なのは知っていたか。」


 「はい、当然知っていました。慶之様の誕生日は覚えやすいですからね。」


 こっちの世界は、正月も誕生日を祝う習慣も無いが、15歳の大人になった日だけは祝う習慣がある。

 前世では20歳で大人と認められたが、こっちの世界はもっと早く15歳で大人として扱う。特に貴族では、大人になる成人の日を過ぎると、戦場で戦士として戦うので一人前の騎士になったのを祝うようだ。

 「まぁ、成人の日と言っている場合ではないが・・・。」


 「愚痴を言っても仕方がありません。あっ、何だあれは、慶之様。あれを・・・。」

 急に常忠は話を止めて、東の空を指差した。目で常忠の指先を追うと、そこには今まで見たことのない景色が映っていた。


 「常忠。なんだ、あれは・・・あれは流れ星か。あんな大きな流れ星を見たことが無い。しかも2つの星が・・・。」

 暗闇の中で、七色に光る2つの大きな流れ星が、夜空を走るように流れている。


 「こんな大きな流れ星、私も初めてです。しかも七色に光ってますよ・・・。」

常忠は流れ星に見とれていた。東の方を一点に見つめている。まあ、あれだけ大きくて綺麗な流れ星なんて俺も見たことが無い。思わず壮大な光景に、俺も目を奪われて立ちすくんでしまった。


 「・・・常忠。あの流れ星は大き過ぎないか?」


 「確かに、大き過ぎるような気がしますね。」


 「それに地上に近すぎないか。ずいぶん低い位置をあの流れ星は飛んでいるじゃないか。普通の流れ星は、手が届かないほどの高い夜空を流れるんじゃないのか。」


 「・・・そうですね。確かに、低いですね。」


 「この高さなら、地面に落ちるぞ。」


 「まさか。考え過ぎですよ、慶之様。落ちませんよ。」


 「いや、あれはマズいぞ。こっちに向かってくる。」

 7色に光る流れ星が2つ、こちらに向かって飛んでいる。さっきから高度が少しずつ低くなっている気がする。いや、気がするのではなく、確実に高度が低くなっている。(もしかしたら、この辺りに墜落するか?)

 もし、あの七色で明るく輝く大きな流れ星・・・というより隕石が地面に衝突したら、この辺りに大惨事が発生するだろう。そうすれば、蔡家の兵士も楊家の残党狩り所ではなくなるが・・・。


 「この辺りに落ちませんよね。」

 常忠は不安そうな表情で俺を見た。


 「・・・分からない。だが、流れ星の一つはこの辺りの近くか。少なくともこの国のどこかに墜落するだろうな。」


 2つの流れ星のうちの一つが西に向かっている。そして、もう一つは北西に向かって飛んでいた。

 2つの流れ星の内、この国に墜落するとしたら、西に向かっている流れ星の方だ。西に向かっている流れ星の飛ぶ高度が低い。大陳国の西の国境の天望山脈の手前あたりか。どちらにせよ、この国のどこかで墜落しそうなのは間違いない。

 常忠は不安そうな表情で俺を見た。


 「慶之様、あの流れ星、落っこちそうですよ・・・。この付近に落ちたら、巻き添いです。逃げるにしても、どこに逃げたら良いか分かりませんし・・・。」


 「まぁ、なるようになるさ。流れ星が頭上に落ちて死ぬか、蔡家軍に見つかって死ぬか。死なないで生き残るか。焦っても仕方がないな。」

 2つの流れ星のうちの一つで西に向かって飛んでいる流れ星がだいぶん近づいてきた。高度も低い。


 「確かにそうですが・・・。」

 流れ星を見て、いつもは堂々している常忠が珍しく及び腰だ。


 「それに、逃げても無理だ、常忠。どこに落ちるか分からないしな。逃げた場所に流れ星が落ちるかもしれないか・・・うっ・・・い、痛い。頭が・・・。」

 流れ星を凝視していると、突然、強烈な痛みが頭に走った。あまりの痛みに、両手で頭を抱えて、その場にしゃがみ込んでしまう。


 「い、痛い。頭が割れる。い、痛い・・・。」

 強烈な頭痛が襲い、思わず悲鳴を上げてしまった。頭が割れるほどの痛みを耐えていると、無機質な声が頭に響いた。


『巡り合う・・・もうすぐだ。もうすぐ・・・目覚める。その力で救え。民を救え・・・世界を征して、魔神を・・・。』

 無機質な声の念話がきこえる。その声と頭の痛みと連動して、頭の痛みがますます強くなった。


 「ううう、痛い・・・頭が割れる。誰だ、止めろ、止めてくれ・・・。」

 頭の痛みが益々大きくなり、悲鳴を上げる。


 『巡り合う。目覚める。もうすぐ・・・民を救え。世界を征し・・・。』


 「と、止めろ。誰か止めてくれ。頭の痛みを・・・痛い。誰だ、誰なんだ。頭の中で叫ぶのは。」

 苦しむ俺の様子を見て、常忠が心配そうに声をかける。


 「慶之様、大丈夫ですか。どうなされたんですか?」


 『・・・を得て・・・力を併せ・・・、民を救え、魔神の手から・・・。』

 流れ星が近づくにつれ、無機質な声と頭の痛みが増していく。


 「痛い、やめろ。誰だ・・・俺の頭の中に語り掛ける奴は。」

 それでも、頭への念話の声は止まらない。


 「どうしたんですか、慶之様。誰と話しているのですか?」

 常忠が、苦しむ俺に必死に声を掛ける。うずくまる俺の肩に手をかけて話しかけるが、あまりの痛みで、常忠の声が頭に入って来ない。


 「・・・痛い・・・頭が・・・。」

 頭の中で念話の声が響く。


 『救え・・・。もうすぐに巡りあう。その・・・民を救うのだ・・・。』

 突然、念話が止まった。

 それと同時に、俺の頭の痛みも消えた。

 (いったい、何だ、何があったんだ。)

 痛みが消えて、うずくまって頭を抱えていた姿勢を解いて顔を上げると、そこには心配そうに俺を見ている常忠の顔があった。


 「大丈夫ですか、慶之様。」


 「ああ、急に痛みが無くなった。心配してすまない。」

 頭上が止んで楽になって夜空を見上げた。すでに流れ星はなくなっていた。

 

 「流れ星ですか、西に向かう流れ星はすでに頭上を通り過ぎました。どうやら、私たちの周辺への墜落は避けられたようです。」

 常忠も顔を上げて、西に向かった流れ星について教えてくれた。

 そして、もう一つの流れ星も、西に向かった流れ星とは別の軌道で北西に向かって墜ちていったらしい。

 夜空には流れ星は消えていたが、流れ星が通り過ぎた後の7つの光の残滓が輝いていた。その7つの光の残滓は、まるで狐の尾を描いているようで、今まで見たことのないほどの美しい光景が夜空に残っていた。

 

 「本当に綺麗いだな、あの光は。」


 「そうですね、私は流れ星をこんな近くで見たことも、こんな綺麗な光の残滓は見たことがないですよ。」


 「そうか、俺も無い。だが、本当に綺麗だな。」

 光の残滓はしばらく輝いた後、空の闇に溶け込むように消えていった。

(何だったんだ・・・あの痛みは。)

 あの頭痛は、誰かが話した念話と関係がありそうだ。

 念話の声の大きさと痛みが比例していたように思える。それと、あの念話の言葉の意味はいったい何なんだ。俺に何かを伝えたかったようだが・・・。

 

 「それで、もう痛みは大丈夫なんですか。」

 常忠が心配そうな表情で尋ねた。


 「ああ、今は痛みはない。あの流れ星が近づいたときに、頭の中で変な念話が聞こえて、頭が急に痛くなったんだ。痛みで思わず悲鳴を上げてしまって申し訳ない。そして今度は、突然、念話の声が消えた。そうしたら痛みも消えていた。」


 「念話ですか・・・。ここには私と慶之様しかいません。念話で慶之様に話しかけたのは何者なんですか。」


 「俺にもよく分からん。聞いた事の無い声だった。流れ星が近づいてくるのを見ていたら、突然に念話の声が聞こえて、誰が話しているかは全く分からなかった。」


 「そうですか。それで、なんと言ってきたのですか?」 


 「もうすぐ、『巡り会う』とか、『目覚める』とか、『民を助けよ』とか言っていたような。魔神を倒せとも言っていたな。とにかく、俺には意味が分からん。」


 「念話ですか、それに『巡り会う』とか『目覚める』といったキーワード・・・。これは私の想像ですが、慶之様に語り掛けたのは七色の光を放つ流れ星じゃないですかね。『巡り会う』とか『目覚める』とかは、慶之様に何かの力に巡り会う。」


 「どうしたんだ、常忠。ずいぶん、想像力が豊かだな。よく考えて見ろ、流れ星が言葉を話すわけがないだろう。」


 「確かにそうですが・・・これは、もしかしたら流れ星のお告げじゃないでしょうか。」


「お告げ?」

 この世界では、お告げや神託、讖緯(しんい)などの予言が存在する。

 聖大陸の神は、千年前に聖大陸を統一し、魔神を封印した始祖と呼ばれる存在が神格化されていた。

 神と言えば、始祖を意味する。

 讖緯とは神である始祖が啓示を与える時には特異な自然現象の事を言った。例えば、縁起の良い火鳳凰(ひほうおう)が出現すると、始祖がその国の王の政治を褒めている。とか、逆に自然災害が起きると、その国の王の政治を始祖が戒めているといった風に、始祖の意思を自然現象によって地上に知らせるのだ。


 「きっとそうです。『力を得る』という念話は『お告げ』ですよ。きっと、これから力を得ると言う始祖様の言葉を、流れ星が慶之様に念話で伝えたと考えれば話の筋が通ります。きっとこれはお告げ、お告げですよ!」

 ずいぶん、常忠のテンションが高い。

 確かに、この世界は魔法やら魔物やら得たいの知れない未知の力が多いので、お告げや神託、讖緯のようなものを信じたい気持ちは分かるが・・・。

 あんな物は宗教が自然現象を神託と言ってこじつけているにすぎない。

 常忠も楊家を復興する為に何かにすがりたいのだろう。


 (だが、さすがに『お告げ』はないな。星が話すわけないし・・・、神がいるなら、楊家が滅ぶ前に助けるはずだ。常忠が神にもすがりたいんだな。すまない、俺が魔力無しで不甲斐ないばかりに。)


 「そうか、お告げか・・・、そうかもな。だが、今は早く蔡家軍の手から逃げなきゃいけないな。」

 ここで、常忠の期待を否定してはいけない。常忠も必死なのだ。


 「そうですね。今は、少しでも遠くに離れましょう。でも、私はあきらめません。きっと、慶之様には魔力が発現するはずです。」

 常忠の後半の言葉には、彼の希望が込められていた。

 魔力の保有者には、生まれながらに魔力を持つ先天的な魔力保有者と、突然魔力が芽生えた後天的な保有者がいる。常忠が期待しているのは、何かのきっかけで魔力が芽生える後天的な魔力の発現だ。流れ星の声(念話)が、そのきっかけになるのかと期待したのだ。

 しかし、俺に魔力が発現するのは有り得ない。

 常忠には申し訳ないが、俺に魔力が発現しない理由が分かっている。

 そう・・・その理由は、俺がこの世界の人間ではないからだ。


 俺は15年前に地球からこの世界にきた転生者だった。

 本来、魔力は遺伝する。名門貴族の楊公爵家の一族であれば、魔力を持って生まれてくるのが当たり前だ。

 楊家のような高級貴族で魔力を持たない子供が生まれるなんてありえない。

 次兄の剛之兄と妹の琳玲は王級魔力を持っており、長男の剛之兄と長女で申家に嫁に行った長女の翔麗は将級魔力を持っている。

 魔力がないのは俺だけであった。

 魔力が遺伝しない理由は、俺が異世界から来た人間としか考えられなかった。

 俺は前世では当然、魔力など持っていなかった。

 だから、心の中で、魔力が無い自分に納得していた。


 しかし、両親や兄たち、妹の家族は納得していなかった。

 悪意というよりは、家族の一人が思い病に罹っていると心配する感じだ。

 貴族にとって魔力の有無が存在価値であり、強さそのものであったからだ。その魔力が無いことは貴族として存在価値を示すことが出来ない事を意味する。

 二人の兄は何とかして弟の病を、妹の琳玲は兄の病を治したいと思ってくれた。

 義之兄は魔法の家庭教師を探したり、剛之兄、琳玲が戦い方や魔法を親身に教えてくれた。

 俺が無理だと諦めているのに、家族はあきらめずに、根気強く俺に魔力が芽生えるように力を注いでくれた。前世の記憶を持つ別の世界の男を、本当の家族のように暖かく受け入れてくれた。

 それが、俺にとってはつらかった。

 別の異世界から来た男が、楊家の家族を騙していると思えたからだ。

 

 俺はこの世界だけでなく、前世でも家族に迷惑をかけた。

 俺の前世の職業は医師だった。

 ただし、医者であっても金持ちの家に生まれたわけではない。

 むしろ、極貧の家庭で育った。姉弟は6人姉弟だったが、一番下の妹は小さい頃に肺炎をこじらせて亡くなっている。実質5人姉弟で祖父に育てられた。

 医者になろうと思ったのは、妹を救えなかった懺悔の念からだったのだろう。

 両親は小さい頃に亡くなり、祖父が一人で5人の子供を育ててくれた。極貧でいつも腹を空かせていたが、それでも姉弟は仲が良く、楽しかった。


 家族の中で、俺の頭脳はずば抜けていた。

 数式でも化学記号でも一度見れば理解できた。それに記憶力も良かった。

 一度読んだ本は頭の中に転写されたように記録が残り、いつでも引き出すことができた。

 本を買う余裕がなかった俺は、図書館や学校の図書室で本を読んで、その内容を理解して暗記した。おかげで、学校の成績はいつも学年でトップだった。塾に行ったことはなかったが、テストの点が良かったのはその理解力と記憶力のおかげだ。


 学業の成績は良かったが、高校を卒業したら働くつもりだった。

 祖父が亡くなり、さらに貧しくなっていたからだ。

 そんな俺に大学を勧めたのが姉たちだった。3人の姉にとって、俺は貧しい暮らしの中で希望だったのかもしれない。3人の姉は高校を卒業すると、自分たちが働いて俺を大学まで入れてくれたのだ。しかも医学部なので6年かかる。

 そして、俺は優秀な成績で国立大学の医学部を卒業し、有名な某大学病院に就職することができた。俺はこれで姉達に少しでも、恩返しができると思った。

 姉たちには返しきれないほどの恩がある。少しでも早く出世して、金を稼いで姉たちに恩返しがしたい。

 寝る間も惜しんで勉強し、医術を磨いて、多くの患者を診た。


 「あと少し、あともう少しだ。これで、姉たちに恩を返せる・・・。」


 しかし、俺の願いは願望のままで終わってしまった。

 その日も夜勤だった。

 夜勤明けで、家に帰る為に乗ったタクシーが交通事故に巻き込まれてしまった。

 次に目が覚めると、そこは知らない世界だった。

 周りには知らない人々が、知らない言葉で話して煩かったのを覚えている。それが、俺がこの世界に転生した初めての日だった。

 そう、俺は前世で死んで、この世界に転生したのであった。


* * *


「起きてください、慶之様。」

 陽が明けていた。楊家の居城が陥落してから、すでに2日が経っていた。東から昇る太陽の光が眩しい。目を覚ますと、野宿で点けた焚火の火の燃えカスがまだ燻っていた。

 俺たちの進路は、一旦南に向かって蔡家の追っ手を巻いた後、北西に向かっている。現在の目標は大鄭国だ。大鄭国は小国で縁がある国ではないが、とにかく大陳国から出なければ動きにくい。また、反対方向の東に向かった妹の琳玲への追っ手を減らすことにもなる。

 楊家全体の復讐と復興の期待は、俺よりも妹の琳玲の方に向かっている。

 なにせ、琳玲は王級魔力を持っており、俺には魔力がない。だから当然、期待されるのは琳玲の方だ。琳玲は南東軍に合流するため東に向かっている。そろそろ合流していてもおかしくない。

 もし琳玲が南東軍と合流できれば、南東軍の士気も上がるだろう。

 琳玲は琳玲で南東軍との合流という役割を果たし、俺は俺で、常忠と2人で逆方向の北西に向かうのが今の役割だ。


 「常忠。追っ手の状況はどうだ?」


 「今のところ大丈夫です。蔡家軍は西に進んでいます。おそらく楊公爵家の寄子貴族である申家、魏家、羅家の南3家を潰すつもりかと思われます。この辺りには蔡家の兵が少ないようです。」


 「蔡家軍は楊家との関係のある貴族を根こそぎ滅ぼして、自分の反対勢力を削るつもりだろう。俺に力があれば、寄子貴族の南3家を助けてやりたいが・・・特に申子爵家には長女の翔麗姉が嫁いでいるからな。」

 寄子貴族とは、寄り親である大貴族に面倒を見てもらっている貴族のことだ。

 簡単に言えば、寄子は寄り親である大貴族の子分のような存在である。

 大貴族である楊公爵家が寄り親となり、南3家と呼ばれる申子爵家、魏男爵家、その他の男爵家の面倒を見ていた。その代わり、寄子は寄り親の命令で軍を出すこともあった。

 寄り親と寄子は家族のような関係であり、今回のように楊公爵家が倒されると、寄子の南3家が蔡家の攻撃に晒されることになる。


 「今の私たちにはその力はありません。南3家には悪いですが、今のうちに北へ向かいましょう。長南江を北に渡れば、一息つけます。」


 「・・・そうだな、残念だが、今の俺には南3家の為に役に立つ力はない。見殺しにして悪いが、自分たちで何とかしてもらうしかない。今の俺たちは、自分たちが生き残るかどうかの瀬戸際だからな。」


 「その通りです。とにかく、先に進みましょう。」


 「ああ。」

 俺たちは北に向かって炎天下の中、歩みを続ける。

 大陳国は聖大陸の南に位置し、気候は暖かい。湿気は少なく温暖な気候だ。

 しかし、今の冬の季節になると風が少し冷たく感じる。

 ただ、炎天下だと、その冷たい風も気持ちよく感じられる。


 「それにしても蔡家の連中は、本当に楊家が蘭辺境伯を匿っていると思っているのかな?」


 「それは言いがかりでしょう。楊家を攻略する為の。普通に考えれば、蘭辺境伯が楊家にいないのは誰もが知っています。」

 蔡家軍が楊家領に侵攻した理由は、楊家が蘭辺境伯を匿っているからだと主張している。奇襲をかけた蔡家の申出は『蘭辺境伯本人か、最悪でも首を差し出さなければ、楊家領を攻める』というものだった。

 しかし、楊家が蘭辺境伯本人や首を差し出せる訳が無い。なぜなら、蘭辺境伯が楊家領に居ないからだ。居ない人間を差し出せと言われても不可能だ。

 蔡辺境伯の言いがかりに過ぎないことは、誰もが分かっている。親父殿が蔡家軍の陣地に乗り込んで説明しようとしたが、その場で親父殿は殺されてしまった。


 蔡辺境伯も蘭辺境伯が楊家領にいないことは分かっているはずだ。

 だが、居ないことが分かって、主張しているから質が悪い。

 蔡辺境伯の狙いは、蘭家や楊家を滅ぼす事だ。本当に蘭辺境伯を捕まえようとは思っていない。そもそも、蘭辺境伯はすでに生きてはいないかもしれない。

 蔡辺境伯の目的は、奇襲で3大貴族の蘭家や楊家を滅ぼし、大陳国を牛耳ることにある。大陳国の国王の地位を狙っているかもしれない。

 そして、楊公爵家の失敗は、蔡辺境伯の真意を読めなかったことだ。

 まさか、こんな形で奇襲するとは、白旗を掲げた楊公爵を惨殺するとは、ここまで蔡辺境伯が本気で楊家を潰しに来るとは思っていなかった。

 戦う準備が出来ていなかった蘭家と楊家は滅んだ。そして、大貴族の2家を滅ぼし、蔡辺境伯は大陳国を実質的に手中に収めたのであった。


 「確かに蔡辺境伯は、蘭辺境伯が楊家に居るとは思っていなかっただろう。」


 「そうですね、慶之様。私もそう思います。私の勝手な考えですが、蘭辺境伯はすでに死んでいるんじゃないでしょうか。死んだ人間を生きているかのように振舞って、他国に侵攻する理由にしているのではないでしょうか。」


 「そうだな、たぶん、その通りだろう。」

 蘭辺境伯は、今は楊家から逃げて南3家が匿っている事になっている。楊家の一族はほとんどが殺されたのに、蘭辺境伯が逃げたと言うのもおかしな話だ。

 今回も、蘭辺境伯が申子爵家に逃げたのを見たという下級貴族の証言があったそうだ。まったく、おかしな話だ。

 この証言で、蔡辺境伯は南3家を攻略するための大義名分を得るのであった。


 話しながら進んでいると、廃墟となった城郭都市が目に入った。

 所々、城壁が壊れている。見た感じ、最近に破壊されたように見える。


 「これが、あの【曲阜】か。」


 「そうです。この廃墟が、1か月ほど前に魔物の大群に襲われた【曲阜】です。確か、襲われる前は3万人ほどの人口を有した大きな城郭都市だったと聞いています。」


 「1か月前か・・・、あの『魔物の乱』と同じ時期だな。王都が『魔物の乱』で魔物の大群に襲撃を受けて、破壊寸前になったのは有名だったな。同じ魔物が【曲阜】も襲撃していたんだな。王都が有名過ぎて、こっちは知らなかった。」

 『魔物の乱』とは、数千匹の魔物が集団で『魔物の領域』から溢れ出す『大瀑布』が事の発端として起きた事件だ。

 魔物の大群が王都を襲い、前国王まで殺されている。数万の領民も死んだ。

 楊家が滅亡するきっかけになった蘭辺境伯も絡んでいる。

 『魔物の乱』を引き起こした犯人は蘭辺境伯だ。

 本来、魔物は『魔物の領域』から出ない。その魔物が何かの理由で大群で領域から出るのを『大瀑布』と呼ぶ。大瀑布が起きるのは数百年に一度だ。

 その大瀑布が何かの理由で発生して、王都を襲撃した。

 王都の城門は高い。本来であれば魔物が襲来しても簡単に城内に侵入する事は出来ない。ところが、蘭辺境伯が王都の城門を開けて、魔物を城内に招き入れた。これが、『魔物の乱』の始まりだった。その混乱の中で、蘭辺境伯は当時の10歳の国王を殺害。蘭辺境伯は国王を殺した後、自領の蘭辺境伯領に逃げ、次に楊家領に逃げ、そして今は南3家の領に逃げていることになっている。


 「王都に魔物が襲来して、混乱の極致に陥ったんだな。」


 「魔物の数は3千匹以上と言われています。中には、魔力階級の高い魔物も居たでしょう。そんな魔物が、何十万も住む王都の中に侵入するとは、考えただけでも身の毛がよだちます。」


 「そして、その3千匹の魔物を倒したのが蔡辺境伯か。」


 「そうです。魔物を倒したのも、その後の後始末をしたのも蔡辺境伯です。」

 丁度、蔡辺境伯が王都から救援の狼煙を受けた時、蔡辺境伯は国王の命令で北の大魏国に攻め込む準備をしていた。

 すでに軍が収集されたタイミングで、王都が魔物に襲われたとの狼煙の報告を受けたのであった。

 蔡辺境伯は本当に運が良かった。

 収集してあった軍をそのまま引き連れ、王都に急行し、魔物を壊滅して王都を救ったのだ。ただ、蔡辺境伯が王都に着いた時は、前国王は蘭辺境伯に殺された後だった。蔡辺境伯は、まず王都の城内に侵入した魔物を壊滅させた。

 そして、城内の混乱が落ち着くと、直ぐに新たな国王を擁立したのであった。


 蔡辺境伯の迅速な動きは、新国王の擁立では終わらない。

 新国王から逆賊である蘭辺境伯を討伐する命令を自分に出させた。

 そして、間髪入れずに蔡家軍だけでなく、王都を守る禁軍も引き連れて蘭家領に侵入すると、蘭家を滅亡させてしまった。

 さらに『蘭辺境伯が楊家領に逃げるのを見た』という証言を下級貴族から得ると、休みもせずに楊家領にも侵攻し、楊公爵家を滅亡させたのだ。


 「その王都を襲った魔物たちが、【曲阜】も襲い壊滅させたというわけか。」


 「そうです、慶之様。魔物たちは【曲阜】で多くの人間を喰い殺し、人間の肉の味を覚えたと言われています。そして、人間の肉の味を覚えた魔物が、さらに王都でもたくさんの人間を喰い殺したとも。王都と違い【曲阜】には助けが来なかったので、廃墟と化しました。」

 常忠が説明しながら、廃墟と化した【曲阜】の都市をみている。ただし、周りの警戒をも怠らない。


 「【曲阜】の周辺の治安は、今は極端に悪化しています。周りに気を配りながら慎重に進んでください。」


 常忠の言葉に首を傾げる。

 「・・・分からないな。どうして魔物に壊滅された都市の治安が悪化するんだ?人が住んでいないんじゃないのか?」


 「慶之様、それは【曲阜】はほとんど全滅しましたが、それでも多少は生き残った人間がいるからです。生き残った人間は奴隷狩りに遭ったり、生きる為に自分自身が野盗になることがあります。ですので、この辺りは、奴隷狩りや野盗が多く、無法地帯になっています。」


 「そうか、奴隷狩りか・・・。奴隷は嫌だな。」

 楊家の紋章が刻まれた甲冑は逃げる途中で捨ててしまっている。

 今の恰好は、腰に剣を佩いているだけで、楊家の逃亡者には見えないはずだ。

 軽装の冒険者か、修行中の武人くらいに見えるのだろう。

 荷物は倒した魔物の腸を干して作った袋だけだ。

 常忠が、旅の途中で倒した魔牛妖の腸を乾かして袋を作り、燻製にした肉を入れて担いでいる。今の俺たちの食料はこの燻製にした魔牛妖の肉だけだ。


 しばらく北に進むと、常忠が歩みを止めた。

 

 「慶之様、あの先の岩に人の気配を感じます。岩の後ろで、待ち伏せでしょう。」


 「待ち伏せか・・・。野盗か奴隷商人か?」


 「面倒なら来た道を戻りますか。」


 「追いかけられる可能性もあるか。面倒だがここで迎え撃つか。どうせ、道を戻っても西には進まなければならない。どこかで、野盗たちには出くわすだろう。」


 「分かりました。ただし、敵の数が30人を超えたり、中に強い武人が居たら逃げます。良いですね、慶之様。」


 「ああ、分かった。」

 常忠にとっては、30人までの野盗なら、問題なく倒せる範囲なのであろう。

 腰に差した剣の柄に手をやりながら進む。

 岩に近づいた瞬間、数本の矢が放たれた。俺と常忠は周りを警戒していたので、すぐに剣を抜き、矢を切り落とした。

 剣の腕には多少は自信がある。

 前世で運動音痴で、全く運動がダメだったとは思えないほど、こっちの世界の俺の体のスペックは優れていた。運動神経も良く、体も軽い。重い物も片手で振り回すことが出来た。

 とにかく矢の奇襲を難なく防ぎ、次の行動に備えた。


 「おい、兄ちゃんたち、死にたく無ければ大人しくしな。」

 先頭の野盗の男が、クルクル回しながら2つの首輪を持って近づいてくる。

 たぶん、手に持っている首輪は『奴隷の首輪』だ。一度、首に嵌められると、主人しか外せない。

 また、主人の命令に背くと、首輪が締まって死ぬようになっている。奴隷につける首輪で、あの首輪を嵌められると、主人の命令には逆らえなくなる。


 「死ぬのはご免だが、野盗相手に大人しくするのも嫌だ。」

 常忠は将級魔力を持つだけでなく剣の腕も優れている。

 5人程度の野盗なら余裕で倒せるだろう。

 だが、すぐに左右から矢の奇襲を受け、相手は5人だけでないことに気付いた。

 左右に各5人程度の野盗が潜んでいた。

 (囲まれたか・・・)

 前に5人、左右に各5人の計15人が待ち伏せしていた。

 予定の人数の3倍に膨れ上がったが、常忠の力で対処可能な範囲内だ。


 「とにかく、飛んでくる矢は全て剣で振り払ってください。」

 常忠は大声で叫んだ後に、俺に耳打ちをした。


 「慶之様、こいつらは私が片付けます。道を作りますので、慶之様はあの東の山にお逃げください。」


 「常忠、一人で大丈夫か。」


 「この程度の人数なら問題ありません。それより、慶之様が傷でも負ったら大変ですので、先に行ってください。あの山の頂上付近で落ち合いましょう。」

 常忠が顎を向けた山は小高い丘の先にある。周囲が平原なので、目印としては分かりやすい。山の中なら隠れる場所も多く、落ち合うには良い場所だろう。


 「分かった。」

 常忠が野盗に向かって動く。

 「死ね、下郎。」

 常忠は身体強化魔法を発動させ、野盗の首輪を振り回していた男に斬り込む。男は慌てて片手で剣を構えるが、常忠の剣に簡単に吹き飛ばされた。常忠の魔力による強化が、その威力を際立たせている。


 「うぎゃ・・・、よくも。」

 剣で傷を負った男が地面に膝をつき、血を押さえながら前に倒れた。その瞬間、周りの野盗たちが常忠に注目する。前方の野盗は残り4人、周囲の男たちも常忠に向かって動き出した。


 「・・・今だ。」

 囲まれていた野盗たちの包囲が崩れた隙に、俺は東の山に向かって走り出した。


 「あっ、もう一人の獲物が逃げたぞ。そっちも追え。」

 視線を俺に向けた男が、東側の野盗たちに命令する。その瞬間、常忠はチャンスを逃さず、視線を俺に向けた男に斬り付ける。


 「ぐぎゃ・・・、う、腕が・・・おでの腕が・・・。」

 指示を出した男が、両腕を斬られて血を流しながら跪き、泣き喚く。その間に常忠は次の標的を選び、大声で宣言する。


 「2人目だ。次は、どいつを殺るか。」

 常忠の声に震え上がる野盗たち。その隙をついて、俺は急いで山に向かう。常忠の勇敢な行動に感謝しつつ、無事に山頂に辿り着けるよう、全力で走る。


 俺は、常忠が目で指した東の山に向かって走り出した。常忠が暴れたおかげで、俺への注意は逸れたと思ったが、それでも甘かった。


「待ちやがれ!小僧!」

 後ろからは、5人の野盗たちが追いかけて来た。

 矢を撃ちながら追ってくる。丘を登るにつれて速度が少し落ちたが、野盗の弓の腕は大したことがなく、矢は当たらなかった。


 (野盗が5人か…俺でもいけるか?)

 常忠なら、野盗5人程度であれば造作もないだろう。

 だが、俺はまだ実戦経験が乏しく、人を殺す覚悟もできていない。剛之兄や常忠に剣を教わり、そこそこ戦える自信はあるが、これは殺し合いだ。


 (5人を相手にして殺し合う自信はない。)

 この世界では、弱い者が強い者に殺される。

 生きるためには強くなり、場合によっては相手を殺すのが当たり前の世界だ。

 しかし、俺には人を殺す覚悟がない。人を殺すことに忌避感があり、前世の意識が強く残っているからだ。


 (だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。)

 戦わないと『奴隷の首輪』を嵌められ、生殺与奪の権利を奪われてしまう。首輪を嵌められたら、一生奴隷として生きることになる。大事な使命を果たす為に、生き残らなければならない。

 そう、俺には一族の仇を討つという大事な使命があるのだ。

 野盗たちが追いかけてくる。


 「待ちやがれ!逃げ切れると思うなよ!」

 俺は逃げられるところまで逃げることにした。

 殺し合わなくても済むなら、殺し合いたくない。

 甘いかもしれないが、逃げられるところまで逃げるつもりで走った。あと少しで、緩やかな登りの坂が終わり、道が降りになれば速度を上げられる。山にさえ入ってしまえば、何とかなるだろう。ずるい方法かもしれないが、常忠が敵を引きつけてくれるかもしれない。


 走り続けるうちに、ようやくなだらかな丘の頂上に到達した。前方の丘の下を見下ろすと、思いもよらない光景が広がっていた。

 『候』の旗が風になびいている。


 (あの旗は…候景将軍か。)

 よく見ると、丘の下には行軍中の兵士たちがいた。

 騎馬が先頭を歩き、後ろには歩兵が続き、その後ろには何十台もの荷馬車が連なっていた。兵士たちの軍服は茶色で、蔡家軍の軍服の色だった。そして、旗に描かれた『候』の文字は、候景将軍の軍を示していた。


 (候景将軍…いや、悪鬼将軍か。よりによってお前が…)

 愕然とする一方で、怒りがこみ上げてきた。候景将軍は蔡家の将軍で、親父殿の首を籠城する城の前に晒して首を鞭で打った因縁の将軍である。


 それだけではない。候景将軍は【楊都】の城門前で、領民何千人も殺した。わざわざ近くの村を襲い、避難していた【楊都】の領民を探し出し、彼らを惨たらしく殺したのだ。虐殺の様子を見せられた楊家の兵士たちは堪ったものではなかった。

 中には発狂しそうになった兵士もいた。自分の娘が殺されるのを見せられた兵士は、一人で城郭から出ると蔡家軍に突撃して死んでしまった。


 候景将軍は、【楊都】を陥落させるために何でもやった。

 戦いが殺し合いであり、戦いに綺麗も汚いも無いのは理解している。それでも、候景将軍のやり方はあまりにも酷すぎた。

 『目的のためには、汚いことでも何でもやる』それが候景という将軍だ。

 その結果、『悪鬼将軍』の二つ名が付けられたが、本人は気にしていなかった。

 こいつは、俺の復讐リストの一人だ。

 できれば俺の手で殺したいが、今は無理だ。今の状況では、捕まって殺されるのは俺の方だ。

 蔡家軍の後ろに続く荷馬車には、楊家軍の敗残兵が押し込まれているみたいだ。

 楊都が陥落した時に多くの楊家軍の兵士が蔡家軍に捕まった。候景将軍は、その敗残兵を運んでいるようだ。あの荷馬車の数から推測するに、約三千人くらいの仲間が捕まっているに違いない。おそらく、『奴隷の首輪』を嵌められて奴隷として他国に売られるだろう。


 (なんとか仲間を助けたいが…)

 ここで助けなければ、仲間は奴隷として売られてしまう。兵士が奴隷になると、戦闘奴隷として高く売られる。買った国や貴族は、戦闘奴隷を『死に兵』として危険な場所に突撃させたり、『肉壁』として防御に使ったりする。戦闘奴隷は戦いで役立つため、高値で取引されるのだ。捕まっている楊家軍の仲間を助けたいが、今の俺にはその力がない。


 (すまん…)

 心の中で捕まった仲間に詫びた。

 周囲には身を隠す岩や高い木などはなかった。進軍する蔡家軍の兵士たちに見つからないように、うずくまり体を小さくするしかなかった。とにかく、蔡家軍の騎馬兵がこちらに気づかずに通り過ぎるのを見守るしかない。

 前方には蔡家軍の候景将軍、後方には俺を追いかけてくる野盗たち。まさに「前門の虎、後門の狼」の状態だ。


 (蔡家軍が俺に気づかなければ、このまま逃げ切れる…)

 もし候景将軍に見つかれば、騎兵相手に逃げ切れる自信はない。もし楊家の一族と知られれば、間違いなく殺されるだろう。候景将軍に惨たらしく殺された義之兄の姿が思い出される。


 (候景将軍を殺したい…。だが、今は見つかったら終わりだ。力を蓄え、候景将軍…いや、蔡辺境伯を倒して一族の仇を討つ。そのためには、ここで死ぬわけにはいかない。)

 何もできない自分に、無力な自分に、今は言い聞かせて耐えるしかなかった。強く握りしめた拳から血を流しながら、俺は候景将軍を殺したいという衝動に耐え続けるのであった。

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