第15話 理紗と亜梪美、降臨

 それにしても綺麗に収束したものである。いやいくらなんでも綺麗すぎるんじゃないのと松永は考える。自然派生的ではないプログラミングのバグが、自然派生的に収束するというのは、ちょっと起こりえないことのように松永は思うのだ。

 松永がプロジェクトにかかわっていたときは、これほど規模のおおきいバグの発見にはいたらなかった。初期段階では単純なバグはそれこそ無数にあったような記憶があるが、優秀なエンジニアたちがそれこそ根本からシラミ潰しにして、仮想空間がほぼ完成してからは、まったくといっていいほど発見できなかった。大手企業から引きぬいてきた精鋭たちが、それだけ入念にこの空間を構築したわけである。

 この仮想空間が現実の世界でもパソコンでモニタリングできることを松永は思い出した。仮想空間でなにか少しでも異変があれば、自動的に役員たちにメールがとどくシステムになっているから、ひょっとすると役員連中は、このバグを知って、エンジニアたちに修正をかけさせたのかもしれない。もちろん役員連中だって、パソコンくらいはつかえるものの、さすがにプログラム上の盛大なバグを収束させる高度なスキルなんかないのである。

 しかしそうなるといちおうまだ堅気の世界に身を置くエンジニアたちに、ワンダフルビットワールドの迷い子のような橋枝君と自分の存在を、役員連中はいったいどう説明したんだろと、松永はそこが気になる。まあそこは天性のペテン集団。エンジニアたちはみな生まれてこのかたパソコン以外のことに興味を持ったことがない、みたいなタイプの人たちだから、いくらでも言いくるめられるのかもしれないが。

「なんなのよ、あんたら」

 渚さんの声がして振りかえると、いつのまにかチェックの学生服を着た女の子ふたりが立っていた。ふたりともカンフーの達人のように殺気だった構えをとっている。けわしく目を細め、渚さんだけを凝視しているところからすると、たぶん狙いは渚さんだけなのだ。

「ちょっと待った。あんたら、ひょっとすると理紗と亜梪美じゃねえの」

 たしかにそう言われてみると、話題のマンガを若手人気俳優主演で実写化、したような大人たちの事情まみれの物がなしい安っぽい雰囲気が若干ただようものの、どこか理紗と亜梪美っぽさがある。理紗はちゃんと童顔で、亜梪美は少し大人っぽい。でもなんか違うんだよなあ、という、橋枝君と松永のめずらしく合致した意見は、この際いいっこなしだ。

「そういえば僕がプロジェクトをおりたあとに役員連中が『セロトニカ』の著作権の許可を出せみたいなことを言ってたような……」

「子会社でもそんなの必要なんすか」

「子会社といってもべつの組織だしこの仮想空間のプロジェクトをとどこおりなく進めるためにどんな小さなことも法的にクリアしておきたかったんじゃないの」

 橋枝君はいかにも無邪気そうにうんうん頷いた。

「例によって細かい理由は教えてもらえなかったけど連中の目的はこれだったのねえ」

「これ? バグの処理班ってことっすか?」

「じゃなくて。プロジェクトの初期段階で『セロトニカ』の制作現場の見学ツアーの最後に見せ場にするとかそんな話が出てたのよ。お客さんの目の前で繰り広げられるメインキャラふたりの白熱バトルみたいな感じで」

 亜梪美が勢いよく宙を舞って、渚さんにとび蹴りを食らわせようとするが、渚さんは華麗にひらりとよける。橋枝君が松永に視線を戻した。

「こんな風にガチで渚さんに襲いかかるのがツアーの山場なんすか」

「女子高生ふたりが戦うっていう話のはずだったんだけどね。変更でもあったのかな。そのわりに当の渚ちゃんが驚いてるのが不思議なんだけど。さすがに本人に知らせないなんてことはないだろうし」

「ふたりともモデルがいるんすかね」

「容姿だけ借りて中身は架空のデータなんじゃないかな。見ためだけ貸すようなモデル崩れみたいな子たちはそこらへんにいくらでもいるだろうし」

 橋枝君の視線は女子高生ふたりにアツくそそがれていた。

「でもかわいいっすよね」

 松永は橋枝君の顔をちらとだけ見た。はたしてこれを純粋と呼んでいいのかという思いが頭をよぎる。しかし世間の男の子たちというのはこんなものなんだろうなと松永は思うわけで。どちらかというと、子孫繁栄のための性欲賞レースから落ちこぼれた自分のほうが例外なのだろう。

 女子高生はふたりとも手にはライトセーバーのような光る棒状のものを握りしめていた。松永は嫌な予感がした。役員連中に『スター・ウォーズ』をこのむようなタイプの人間はひとりもいなかったはず。そういうクローズドな世界線に生きている連中ではないのである。ということはつまりこれはライトセーバーに似たなにか……。たぶん実用的なアイテムなのだ。さっき橋枝君の言っていた「バグの処理班」という言葉が頭をよぎる。松永は叫ぶ。

「渚ちゃんよけて」

「はあ? 誰に言ってんだよ。あたしがガキに背を向けるようなタイプの女だと思ってんのかこの」

 果敢に素手で立ち向かっていく渚さんに、女の子ふたりが機敏な動きで立ちまわり、ライトセーバーをひと振りすると、案のじょう渚さんの腕が切りおとされた。地面に落ちた腕は少しばかり痙攣しただけで、すぐ動かなくなった。血は出ない。渚さんがケガしたときのことを考えて、そこらへんは配慮した設定になっている。というか、これはこの仮想空間に参加したカスタマーたちも同様だ。

 しかしほんとうに理紗と亜梪美は見学ツアーの出し物なのだろうか。さっきまで普通に喋っていた人間の腕を切りおとすというのは、たとえ『セロトニカ』がその手の内容だったとはいえ、アニメ会社の見学ツアーの演出としては、いささか刺激がつよすぎる気がするのである。まあいかにも役員連中のやりそうな度の過ぎた悪ふざけに思えなくもないが、なんせ巨額の資金をとうじた一大プロジェクトでもあるので、そんなことを発案すれば、弁護士軍団が必死になって止めるはずである。

 だが、この女子高生ふたりがあくまでアトラクション的キャラに過ぎないとしたら、実在の性格的モデルの存在しない、打ちこまれたデータに過ぎない理紗と亜梪美が、自らの意思でこんな真似をするはずもなかった。いや、そもそもの設定として案内役が斬られる手はずになっているなら、渚さんがこのふたりの存在にかんして知らされていないわけがないのである。

 松永は考えた。役員連中はバグを引きおこしたのが渚さんだと見ているのは間違いない。連中はその原因である渚さんを抹消しようとしている。おそらくこの個体の渚さんだけ抹消するのだ。この個体が盛大なバグを引きおこしたからこそ、排除しておくほうがリスク回避ができる。また、無限にスペアの存在する人間を、デスパートの社運を賭けたこの仮想空間を破壊するリスクまで冒しながら、生かしておく意味もまったくないのだ。

 おそらく理紗と亜梪美は実際に見学ツアーの出し物のためにこの空間につくりだされたのだろう。それならなぜ単純にプログラムを変えて渚さんを抹消しないのかと松永は疑問に思う。女子高生ふたりの本来の役割は渚さんを抹消することではないはず。

 理紗と亜梪美のデータに変更を加える手間(松永はその苦労をよく知っている)を考えれば、そのほうがよっぽど簡単なのである。それができない理由でもあるのか。もしかするとへたにこの個体の渚さんをプログラム上から抹消すると、どこかで連係してしまっている(そのせいで空間自体がバグを引きおこしたのである)部分まで抹消してしまう可能性があるのを、役員連中あるいはエンジニアたちは恐れているのかもしれない。どちらにせよ、役員連中にとってこの個体の渚さんはもう不要なわけである。

 しかし松永はだからこそよけいにこの渚さんが不憫に思えてくるわけで。役員連中にいいように利用されて、価値がなくなったと判断されたら無慈悲に、ポイ。松永にはその心の痛みがわかる。痛いほど痛みがわかる。だからこそ、たとえデータで構築された人間に過ぎなかろうと、松永は見捨てることはできないのである。

 黙って見まもるしかない。この空間で身体を復元できるのはおそらく渚さんだけである。松永がライトセーバーに身体を斬られても死ぬことはないとはいえ、身体の一部が欠損した状態で仮想空間をさまようのはなにしろ大変である。

「渚ちゃん自分で腕を復元できる?」

「フクゲンってなんだよ。おでんの具かなんかか」

「肉体の治癒」

「よけいわかんねえわ、どアホ」

「さっきやったじゃない。頭が溶けたときにさ」

「ああ、なんか心に直接語りかけてきやがったな。きもちわりいなカスが」

 この言葉ぜめに平然としていられるのは長年役員連中の相手をつとめてきた賜物である。松永にとっては純粋無垢な乙女を相手にするよりも、長年こきつかわれてきた役員連中の、結局のところ女版でしかない渚さんの相手をするほうが、だんぜん気が楽なのである。

 渚さんは頭で念じた。すると腕の斬られた部分がみるみる復活する。ちょうど頭部が復活したのとおなじような感じだった。渚さんは自分でやっておきながら、信じられない表情で、反対のほうの手で復活した腕をさすった。

「つかなんでこんなことできんのよ、あたし」

 しかし感嘆しているヒマはない。若さを持てあました女子高生ふたりは、たえず忙しそうに動きまわっていようと、まるで疲れたそぶりもみせずに渚さんに襲いかかる。渚さんがすさまじい反射神経でふたりの攻撃をかわしたところで、生身の人間同様に、データで構築された渚さんの体力にも限界というものがあり、このままではやはり時間の問題である。それに細かく切りきざまれれば渚さんが身体を復元するのは困難になるような気がする。おそらくは、パソコンの前でエンジニアたちに指示を出しているはずの、役員連中の考えが短絡的であさはかで稚拙なものだとしても、優秀なエンジニアたちの演繹的ないし帰納的思考に抜かりはないのだ。

 どこからか犬の鳴き声がした。いや犬なんていないはずと松永は思った。現実世界の市街地をフツーに闊歩している動物たちのなかで、行動データが練りづらいのは猫だっておなじだが、犬は人間にかみつく恐れがあることから、プロジェクトの早い段階でつくられないことになったはず。しかしこのとおり、狂暴そうな野犬たちが群れをなして姿を現したのである。

「そいつら、たぶん地獄の猟犬っすよ」

 橋枝君が叫んだ。もちろん松永にはなんのことやらわからない。橋枝君は屋上で渚さんから聞いた話をした。

「兄貴にもその話してたのかな。まあ兄妹なんだからおばあちゃんからおなじ話を聞かされていても不思議じゃないけど。でもどう考えてもそんな危険なものをこの空間に放りこむ意味なんてないんだけどねえ」

 理紗と亜梪美が地獄の猟犬に襲いかかる。女子ふたりはアニメ本編でいがみあっていたとは思えない息のあったコンビで、瞬時に目くばせして左右にわかれ、両側から同時に攻撃を仕掛けた。アニメを観ていた人間だったらツッコミをいれたくなるような息のあい方で、こういうところからも、役員連中がいかにこのアニメにうといかがよくわかるというもの。

 地獄の猟犬たちも負けてはいない。猟犬たちは猟犬たちで、ふたつの編成にわかれて連隊を組み、二本のライトセーバーをよけながら、理紗と亜梪美をじわじわと追いつめる。女子高生ふたりは背中をぴたりとあわせた。荒い呼吸。こうなっては勝負もついたようなものである。地獄の猟犬たちは、つぎつぎと理紗と亜梪美にとびかかり、ふたりはたちまち食いつくされてしまった。このふたりにかんしてはデータ的に「流血なし」の設定が施されていないのか、まさに『セロトニカ』本編のように血しぶきが飛びちる。猟犬たちが取りかこんでいるので、理紗と亜梪美が食いちらされているさまが見えないのがせめてもの救いだが、妙になまなましい獣の租借音だけがあたりに響きわたった。

 一匹が振り向いて渚さんのほうを見る。ボス、かたづけやしたぜ、みたいな顔で。すくなくとも松永と橋枝君にはそんな風に見えた。

 だが地獄の猟犬たちは、あろうことか渚さんに襲いかかったのである。

 

 

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