第5話 優雅さを纏ったトラップ

「役員たちがえらく気に入ってるのよ。橋枝ちゃんのつくったCG部分を」

 松永の声は不愉快なほど踊ってい る。フライパンに撒かれたポップコーンのようにせわしなく踊っている。そもそもふだんから、干ばつした大地の地鳴りのように嗄れた耳ざわりな声なのだが、橋枝君には松永の声が、今日この瞬間ほど黙示録的な不穏な響きに聞こえたことはない。

「ええと。CGのどの部分をですか」

「理沙に亜梪美がツッコミをいれて理沙が吹き飛ぶとこ」

 ちょうどサブリミナルの画像を差しこんだ部分である。橋枝君はめまいがした。気づかれたのだろうか。脈が早くなる。しかし松永はえらくご機嫌の様子である。橋枝君の企みが発覚したなら、いまこうしている松永だって五体満足では済んでいないはずである。

 いやこいつに役員連中がそのままのことを話すだろうか。あくまで自分を招き寄せてから、松永ともどもボコられると考えたほうが、理に適っているような気がするのである。これは間違いなくトラップだ。大卒で育ちのいい犯罪者特有の優雅さを纏った、これはトラップに違いない。橋枝君には松永がつぎになにを言うのかだいたい読めた。

「それでねこれつくったやつデスパート社に連れて来てほしいって言ってるのね」

「いやです」

 ほとんど松永の言葉にかぶさんばかりのいきおいで橋枝君は即答した。

「あのさ橋枝ちゃん僕たちに逆らうとかそういう権利はないのよ何度言ったらわかるの」

 わかってるじゃないもういけずったらいけず僕ちんがあの連中に逆らえないこと知ってて言ってるのよねんもう橋枝ちゃんたらいけずう。松永の涙目がそう訴えている。

「あんな連中にもう一度会うなんて、考えただけで虫酸が走りますよ」

 橋枝君は嫌悪感もあらわに、吐きすてるように言った。松永は同情をしめすような表情をした。うんわかるよわかるよ縁日で売りあげのよかった的屋が元締めの暴力団の組事務所までおもむいて表彰状を受けとってくるってのとあんま変わんない話だもんねえ。松永の瞳はあくまで澄んでいる。それでもなお橋枝君が睨みつけると、松永は口角の両脇に二重のほうれい線を浮かびあがらせて、ますます申しわけなさそうな表情をした。

 この感じではやはり松永自身はトラップの役割を担ってはいないと考えてよさそうだ。すくなくとも松永は知らされていない。

「だいたいデスパートに連れてかれてどうなるんすか。お褒めの言葉を頂戴する以外に、臨時ボーナスでもくれるんすか」

「ああそうかもねえ百万くらいポンとくれるかも」

「そんな汚ねえ金いらねえっすよ。かわりに誰か連れていけばいいでしょうが。金だってその人にくれてやりますよ。松永さんが前に言ったように、どうせ連中は俺の顔なんか忘れてるんですから」

「でもねえそんなことしていざバレちゃったときのこと考えると危なくない?」

 いかにもこいつの言いそうなことだな。と、軽蔑の眼ざしを向けるが、橋枝君だって自分の冒したリスクを考えると、デスパート社に足を向けるのには身の危険をともなうし、松永も松永でまた橋枝君をデスパートに連れていかないことはいささか身の危険をともなうため、いわば臆病者どうしの攻防戦なわけである。

「松永さんが、でしょ」

「それ言いっこなしよ橋枝ちゃん。こうなったらもう誰が安全とかないんだから。デスパートにあるパソコンを打ったら子会社で働いてる人間の履歴書なんて簡単に出てくるんだし」

 ほら出た、この人お得意の巻きこみ戦法だ。ひとりでギロチンにかけられればいいのに、脚でカニばさみをしてでも誰か道連れにしなくては気が済まない。いやどのみちおなじ目にあわされるにしても仲間がいなくては怖くて仕方ないのである。これまでさんざんひとりでひどい目にあわされてきたのに、なぜこの期におよんでも相方をもとめるのか、橋枝君にはその心理がわからない。

「橋枝ちゃんが怖がることないの。連中はご満悦なんだからね。お褒めの言葉を素直に頂戴しておけばいいだけなの」

 松永もそろそろ本腰をいれはじめる。いうまでもないことだが、松永に橋枝君をデスパートに連れていかないという選択肢など最初からないのだ。それでも橋枝君はふてぶてしい態度で言う。

「いくら自分んとこの子会社の人間だからって、呼べば来るだろうっていう舐めた態度が感心しませんね」

「橋枝ちゃん自分でなにを言ってるかわかってるの。発想を転換しすぎて考えかたが大胆すぎなんだけど」

「自分でなにを言ってるかくらい、ちゃんとわかってますよ。役員連中のそういうふざけたところが気に食わないって言ってるんですよ俺は」

 このいきおいのまま辞表でも叩きつけようという感じの口調だったが、そうするわけにもいかないのである。そんなことをすれば、橋枝君がなんのために動画の制作に加わったか、わからなくなるからだ。すでに橋枝君は社会の底辺部の泥水に、半分まで身体が浸かっているのである。

「だってそうでしょう。学生の頃から投資詐欺とかやってて、詐欺集団のくせにいっちょまえに会社なんか興しちゃって、税金対策でアニメ会社立ちあげて、その挙げ句に制作会社の人間がつくったセミナー用の動画が気に入ったからつくったやつ連れてこいって、世の中舐めてんのかって話ですよ」

 橋枝君の言っていることはカオスの極みだが、結論自体は間違ってはいないので、松永も混乱してくる。しかし松永だって負けてはいない。一瞬道に迷ったような目こそしたものの、モンテーニュからアダム・スミスやマルクスなどの書物がひととおりインストールされた、それなりに明晰な頭脳を持った松永は、すぐさま頭のなかで理論を構築して攻勢に出る。

「いや舐めてないでしょ学生の頃から会社を興すためにいっしょうけんめい資金集めして立派に会社設立して国の過大な税金から逃れるためアニメ会社つくって投資セミナーのサポート動画を制作してもらって良い出来だからその苦労をねぎらってあげようってだけじゃない」

 壮大な真実のすり替えである。松永は前回腹をわって橋枝君にぶちまけたことをすべてひっくり返したのである。わるびれた様子もまったくない。橋枝君は気のふれた人間を見るような目で松永の顔を見た。馬面なので間延びした顔がよけいに腹が立ってくる。橋枝君はとくに新しく出てきたワードにひっかかった。

「はあ? サポート動画ぁ?」

「うんサポート動画」

 とっさに出てきた言葉が、われながらナイスなチョイスだったので、松永の鼻の穴が得意げにひくひくと動いた。それがまた橋枝君は癪にさわる。橋枝君の目が据わってくる。飲み屋で部下のはなった、なんてことない言葉尻をとらえるような調子で松永に絡む。

「なんのサポートっすか。詐欺集団の利益を嵩あげするためのサポートっすか」

「橋枝ちゃん詐欺とか言うのやめようよ。人聞きがわるいから」

 松永も防御にまわりだした。前回このアホに必要以上のことを話してしまったことを悔やみはじめたのである。しかしそこはやはりいまさら感があるわけで、おまけに真顔で言うものだから、橋枝君も憤懣やるかたない。短い言葉のわりに突っこみどころ満載の内容だったが、松永があくまで真顔で平然と言ってのけるものだから、橋枝君もそこをツッコミづらい。

「詐欺を詐欺って言ってなにがわるいんすか」

 橋枝君が声を荒げる。松永はこのアホを連れていくことで、役員たちに向かってなにかおかしなことを喋らないか、だんだん不安になってきた。そうなるくらいならむしろ橋枝君なんか連れていかないほうが身のためである。本人の体調不良で長期休暇をとっているとか、どうとでも言えるし、冷静に考えてみれば、役員連中だって、たぶんそこまで製作者に会いたがっているとも思えないのだ。

「じゃあ橋枝ちゃん無理に行かなくてもいいよ」

「なんでですか」

「だって行きたくないんでしょ橋枝ちゃん」

 橋枝君は松永のとつぜんの方向転換に脳がついていけない。そのためロジックがバグってくる。

「いや、べつに行きたくないとか言ってるんじゃないっしょ」

「行きたくないわけじゃないなら素直に自分は行きたいんだって最初からそう言えばいいじゃないの」

 泣きそうな顔をした橋枝君が泣きそうな顔をした松永を仰ぎ見る。

「行きたいとか行きたくないとかの問題じゃないでしょうが。松永さんがさっきから言っていることはほとんど脅しじゃないすか」

「ごめんそれはわるかったわそう聞こえたんだったら謝るわ」

 だんだんと痴話喧嘩みたいになってきた。松永は目に涙を溜めて、天井をしばし見あげて鼻をすすってから、赤い目をしながら言った。

「橋枝ちゃんごめんやっぱ行かなくていいわ」

「なんなんすか、それ」

 橋枝君は机をばたんと叩いた。生来のいじめられっ子気質である松永は身体がビクッと震える。

「役員はセンシティブな人たちだから橋枝ちゃんがもし彼らに面と向かってそういうこと言ったらとてもとても傷つくと思うのよ」

「いや俺は行きますよ。松永さん引きずってでも。いますぐタクシー呼んでください」

「やめようよ橋枝ちゃんアポもとってないし」

 橋枝君は叩きつけるような手つきでスマホのタクシーアプリを開いた。画面を滑らせる指はいきおいあまって宙を舞い、そのまま松永の顔にあたってしまいそうなくらいだった。

 動揺しながら松永は橋枝君をただ見まもる。松永はこんなとき対処する術を知らない。子供の頃からそうだった。いじめっ子におもちゃを取りあげられたときも、ただあたふたして成りゆきを見まもるだけ。手を伸ばしておもちゃを取り返せばいいものを、壊されるときをいまかいまかと待ちこがれ、早くそうなってくれればいいのにとさえ思っていた。

 そうなってくれれば、地面に寝ころがって手足をばたばたさせて泣くという、いつものやり慣れたパターンに持ちこむことができるからである。半生かけて磨きに磨きぬいた安定の泣き芸。ああ橋枝ちゃんやめてよどうしてそんなことするの僕ちんになんか恨みでもあるのそれだったらいまこの場で僕ちんの顔殴ってよどうしてあの人たち巻きこんでやろうとか考えるの連中に殴られるのはいいのよ慣れてるから僕ちんはね殴られるのを待つまでの時間が憂鬱なのこれだけは慣れないのよこのあと殴られるという想像上の痛みを何度も味わうことになるからああ橋枝ちゃんにはこんな心理到底わかってもらえないだろうねえ。

 松永がそんなことを考えているうちに、もう一方のアホは、スマホに向かって大声でタクシー会社に自分の会社の住所を告げていた。スマホを持つ手も声も震えている。自分への怒りが他者への怒りに転化されたとき、アホは本領を発揮する。

 こういうときのアホには恐れるものがなにもなかった。この万能感。最強感。ゲームの終盤で経験値マックス、攻撃力マックス、装備マックスのときとおなじような高揚感に酔いしれていた。橋枝君は電話を切ると、放りなげるようにスマホをデスクのうえに置いた。

 しかしタクシーはなかなかやって来なかった。

 渋滞? 駅前だぞここ。近くで待機していたタクシーは一台もなかったのか。どいつもこいつもつかえねえな。ぶち殺してやろうか。でもタクシーの運転手さんに嫌味とか言うのはやめとかないと。ピュアなアホがピュアさを取り戻しだした頃に、橋枝君はだんだん冷静になりはじめる。え。俺いったいなにやってんだ。このままだと松永といっしょにデスパートに向かうことになるぞ。キャンセルの電話をいれなきゃ。

 だが橋枝君はアプリで呼んだタクシーをキャンセルした経験がない。そんなことしたらキャンセル料がかかるんじゃないの。いや金の問題か。だいたい、タクシーのキャンセルってどう言ったらいいんだったっけ。

 お腹痛いんでお呼びしたタクシーをキャンセルしたいのですが。いやいや、ちょっと子供っぽくないかこれ。母親が倒れたんで。祖母が死んだんです。叔父が脳卒中やらかして。ダメだ。バイト休むときのとりあえず身近な誰か殺しとけばいいんじゃないシリーズみたいな理由しか頭に思い浮かばねえ。

 松永に聞いてみようか。でもなんかやだ。こんなやつに常識的なこととか聞くの、すごく抵抗あるわ。それにキャンセルとかなんかいやなんだよなあ。愛想よかった相手の声が、露骨に迷惑そうな声になるし。バックレたらこのアプリ自体もうつかえなくなる可能性だってある。

 いやそんなのこの際どうでもよくないか。俺は天国と地獄のわかれ道に立ってんだぞ。でももう逃げられないんじゃないか。役員からご指名かかってるわけで。まあ命までとられるわけじゃないだろうし。でもやっぱ怖い。ああいう連中ってなに考えてんのかわかんないんだもん。いやだわあ。この場で松永のツラ張りたおしてそのまま北海道あたりまで逃亡してやろうか。

 デスクのうえに置いていたスマホの画面に、タクシーのアプリが到着を表示する。とたんに橋枝君の目が据わる。

「松永さん、行きましょう」

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