第4話 聖戦

 橋枝君はモニターの前で頭をかかえている。モニターには亜梪美がマンガのセリフみたいな吹きだしの部分に右手をかざしているのが映っていた。銀行員のような格好をした亜梪美。吹きだしの部分はまだ空白だが、亜梪美の背後に札束が積みあげられているのが、橋枝君にとってはなんともやりきれない。

 いやもちろんピュアな橋枝君だって、この期におよんで仕事を引き受けるかどうかを悩んでるわけではないのである。さすがに橋枝君もそこまで往生際はわるくない。こんなことにかかわることで葛藤に悶え苦しんでいる、と形容したほうがこの場合は適切だろう。

 まがった背中からどんよりと苦悶のオーラを発している若干かまってちゃんな橋枝君に、アツい先輩、村田が背後から野太い声をかける。

「おい橋枝、べつにお前はやらなくていいんだぞ」

 困ったことに、アツい先輩を慕うアツい後輩の耳にはやはり、やりたくないやつはやらなくていい、に聞こえてしまうのだった。

「でも村田さん‥‥俺‥‥」

 必要以上に暗く沈みこんだ橋枝君の声に、必要以上にホットな村田の声がかぶさる。

「こんな糞みたいな目的の動画にCGなんてなくてもいいんだからさ、今度のプロジェクトやってるあいだはタダで給料もらっとけばいいんだよ」

 橋枝君は超かっちょええことをさらりと言ってしまう村田に惚れぼれとした目を向ける。

「でもやっぱ悪いっすよ。もしみんなが逮捕されたときに、俺だけ蚊帳の外なんてことになったら」

 逮捕、という露骨なワードに少しだけ眉をしかめながらも、村田はいかにも男くさい、気持ちのいい笑顔を浮かべる。

「逮捕っていってもまあ、なんだ、俺たちなにも知らされていないってことになってるんだけどな」

「え。それで通るんすか」

「俺たちは揃いも揃いって、ちょうど肝心なその部分だけ聞き逃していた。だからなんの目的でこういう動画をつくらされているのか、俺たちは知らされてない。お前も知らされていない。これをまず理解しろ」

 村田はまた笑う。橋枝君も子供のような笑顔を浮かべる。相手を安心させる笑顔のできる人なのである。

「いまつくってる動画じゃ、理沙と亜梪美にはあくまで法的にセーフなことしか喋らせないつもりなんだ。投資の勧誘としてはアウトかもだけど、詐欺目的にはなんら該当しない、ってラインで攻めるつもりでな。役員連中には事前にプレゼンとかあるらしいけど、まあそれが連中の望むことなわけだから願ったり叶ったりなわけだろう。どう利用されるかなんて俺たちには関係のない話なわけでさ。万がいち逮捕されて、裁判になったときとかに、実際にそれでとおるかどうかはわからんけどな」

 たしかに松永から村田さんが了承したと聞いた際は橋枝君も意外な気がしたものである。どこか裏切られたような気分をずっと引きずっていた。だが蓋をあけてみたらこういう話だったわけだ。橋枝君はやはりほっとする。

「じゃあ松永さんはどうなるんですか。役員と共犯ということになるんじゃないんですか」

「ああ、そうだな。松永さんにはわるいんだけどね。まあ、あの人が持ってきた話なわけだからさ。俺たちを守る気もない人間をこちとらも守る義理はねえってわけ。そもそもそういうことは伏せて俺たちにただ動画をつくらせりゃよかったんだよな。それだったら俺たちも共犯関係を結ばずに済むんだから」

「でもそうするとこうして僕らのつくっている動画の件で罪をひっかぶるのは……」

「役員連中をのぞくと松永さんひとりだけってことになる。松永さんだけが役員連中から直接指示を受けているから、連中が捕まってゲロっちゃえば、あの人の立場はかなりまずくなる。そもそも、事務所で帳簿しかめくってない名前だけのチーフはさておくとしてさ、実質的な現場の責任者である俺のみを通して話を落としてくれたら、最初からここのみんなを巻き添えにせずに済んだのにな。ここの人間で断頭台にあがるのは、俺と松永さんだけってことにできたんだ」

 村田さんならほんとうにやるかも、と橋枝君は思う。こういうセリフが嘘っぱく聞こえないのがすごい。

「結局あの人はそれができなかったんだよ。頭のわるい人じゃないから、そういうことに考えがいたらなかったとも思えんし。いや、あの人のことだから、むしろ考えに考えて個別に話を持っていたんだろう。要は俺たちを巻き添えにしたかったんだよ、かかわった人間の頭数だけ、罪悪感みたいなもんが薄れるから。役員連中はそれなりに肝が据わってる。だからこんなことつづけられるんだろうしな。犯罪にかかわっているような連中と比較するのもなんだけど、連中と比べて、根性なさすぎるよ、松永さんは」

 村田の言っていることがど正論とはいえ、こうなってくるとピュアな橋枝君は、むしろ松永が気の毒にさえ思えてくる。

「そりゃ、この動画を観て騙される人たちには申しわけないとは思うよ。申しわけないじゃ済まないがな。それと同時に『セロトニカ』のファンにも申しわけないし、もっと言うと、理沙と亜梪美にさえ申しわけない。俺たちがこの子たちに息吹をあたえた、いわば親みたいなもんなんだからさ」

「ファンが知ったらめちゃくちゃブチ切れるでしょうね」

「ファンだけじゃないけどな。アニメのアの字も知らないような人たちだって激おこプンプン丸だよ。第三者にアニメのキャラをつかわれてこういう詐欺に利用されるってのは過去にあったかもしれないけど、オリジナルの制作にかかわった会社が詐欺のための動画制作にかかわるなんて、前代未聞の話なんじゃないか。まあ、俺たちは知らない前提にはなってんだが」

「役員たちが捕まったら、この会社も危うくなるでしょうね」

「投資詐欺のセミナーのために俺たちがつくった動画がつかわれるんだからな。まったく無傷ってわけにはいかんだろうぜ。確実になんらかの影響は被ることになる。だから俺たちは最初から最後までシラを切りつづけるしかないんだ」

 そうなんだよなあ、覚悟が必要なんだよなあ、と橋枝君はピュアなアホなりに感慨ぶかげに思うわけである。と同時に村田と話していると自分がリアルな犯罪にかかわっているのだという実感もだんだん増してくるわけで。橋枝君の表情も苦味ばしってくる。いやだなあ。なんとか自分だけかかわらずに済みませんかねえ、と言いかけて、村田の言った「お前はやらなくていいんだぞ」にループするわけである。橋枝君は頬をぶたれる。そうなのだ。自分だけやらないわけにはいかないのだ。

 しかし反社連中の言うなりになるというのもピュアなアホには悔やしいものがある。いやピュアなアホだからこそ、こうなんというかぐつぐつと煮え立つような反抗心がもたげてくるのである。それこそが橋枝君のもやもやした感情を言いあらわしたものだったのだ。敏感な村田はそこらへんを察知して橋枝君を牽制する。

「なあ橋枝、お前の気持ちもわかるんだが、妙な気なんか起こすなよ」

 村田の後輩愛あふるる言葉に、橋枝君はなぜかイラッとくる。

「なんすか、妙な気って……」

「お前の性格からして、秘密の暗号とか滑りこませようって考えてるかもしれんが、相手が相手だ、へたなことするもんじゃないぞ。俺たちのつくってる動画は被害者だけが観るもんじゃないからな。役員連中があらかじめ審査するし、吟味する。そこにおかしなものが写りこんでいたらただじゃ済まないってことぐらい、お前だってわかるよな?」

 村田の口から出た言葉は筋がとおっている。子羊一匹が農場主に歯向かったところで、袋だたきにされるのがオチだ。だからこそ全員で立ち向かおうじゃないですか、というのが無理筋であることくらい、橋枝君だって理解している。松永が役員に逆らえないのとまったくおなじように、子会社は親会社の意向を無視することはできない。それをやるのはこの制作会社を自分たちの手で潰すのとおなじことなのである。

 橋枝君の難しいところは、それでもなお、と食いさがりたい偏屈な意思を引きずってしまう点にある。ピュアなアホの恐ろしいところだ。

 世の中には、素直に謝ってしまえばダメージが最小限で済むところを、意地やらプライドやらで、よけいなひとことをつけくわえて、傷口を広げてしまうタイプ、いやそうしなければ気が済まないという、意固地な性格の人間が少なからず存在するが、橋枝君も悲しいかな、その呪われた種族なのである。それがあとになってまるでアリバイ工作にでもなるかのように抵抗の意思を刷り入れておきたいのだ。

 村田にちょっとキレ気味な声で返事したのは、そうした魂胆を見透かされていたうしろめたさからきているのだろう。たしかに松永から話があった時点ですでにその手のアイデアは頭にあった。しかもこの点に関してピュアなアホはもう迷いがない。賽は投げられた。とめてくれるな、おっかさん、である。

 さて、では具体的にどうするか、だ。

 もちろん露骨にメッセージを加えてしまえばたちまちバレる。セミナーの受講者たち、いやその前段階の役員連中どころか、そこにたどりつく前に、この制作チームにすら阻まれる可能性もある。『セロトニカ』が地上波放送のコンプライアンスぎりぎりのところを描写していたせいもあって、アニメ本編はもちろんのこと、YouTube用の宣伝動画にさえ、チームによる細部にわたる万全なチェック体制が習慣化しているのである。

 

 

 村田と話してから数日後、ふとした拍子に橋枝君がネットで見つけ出したのが、サブリミナル効果である。コンマ数秒の画像を挟みこんで視聴する人間の潜在意識になにかしらを訴える作用があるというやつだ。しかしその効果をつづったサイトの下部にはきまって、サブリミナルにはほとんど意味がないことが科学的に証明されている、とのオチがついていた。

 しかし効果があるかどうかはこの際カンケーないのではないかと橋枝君は思うのである。これはレジスタンスなのである。権力にたいする抵抗なのだ。いや反権力にたいする抵抗なのか。どっちでもいい。正義はわれらの側にある。そもそも正義とはなんなのか。セイギのテイギとは。気づかれないメッセージになんの意味があるのか。

 いや気づかれないとしても、せめて抵抗の痕跡は残しておきたい。それが有効な手段であるかどうかは、橋枝君にとってはもはやどうでもよかった。聖戦、そんな言葉がアホの頭に浮かぶ。どうせやるのなら粋なことをぶっこみたい。アホはダ・ヴィンチ・コードのようにスマートで巧みに暗号を織りこみたいのである。

 絵ではダメだ。残像として印象に残ると役員連中に気づかれてしまう可能性がある。やはり結局は活字となる。役員連中がスロー モーションをかけてまで動画を精査するとは思えないから、ほんとうにコンマ数秒の単位で差しこむしかないだろう。それも何回にもわけて。このやりかたならこのチームにもバレずに済むはずだ。橋枝君はデスクでひとり、力づよく頷いた。橋枝君はモニターに向かう。自分の聖域を守る闘いのために。

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