曇りのち晴れ

pan

介護アンドロイド(仮)

 朝、目が覚めると、隣に人がひとり入ることのできるカプセル型の機械が置かれていた。

 見慣れない光景に一瞬戸惑いを隠せなかったが、昨日の言葉を思い出して我に返る。


『前々から言っていた通り、明日から試験的にアンドロイドを導入するから』


 上司から言われた通り、昨日部屋に戻ってきた時にはすでにそれはいた。未だカプセルに入っているようだ。人間と同じように言えば寝ているのだろう。


 これは、とある研究所で人工知能が搭載された、人間と遜色ない見た目をしたロボットだ。初めてテレビで見た時は不気味だなと思っていたけれど、時が経って実物を見てみるとそこら中にいる普通の人間のようだ。不気味さは感じない、それほどまでにどれだけの研究を重ねてきたのだろうか。


「……うおっ」


 突如、カプセルからプシューっと空気が漏れる音がしてたじろいでしまった。結構近くで見ていたからか、そよ風が顔に当たる。


「おはようございます」


「おおう。おはよう、ございます……」


 アンドロイドが上半身だけ起き上がったかと思うと、すぐに挨拶を交わしてきた。こうやって対面するのは初めてなのだが、どうやら俺のことは認識いているらしい。


 そのままカプセルから降り始めるアンドロイド、本当に人間のようだ。関節の硬さを感じさせない、しなやかな動作と自然な目の動き。全身が機械で成り立っているはずなのに、ファンやエンジンの音さえ聞こえてこない。声だって電子音と感じさせない自然なものだ。


「あの、どうされましたか?」


「いや、なにも」


「そう、ですか。でしたら着替えてください、下着姿では業務に向かえません。減点ですね」


「え!?」


 このアンドロイドが導入された理由の一つ、それは業務時のサポートだ。


 俺が働いているのは介護施設で、この少子高齢化社会では人手不足となっている仕事である。俺自身、そこまでつらいと思ってこなかったが、同僚や先輩の声を聞いているとなかなかハードな業務らしい。


 そんな時に当施設が、このアンドロイドを作成した研究所と連携したというわけだ。あちらとしても、研究材料と試行回数を増やして運用を目指しているらしく、双方にとって好都合。なにより、施設長と研究所の所長が古くからの友人らしい。


 そんな何の繋がりもないような二つの思惑が合致して今に至る。


 そして、さっき言われた減点とは何なのか。このアンドロイドは各従業員についており、いわゆる助手のようなポジションに位置しているため、いつでも隣にいる。俺が朝起きて、隣で充電されていたのがその証拠だ。


 まだ詳しいことは分からないが、家事全般とさっきにように見た目のことに気を使ってくれるらしい。多分、彼女からしたら俺は下着姿の変出者と思われたのだろうけど。


「ふふ。そんなに驚かないでください。冗談ですよ」


 そう言ってほくそ笑んだアンドロイドに少し不気味さを感じた。これは生身の人間ではない何か。そう思えば思うほど、ここで行われた会話に違和感を持ってしまう。


 本当に人間ではないのか。これが人工知能の進化なのか。


 どうやら俺は慣れるまでに時間がかかるらしい。まるで、クラス替えをしたときの不安にそっくりだ。

 そんな不安を知る由もない彼女は部屋の外へ出て行った。


◇◇◇


「それではまず、清掃から入りましょう」


「は、はい」


 思わず敬語になってしまう。朝から硬い口調で対話しているのだから仕方ない。準備を進めている間も、あれやこれやと世話になってしまった。


 楽と言えばそうなのだが、ある意味自分の時間が無くなってしまったとも言える。今朝も、いつも起きてすぐに飲んでいるコーヒーを嗜めなかった。


 今日ぐらいは仕方ないなと思いつつも、実働日に毎回世話になるかと思うとしんどさを感じてしまう。


「――この部屋は終わりましたね。……どうかされましたか?」


「あ、いや。次、いこうか」


「そう、ですか。では、行きましょう」


 彼女は俺の様子を見て声をかけてきたが、俺は何食わぬ顔で淡泊な返事をする。俺がどんな顔をしていたのか分からないけれど、彼女の判断からして暗い顔をしていたのだろう。


 っと、そんなことを考えていても仕方がない。とりあえず仕事に集中しなければ。


◇◇◇


 その後も仕事はしていたが、今までと異なる形態に戸惑いを隠せなかった。


 先輩と一緒になってやっていた業務も彼女と共に行い、昼休みもその彼女と一緒に過ごす。

 流石に昼食は別だったけれど、部屋には一緒にいたため実働日はほとんど一緒にいるらしい。


 しかし、そんな彼女から唐突に言葉を口にした。


「すいません」


「ん」


「これから施設内の情報共有のため席を外します。休憩時間が終わるまでには戻ってきますので。では、失礼します」


 そう言うと、彼女は軽く一礼してから部屋を後にする。


 そんなこと聞いてないなと昨日の記憶を遡っていると、テーブルの上に置かれていたマニュアルが目に入った。そういやマニュアルを読んでおけとも言われていたような。


 昼食をとりながら彼女、介護アンドロイド(仮)のマニュアルを開いた。ページ数で言えば50ページ程。そのほとんどがアンドロイドのことで、基本的な構造や人工知能について書かれている。


 今からすべてを目に通すのは骨が折れる。とりあえず、読めと言わんばかりにつけられた『赤い丸』で囲われている項目だけを読むことにしよう。


 まずは、当施設での運用について。充電の為に何時からカプセルに入るだとか、そういった一日での行動、人間で言えばスケジュールのようなものが記載されている。


 基本的には俺達職員と同じなのだが、一つだけ異なるのが先ほど彼女が言っていた情報共有の時間が昼休みにあることだ。その時間についても書かれている。


 読んでいくと、一緒に過ごしている職員の情報を共有するとある。施設内の状況や緊急時の連絡はリアルタイムで共有されているとあるが、それは受信しているからであってアンドロイド本人が送信することはできないらしい。


 つまり、今この時間で俺のことを報告しているわけだ。監視されているように思ってしまうけれど、これも慣れるしかない。


 そもそもこれを導入した主な理由は業務の効率化と職員の補助だ。アンドロイドはそのための情報を組み込まれている。余計なことは伝えないだろうし、業務に関係ないことをするはずもない。そこに絶対的な信頼があるわけではないけれど、暴走することもないはずだ。


 ちゃんと切り替えていかないと。これからはアンドロイドと共生する時代になっていくのだ。これが先駆けとなっていくのだから、ここでしっかりたっていかなければ。


 運用期間は一か月と聞いている。終わる頃には良きパートナーとなっているだろう。そうなってしまったら別れが惜しくなってしまうかもしれないな。


 そんなことを思いながらマニュアルを読んでいると、部屋の扉が開く音がした。


「ただいま戻りました」


「おう、おかえり。って、どうした?」


 俺が返事をすると、どうしてか彼女が静止した。表情は分かりづらいけれど、驚いているように見える。そういえばマニュアルにアンドロイド内部の熱が急激に上がって止まることがあるって書いてあったっけ。


 心配になって思わず立ちあがると、急に彼女が接近してきた。


「大丈夫なのですか?」


「俺は大丈夫だけど。そっちこそ大丈夫?」


 急に止まったり動きだしたり、心配になるのはこっちの方だ。アンドロイドを心配するのもおかしな話だけど。


 それよりも、どうして俺の心配などしているのだろうか。その答えはすぐに彼女が言ってくれた。


「私は問題ありません。飯野さんこそ、体調が悪くありませんか?」


「悪くないけど……」


「そうでしたか。事前に送られた飯野さんの情報には『業務に真摯に向き合う姿勢』とあったので心配しておりました。朝から呆けたような様子でいらしたので」


 もしかしたら俺は考えすぎだったのかもしれない。自分の時間が減ってしまうだとか、監視されているだとか、余計な心配をしていた。


 少し察しの悪いところは仕方がないけれど、人間的な思考に近い人工知能なのだ。悪気はないのだろうし、アンドロイドなりに思考して導き出したのだ。こちらも彼女のことを知っていかなければ。


「そのことなんだけど、アンドロイドが導入されたから少し驚いていただけっていうか」


「ということは、私はお邪魔ということでしょうか」


「いや! そういうわけではないんだけど、日常や日課に新しいものが入ってきたら戸惑ってしまうんだよ」


「そういうものなのですか。そういうことでしたら、あの件はどうしましょう……」


 深刻な雲行きを暗示させるように言葉を止める彼女を見て何だか嫌な予感がしてきた。


「……あの件って?」


「申し訳ありません。私、飯野さんが体調不良であると思っていたため、マスターに休ませる旨を伝えてしまいました。ですので、これから体調不良ではないと伝えて――」


 ここで俺は彼女の言葉を遮るようにはっきりとした口調で言った。


「なるほどね。そういうことなら俺も行くよ」


  呆気にとられたように口を開いたままの彼女をよそにマニュアルを閉じた。元はと言えば俺が原因なところがある。それにちゃんと規則は守らないと。


「とりあえず行こうか。休憩時間が終わる前に伝えないとまずいし」


「そういうことでしたら今すぐに行きましょう。道案内は私が」


 そう言うと、彼女は扉を開けて先に部屋を出た。普段であれば、この扉が開けっ放しになることはない。開けられたままであることから、きっと開けておいてくれているのだろう。


「よし、それじゃ行くか」


 これからはアンドロイドと共生していく時代になるのだろう。しかし、そうなっても人間は平常心を保たなければならない。今日の俺のように変な心配をかけてしまうかもしれないし。


 なんだか少し曇っていた気持ちが晴れていく。まるで今の空模様のようだ。




――――――――――――――――――――――


○後書き


お読みいただきありがとうございます。

個人的にも中々難しい題材だったのではないかと思っています。

ですが、これは次に書く長編の前日譚のようなもの……。

もしよろしければ評価や♡などしていただき、連載まで待っていただけると幸いです。


では。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

曇りのち晴れ pan @pan_22

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ