第1話 ドラゴンと生贄

「ゲッ! 作業部屋が開いてる!」


 歯医者から帰ってきた僕は荷物を適当に置くと、大慌てで、しかし驚かさないよう細心の注意を払ったしずかーな足取りで、愛猫に近付いた。


「ただいまカツ丼。ちょーっとお口見たいなあ……」


 ソファで丸くなってるカツ丼のフワフワな身体を慎重に撫でる。

 ゴロゴロと喉を鳴らして、いつもの調子だ。


「よかった。誤飲はしてなさそう。おててとあんよも平気かな? ミニチュア踏んでない?」

「にゃー」

「大丈夫そうだね」


 ってことは、ドアが開いてることには気付かなくて、ずっとここで寝てたのかな?

 よかった。

 作業部屋に入られてミニチュアを誤飲されたら、僕は僕を一生許せない。


「閉めたと思ったんだけどなあ? でも、カツ丼はドアを開けられないもんね」


 自力で家の扉を開けるところを僕は見たことがない。

 我が家は古い家なので基本的には引き戸で、カツ丼は引き戸すら開けられない。

 ドアはトイレと作業部屋くらいなのだが……。ノブはL字が横向いてるっぽいやつじゃなくて、昔ながらの丸ノブ。ガチャッとやるのは、猫には難しいと思うんだよね。


「なんにせよ、僕の不意注意だ。気を付けなきゃ」


 僕はカツ丼をもうひと撫ですると、作業部屋を閉めに向かった。

 ノブに触れた瞬間、動きを止める。


「声?」


 作業部屋から知らない声が響いてくる。

 地響きのように低くて、老兵みたいな渋い声。

 その声は、酷く狼狽えていた。


「もしかして、ジオラマに誰かきた?」


 僕は作業部屋に飛び込む。


「あっ、カツは駄目だよ」


 後ろからカツ丼が入ってこようとして、急いで外に出した。ニャーニャーと文句を言われる。


「細かいものがある作業部屋は立入禁止です」


 僕は異世界と繋がったジオラマを探す。

 声の出所は、火山地帯ジオラマだった。

 こだわり抜いた火山ジオラマは、火山口から不穏な煙が立ち登り、地表にグツグツとマグマの川が流れる恐ろしい姿に変貌していた。


「あっつ……!」


 強い熱気を感じて、思わず顔を顰めた。

 ブワッと汗が一気に吹き出してくる熱量だ。

 カツ丼が作業部屋に入らなくて本当によかった。こんな熱いのに触ったら、カツ丼のプニプニ肉球が火傷しちゃうよ。


「邪神様! 邪神様! わたくしめにどうかお慈悲を!」


 悲痛な叫び声に、僕の心臓が跳ねる。

 火山ジオラマの中で、ドラゴンが叫んでいた。

 鴉の羽みたいな、光の加減で紫にも見える黒い鱗に覆われたドラゴンは……最高に格好いい!


「わ、我に人間の世話など無理じゃ! あああっ、邪神様のお言葉がないと……! ど、どうすればいいのじゃ!」


 格好いいドラゴンは倒れている子どものそばで長い首をソワソワと動かす。

 伸ばしっぱなしのボサボサ髪。骨ばった身体。薄汚れた子どもは、明らかに危機に瀕している。


 それもそうだ。

 こんな灼熱の場所に、小さな子どもがいられるわけない。というか、場所が原因なだけじゃない。


「ふざけんな」


 僕は唇を噛み締めた。

 子どもは服とも言い難いボロ布を纏っていて、覗く素肌には生々しい暴力の跡が刻まれていた。


 僕は吐き気を伴う嫌悪感と苛立ちを抑えながら、急いでいくつかのケースを持ってくる。

 作り途中のポーション屋ミニチュアハウスに並べる予定のポーションの数々を選別しあ。


「先に作っておいてよかった。確か、傷を回復させるポーションも作ったはず……」


 ポーションは、ガラス瓶にハーバリウム用のオイルを入れたものだ。

 僕はどんな重傷でも治す万能薬エリクサーをイメージして作ったものを見付けた。ガラス瓶の中はネイル用ラメで輝き、底には賢者の石をイメージしたレジンが沈殿している。


「これ、飲ませてあげて!」


 唯一の失態はこのポーションは飲まないと効果が出ない設定にしてしまったこと。

 ポーションの見た目にこだわりつつ、どんな味かなあ? と妄想するのが楽しかった。


 妄想と現実の差を痛感する。

 本当に危機に瀕している人は、ポーションを飲めない!


「一口でも飲めれば全回復するから!」


 僕はドラゴンの前にポーションを置く。

 必死な声が届いたわけではないだろうが、ドラゴンがポーションに気付いた。


「こ、これはどこから? まさか、邪神様ですか⁉︎」

「守護神の次は邪神扱いか! いまはもうなんでもいいから、それをその子にあげてくれ!」


 でも、ドラゴンの手ではポーションの蓋は開けられないようで、僕は頭を抱えた。


「あれだ!」


 僕はハッとして、作業机に置いてある段ボールを開いた。

 丁寧に丁寧に梱包したそれを開く。

 中には友達にプレゼントする予定のドール用アクセサリーが入っている。


 それは『人外が人間になる魔法』がかかった王冠。


「人外×人間の異種族恋愛が好きだ! けど、そのままじゃなくて、一度人外が人間になって、その後になんか違うな……ってなって、人間が人外の姿を受け入れるまでの複雑な工程が好きなんだよ! 人間になる理由は、人外側が悩んでてもいいし、人間側の問題でもいい! 外見だって人外バージョンと人間バージョン、どっちも考えるの楽しいし、二度美味しいじゃん! 人外を人間にするのは邪道って意見も分かるけどよぉ……ごめん! 一度は絶対に人間にする! 地雷避けしてくれええええっ」

 と頭を掻き毟って熱弁するクソ拗らせた性癖の友人にプレゼントする予定だった。


 ちなみに、こいつが僕を異種族恋愛沼に引き摺り込んだ。

 その節はありがとう。

 今月の締め切り頑張れ。

 脱稿おめでとう兼誕生日プレゼントの予定だったが……


「ごめん! 人命優先なんだ!」


 あいつなら理解してくれる!

 むしろここでこの状況を放置したらブン殴られる!


 僕は王冠をドラゴンの角に被せた。

 途端に、王冠が光る。


「な、なんじゃ⁉︎」


 困惑するドラゴンの巨体が眩い光に飲み込まれた。

 目が眩むほどの光が収まると、そこには角の生えた赤褐色の男性が立っていた。

 引き締まった筋肉は美術館にある彫刻みたいで、黄金比っていうのかな?


「こ、これは、いったい……そうか! 邪神様はこの姿で我に下僕の管理をせよと命じておられるのですね!」


 感覚を確かめるように手を握ると、人になったドラゴンはポーションを拾った。


「下僕よ! お前の命は邪神様のものじゃ! 勝手に命を散らすなど、許されん!」


 ドラゴンは子どもを抱き上げてポーションを口に運ぶ。

 息が荒い子どもに、量も考えずに無理にポーションを与えたから子どもは盛大に咳き込んだ。

 けど、一口は飲めたのだろう。

 次の瞬間子どもの怪我が消え失せ、苦しそうな咳も治り、子どもはうっすらと目を開けた。


「よかった」


 僕もひとまず胸を撫で下ろす。

 あまりの乱暴なやり方にハラハラしたけど……ドラゴンだから仕方がないか。


「ええと、暑さダメージを無効化するポーションもあったよね」


 ゲームに影響されて作った環境デバフを無効化するポーションは、薄い水色で雪の結晶をイメージしてラメを入れてある。

 僕は、それもドラゴンの近くに置いた。


「これも飲ませよとの仰せですね! 邪神様!」

「邪神じゃないけど、その通りですっ」


 邪神信仰らしいドラゴンは、子どもにポーションを飲ませていく。

 子どもも元気になったようで、自分でポーション瓶を持って飲み始めた。喉が渇いていたのかゴクゴクと喉を鳴らして二本分スッカリ飲み干す。


「絵面があれだけど、仕方がない……」


 僕はドール服を漁りに行く。

 全裸の褐色イケメンと、ボロボロな子どもの組み合わせは、倫理観がまずい。

 まあ、ドラゴンに人間的な倫理観と貞操概念があるとは思えないから、間違いは起こらないと思うけど……。


「異種族恋愛には、年齢も性別も関係ねえ!」

 との、異種族恋愛好きの友人の言葉が頭の中をグルグルと巡る。

 ともかく、僕はバスローブをドラゴンの頭に被せた。


「ぶわっ! なんじゃ⁉︎」

「⁉︎」


 ドラゴンはバスローブに驚いて手で払う。

 抱き上げていた子どもをまったく気にしない動作のせいで、子どもは地面に尻餅をついた。


「おぉう、実に良い肌触りじゃあ……黄金の羊の毛皮よりも堪らんのう」


 ドラゴンはバスローブを抱き締めて頬擦りをする。

 気に入ってくれたみたいだが、それが服と分かってないらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る