第5話 遊離世界ジオランド

「ッ――ヒギャァアアアアア!」


 青ざめる僕の真下から、絶叫が響いてくる。

 ああっ、時すでに遅し!


「おれちゃんもねんねするー! 布団開けて。なあ、早く! 早く早く早く早く! 早くしろよー!」

「ど、ど、どち、どちら、さま、ですか……?」

「開っけっろ!」

「ヒィ! わ、分かり、ました!」

「…………」

「ど、どう、ぞ……」

「んー……」

「……あ、あの、入り、ません、か?」

「…………うーん。入る……」


 天蓋てんがい付きベッドの中から会話が聞こえてくる。

 衣擦れの音。それから三秒ほどの沈黙。


「なんか違うっ!」

「フヒィイイイ……ッ⁉︎」

「枕ふかふかだー! こっちにするー! 枕ね、こっちね、もみもみするから頭邪魔。退け」

「ご、ごめん、なさいっ、い、いま起き――」

「ああーっ! なあなあなあ、膝! お前の膝にするぅー!」

「ゥンギャアアアー! ヒ、ヒィ、ヒイッ……う、内腿に、爪を、立てないでえ!」


 すみません。

 猫って、布団に入ってきたかと思ったら突然飛び出すんですよ。

 そして、こちらの身体構造を完全に無視して身体の上に全体重をかけて乗ってくるんですよ。特にうちの子は両足の間に入るのが好きで、股関節が悲鳴を上げるんですごめんなさい!


「やっちまった……」


 僕は顔を押さえた。目を瞑れば瞼の裏には二人のドタバタなやり取りがハッキリと浮かび上がる。

 これは、天丼を回収すべきだな……。


「ねえ、私のこと、怖く、ないの?」

「なにがー?」

「私は、最高位の魔眼まがんを、持ってて……なんでも、視えちゃって……あっ! いまはちゃんと、制御セーブできる、よ!」


 少女が天丼を胸に抱き、外に出てきた。


「でも、周りからは……怖がられて……。なのに、魔導長ギルドマスターに、なったら、みんな、態度変わるし……」


 俯きながらボソボソとぼやく少女の腕から、天丼は絨毯へと飛び降りた。ゴロンと寝転がり、だらけた姿勢で毛繕いを始める。

 よし。いまなら捕まえられそうだ!

 ピンセットで狙いを定めた時、天丼が僕のほうを見上げた。僕はビクッと動きを止める。


「お前。あれ、視えてないんだろ?」

「……あ、あれ?」


 天丼の視線を追って少女は頭をもたげるが、やはり彼女の目に僕は映らない。


「ど、どれ? なに、も、感じない、けど……」


 少女は首を傾げた。

 フフン! と天丼が鼻で笑う。


「なーにが魔眼だ! おれちゃんのほうがすごいじゃーん!」


 髭をピンとさせ、偉そうに「怖くないしー!」と断言する天丼。


「ほ、ほほほ、ほん、ほんとに⁉︎」

「!」


 それを聞いた途端、少女が勢いよく絨毯に両膝を付いた。ズイッと天丼の顔を覗き込むが「ビックリさせるなあー!」と即猫パンチを喰らう。


「ご、ごめ……んっ、う、嬉しくて……」

「はーあ? なーにがぁー?」

「その、怖くないって……」

「怖くない奴を、怖いって言うの変だろ。ヘーン!」

「そ、そう、だね。ヒヒッ! 君は、怖くないんだね、私のこと……そっか。ヒヒッ、ヒッ、ヒヒヒヒヒッ、ひくっ、ひっ、ぅ、うぇえええん!」

「ビャッ⁉︎」


 怪しい笑い声は嗚咽に変わり、少女は感情のまま天丼に飛び付いた。尻尾の毛を逆立たせる天丼の腹に顔を埋め、泣き叫ぶ。


 魔眼を保持している少女の人間関係は、僕が考えているよりもずっと複雑そうだ。

 辛い目にも、遭ってきたのだろう。

 初めて自分を怖くないと言ってくれた相手に感情が緩むのは仕方がない。とても感動的なシーンだ。

 でも、でもね。


「やぁだああああっ! おれちゃんのキューティクルお毛毛を濡らすなこのやろぉおおおー!」

「ヒギャアアアアア!」


 そこにいるのは、他人の過去も苦労も感動なんかも知ったこっちゃねえ俺様何様王子様なんです!

 本当にすみません!


「このっ! こんのぉおー!」

「ご、ごめ、っごめんな……さぁあああああ!」


 天丼は少女の頭を抱き込んで、髪の毛をモグモグし始める。

 感涙ではなく、慟哭を迸らせる少女。

 僕はピンセットで天丼を捕獲しようとしたが、それよりも先に少女がガバッ! と顔を上げてしまった。


「ご、ごめん、ね……許して?」


 起きた少女は天丼の乱れた腹毛を撫で整え始める。ピンセットを近付けられなくなった僕は様子を窺った。


「次は優しくやれよ!」

「あ、やるのは、いいんだ……ヒヒッ、やったー」


 実はうちの猫は、腹を触られること自体は平気なんだよなあ。むしろ好きなほうで……。どうやら愛猫を模した天丼もそうらしい。

 喉を鳴らして自分から腹を大きく晒した。


「あなたは、この島の、子? あの、私も、この島に、いたくて……。よければ、の、話、なんだけど……その、私と」

「そうだ! 今日からここで一緒に暮らすぞ」

「ふえっ⁉︎」


 少女が肩を跳ねさせる。

 顔を真っ赤にしてワナワナと震え始めた。祈るように両手を組んで「ほ、ほ、本当に⁉︎」と天丼に詰め寄る。


「おれちゃん、天丼っての。覚えろよ」

「テ、テェン、ドゥ……?」

「天丼!」

「テェ……テ、ンドォウン……テ、ドゥ……うぐっ、舌、噛んだ……」


 少女の呂律はうまく回らない。

 最終的に「テン」と呼ぶことで二人は話をまとめた。ただし、ちゃんと名前を呼べるように毎日練習することを少女は約束させられた。


「一緒に住むなら、テンのごはん、どうしよう?」

「おれちゃんのは用意してくれるから」

「用意、して、くれる? あっ、自分で狩るの?」

「んーん。してくれるの。そうだよなー?」


 天丼がこちらを見やる。

 はい、もちろん。ミニチュアキャットフードだけでなく、オヤツからおもちゃまで作らせていただきます。

 不思議そうに少女もこちらを見上げる。彼女の眼球に不思議な魔法陣が浮かんだが、すぐに消えた。


 あれが魔眼かな?

 しかし、どうやら異世界の最高クラスの魔眼でも僕の姿は認識できないみたいだ。不思議だよなあ。


「おれちゃん、向こう見たーい! 行くぞ!」

「じゃあ、行く前に、ベッドとか、魔法収納空間マジックボックスに、しまわないと……」

「ほっといても平気だよー。管理してくれる、してくれるー!」

「管理? 誰が……あっ! 先に、行かないで!」


 天丼はさっさと向こう側に繋がるトンネルまで飛んでいってしまう。

 少女は心配そうにベッド一式と天丼を交互に確認するも、ベッドをそのままに走り出した。


「テ、テン! そっちに、私の、住んでる場所、あるから、案内する、よ!」

「じゃあ早く来てよ! 早く早く早くー!」


 バサバサと羽根を羽ばたかせて急かす天丼。


「うん!」


 彼女の浮かべる笑顔は、これまでに見たどんな顔よりも明るくて、年相応だった。

 僕は咄嗟に尻ポケットに突っ込んでいたスマートフォンを取り出して、一枚撮った。


 二人の話し声がトンネルの向こうに消えていく。


 波音が消え、うみねこの鳴き声も聞こえなくなる。部屋のライトに照らされるのは、レジンの海と様々なミニチュアが散乱する岸辺。


「これじゃあ、天丼に帰ってこいとは言えないか……。困ったなあ」


 とか言いつつ、僕の口角は持ち上がっていた。

 スマートフォンの画面に残されたのは、輝く海にも負けない眩しさを放つ一人と一匹。

 まるで、昔からの親友のようだ。


「我儘王子様だけど、内弁慶で根は寂しがり屋なビビリだし。実はいいコンビになるかな?」


 これもSNSに載せさせてもらおう。

 万バズに怯えている場合じゃない。こんなにも素敵な笑顔を、僕のスマートフォンの中にだけしまっておくのは、あまりにも勿体無い。

 僕はすぐにSNSを開いて、画像を添付した。


「さて、天丼のお言葉通りジオラマの管理をしたら寝ようかな!」


 雨戸を閉めているので外の様子は分からないが、こちらの世界ももういい時間だ。


「寝る前に猫のトイレ確認しなきゃなあ」


 自動トイレ買おうかなあ? とか考えつつ、僕はミニチュアハンバーガーセットの残骸を回収したり、ミニチュア生姜焼き定食をジオラマ内に用意しておく。


「あれ? この本は……あの子、だよね?」


 岸に散乱している本を集めていた僕は、これらが自分の作ったミニチュアでないことを思い出す。

 表紙には見慣れない不思議な文字。

 僕はそれを一冊拝借する。ミニチュア本とか豆本と呼ばれるものを作った経験がある僕は、小さな本を苦もなく指で開いた。


「天丼って発音にも苦戦してたし。言葉は違うよね」


 ページを捲っていけば、読めない言語の羅列がビッシリ。


「うーん。聞いてて言葉は分かるから、ちょっと文字も期待したんだけど……えっ?」


 不意に、グニャリと文字が歪む。

 文字列は虫のように蠢いて、瞬く間に僕のよく知る言葉に変貌した。


「うわっ……⁉︎」


 信じられない光景に心臓が痛むほど飛び跳ねる。

 豆本を落としそうになったが、なんとか留まった。人様の本だからね。傷付けないようにしないと。

 深呼吸をして荒ぶる心臓の鼓動を宥めてから、僕は読めるようになった豆本をソッと確認する。


遊離ゆうり世界ジオランドは、今尚成長を続けている……? これって⁉︎」


 開いたページには、僕はジオラマと繋がった世界について記されていた。

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