第2話 海賊船襲来

「……これ、は……いら、ない」


 ペッ! と口に入った海水と一緒に少女は不満を吐き捨てる。

 ノロノロと起き上がろうとして「ぁびょえん……!」と、また奇声を発して顔面から砂浜にすっ転んだ。濡れたローブの裾を自分で踏んだようだ。

 ピンセットを伸ばしかけたが、ふらつきながらも彼女は一人で立った。おおっ偉い偉い。


「こ、こんな、いい、生活……や、め、られ、ない……」


 鼻の先に砂をつけたまま少女は、ヒッヒッヒッヒィ……と肩を揺らした。

 陰鬱な森に引き篭もる老婆じみた怪しい笑い声を響かせて、彼女は散らばった食料を集め直す。

 不気味ではあるが、僅差で心配が勝つ。


「絶対に無人島生活なんて似合わないのに。どうして舟を嫌がるんだろう?」


 彼女が無人島生活を好む理由が、まったく分からない。

 白い砂浜も青い海も似合わない少女は、一人で無人島生活ができるタイプではない。それなのに、彼女は僕が脱出用の舟を用意する度に必ずそれを壊す。

 そして壊される度に僕の心は凹む。ベッコベコに。人命に比べれば、僕のメンタルなんて二の次だけど……凹むものは凹む。


「多分、この子は魔法使いなんだよね?」


 気持ちを切り替えて観察と推測を開始。

 死霊使いネクロマンサーとか呪術師じゅじゅつしのほうが似合っている気もするが、これまでの様子やさっきの炎のからして魔法使いだと推測する。

 僕のファンタジー知識は偏っているので、詳しい人が見たらもっと適切な職業ジョブが判明するかもしれないけど。こんな不思議光景を、そう簡単に他人様に曝け出せるわけがない。


「魔法使いの無人島生活って、なにか意味があるのかな?」


 修行でもする気なのか?

 それにしては準備がない。意図的に準備をせず、行き当たりばったりな過酷修行をするタイプでもないだろう。


「分からん!」


 そもそも世界観が違いすぎる。

 ジオラマに現れる人たちがどんな異世界で暮らしているのか、僕はしっかりと把握できていない。分かることは一握り。


「これ、で、また、しばらく、保つ……フヒヒヒヒ……」


 眉間の皺を深める僕をよそに、少女は食料を拾い切るとふらりふらりとトンネルの向こうに帰っていった。

 彼女はトンネルの向こう側を居住地にしている。


 残念ながら、僕はそっちを観察できない。

 向こうの様子を確認しようとトンネルを覗いても、彼女がトンネルから向こう側に出た瞬間トンネルの向こう側は真っ黒な壁になってしまう。つまり、少女がトンネルを抜けると無人島はジオラマに戻ってしまうんだ。


「彼女のおかげで、異世界と繋がったジオラマについては少し分かったんだけどね」


 僕は無人島ジオラマの海を指先でなぞる。


「ジオラマが本物になるのは、異世界の住人がいる間だけ」


 かたいレジンの触感を堪能した人差し指で、次は自分の顎下を探偵よろしく一撫でしてみた。


「本物になっているジオラマに入れたミニチュアも本物になる。やってくる異世界の住人たちには、僕の姿は見えない」


 あと分かっているのは……


「向こうの世界観は、剣と魔法のファンタジー。技術は、多分そこまで発展していない」


 それくらいしか把握できていない。

 ゆえに、異世界の女の子の事情なんて、眉間が痛むほど考え込んでも分かるわけがない。分かるわけがないが、分からないからって放っておけるかといえば、そこはまた別問題。


「果物ばかりじゃバランスが偏るよなあ。いい加減に、ガッツリと肉でもあげたいなあ。ただ、どの程度の発展をしているか分からないからタッパーは使えないし。前回の二人の様子からして、サンドイッチは無難そうだけど……サンドイッチがそのまま流れ着くなんて魔法の世界でもおかしいだろ」


 いい方法ないかなあ……。と、ぼやきつつ床のスマートフォンを拾い上げる。


「はあー……舟が駄目なら、もういっそのこと飛行機でも用意するか?」


 剣と魔法の世界にそんなものを渡したら大混乱じゃ済まないだろう。

 いいや、意外と魔法と科学の融合的な感じの……こう、なんらかの空を飛ぶ物があるかもしれない。妄想すると、正直すごく楽しい。


「んん? 空を飛ぶ……?」


 僕はちょっとした閃きに襲われる。


「魔法の箒でも作るか!」


 魔法があるなら、きっと浮遊魔法だって存在する。なかったとしても、ダンジョン内の不思議アイテム的な感じで受け入れてもらえるのでは?

 前回の遺跡ジオラマに来た二人の会話から、ジオラマと繋がった異世界には『技能スキル』『加護』『付与魔法エンチャント』など、そういう不思議な力があるのは把握済み。


「そうだよ! ただの舟よりも、空飛ぶ箒のほうがマジックアイテムとして受け入れてもらえるじゃないか!」


 三時までなら夜更かしセーフ。善は急げ。

 僕は嬉々と作業机に戻ると魔法の箒作製に取り組んだ。


 ――それから。

 爪楊枝と乾燥コキアで数本の箒を作ったあと、僕は装飾に悩んでスマートフォンを弄っていた。


「異世界ジオラマに置いたミニチュアは僕の考えた設定が反映されるんだから、せっかくなら設定もこだわったほうが面白いよなあぁーあーあーあー…………あ?」


 深夜テンションのまま語尾で歌っていたら、何の前触れもなく違和感に襲われる。

 胸の奥が妙にざわめいた。


「この感じは……。でも、さっき来たよな?」


 彼女は一度物拾いにくると向こう側に引っ込む。いままでの経験上、二回はこない。


「それに、なんかいつもと違う感じがする」


 僕は操作中のスマートフォンの画面を消すこともせず机に放置し、直感に従って無人島ジオラマへ早足で向かった。

 無人島ジオラマを覗き込み、ギョッと目を剥く。


「か、海賊っ⁉︎」


 無人島ジオラマに、海賊船が襲来していた。

 大型船は、イカリを下ろしていないのに、波にさらわれずその場に静止している。破れた帆。穴の空いた木製の船体。航海などまず不可能な見た目だ。

 しかも、青々としたレジンの海は底の見えない夜の海に変化していた。岸も翳り、うっすらと霧掛かっている。


「海賊船と言うより、幽霊船か?」

 

 そう呟いた時、甲板の穴々から骸骨が這い出してきた。甲板は、あっという間に動く骸骨で埋まる。

 骸骨たちは下顎と上顎をガヂガヂと激しく鳴らし、骨腕を力強く振り始めた。

 それが骸骨たちなりの鼓舞だと理解した瞬間、ゾワッと背筋が粟立った。


「ッ――まっずいだろこれ!」


 衝動的に、僕は甲板の骸骨たちを手で払った。

 骸骨たちが吹っ飛ぶ。バラバラに砕けて、暗い海に落ちた。


「こいつら、あれだよな。動く骨のモンスター……スケルトンって、総称のやつ?」


 こいつらが生まれながらのホネホネモンスターなのか、死後にモンスターになってしまったのかは判別できない。

 でも、明白な殺意があるのは一目で把握できた。


「頭の中スカスカなのに、武器が使えるのかよ!」


 スケルトンたちは剣、槍、弓矢など、確実な殺意と悪意の塊で武装していた。

 こいつらがトンネルの向こう側にいる少女と出会ったらどうなるか?

 僕には、ハッピーな想像は到底できない。


 というか……


「僕のジオラマで嫌な事件は起こさないでくれ!」


 これに尽きる。

 自宅の作業部屋の、自作ジオラマの中で人命に関わる事件が起きて平常心を保てていられるか。


 僕は容赦なくスケルトンたちを海へ払い落とす。シッシッシッ……!

 僕の姿をスケルトンたちは認識できないので、なす術もなく吹き飛ばされては海に沈んでいく。

 が、失念していた。


「うわっ……まだ動くのか⁉︎」


 動く骨には溺れるという概念はないらしい。

 甲板に散らばっている骨々が蠢いて、形を整え直すと立ち上がった。さらに、ワラワラと海から岸にスケルトンどもが這い上がってきて……うわあ、鳥肌が立つ。

 こうなれば、一旦トンネルを塞ごう。

 そう思ってトンネルに目をやり、僕は固まった。


「な、ん、の……さわ、ぎ?」


 最悪のタイミングで、少女が来てしまった。

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