第4話 異世界ジオラマ
「よかった……」
はあー……と脱力。僕は椅子に、ぐでっと座り込んだ。そこで無意識に身体が強張っていたと気が付く。
第三者だけど、目の前であんなやり取りを見聞きしたら緊張もするか。若い子の苦労話はこの年齢になると厳しい。……美人な妹さんが売られる先なんて、嫌な予感しかしないしね。
「有り余る額になって、本当によかった」
兄妹には今後の生活もある。多過ぎて悪いことはない。
「この剣は……すごいな。ドワーフどもに見せたらとんでもねえことになりそうだ。これは売らずにお前が使え。質のいい武器は中古でも値が張る。今後、なにかあった時に売ることもできるしな」
「はい。分かりました」
「おっ、このブローチは妹にくれてやれよ」
「えっ! いいんですか⁉︎」
「手土産もなしに迎えに行くつもりか⁉︎ オラ、間違って換金しないよう別に持っとけ」
「あ、ありがとうございます……!」
それに、金を狙った悪党に彼が狙われたとしても、この世話焼きお姉さんが守ってくれるだろう。
女性は入念に品々を査定していく。盗賊なだけあり、鑑定眼はしっかりしていた。
「先生! この髪飾り、絶対先生に似合いますよ!」
「ハァア⁉︎ ア、アタシはいい! それ銀細工じゃねえか! しかも加護もついてるっぽいし……魔導
それは妖精が作ったイメージの髪留めです。
「お釣りがくる量ならひとつくらいいいじゃないですか! 一人ひとつ、記念にしましょうよ!」
屈託のない笑顔で『記念』と言われたら断れないよね。女性は歯を食い縛り、ぐぬぬぬ……と呻く。
反論できずに押し黙る女性の、その無言を同意と
優しい手付きでポニーテイルに蝶を模した髪留めをつける。
「先生の髪、前からきれいだと思っていたんですよね」
「アー……ソーデスカ……」
「ほら。薔薇で蝶が休んでいるみたいです」
おおぉっ、言葉選びが逸材だなこの少年。歯の浮くような台詞が似合っている。
「気は済んだか? なら、早く散らばったの集めろ!」
「お、お時間取らせてすみません……!」
面倒そうに立ち上がると、女性は少年のほうを見ずに少し離れた位置に転がってしまっている品物を大股で取りに行った。少年も慌てて指示に従う。
「先生には、食べ物のほうがよかったかな?」
眉をハの字に下げ、少年はしょぼんと呟く。
彼からは女性の背中しか見えていないので分からないのだろう。
上からジオラマの全体を覗ける僕には、必死に感情を押し殺している女性の赤面が丸見えだった。
微笑ましいなあ。
「しっかし、どうやって持ち帰るか」
「まさに、宝の山ですね……」
しばらくして。
荷物をまとめた二人はパンパンのリュックの前で首を捻っていた。
本物になるということは、重さも本物になるということで……
「すみません……。そこ、考えてませんでした」
声は届かないけど、僕は謝罪する。
金・銀製品に宝石細工や調度品の数々……そりゃあ重くなるわけでして。二人はどうやって持ち帰るか話し合っていた。
「アタシの
「すみません。ぼくが前線に立てれば……」
「元々お前は魔法職向きだ。金が入ったら魔導
「えええっ! 先生が教えてくれるって言ったじゃないですか! ぼくは先生に教わりたいです!」
「……お前、目標達成した途端にワガママになったな」
「素直になったと言ってください」
「ったく」
「あの、素直になったついでにちょっといいですか?」
「ぁあ?」
「多分、いける気がするんです」
どういうことだろう? 僕は、いや。僕だけじゃなく、女性も少年の行動に注目する。
少年は軽やかな足取りでまん丸のリュックに近付くとその持ち手を掴んで――「よっ」軽い掛け声とともに自分の何倍も重いリュックを、軽々と背負いあげた。
僕と女性は一瞬の出来事に言葉が出なくなる。
「うん! 大丈夫です!」
少年の元気な声。
一拍遅れて、僕と女性は同時に我に返った。
「お、お前! はぁあああっ⁉︎」
「さっきのパン。あれを食べてからすごく魔力が湧いてくるんです! それで、試しに自分に身体強化の
少年は大荷物を背負ったままバレリーナのように回ってみせる。
不意に、僕は思い至った。
「もしかして、魔女が作ったパンを食べたから?」
ジオラマやミニチュアがどういった原理で実物と化したのかは分からない。
しかし状況を観察するに、これらは僕のイメージを反映している節がある。
先程、女性は髪飾りに加護がついてると言った。
あの髪飾りは『妖精職人のお店』をイメージしたドールハウスに飾る予定のもので、妖精が作った髪飾りの設定だ。
だから、妖精の加護が宿っていればいいと妄想していた。
この遺跡ジオラマだって
僕は設定を考えるのが好きで、自作ミニチュアやジオラマの殆どにそれなりの設定がある。
「もし、僕の
とすれば、魔力が高まるのも頷ける。
少年は本来は魔法使い気質らしいし、相性がよかったんだろうな。
「詳しい設定、書いてたよな?」
僕は机の端に放置していたスマートフォンを調べようとして――
「んじゃ、出るか!」
「はい。行きましょう!」
えっ⁉︎ ちょっと待って!
二人の
本当に咄嗟に、頭で考えるよりも先に、僕は二人を撮っていた。
巨大なリュックを楽々と背負っている小柄な少年と、ちゃっかりランチセットも拝借している赤髪に髪飾りがよく似合う女性。
二人は迷いのない足取りでアーチ状の出入り口を潜ると遺跡の中に消えていった。
名残惜しさから僕は二人を追い、出入り口の奥に続く廊下を覗こうとしたが……そこには、黒塗りの壁があるだけ。
「…………戻って、る?」
においを嗅ぐ。自宅のにおいに染まりすぎて、ジオラマ特有の癖になる異臭はとっくに薄れている。
当たり前のように土の湿った香りも、風も感じない。
あるのは、ただの遺跡ジオラマだ。
それでも――
「夢じゃない」
僕のスマートフォンの画面には、目的を達成して帰路に着く冒険者たちの眩しい笑顔が残っていた。
僕の記憶にも、刻まれている。
「…………」
僕は静かにスマートフォンを操作する。
作るだけ作って動かしていなかったSNSを開いた。そこには、作品を載せようとして何もできなかった僕のアカウント。
僕は自作したものを人に見せる気になれなかった。
もしかしたら、心のどこかでいい大人が小物作りを趣味にしていることを馬鹿にされる恐怖心があったのかもしれない。いまの多彩なご時世、そんな偏見のほうが少ないだろうが……。それでも、心のどこかで引っ掛かっていたんだろうなあ。
見てほしいけど、見られるのがこわい矛盾。
その矛盾が、いま、ようやくなくなった。
「あんなに美味しいって喜んでもらえたし」
二人の笑顔が、言葉が、僕の背中を押す。
「それに、忘れたくないな」
明日になったらスマートフォンからこの画像が消えてしまうかもしれない。
二人の笑顔が、消えてしまうかもしれない。
この不思議な出来事が、現実から失われるかもしれない。それは、いやだ。
『異世界ジオラマ』
一言そう添えて、僕は画像をSNSに投稿した。
この時の僕は不思議な経験にアドレナリンがドッパドパになっていたんだ。
つまり、後先を考えていなかった。
結果として――
「こ、これ……どうすればいいんだ……?」
次の日になっても画像は消えず、初投稿にして万バズと呼ばれる経験をした僕は白目を剥く。
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