第367話 魔王少女と愛
≪マオside≫
リリに突如として肩を押され、気がつくとマオは見慣れた自分たちの屋敷の近くに放り出されていた。
最後の瞬間のリリの様子から自分には感じ取れなかった危険が迫っていたのだと理解はできるが、そうなるとリリが無事なのか心配になってくる。
「戻らないと…ううん、今行くと邪魔になるのかも…?」
マオは自分が戦闘力と言う点であの場にいた者たちに頭一つ下がっているのを誰よりも理解している。
戦うという機能を持たされず生まれた存在であるがゆえにどうしようもない事と言える。
「それでも心配しちゃう気持ちはどうしようもないよ…」
無意味な事だとしても、大切な人の身を案じてしまう気持ちを止めることは出来ない。
マオはこれからどうするべきなのか理性と衝動の間で揺れつつも、無意識に屋敷のほうに脚を進めた。
「なにこれ…」
歩みを進めるにつれて屋敷の周囲に激しい戦いでもあったかのような跡を見つけ、マオは足を速めて屋敷の扉を開け放つ。
普段慌ただしく働いている悪魔達も出払っているためか閑散とした屋敷の中で、重苦しいような…ゆっくりと身体全体を握りつぶされていくような感覚を覚える。
「リフィル!アマリリス!メイラさん!いるの!!」
なにか胸騒ぎを覚え、大声で家族たちの名前を呼ぶと荒々しくどこかの扉が開け放たれ、焦燥した様子のメイラが顔をのぞかせた。
「魔王様…!」
「メイラさん!なにかあったの?」
「二人が…リフィルちゃんとアマリリスちゃんが…」
「っ!」
それを聞いた瞬間、続きを聞かずに弾かれたようにマオは走り出してメイラが出てきた部屋の中に飛び込んだ。
そこにはぐったりとした様子で寝かされたアマリリスと…異様な雰囲気を纏って、うつむいたリフィルがいた。
「二人とも何が…」
「も、申し訳ありません魔王様!わ、私が…何もできなくて…」
「落ち着いてメイラさん。ゆっくりでいいから話してみて」
「は、はい…実は…」
マオは帝国に赴いていた時に屋敷で行われた戦いの全てを聞いた。
クチナシの死、アマリリスの身に起きたこと全てを。
色々と情報が多すぎて脳内で消化ができていないが、それでも最初にやらなくてはならないことは分かっていた。
マオはゆっくりとリフィルに近づくと向かい合うようにして座る。
母親が来たというのにリフィルはマオの事を一瞥すらせずにひたすら何かを呟いている。
異変はそれだけではなく、マオはリフィルに近づくことでそれにようやく気がついた。
リフィルが座り込んでいるその場所が黒くなっていたのだ。
まるで黒い水を床に垂らしているかのように徐々に黒い染みがリフィルを中心に広がっていく。
「リフィル」
「…」
どう見ても普通の状態ではないがマオは慌てずに、静かに娘の名前を呼ぶ。
「リフィル私の声が聞こえてる?」
「…ママ」
そこでようやくマオの存在に気がついたのか、リフィルがゆっくりと顔を上げる。
その瞳はいつものリリ譲りの特徴的なガラス玉のような赤いものではなく、床に広がる染みと同じようにどす黒く染まっていた。
「どうしたの?具合悪い?」
「…」
そっと優しく撫でるようにマオがリフィルの頬に触れると、まるで氷を触っているかのように冷たく、子供の体温どころか生きている…命あるものの体温ではなかった。
「だめ、戻ってきてリフィル。私を見て」
「…ママ…あのね」
「うん」
「私ね…人間をみんな殺したいの」
リフィルの放った言葉に、後方で様子をうかがっていたメイラが息をのんだ。
マオは一瞬だけ目を見開いたが、それ以上は表情を変えなかった。
「どうして殺したいって思うの?」
「気持ち悪いから…私のアマリに…手を出したから。もう人なんていらない…みんなみんな殺して気持ち悪いものが無くなったほうが私もアマリもたのしい」
虚ろな表情である種の世迷言のような発言をするリフィルだが、彼女は小さくとも邪神だ。
本当に人をこの世界から殺し尽くそうと行動を始めたのなら、もはや止められるものなどいない。
仮に誰かが喰いとめることが出来たとしても、間違いなく世界に大きな傷跡を残すことになるだろう。
マオは普段は何も言わないがリフィルがそういう存在だという事を知っている。
むしろリフィルの近くにいてその危険性を一切理解していないのはリリくらいだ。
マオは息を少しだけ吐き出すとその両手で氷のように冷たいリフィルの手を取り、その瞳を正面から見つめる。
「リフィル聞いて。私はね、あなたが本当にやりたいのならやればいいと思う」
「…うん」
かつて自分勝手な理由で一つの種族を滅ぼしたマオは誇張もなくやりたいのならばやればいいと本気で考えている。
だが一点だけ、マオは娘に問いかけなければいけないことがあった。
「でもそれをする前に一度だけ考えて。そのあなたがやろうとしていることは誰のためにする事なの?」
「…アマリ」
「本当に?本当にそう思うの?」
「ママが何を言いたいのかわからないよ…「あい」のためなら何をしてもいいんでしょう?リリちゃんもそう言ってたもん」
「うん。リリはそう言ってるし、私もそう思ってる。愛のためなら何をしてもいいし、何をしても許されるし何でもしなくちゃいけない。でもね愛している人を理由に使っちゃいけないの」
「どういうこと…?」
そこでようやく黒く染まったリフィルの瞳がマオを映す。
「あなたがやろうとしていることは本当にアマリリスのためなの?アマリリスがそれで幸せになるって、自分に対して笑ってくれるって本当に思う?ただ自分が人を殺したくて、その理由をアマリリスに押し付けてないって言える?」
「…」
「実際結果はどうなるか分からない。でもね、アマリリスはきっと人のいなくなった世界であなたと一緒に生きてはいけない。長い人生を歩んではいけないと思う」
アマリリスはすでに純粋な人とは言えない。
しかしそれでもアマリリスは人という生き物なのだ。
邪神という世界の理の外にいるリフィルとはどうしても同じ場所に立つことは出来ず、生きるためには他者という存在が必要になる。
人が滅んだ世界で魔族がいない今、ただ一人、人として生き残ることになるアマリリスがそんな世界で生きて行けるのか…そも答えは────。
「うぅぅ…うぅううううううう!!でもでも…だって…」
「リフィルも苦しいよね。あなたのその苦しみを取り除けないのはきっと私のせい…でも一度だけ考えて。本当にアマリリスのために何かをしたいのなら、愛しているのならそれがその人にためになるかを、その人が望んでいる事なのかを。特に私たちやリフィルみたいな力を持っているならなおさらちゃんと考えないといけない事なの」
リフィルの瞳にうっすらと涙がにじむ。
幼い少女に説くにはあまりに倒錯的でおかしな話だとはマオとて理解しているが、しかしここでごまかすこともできない。
自分とリリという普通ではない二人の間に生まれた娘なのだから、遅かれ早かれこうなるような気がしていた。
二人のいいところも悪いところもこれほどかというほどに受け継いでしまっている子だから、正面からちゃんと伝えるべきだとマオは思ったのだ。
「お…ねぇ…ちゃ…ん…」
「アマリ!?」
アマリリスが目を覚まし、その小さな手を伸ばした。
リフィルは慌ててアマリリスに駆け寄りその手を取ってわんわんと泣き出す。
「うわーん!アマリ…アマリ…!」
「おねえちゃん…おてて冷たい…よ…。どこか悪い…?」
「わるくない…わるくない~!うわーん!わーん!」
アマリリスに縋り付いて大泣きをするリフィルの涙に混じって黒い何かが流れ落ちた。
黒く染まっていた瞳は元の赤いガラス玉のようなものに戻っており、床にできていた染みもいつの間にか消えていた。
マオはそんな娘たちの様子を見つめながら今だに戦っているであろう最愛のパートナーに想いを馳せる。
(この子たちがこの先どういう道をたどっていくのか私にはわからない。でもリリと一緒ならきっと…だからねぇリリ…私を置いてどこにもいかないで)
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