第356話 そこにいない敵
フィルマリアの振るう神刀は確実にその首と胴体を切り離すはずだった。
しかし結果としてそうはならず、必殺の一閃であったはずのそれはマナギスの両の義手によって挟まれるようにして止められていた。
白刃取りである。
「…」
「ふふ、ふっ…いやはや危なかった、ね」
刀と義手がお互いの腕に込められた力によって震え、カチャカチャとこすり合わせるような音が鳴る。
フィルマリアは表情の消えた顔で刀を引き戻すと間髪を入れずに今度は縦に振り下ろす。
それを義手の表面を使い、刃を滑らせるようにして受け流す笑顔のマナギス。
刀を振るい、それをいなす。
無表情と笑顔。
まるで力が拮抗している者同士の組手にも見えるそれだが実際の所マナギスに余裕はない。
人は常に努力し、未来を目指して進歩するべきという持論の元、自らも努力と研鑽を欠かさないために見た目に反して武道の心得もあるマナギスではあるが相手はこの世界を司る神。
本物の理不尽だ。
小手先の技術など気休めにしかならず、ただの人間がそのような物を用いても相手にすらなるはずもない。
「でも私はそんなものを認められるほど物わかりのいい女ではないので、ね!」
10,20と殺意の込められた刃を奇跡的な身のこなしで躱していく。
一瞬でも気を抜けばその瞬間にマナギスは敗北し、その無残な死骸を晒すことになるだろう。
それが分かるからこそ、マナギスはその一瞬一瞬に自らの全力を本気で尽くす。
反撃する余裕も、他の事に思考を割く隙もありはしない。
つまるところマナギスは技術でもなく、特別で理不尽な能力でもなく…ただその瞬間を全力で妥協せず必死になることで生き残っているのだ。
「さぁほらどうしたんだい!殺して見せなよ理不尽な神様!未来に進む人(わたし)に追いすがれるというのならやってみたまえ!」
「…」
フィルマリアは何も喋らない。
表情も変わることは無い。
しかしその目からは黒い泥のような涙がとめどなく流れ出している。
その心に溜まっていくのは憎しみ、恨み、殺意…そして苦しみ、悲しみ、嘆き。
許せなくて、殺したくて、苦しんでほしくて…泣きたくて、叫びたくて、痛い。
泥に沈んだ心ではもはやフィルマリアでさえ自分が何をしたいのか理解できていない。
目の前にいる女を憎い、殺したいと言ってみても。
実際にはどうなのかわからない。
刀を振り下ろす度に一つ、フィルマリアの中で何かが欠けていく。
憎いけれど何が憎いのか分からない。
痛いのにどこが痛いのかわからない。
残っているのは大切な…大切だった娘の事だけ。
しかしもはやレイがどのように笑っていたのかもおぼろげにしか思い出せない。
「ああそうだ…私はあの子の笑った顔を思い出したいんだ…そしてそのためにお前たちは邪魔だ。その後にもお前たち人間は必要ない」
だから死ね。
そして壊れた神様は憎しみを纏わせた刃を振り下ろす。
「私に言わせればいらないのは君たちの方さ!いつまでも私たちを見下ろせると思わない事だね」
あくまでもマナギスは諦めない。
刀を受け流している義手はメンテナンスを欠かしてはいないはずなのに部品の接続が緩んでいく。
まるでその部分を「偶然」見逃していたかのように。
人工内臓も機能不全を起こしかけており、呼吸が乱れて身体の動きも鈍っていく。
だがマナギスは苦しそうな表情すら見せない。
未来を諦めていない自分は絶対に死なないと確信しているから。
フィルマリアとマナギス。
この二人は戦いながらもお互いに相手を見ていない。
過去に縋り今が痛いと未来をを捨て去るフィルマリア。
未来は素晴らしいと過去を焼き尽くし今を見ないマナギス。
目の前にいるのは何よりも憎い相手のはずなのに、目の前にいるのは何よりも否定したい神であるのに。
彼女達が見ているのは滅ぼすべき種族と越えるべき理不尽。
「死ね」
「生きる」
刃と義手がぶつかり合う。
この二人が和解することは決してない。
フィルマリアはレイを追い詰めたこの世界に救う生きとし生けるもの全てを許すつもりは毛頭なく、マナギスにとって神などいいところ実験動物であり、そもそもリフィルの様に自身の研究に役立つ能力を持っていない限りは興味すら持たない。
どちらかが死ぬまでこの戦いは終わることは無く、そしてフィルマリアはマナギスの言う通りこの世で最も理不尽な存在だ。
故にこのまま戦い続けるのなら結末は一つ。
振り下ろされた刀を受け流そうとしたマナギスの義手が不自然に崩れた。
それと同時に義足の関節部に石のようなものが詰まって可動域が死んだ。
更には内臓のいくつかが機能不全を起こし、ほぼ止まってしまった。
これらは全て「偶然」。
どれだけ準備をし、対策を施しても絶対に排除できないごくわずかな確率の不運。
起こってしまったのなら運がなかったねと諦めるしかない運命のいたずら、世界の理不尽。
それを操れるからこその原初の神。
「さようなら。愚かで哀れで矮小で醜悪な人間。願わくば死の先で無限の苦しみを」
身動きの取れないマナギスに純白の刃が閃いた。
「いいや…どうやら残念で喜ばしい事に私の勝ちみたいだね」
甲高く、重厚的な音が響いた。
マナギスの命を紙切れの様に切り捨てるはずだった神刀の一撃は二人の間に突如として現れた何者かが片腕で受け止めていた。
「リリ…?いや…違う…」
それは一見するとリリのように見えなくもなかった。
だがそれから少し目を凝らせば全く別の存在だとすぐにわかるくらいには違う。
ならばなぜフィルマリアはそれをリリと見間違えてしまったのか…それはその存在が少女の形をした人形だったからだ。
そしてリリと同じように不吉な何かを感じさせるから。
「いやよかった…本当によかった。もちろん絶対に間に合うと確信はしていたけど…それでも過去最大級に慌てたよ。やっぱり諦めなければ道は開けるという事だね」
「なんですかこの玩具は」
神刀の一撃を片腕で止められた。
その刀に切り裂けないものなど銀の龍神レリズメルドの鱗などのごく一部の例外しか存在しないはずなのにフィルマリアの目の前にいる人形の腕は傷ついている様子すらない。
しかもどれだけ力を込めても行き場のなくした力がカチャカチャと刀を揺らすのみで人形はびくともしない。
「玩具…というのは少し不愉快かな。これはねようやく完成した私たち人類を一段上の次元に押し上げてくれる器…そのプロトタイプさ」
「はぁ?」
「君にわかってもらおうとは思わない。それにあんまり長々と話してると死んでしまいそうだ…内臓がほとんど機能してないからね…さぁ行こうか「レイリ」。まずは君の性能テストだ」
その言葉に反応し人形が動き始める。
勢いよく腕を跳ね上げ、神刀を弾くとマナギスの手を掴み、まるで煙のように一人と一体は姿を消してしまったのだった。
「逃げた…いいえ逃がさない。レイリ?ふざけた名前をつけたものですね。気配が探れないというのなら…気配の穴が開いている場所にあれはいる。殺す…殺してその魂に永劫の苦しみを」
ボタボタとこぼれ落ちた泥を残してフィルマリアの姿もその場からかき消えた。
二人の行く先は…今だ戦火の中にある帝国。
その地ですべてが始まり、そして終わろうとしていた。
またこの時、帝国ではなく世界全土にもとある事態が巻き起こっており…のちにこの日は黒い流れ星に続く史上最悪の日として遠い未来まで語り継がれることになるのだった。
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