第355話 神の力

風が吹き、草木が揺れた。

リリたちの住む屋敷の周囲にはもとより魔物に動物や虫等の生き物は生息していない。

そこにいる存在を本能で生きている生物は避けるからだ。


理屈ではなく実際にそうなっているのだからある意味では人間よりも理性や知性の無い動物たちのほうが賢いと言えるのかもしれない。


兎にも角にも普段から生き物のざわめきとは無縁のその場所ではあるが、今はさらに静かだ。

風が吹いても、草木が揺れたとしても一切の音が発生しない。

少なくともその場にいた者たちにはそうだった。


あどけない少女の様に微笑んでいるマナギスと、触れるもの全てを切り裂きそうなほど鋭い雰囲気を纏ったフィルマリア。

二つの視線がぶつかり合い、言葉に表せないような異様な空間を作り出していた。


「えーと…絶対に見覚えはあるんだよ…でも思い出せない。すまないね、できれば名前を教えてもらえないかな?」


おどけるように言ったマナギスの言葉をフィルマリアは無視する。

そんな様子に首をひねっているマナギスだったがやがてフィルマリアも口を開いた。


「全く気配を感じない。私の世界にいるはずなのに、まるで認識できない。こうして対面している今でさえあなたの存在を感じることが出来ない。どうりで私が気がつかないはずです」

「んん?何の話かな?…あ~もしかして惟神か何かで私の居場所を探せたりするのかな?あははは!それじゃあダメだ。神様の力なんてこの私には通用しないからね」


「そう…では直接問いましょう。あなたはレイという数千年前に生きていた少女の事を知っていますか?」

「ふむ、当時をして珍しい名前というわけでもなかったから確実に君が言っている人と同一人物とは言えないけれど、それは私の大切な恩人の名前で間違いないね。でもわざわざ数千年前と言っている辺り…なかなかに長生きな神様みたいだね?もしかしてレイの知り合い?だとしたら嬉しいな!あの素晴らしい恩人について語れる人というのはもはやいないからね!」


マナギスは一度だけ手を叩いて、嬉しいそうに笑う。

いや、彼女は実際に嬉しいのだ。

自分の知らないレイという少女の事を知っているかもしれない存在に出会えたのだから。


「恩人…ですか」

「ああそうさ、彼女は本当に素敵な女の子だった。ただ一心にひたすら誰かの幸せを願える…純粋で優しい子だったよ。そして強かった。自分の願いを…他者の幸せという未来に馳せた夢を叶えるためならどこまでも頑張れた!彼女に出会えなければ私はただの一研究者として腐って死ぬだけだったからねぇ…本当に彼女にはどれだけ感謝しても足りないよ」


「…しかし彼女は志半ばで死にました。その死因に心当たりはありますか」

「死んだ…死んだか。それは違うね、そんな悲しい事を言ってあげないでおくれ。彼女は今だって私の心の中で生きている!いいや、この世界に前を向こうとしている人がいる限り生きているんだ!だってそうだろう?今ここに私がいる事こそが…彼女がつないでくれた輝かしい未来の一つなのだから」


フィルマリアは天を仰いだ。

晴れとも曇天ともいえない空がそこにはある。


しかしたとえどんな空模様だったとしても、フィルマリアの目に映る景色はすでに色を失っている。

そしてゆっくりと視線を戻したフィルマリアはずっと握っていた愛娘の変わり果てた欠片を取り出し突き付ける。


「あの子をこんな姿にしたのは…あなたで間違いないですか」

「うん」


空気が裂けた。

そこにある何もかもを切り裂き、フィルマリアの手に握られた刀がマナギスの首に向かう。


「させるものか!」


まさに目にも止まらない速さだったがローブの男たちは素早くフィルマリアの動きを察知し、マナギスを守るように立ち塞がり、剣の男がその刀を止めた。


「どうやらリリが言っていたことは本当だったみたいですね…見つけた…あの子の仇…!あなただけは何があってもこの手で殺す。身体をどこまでもバラバラにし、内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜてあの子に詫びさせながらその命を踏みつぶす」

「…いい目だね。まっすぐでやる気に満ち溢れている。神様にしておくのがもったいないくらいだ」


「そういうあなたは生者にしておくにはもったないほど性根が腐り切っていますね」


甲高い音をさせて剣の男がフィルマリアの刀を弾く。

刀を握ったまま上に跳ね上げるように弾かれたため、腕を上げて体勢を崩したフィルマリアをローブの男たちが襲う。


剣の男は前方から剣を突き出し、大男が背後からその拳を振り上げる。

剣と拳に挟まれたフィルマリアだったがどうすることもできはしない。


この状況を自力でどうにかできるほど戦闘に関しての経験も才能もないから。

崩されたた姿勢をこの一瞬で整えることも、刀を振るうこともできない…なのでフィルマリアは一歩だけ足を踏み出した。


踏み出したその先には少し前にばらまかれていたメイラの血液がべったりと落ちていて、それを踏みつける事となったフィルマリアは足を取られ滑った。


「なに!?」

「馬鹿な!?」


男たちにとって予想外の動きを見せる結果となったフィルマリアだったが、崩れた体制がさらに崩れ、その身体を襲うはずだった剣と拳がすり抜ける。


そしてフィルマリアを挟んでいた二人の攻撃は、お互いに突き刺さる。

剣が大男の脇腹を抉り、拳が剣の男の顔面を撃ち抜く。


二人が痛みに悶える中、両手に刀を握りなおしたフィルマリアの刀がそのまま二人を切り裂いた。


「ほぇ~…面白い動きをするね。どういう能力かな?ちょっとわからないな。なのでこうしてみよう」


パチンとマナギスが指を鳴らすと鳴き声を上げて人形兵がフィルマリアに突っ込み、その巨大な手を握りしフィルマリアを殴りつけた。


「っ」


咄嗟に二本の刀を前方で交差させて身を守ろうとするが、あまりに巨大な質量の塊は刀をいとも簡単に砕いてフィルマリアの身体を殴り飛ばす。

十メートルほど飛ばされるも、すぐに立ち上がって再度フィルマリアを殴ろうとしている人形兵を見据える。


「さぁさぁさぁ!君はこの子にどう対応する?あまり興味はないけれど、できる事ならその手段を私に見せておくれ!」

「…」


瞬間、人形兵の身体がバラバラになって地に落ちた。


「…は?」


マナギスには何が起こったのか全く見えなかった。

先ほどまで傷一つ負っていなかったはずの人形兵が突然解体されたとしか思えない。


「いや…ものすごく鋭利な刃物で切断されている…?」


眼前に落ちた人形兵の残骸には一片の歪みもなく切断されているように見えた。


「でもそんな事ありえない。どれだけ硬いと思っているんだい?刃物で傷をつけるならともかく切断するなんてありえない…」


魔法的手段が通用しない人形兵を破壊するには物理的な干渉を行うしかない。

しかしクチナシの打撃を受けてなお傷がつかないほどの硬度を持つ人形兵を斬ることなどできるはずもない。


それはマナギスの中で揺るぎのない事実だ。

しかし彼女が相対しているのはこの世界の神…世界そのものだ。


「玩具遊びをしたいのなら他を当たりなさい。尤も他を当たる機会なんてもはや無いでしょうが」


フィルマリアの手には一本の真っ白な刀身を持つ刀が握られていた。

刃渡りは身長を優に超えて数メートルはあるほどの異常な長さを持つ刀だ。


──神刀。


フィルマリアが持つ、この世界に物質として存在する物を例外なく切断するという概念の込められた刀。

その力の前には虎の子の人形兵も紙と変わらない。


「いやはや理不尽だ。理不尽の極みだ。そんな力を努力をせずに感慨もなく当然のように振るう…だから私は君たちのような存在が好きではないんだ」

「私の世界で身勝手な事を口にし、己以外の全てを冒涜し汚し続ける。そんな反吐にも劣るあなた達人間が私は心底嫌いですよ」


フィルマリアが神刀を横なぎに振るった。

先ほどと同じようにローブの男たちが傷ついた身体を庇う事もなく、機械的にマナギスの盾になる。


しかし献身虚しく二人の身体は両断され、物言わぬ死骸…いや残骸へと変わった。

マナギスはそんな二人には一瞥もくれず、じっとフィルマリアを見つめている。


「あ…そうか…やっと思い出した。魔王だねあなた」

「私も先ほど思い出しましたよ。そのあなたの足元に散らばっているガラクタ人形…あの子が私を刺した時に一緒にいた方たちですね」


「そうかそうか、なるほどね。どうりで理不尽の塊なわけだ。生きていたなんて驚きだ。君はレイちゃんの頑張りを無駄にしてしまったんだね…せっかくあんなにボロボロになりながら必死にあの子は頑張ったというのに」

「…が」


「うん?」

「どの口が言っている!!!」


フィルマリアは走り出す。

最愛だった娘の仇に…その命に刃を突き立てるために。

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