第354話 人形少女の誘惑
≪フォスside≫
「なんだ…?」
フォスはピリッとひりつくような何かを感じ取った。
戦場の空気が変わった。
それを感じ取れたものはフォスをはじめとして騎士の数人程度だった。
それほど繊細で…しかし確かに感じる事の出来る何かが戦場には漂っていたのだ。
「どうかされましたか?」
空気を感じ取ることは出来ないが、フォスの様子が変わったのは感じ取れたアルスがフォスの顔を覗き込む。
「いや…何かおかしい…ジラウド!!」
「分かっております!総員警戒!」
ジラウドもフォスと同じように何かを感じ取った一人であり、すでに目に見える位置にいる部下には警戒命令を出していた。
最大の懸念点だった人形兵が討伐された今、もはや帝国側に敗北はない。
誰もがそう考えていた。
空気を感じ取れていない騎士や民兵たちは何を警戒すればいいのかもわからず困惑している。
しかし長きを生きて様々な修羅場を越えてきたフォスの本能が何かまずい事が起こるとうるさいほどに警鐘を鳴らしている。
「フォルスレネス!アレを見ろ!」
それを最初に見つけたのはヒートだった。
空を見上げて何かを指差しているヒートにつられてフォスも空を見上げる。
そこに真っ黒な光を放つ何かがあった。
まるで黒い太陽のように見えたそれは分かりにくいがゆっくりと回転しており、塵のような何かを巻き込んでその大きさを増していっているようだった。
それを見つけたその瞬間にフォスは何のためらいもなく光の矢を放った。
様子見なんてしてもろくなことにはならない。
フォスが胃を痛めて最近たどり着いた結論だ。
一直線に黒い太陽に向かった矢はその中心を見事に撃ち抜き、黒い太陽は卵の様に真ん中から割れた。。
黒い閃光が辺り一面に広がり、その場の全員の視線を眩ませる。
「ちっ!なんだ!」
光と共に何かがぬらぬらとした粘液と共に黒い太陽から這い出てくる。
それはパペットの腕のように見えた。
それも人形兵とは比べ物にならないほど巨大なものだ。
「おいおいおいおい…嘘だろ…?」
徐々に姿を見せるそれはもはや人型ではなかった。
歪であっても曲りなりに人の形はしていた人形兵とは違い、腕の一本をとっても無数の関節を持ち、右に左にと不規則に曲がっていて、腕として機能するのかも不確かな形状だ。
胴体のように見える部分からそんな不気味な腕が無数に取り付けられており、シルエットだけで言えばそういう虫のようにも見える。
そして地に降り立ったそれは顔中についた無数の瞳をギョロリと動かし戦場を見渡していた。
────────
≪リリside≫
私の眼前で止められた刀は微かに振動していた。
持ち主であるマリアさんの腕の震えが刀に伝わっているのだと思う。
先ほど私が言った事はやっぱりマリアさんにとっては無視できない事だったらしい。
こんなことなら最初から有無を言わずに無理やり話を進めていればよかった。
「何を…何を言っているのです…?」
「あなたがそんな事をしている理由。あなたの娘のレイが死んだ原因になった人が生きているって言ったの」
「なんでお前がレイの事を知っている!…いえ、そう言えば相当数の欠片を持っていたのでしたね。そこから記憶でも得ましたか。そうやって付け焼刃の言い訳が私に通用するとでも?」
してるじゃん。
刀止まってるよ今!とはもちろん口にしない。
「付け焼刃じゃないよ。確かにあの欠片からもあの子の記憶を見た…でも私があの子の事情を知っているのはもっと単純な理由。友達だったのレイと私」
「は?」
マリアさんの瞳が右に左に泳いでいく。
私の言った事の意味がうまく理解できていないようだ。
なんというか…割と人間味があるなぁとしみじみ思う。
いや、そんなこと今さらか…この人に人間味がなかったのなら、そもそもこんなことにはなっていないのだから。
「ふざけた事を言わないでください。あの子が生きていたのは数千年前です。その時代からあなたがいたというのですか?私にそんな嘘がまかり通ると?」
「マリアさんにはもしかしたら分からないかもしれないけど、私はこっちで人形になる前…この世界で生を受ける前にあの子と友達だったの」
それをマリアさんに説明してどうなるのか。
私はマオちゃんにも前世の話をしていないしするつもりもない。
だって前世なんて振り返るだけ無駄だと思うから、今ここに居る私が私だからだ。
現に前世の私と今の私は違う。
糸倉紗々はリリのような言動は死んでもしないし、私(リリ)だって今さら糸倉紗々のようなすれた言動は出来ない。
私にとって前世なんてそんな物だ。
レイの事がなければすでに切り捨ててしまっているような物。
だから私は前世の事を口になんてしない。
でもマリアさんには何故かこの時話した。
理解できてるとは思わないけど…しかし私の言葉を聞いたマリアさんは目を見開いたのだ。
「…」
フリーズしてしまったのか動きを止めてしまったマリアさんにチャンスとばかりに近づき、聞こえやすいようにその耳元で囁く。
「あの子にあんな酷い事をした人は生きているの。そしてその人は今この国で戦争を起こしている」
マリアさんの瞳が耳元にいる私に向けられる。
「復讐…したくない?仇を取りたいでしょう?恨みを晴らしたくはない?憎いでしょう?」
「なにを…」
気持ちの整理というのは大事だ。
区切りをつけると言ってもいい。
あの子をひどい目にあわされたのが憎いというのならその気持ちをぶつけるべきだ。
せっかく張本人がいるのだから。
心から愛していた人を奪われたのだから、その心が砕けるのは当然だ。
レイの言葉が届かないのもきっとマリアさんの心が砕けてしまっているから。
そしてその砕けた心の傷がいまだに治らないから。
いつまでも心に刺さった鋭い刃が心を斬り砕き続けるから。
なら前に進むにはその刃を取り除くしかない。
復讐は何も生まない…その通りだ。
やったって何かが残るわけでもない。
むしろ別の恨みを買う結果に終わるかもしれない。
恨みを晴らしたって死人は喜ばない…実際にレイはおそらくそのことを喜びはしないだろう。
でもだから何だというのだ。
前に進めないのだからやるしかないのだ。
ううん、やってもいいのだ。
憎いなら殺せばいい。
恨みが晴れないのなら気が済むまで切り刻めばいい。
愛のためなら何をやっても許されるし、やらなければならない。
奪われたのなら奪い返さなくちゃ意味がない。
「マリアさんが私の事を嫌いでも…私はマリアさんの事嫌いじゃないの。だから教えてあげる、知りたいでしょう?レイの頭をいじって、抵抗できないあの子の身体をぐちゃぐちゃにして…泣きながらあなたに剣を向けるように仕向けた人の事…ね?マリアさん」
「本当に…まだ生きているのですか…レイの記憶に映るあの女が…」
「生きてるよ。私はあんまり嘘は言わないんだ」
マオちゃんに嘘ついたのばれたら怒られるからね!
「本当は私もあの人にお返ししたいことがいっぱいあるんだよ?でも…他ならないあの子が大切だって言っていた母親であるマリアさんだから…譲ってあげてもいいかなって、どうするマリアさん?苦しいでしょう?痛いでしょう?そんなものいつまでも抱えてるのは辛いでしょう?思い知らせてあげようよ、同じように痛くて苦しくて辛い事をしてあげようよ。あなたの大切なレイが味わった苦しみを、その人にも味わってほしいでしょう?ね?」
マリアさんの呼吸が荒くなっていく。
ほとんどゼロ距離だからその様子が手に取るようにわかる。
戦場が色々と雑音が多いから、やっぱり耳元で囁くのが確実だよね!…マオちゃんに見られたら浮気を疑われないか心配だけど…。
いや、たぶんここまで密着してるから次あったら確実に「他の女と───」って言われる。
間違いない。
でも仕方ないだよぉ!大事な事なんだ!許してマオちゃん!
「どこですか」
「ん?」
「その女は今どこにいるって聞いているの!!!」
「わぁ。急に大声出さないでよ~」
耳がキーン!ってなったよ!まったくもう!
でもやる気になってくれたのならちゃんと教えてあげないとね。
実際マナギスさんに対して決着をつけないとマリアさんはもうどうしようもないと思うのだ。
マナギスさんは私がぶち殺してやりたい気持ちもあるけれど…一番の目的はマリアさんにあの子の気持ちを伝える事だから。
泣く泣く譲りましょう。
それに今あの人がいるのは私の屋敷だ。
ならマリアさんが向かってくれればもしかすればクチナシは…。
私はそこで首を数度振って余計な考えを振り切った。
今それを考えてもしょうがない。
「よく聞いてねマリアさん」
「…」
そして私は知る限りの全てをマリアさんに話した。
話し終えると同時にその姿がかき消える。
どうやらもう行ったらしい。
「頑張ってねマリアさん。さて」
戦場の様子はどうなったかな~?とそちらに意識を向けるとえらい事になっていた。
まるでムカデの様にも見えないことの無い不気味すぎるってレベルを超えためちゃくちゃでかい人形が暴れまわっているのだ。
マリアさんの説得に気を割きすぎて気がつかなかったみたいだ。
どんだけ集中してたのだ私は。
「というか見た感じ…かなりヤバいよねアレ…」
どう見ても人形兵より強そうだ。
私のカオスブレイカーで倒せるか怪しい…。
どちらにせよ魔力がほぼ枯渇しているので撃てないのだけど…はっ!あんなのが暴れまわってる中マオちゃんは無事なのだろうか!?
それにコウちゃんたちも。
私は慌ててそちらに向かおうとして…胸に異常な熱を感じてその場にうずくまった。
「うぅ…!これって…」
熱い…とにかく熱い。
熱い何かが流れ込んできて私の中で暴れている感覚。
だがそれも長くは続かない。
熱はやがて私の中で混ざり合うように馴染んでいき、心地の良い物に変わっていく。
数分経つ頃には完全に治まり、そして私の中には今までのとは比べ物にならないほどの力がみなぎっていた。
「ああ…やっぱり君は…」
私の瞳から涙がこぼれ落ちたのが分かった。
クチナシが…死んだ。
それが分かってしまったから。
「ごめん…本当にごめんよ…」
あれは私がレイと不思議な場所で出会った後の事。
私はこれから起こる事態に私自身力が必要だと感じてクチナシに最低なお願い事をした。
「私の中に戻ってきてくれないかな?」
クチナシは私の力の一部。
力に目覚めたその時に私にその力を扱うつもりがなかったから、代わりにそれを制御してくれる存在としてあの子は産まれた。
端的に言うのならば、私は自分の力の一部を切り離していたのだ。
そしてその力はクチナシという人格を持ち歩き出すことになった。
つまりは私の手を離れている。
私は完全じゃない。
クチナシに分けた力だけ弱体化している。
つまりあの子が私の中に戻ってきてくれることで私は本来の強さを取り戻すことが出来るんだ。
だから有事の際に少しだけ私の中に戻ってきてくれないかと…そういう気持ちで頼んだ。
でも私はそれを死ぬほど後悔することになった。
クチナシはすでに一人の個としてそこに存在している…それが力の塊として私の中に戻るには死ななくてはいけない。
そう告げられた。
違う、そこまでの事を考えて口にしたわけじゃない。
ただ少しだけ協力してもらえればそれでよかったんだ。
終わればまたクチナシに戻ってくれればいいと…でもそうはいかなかった。
だから私は別の手を考えようとしたけど、クチナシは自分が死ぬのが確実ですと言った。
「私は元々不安定な存在ですから。いつ消えるかもわかりません。ならその瞬間を自分で決められた方が何倍もマシです」
その言葉が真実だったのかどうか私にはわからない。
私に罪悪感を抱かせないための嘘だった可能性だってある…いや、むしろそっちの方が正解の気がする。
あんな提案をするんじゃなかった。
私はあの子に自由に生きて欲しいと言っていた口であの子に死ねと言ったのだ。
「姉様。そんなに思いつめる事ではありません。ただあるべきものが元のあるべきところに戻るだけです…でもそうですね、姉様は…もしそうなれば私のために泣いてくれますか?」
あの子は私に笑顔でそう言った。
泣かないわけがなかった。
ちょっとおかしなところはあったけれど…本当にいい子だった。
私なんかのところに来なければ…あの子はもっといい人生を歩めたかもしれない。
「ううん…そんなこと考えちゃだめだ。だってあの子は笑っていたのだから」
(姉様…私は幸せでした)
声が聞こえた気がした。
私の妄想や幻聴だったのかもしれない…でも例えそうだったとしても、私だけはあの子の生きてきた時間を否定してはいけないから。
「ありがとうクチナシ。私の大切な妹…これからは一緒に行こう」
涙を拭ってさぁ行きましょう。
今の私たちにきっと敵はいないから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます