第334話 神様の夢話9
曇天の空にほんのわずかな穴が開き、か細い光が地に差し込んだ。
診療所のある村からわずかに離れた場所にある森に身を投げ出し、フィルマリアはそんな空を見つめていた。
「…」
どれくらいそうしているのだろうか。
もう数時間ほど微動だにせずそうしている気もするが、寿命という概念の無いフィルマリアには時間さえ気に留める物ではないために感覚としてさえも分からない。
「あんなものが成功する確信なんてなかった。ただレイが生き返った後に何かあった時のための実験をしただけ」
それが何に対する、誰に対する言い訳なのかはもはや説明するまでもない。
「あの少女にまだ私のほうの欠片が定着していない可能性もある。まだ殺すには早いかもしれなかった」
レイの欠片は宿主が息絶えた場合、次の宿主を探して消えてしまう。
それを同じように欠片へと分解したフィルマリアの身体を結びつかせることで自分の元に集まってくるようにしているため、確かにミィが死んだとしても欠片を回収できない可能性もあった。
フィルマリア自身の欠片はあまりにサイズが小さいために、本人でさえほとんど存在を感じることが出来ないが、ミィには9割ほどの確率で定着していると確信めいたものを感じていた。
故にもはやほとんどの確率で意味のない言い訳なのだが、それでも今のフィルマリアには必要な物だった。
「理由があったから。そう理由があったから仕方がなかった。絆されたわけじゃない。助けたわけじゃない、今は殺さないほうがよかっただけ…殺そうと思えばいつだって殺せる」
言い訳を口にするたびに、心の中の靄が増えていく。
しかしそれと同じくらい…同じ以上の速さで奥底の黒く淀んだ何かが晴れていく。
今まさに真っ黒な雲を切り裂いて降り注いでいく日差しのように。
「…あの雲の上には…青空が広がっている」
腹立たしく忌々しい青空。
それを思い出そうと目を閉じると、瞼の裏に浮かんできたのは晴れやかな光景だった。
レリズメルドと一緒に飛んだ空。
あの時は必至に目を反らし、否定した過去の記憶が淀んだ泥を溶かし流していく。
それで何かが変わってしまうのが怖くて、目を開いた瞬間、空の雲が散って日の光が大地を照らす。
まるでもうそちら側には行かせないとばかりに。
眩しさに目がくらみ、再び瞳を閉じたフィルマリアを安らかなまどろみが包み込んだのだった。
────────
あの日から一週間が経った。
診療所内で繰り広げられていた偽りの日常は崩れ去り、新たな空気が流れていた。
「よしミィ、息を止めて胸を張って」
「むいっ!」
「はい、もういいぞ~」
「あい!」
一週間前のあの日から、ミィの両親は毎日のように娘の身体を検査していた。
自分達の荒唐無稽な想像は合っているのか、ただそう思いたいだけなのではないかと。
だがミィの身体は健康そのもので、手の施しようがなかったはずの病は一切の症状も残さず消え去っており、発作を起こすこともなくなった。
間違いなく完治しており、まだ一時的なものである可能性も考慮し検査をしているが今のところその兆候もない。
まるで奇跡のような出来事であり、自分達に突如として降ってきた無償の奇跡に両親は涙を流し喜んだ。
しいて言うのならば、ミィが寝ていた部屋が衛生的な問題で使用できなくなってしまったが、最愛の娘の命に比べれば羽毛のように軽い対価だ。
「ミィ、今日はケーキがあるわよ~」
「わわっ!ほんとに!?やたー!」
目覚めてからというものの、ミィはだんだんと減衰していた食欲も戻り、痩せ気味だった身体も健康的な身体つきに戻り始めていた。
そんな娘の様子がたまらなく嬉しくて、母親は数日に一度ケーキを焼くようになり、食卓には本当の笑顔が戻った。
だが不意に、ミィは悲しそうな顔を見せる。
今もまたケーキに喜んでいたかと思えば、下を見てうつむいてしまった。
「…」
「どうしたのミィ」
「マリアお姉ちゃん…もう戻ってこないのかなぁ。ケーキ…甘くて幸せなのに…」
「ミィ…」
あの日以来、フィルマリアは姿を見せることは無かった。
父親はあの後、自らがしてしまった事を病のこと以外は警備の騎士に告白し、フィルマリアの行方を追ってもらおうとはしたものの、診療所内をどれだけ調べても血痕はおろか、そのような人物がいたという痕跡すら存在せず、信じてもらえなかった。
そのため捜索も行われず、フィルマリアは完全に行方不明となっていた。
父親は罪悪感に潰されそうになったが、どうすることもできず、ならばせめてフィルマリアがもう一度ここを訪れてくれることを願い待ち続けることを決めた。
「大丈夫さミィ。いつかきっともう一度ここに来てくれるよ」
「そうよ、その時はママがケーキを焼くから楽しみに待っていましょうね」
「…うん!」
「…ん?まだケーキ焼いているのかい?」
「え?いいえ、もう焼き終わっているけど?」
突然不思議な事を言いだした夫の様子に妻は首を傾げたが、夫はある臭いを感じ取っていて…。
「じゃあこの焦げ臭い臭いは一体…?」
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