第298話 魔王少女の天秤
「行くって…どこに向かうつもりです?」
アルスは部屋を出て行こうとしたマオの腕を掴み、引き留めた。
振り向いたマオの顔からは相変わらず表情が抜け落ちており、美しい顔や黒い痣も合わさり得体のしれない雰囲気を醸し出している。
「決まってるでしょう?リリを助けに行くんだよ。それ以外にどこか行く場所があるとでも?」
「いえ、それは分かりますが…先ほども言った通り場所は分からないのですよ。今現在フォス様もおそらく情報を収取しようと動いているはずです。まずは冷静になりましょう」
そっとマオはアルスの腕を払いのける。
「私は冷静ですよ。頭はハッキリとしているし、やることも全部わかってる。この状態を冷静と言わずしてなんだというの?」
「なら今はヘタに動かず…」
「下手になんて動かないよ。リリの居所を探してくれるというのならそちらはお任せします。私は私ができる確実な方法でリリを探す」
「確実な…?」
そのような方法があるのだろうか?あるのなら自分たちがリリの行方を追う必要はない。
しかしリリはアルスにそちらはそちらで探してほしいと言っている。
アルスはマオの方法がどういう物なのか見当もつかなかった。
「ええ、確実な方法です。どこにいるか分からないなら、見つかるまで探せばいい。どこかに隠れているというのなら、出て来るまであぶりだせばいい」
いつの間にかマオの周りを赤いオーラが漂っていた。
そこでアルスは思い出した。
彼女が何を成したのか…魔王としての彼女が何をしたのか。
「まさか…人間界を無差別に襲うつもりですか…?」
「うん」
躊躇もためらいもなく、マオは平然と肯定した。
魔界に住む魔族を絶滅に追い込んだのだ、今さらそれができないはずは無い。
だがしかし、曲がりなりにも魔族を滅ぼすだけの理由がマオにはあった。
今回のターゲットとなったのは人族…マオとは何のかかわりもない種族と言ってもいい。
それを無差別に滅ぼそうとするのは魔族の時とはわけが違う。
しかし…。
「しょうがないよ。だってリリがさらわれたのに場所が分からないのでしょう?しらみつぶしに探すしかないよね?誰かその女を知ってる人に会えるかもしれない…だけど簡単には教えてくれないよね?だったらも死の恐怖を突き付けるしかないよ。嘘だと思われないように片っ端から殺していくしかないよね?時間ないし、建物だってひたすら壊していけばそいつの隠れ場所に当たるかもしれないよね。やるしかないよ、だって他に手段なんてないのだから」
明らかに正気ではないその言葉だが、マオはこれほどにはないくらいに正気だった。
正常な精神で、まともに思考して、狂った言葉を口にする。
歪に真っ直ぐで、真っ直ぐに狂っている。
だがマオに魔界を滅ぼしたという事実があるとはいえ、彼女は破壊衝動に囚われているわけでも憎悪に染まっているわけではなく…それだけリリという存在がマオの中で重いと言うだけの事。
世界中の人間とリリとでは天秤にかけるまでもなく…否、そもそも天秤にかけることすら出来ぬほどにその価値は高い。
よって本来ならありえるはずのない事だが、人がリリに害をなすということは自ら死を選ぶという事と同義である。
彼女こそ自らの愛したもの以外の全てに等しく破壊と死をもたらす「破滅の魔王」。
初めて愛という感情を持ち因果を砕いた魔王にして、最後の魔王なのだから。
「…うまく行くと本当に思っていますか?」
「可能性はゼロじゃないでしょう?それにずっとはずれを引き続けたとしても最後に残った場所、最後に残った一人は間違いなくあたりでしょう?私にはその力がある、奪われたものは取り戻す。だって私の物だもの。私の何もかもすべてがリリのものであるように、リリの何もかもすべては私の物なの。私たちは常にいつまでもどんなときもずっと一緒じゃなきゃいけないの…それを引き裂くというのなら…世界の全て連帯責任で私は壊すよ」
そう語るマオの瞳には一点の曇りもなかった。
そこに映るのは欲望ではなく…ただそうあるべき、そうするべきという当然の認識。
アルスはマオの行動を止めることは出来ないと相手を変える。
「メイラさんはそれでいいのですか?人がいなくなればあなたも被害を受けますよ。飢えた事はあるでしょう?耐えられないほどの苦しみだったはずです。それでもあなたは魔王様について行くつもりですか」
「…」
ゆっくりと目を閉じたメイラは数秒の沈黙の後にゆっくりと目を開いてマオを見つめた。
マオはそんな視線を受けて、何かを見定めるかのようなじっとした瞳をメイラに返す。
メイラの脳裏によぎるのは悪魔になって間もなかった時の記憶…どうしても人を食べることができなくて飢えた。
その時の苦しみは想像を絶するもので、何を飲んでも喉は乾くばかり、何を食べても質量のある霞を食べているかのように味を感じなければ糧にもならない。
暴食を司るメイラにとって飢餓というものはこの世で最も恐ろしい苦痛だと言っても過言ではない。
故にメイラは答えた。
「はい、魔王様について行きます。人が死滅して…私が飢えたとしても、それでリリさんが…私の神様が戻ってくるのなら何も問題はありません」
飢えるのは苦しい。
だがそれよりも両親と共に死を待つだけだった自分を救ってくれた神様(リリ)を見捨てるのは飢えて死ぬよりも恐ろしく、怖くて辛い。
たとえ飢えるのを嫌い、リリを切り捨てたとしてもその後自分は気が狂って死ぬのが分かる。
どちらにせよ死ぬのならリリへの思いを貫いて狂って死にたい。
マオとは違いメイラからは欲望を感じ取れたアルスだったがやはり意見を変えるのは無理だと結論を下す。
「…あなた達が選ぶ道はおそらく多くの敵を作ります。それでもやるんですね?」
言外に敵になるのは「自分達」だと告げるがマオとメイラの瞳は一切揺れることは無かった。
本来ならそれが本人たちのやりたいことならば、それを尊重し受け入れるアルスだったがフォスの言う通りその内面では本人が気づかないうちに変化が起こっており、無意識に彼女達との関係を壊したくないと思ってしまっていた。
だがもう無理だと、胸に少しばかりの痛みを感じながらアルスは会話を打ち切ることにした。
その時。
「ママ」
リフィルがマオの腕を掴んだ。
────────────
窓が一つもなく、それでも何故か全体が明るい場所も分からぬ広い部屋にリリは磔のような形で壁に拘束されていた。
今だ魔力は回復しておらず、指の一本動かすことは出来ない。
そんなリリをマナギスは今から買ってもらったばかりの玩具で遊ぶ幼子のような顔で見つめていた。
「ふふふふふ!さてさてどうしようかな!どうしようかな!いざリリちゃんを調べられるってなったらどこから手をつければいいか悩んで悩んで仕方ないよ!」
「髪とかでいいんじゃない。一本くらいなら持って行っていいよ」
「髪か~…うんいいね!でもまずは…腕かな!」
パチンとマナギスが指鳴らすと背後からチェンソーのようなものを持った人形が現れる。
高速で回転する刃が耳障りな音をたてながらリリの右肩に押し付けられ──────。
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