第297話 魔王少女は顔を覆う
アルスは王国で起こった出来事を要点だけをかいつまんでマオに話していく。
マオの服を握りしめるリフィルと、アルスの声をかき消さんばかりの大声でなくアマリリスを宥める事もなく、マオはただ茫然と話を聞いていた。
リリの眷属であるメイラはそんな事ありえないと思ったが虚ろな瞳で項垂れているクチナシの様子からそれが真実なのだと否が応でも認識させられる。
「…以上になります」
「そんな…」
アルスの話が終わると同時にマオは下を向いて、両の掌で顔を覆う。
部屋の中はまさに混沌としており、各々がリリが操られ、連れ去られたという事実を受け止めきれずに動揺を見せており、まともな話ができるような状態ではなかった。
(これはいけませんね…協力を求められるような状態じゃないようですフォス様)
ここでアルスがフォスのように一喝できればもしかすれば話は違うのかもしれない。
(…だめですね、クチナシさんのように素直な人がいません。フォス様を連れてきても変わらない気しかしません。どうしましょうか)
この場にいるのはこの世界の理から外れたバケモノばかり。
だからこそ彼女達を叱り、前を向かせることができる人物など存在しない。
(いえ、それを普段はリリさんが担っていたのですかね)
リリはフォスのように怒声を飛ばすなどと言った事はしていなかったが、それでも彼女達を導く役割を担っていた。
本人にその気はなかったかもしれないが、ほぼすべての物事はリリを中心に決まっており、行き過ぎた場合はマオが軌道修正を行うという関係性が構築されており、そこからリリがいなくなることでここまで崩れてしまう。
傍から見ればリリはマオの尻に敷かれているように見えるかもしれないが実は逆なのだ。
リリは絶対に自分の嫌な事はやらず、マオはそれについて行っているだけであり、また唯一リリに何かを要求できる存在がマオである…ただそれだけ。
ここに居るいびつで歪んでいて…だが他のどんな家族よりも硬く結ばれていたはずの家族は核となるリリがいなくなっただけで成り立たない。
知らず知らずのうちに彼女たちはリリに依存していたのだ。
それでも今まで問題はなかった。
なぜならリリは強かったから。
彼女を倒せるものなどこの世界にはいない、だから絶対に安全。
ただただ強くて優しいリリを信じていれば自分たちはいいのだからという考えが無意識の底に確かに存在していたのだ。
「皆さま、飲み込めないのは分かりますがどうか持ち直してください。今はこれからをどうするか考えませんか」
アルスが声をかけても誰も動こうとしない。
こういう時に真っ先に動きそうなメイラでさえも呆然と立ち尽くしている。
「…これはとりあえず色欲と嫉妬だけを連れて行くほうがいいかもしれませんね。いいですかメイラさん」
「え…?あ、はい…」
心ここにあらずと言った様子だが一応は許可を取ったという事でアルスは悪魔二人を連れて屋敷を去ることにした。
最後に割れたティーカップの破片が子供たちの足元に落ちていることが気になったので取り除こうと触手を伸ばす。
触手が破片に触れたところで触手を通じてジリジリと焦がされるような不思議な感覚をアルスは覚えた。
そして──。
「その女、どこにいるのかわかっているの?」
顔を覆ったままマオがポツリと訊ねた。
それは静かで平坦な声だった。
まるで感情を感じられない。
「いえ、場所までは把握できていません。いち早く報告しなければと思いまして」
「…そう」
マオは顔を覆っていた手を外すとゆっくりと立ち上がる。
露になったその顔からは…一切の表情が抜け落ちており、顔の半分を覆っている黒い痣は心なしかその範囲を広げているように見えた。
「リフィル」
「ママぁ…」
「アマリリス」
「ひっく…ひっく…」
マオは膝を折り、娘たちに視線を合わせると表情のない顔で泣く二人の目を覗き込む。
その見たことの無い母親の表情に戸惑いを隠せないリフィルとアマリリスだが、なにか見えない力が働いているかのように視線を外すことができない。
「いつまで泣いてるの。もう泣きやみなさい」
「でも…」
「うぇぇ…ぐすっ…」
「聞いて二人とも。普段はいいよ、悲しい時は泣いていいし誰も責めたりなんてしない。だけどこんな時に泣くだけで何もできない女になったらダメ。いい?この世界には絶対に譲ってはいけない大切なものがある…それは愛。それが奪われたのなら、大切な人が横から出てきた他者に害されることがあるのなら泣いてる暇なんてないの」
「じゃあ…どうすればいいの…?」
「ぐすっ…」
「大切な物を奪われたのなら、奪い返す。そして二度とそんな真似ができないように…この世界からいなくさせるの。愛のためなら何をやっても許される…ううん。愛のためならどんなことでもしなくちゃいけない。私とリリの子供のあなた達なら…わかるよね?」
リフィルとアマリリスはお互いの手を繋ぎ…頷いた。
二人は先ほどのマオの言葉をすべて理解してはいない。
幼い子共が理解するにはあまりにも倒錯的な言葉だったから。
でもそこに込められた意味はわかる。
リリが大変な事になって死ぬほど悲しい…そしてこれが血のつながりよりも固い絆…愛で結ばれた姉だったら?妹だったら?
そう考えると泣いている場合じゃないという言葉が理解できる。
「「あい」のためなら…なにをやってもゆるされる」
「「あい」のためなら…どんなことでもしなくちゃいけない」
ぎゅうっとお互いのつながれた手に力を込めて、姉妹は涙を止めた。
「いい子だね。さすが私たちの自慢の娘だよ…メイラさん」
マオは今度はメイラに視線を向け、その名を呼んだ。
「…はい」
「行くよ」
メイラに投げられた言葉は短いその一言だけだった。
しかしそこに込められた強く激しい激情を叩きつけられ…メイラはゆっくりと頭を下げたのだった。
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