第262話 糸倉紗々の未練

 外界との接触がほぼなくなった私は当時はやっていたオンラインゲームにのめり込んだ。

現実で過ごす時間よりもはるかに長く、ゲームの世界に私はいた。


リアルは最低限の人間としての機能の維持のためだけの場となって、わずかな食事と生理現象の処理以外はずっと画面の前でコントローラーを握っていた。



──人形遣いのリリ。

あの世界ではトップクラスの実力と、それに見合ったゲーム廃人として有名で…まとめサイトで馬鹿にされたりはしていたがパーティーに誘われたり、入りはしなかったもののギルドやクランと呼ばれるものに


誘われることもあるなど現実とは違い人間関係は思いのほか良好だった。



それも私がゲームにはまった理由の一つなのかもしれない。

この画面の中では私は違う自分でいられた。


沢山の見知らぬ人から頼りにされて…ストーリー中では世界だって救った人気者だ。

本当に自分がリリだったらよかったのに。


「馬鹿かよ私は」


ヘッドフォンを外して無駄に高いゲーミングチェアにもたれかかる。

少しだけ軋むような音が背後から聞こえた。

チェアではなく、さらにその背後から。


「っ!?」


慌てて振り向くと…そこにマスクで顔を隠した男がいて…トン、と胸に軽い衝撃が走った後に燃えるような痛みが私を襲った。

チェアごと倒れていく瞬間がやけに遅く感じて…ようやく地面とぶつかったかと思えば痛みは感じなくて…。


「はっ…は…っ…あ…」


自分の心臓の鼓動がうるさいほどに聞こえてくる。

そして一回鼓動するたびに真っ赤な血が噴き出すように溢れてきて部屋を汚していく。

胸の燃えるような痛みは続いているのに…どんどん寒くなって震えも止まらない。


何のためか…何を思ってなのか血に濡れた手をどことも知れず伸ばした。

当然のことながらその手を取る人なんかどこにもいなくて…赤く赤く染まっていく視界が途切れた。


────────


「ああそうか…私…死んだのか」


新崎の事を考えていたら唐突に思い出した。

笑えるなぁ…あんな馬鹿みたいな死に方をするなんてさ。

まぁ私みたいなろくでなしにはお似合いかもしれない。


「まだ死んでないとしたら?」

「は?」


新崎は私を見ずに虚空を見つめながら妙な事を言いだした。

死んでいないとしたら…?そんなことがあるのか?


いや…私は確かに覚えている。

あの生々しい死の感覚を。


「紗々ちゃんはまだ前世に囚われてる。まだ未練がある…「紗々ちゃん」がここにいることがその証明」

「お前…さっきからわけの分かんない事ばっか言うなよ」


「見て」


新崎がどこかを指さした。

気が付けば木々が広がっていた森は何もない真っ白な空間に変わっていて、新崎の指差した先…そこに何かがぼんやりと映っていた。


真っ白な部屋…あれは病室か…?そこでベッドの上に眠る私と…あれは…。


「紗々!」

「目を開けて紗々!」


眠る私の手を握り、涙を流しながら私の名前を呼んでいるのは…私の両親だった。


「なんだ…なんだよこれ…」


こんな光景ありえない。

アイツらが私の名前を呼ぶことなんてあるはずがない。

刺されたくらいで…あんなに取り乱すものかよ。


「紗々ちゃんは…これが未練なんでしょ」

「未練…?」


「もしかしたら…死に直面するほどの騒ぎが起こったのなら、両親が自分を見てくれるかもしれないという期待」

「馬鹿な事を言うな…私は…だって私は…」


そう、私はなんとなく覚えている。

私はこの後…死にたいと願ったはずだ。


もう何もかも終わらせて眠りたいと…そう願ったはずなんだ。

その私がこんな事を望んだはずがない。


「じゃあどうして泣いてるの?」

「あ…?」


泣いてる?私が…?そんなはずあるか。

自分の顔を見ることは出来ないが泣くなんてことあるはずがない。

だってこんな…こんな…。


「父さん…母さん…」

「っ!」


ベッドの上の私が目を覚ました。


心臓が跳ねる。


バクバクとうるさい。


止めろ。


見るな。


こんなの嘘だ。



「紗々…!よかった…よかった…!」

「今までごめんなさい…紗々…これからはずっと一緒よ…!」

「うん…父さん…母さん…うれしい…」


私の足はいつの間にか勝手に前に進んでいた。


「紗々ちゃんはやっぱりそっちの方がいい?」

「…」


新崎の声は聞こえているようで聞こえていない。

ただ…目の前に広がっている光景に向かって歩みを進める。


「本当にそれでいいんだね紗々ちゃん。後悔はないんだね」

「わた、し…は…」


幸せそうに笑う「私」と両親たちの姿に手を伸ばす。

もし…本当にこんな光景があり得るのだとしたら…いや、今まさに起こっている出来事なのだとしたら…私はもう一度…。


「ううん、そんなの許さないよ」


誰かが横から私の手を掴んだ。

新崎じゃない。

その手は硬くて冷たくて…独特な形の球体関節を持っていた。


――私を止めたのは私だった。


――私が私を止めた。


「もうそんな事を考える時期なんてとっくに過ぎてるんだよ。今さら過ぎるんだよ」


私は私の…「糸倉紗々」の掴んでいる腕を引きちぎった。

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